Pretty Poison Pandemic | ナノ





一般的には病院で大声を出して騒ぐ行為はマナーというかモラルというか、そういった社会的な決まりごとに反するといえるのだろうけれど、今ばっかりは到底そんなこと言えないな──とシキミは目の前でわんわん泣きじゃくる親友を見て思った。

「うわあああああああん! わああああああああん! シキミー! 無事でよかったよおおおお! ああっ違う! 無事じゃない! だってそんな怪我してんだもん! でも生きててほんとによかったよおおおおおお!」
「わかった、わかったからツルちゃん。あたしは大丈夫だから。もう泣かないで」
「大丈夫って……だってそんな包帯だらけで……うわああああああああん!」

いったん落ち着いたように見えたツルコだったが、痛ましい姿のシキミを直視して感情がぶり返してきたのか、またびーびーと泣き出した。これはなに言ってもだめだわ、とシキミは諦めて、ベッドに突っ伏して号泣するツルコの背中をあやすように撫でた。それは入院患者が見舞客を慰めるというおかしな構図ではあったけれど、それなりに微笑ましい光景であった。

「本当に大丈夫だから。明日には退院できるんだし」
「そういう問題じゃないのよ!」

がばっと起き上がって、ツルコはいきなり怒りはじめた。

「あんたは自分をもっと大事にしなさいよ! いっつもいっつもそうやって傷だらけになってさ! みんな心配してんだからね!」
「……うん。ごめん」
「シキミは頑張りすぎなんだよ! シキミばっかりがそんな、そんなつらい思いして……戦って……うちらはなんにもできなくて……うわあああああああああああん!」
「よしよし」
「あれ? お友達が来てるな」

かけられた声に振り向くと、そこには花束を持ったサイタマと、果物の盛り合わせが入った籠を抱えたヒズミがいた。彼女は夏だというのに長袖のジャケットを着ているので、その下が現在どうなっているのかわからない。傷跡を隠すために、あえて──ということだろうか。

「あ、先生。ヒズミさん。おはようございます」
「おう、おはよ。具合はどうだ、シキミ」
「上々です。明日には退院できるそうです」
「明日!? はやっ!」
「これしきのことでそんなに休んでいられないですよ。いつまでも寝てたら、鈍っちゃいます」

力瘤を作るように右肘を曲げ、その二の腕に左手を乗せて、シキミは元気よく言った。

「あ、そうだ。これはクラスメイトのツルコです。ツルちゃん、こちらの男の人がサイタマ先生で、女の人がご隣人のヒズミさん。ご挨拶して」

シキミにせっつかれ、掛け布団に顔を埋めていたツルコが頭を上げた。泣き腫らして真っ赤になった目元がなんとも痛々しい。ごしごしと乱暴に涙を拭って、クリアになった視界でサイタマとヒズミの顔を改めて確認して──「あーっ!?」とひときわ大きい声を出した。

「あ──ああああなたは!」
「えっ? サイタマ先生を知ってるの?」
「そうじゃなくて! お隣の!」
「……私? ああ、ニュースかなんかで見たんだな」

ツルコはぶんぶんと首を横に振った。頭がちぎれ飛びそうな勢いの否定だった。

「お、覚えてませんか!? あの、海から怪人が来た日、あたし友達とビルの中にいて──助けてもらったんですけど!」
「…………あー、あのときの」

心当たりがあったらしく、ぽんっ、とヒズミは納得したように手を打った。シキミは話を把握できずにツルコとヒズミを交互に見比べて戸惑っている。

「え? なに? ビルの中にいたってなに?」
「えっと、その……話せば長くなるんだけど……」
「あのでっけー怪獣いただろ。あいつに吹っ飛ばされて突っ込んだビルの中にこの子たちがいたんだよ。海水浴に来てて。逃げ遅れて隠れてたんだって」

ヒズミの説明に、シキミはわかりやすく動転した。寝耳に水だったようだ。

「うそぉ!? ツルコあのとき近くにいたの!? なんで教えてくれなかったの!?」
「だだだだだだってシキミ怒ると思ったんだもんっ!」
「怒ると思ったって──なに考えてんの!? なんで他の人たちと一緒に逃げなかったの!? あんたバカなの!?」
「ほらーやっぱり怒ったじゃん! ごめんってばー!」
「下手したら怪我じゃ済まなかったかも知れないんだよ!? それをあんた──あんたってヤツは──バカじゃないの!?」

声を荒げるシキミ。あの日ツルコたちが逃げ遅れてしまったのは、まあ事態が事態だけに仕方のなかったことで、彼女にすべて非があるかといえばそうでもないだろう。しかしシキミが腹を立ててまくしたてたくなる気持ちも、ヒズミにはわかる。ヒズミだからこそわかる。

大切なひとが、自分の与り知らぬところで危険に晒されるのは──とても怖いことなのだから。

「まあまあ、その辺にしといてあげなよ」
「でも……でも、ヒズミさん」
「その様子だと怪我はなかったみたいだな。他の子たちは元気してる?」
「あ、はい。みんな無事でした。あのあと……ヒズミさんが戻ってきてくれて、たまたま通りかかったC級ヒーローさんたちの車に乗せてもらえるように頼んでくれましたよね。あれでちゃんと避難できました。本当にありがとうございました」
「それはよかった。あのバン超満員だったから、断られたらどうしようかと思ったんだけどな」

ヒズミはへらりと口角を上げて、いい加減に重たくなってきたのかベッドの脇に備えつけられたキャビネットに抱えていた籠を置いた。瑞々しいフルーツの甘い香りがシキミの心を安らがせる。

「……なんか俺めっちゃ蚊帳の外なんだけど」
「えっ? あ、ごめんなさい先生!」
「ここで謝られるとむしろ切なくなるな……」
「あー、ツルコちゃん、だっけ? このサイタマ先生が海人族のボスを叩きのめしてくれたんだよ。お礼を言うなら先生にもだな」
「あっ、えっと、ありがとうございましたっ!」
「……どういたしまして」

そこへまた新たな人物が顔を出した。カルテを小脇に挟んだベルティーユが入ってきて、シキミのベッドを取り囲む三人を見て「おやおや」と苦笑めいた声を上げた。

「今日は随分と繁盛しているね」
「騒がしくてすみません……“教授”」
「いや、構わないよ。個室というのは見舞いに来た知人と乱痴気するためにあるものだ。存分に活用したまえ」

詫びるシキミに、世の病院勤務者が聞いたら卒倒しそうな持論をさらっと述べるベルティーユであった。

「問診に来たのだが──タイミングが悪かったかな」
「俺らは出て行った方がいいのか?」
「そうだね。少し席を外してもらえると嬉しい。込み入った話になりそうなのでね」

込み入った話。
シキミはどきっとして、身を固くする。

「あ、じゃあ、あたし帰ります……朝からずっといたんで」

ツルコがおずおずと進言した。

「追い出したみたいになって申し訳ないね」
「いやそんな全然。大丈夫です。……そんじゃシキミ、またね。退院したらみんなでお祝い女子会しよ」
「……うん。ありがと。楽しみにしてる」
「俺らも出るか。そのあいだに、適当に花瓶でも見繕ってくるわ」

サイタマが手の中の、色鮮やかに咲いたガーベラとアルストロメリアの花束に目を落とした。

「ナース・ステーションで借りておいで。私の名前を出せば、それくらいの要求は通ると思う」
「おー、そうか。行ってくるわ」

かくしてサイタマとヒズミとツルコは病室からログアウトを果たし、廊下に出た。

「じゃあな、ツルコちゃん。他のご友人たちにもよろしく伝えておいて」
「あっ、はい。わかりました! ……あ、あの、サイタマ先生!」

すっかり自分の呼び名として“先生”が定着してしまったな、という居心地の悪さに苛まれつつ、サイタマは「なに?」と返事をした。ツルコは最初もじもじと組んだ手を忙しなく動かして視線を泳がせていたが、言うべきことは言わねば──と、意を決したように口を開いた。

「シキミを助けてくれて、ありがとうございました」
「おう。気にすんな」
「あの子いつも無茶ばかりするから」
「そうみたいだな。あの様子じゃ」
「あたしがこんなこと言ったら、シキミは怒ると思うんですけど、……お願いします。もうシキミがあんな怪我しないように、無茶したら怒ってあげてください。守ってあげてください」
「……努力するわ」
「シキミをよろしくお願いします。あたしの──大事な親友なんです」

なんだかまた、背負うものが増えてしまったようだ。
まあ──それも致し方のないことかな、とサイタマは思った。

ヒーローというものは、得てしてそういう役回りなのだ。



二人っきりになった病室で、ベルティーユとシキミは面と向かう。

「さてと──単刀直入に聞いてもいいのかな」
「…………はい、教授」
「君は一体、なんなんだ? シキミ」

なんなんだ、とは。
不躾が過ぎる質問ではあったけれど。
シキミは予想していたようで、怒ることも驚くこともなく、それを受け入れた。ベルティーユは続ける。

「君が自分に撃ち込んだという薬物──その成分を解析した。ジェノス氏は“それによって彼女は圧倒的な身体能力を得ていた。ドーピングの類ではないか”と言っていたが、とんでもない。あれは──毒物だよ。成人男性の致死量を遥かに超える猛毒だよ。細胞の過剰分裂、神経の過剰発達、心臓の過剰拍動──肉体を内側から徹底的に破壊するための兵器だよ。私ですら戦慄するほどの、あんな恐ろしい物質が人体を強化せしめるなどとはとても考えられない」
「……でしょうね」
「常識から掛け離れた速度で傷も治癒している。医者である我々が手を施す必要もないくらいにね。もう一度だけ訊ねる。君は一体──なんなんだ?」

自分は一体なんなのか。
シキミはどう答えるべきか──逡巡する。
ベルティーユの眼差しはいたって真剣で、真摯で、埃ひとつ付着していない清潔な眼鏡の奥の瞳に冗句の色は微塵もない。

嘘や冗談でごまかせる雰囲気ではない。
求められているのは正の解だけだ。
けれど──

「……あたしが聞きたいです」

シキミが絞り出した声は揺らいでいた。
黒目がちの大きな眼が、いつにも増して潤んでいる。

「あたしは一体──なんなんですか?」