Pretty Poison Pandemic | ナノ





博士の好意に甘えて、ヒズミは煙草に火をつけた。例のごとく、ライターなどは使用していない──火種は他ならぬヒズミ自身の親指である。

「……ジェノスから聞いてはおったが、本当に“発電体質”なんじゃな。昨日の“怪獣”との戦闘では、雷のエネルギーをも取り込んで操ったそうじゃが」
「ええ、事実です。賭けでしたけれど」
「大したもんじゃのう」
「そうでもないです。完全に制御できたわけじゃありませんし。教授によると“落雷を受けた影響で容量の最大値が拡張されて、結果として蓄えられる電力の総量が上がった”そうですが、如何せん学のない身ですのでよくわかりません。実際そんな大それたヤツじゃないんですよ、私なんてのは。今回だって、勝てただけで──守れなかった」

首を振って、ヒズミは足元のバケツに灰を落とした。その中には水が溜められていて、他の誰かの吸殻が数本、浮いている。この病院に勤務する医師や看護婦たちの喫煙場所となっているらしかった。

「私が──私がもっとうまく戦えれば、ひとりで足止めするなんて出しゃばったことを言い出さなければ、ジェノスくんやシキミちゃんがあんなに傷つくことはなかったんです」
「それは違う。いや──確かにオヌシほどの実力を持った者とジェノスが共闘すれば“怪獣”はもっと楽に倒せたじゃろうし、深海王と鉢合うこともなく、結果としてジェノスやあの女の子がここまでやられることはなかったのかも知れんが、その代わりにシェルターにいた市民たちが犠牲になっていたじゃろう。オヌシはしっかり正義の味方として役目を全うしたとワシは思うぞ」
「……そうですね」
「納得してない顔じゃな?」

博士の揶揄するような物言いに、気持ち俯き気味だったヒズミは面を上げた。博士はそんなヒズミに、ただにこにこと穏やかな微笑みを浮かべるばかりで、それ以上なにも言わない。ヒズミはしばらく死んだ魚のように澱んだ眼差しを向けていたが──ふっ、と頬を歪めて、どこか自嘲的な苦笑を零した。

「全部お見通しみたいですね」
「伊達に長生きはしとらんよ。こんな年寄りにまで嘘つかんでいいんだ、お嬢さん」

それは諭すような口調だった。ヒズミは煙草をゆっくり三回吸い込んで、吸殻をバケツに落として、それからぽつりぽつりと語りはじめる。

「………………怖かったんですよ。本当は」
「怖かった? 海人族がか?」
「それはもちろん、そうなんですけれど……そうではなくて」

──あのとき。
篠突く雨の降り頻っていた、あの日あのとき。
怖くて怖くてたまらなかったのは──

「死んじゃったのかと、思ったんですよ」

彼が。
かつて自分を事故から救ってくれて、血も涙もない追手から守ってくれて、そして自分に“生きていてもいいんだ”と背中を押してくれた彼が。

どろどろに熔かされて──ずたずたに弄ばれて。
原型を留めないくらい無惨に壊されて。
ぐったりと動かず伏臥しているのを目の当たりにして。

死んでしまったのかと。
殺されてしまったのかと思ったのだ。

「ジェノスくんは死んでない、生きてる、ってわかったあとも、このままじゃ彼はあの化け物にとどめを刺されてしまう、殺されてしまうと思ったら、怖くて怖くて──どうしたらいいかわからなかったんです。もうこれ以上ジェノスくんにひどいことしてほしくなくて──あのときは、それだけでした」
「……深海王は“先生”が倒したんじゃったか」
「そうです。感情に任せて深海王に飛びかかろうとした私を──どう見ても勝ち目のなかった満身創痍の私を引き止めてくれて、それから一瞬で終わらせてくれました。一撃で終わらせてくれました。でも、そのあと──ジェノスくんやシキミちゃんや他のヒーローたちがこの病院に搬送されて、それからもずっと怖かった。ジェノスくんの、あのぼろぼろになった姿をまた見るのが怖かったんです。あれは夢だったんだ、嘘だったんだって思いたかった」

ヒズミの声はひたすら弱く、細く──
震えていた。

「……ただの甘ったれた現実逃避です。教授にも丸わかりだったみたいで。さっき“ジェノスくんと話でもしてこい”って言われたとき、最初は断ったんです。そしたら──逃げるのか、って叱られました」
「綺麗な顔して厳しい人じゃのう」
「あのひとも苦労してきたみたいですから。甘っちょろいこと言ってるゆとり世代に腹が立ったんじゃないですかね。……それで、ジェノスくんに会いに来て。普通に喋って、今日中にはもとに戻るって聞いて、……安心しました。安心できた──ような気がします。ありがとうございました」
「どういたしまして」

クセーノ博士は満足そうに頷いた。
しかしヒズミの顔色は沈んだままだった。

「……ジェノスくんは、故郷や家族の復讐のためにサイボーグになったんですよね」
「そうじゃ。ジェノスに頼まれて、ワシが改造した」
「仇を討つまで──いや、仇を討つことができてからも、きっと戦いの中で生きていくんですよね」
「それは本人に訊いてみないことにはわからんことじゃが、まあ、ジェノスはそういう男かも知れんな」
「それがジェノスくんの選んだ道なんですよね」
「そうじゃろうな」
「……私は怖いんです」

今回だって──
ほんの少し運がよかっただけだ。

あと三分でも、サイタマの到着が遅れていたら。

きっと彼は。

「泣きなさるな、お嬢さん」
「……ごめんなさい」

ぽろぽろと、堪えきれなかった涙の玉がヒズミの頬を伝い落ちていく。それをごまかすように彼女は天を仰いで、病院の白い外壁にもたれかかった。

「あーあ。泣かないって決めてたのにな……」

ぐすっ、と鼻をすすって、ヒズミは空を見上げたまま新しい煙草をくわえた。

「ジェノスくんには言わないでください」
「わかっとる」
「後生です」
「ちゃんとわかっとるよ、お嬢さん」

クセーノ博士の声色はどこまでも優しくて、穏やかで──こんな平和な時間がいつまでも続けばいいのに、とヒズミは祈った。その視線の先の、青い空の遥か向こうにあるという天国に──もしも本当に、神様がいるのならば。



「おかえりなさい、博士」
「ただいま。さて、早速じゃが再開しよう」
「博士、ヒズミはどこに?」
「彼女なら帰ったぞ」
「……そうですか」
「んん? 残念そうじゃな、ジェノスよ」
「……そんなことはありません」
「そうか? まあいい。ゴーシュ君、ワシのバッグを取ってくれんか。ちょうどそこに転がっておる」
「承知。しました。博士」
「ヒズミとはなにを話したのですか?」
「秘密じゃ」
「ひみ……っ!? ふざけないでください!」
「ふざけてなどおらん。ワシは大真面目じゃよ。……ふうむ、時にジェノスよ」
「? なんですか?」
「オヌシに言っておくことが、ひとつだけある」
「……なんでしょう?」
「女を泣かせるような男は最低じゃ」
「……………………」
「肝に銘じておきなさい。わかったか?」
「………………はい」
「いい返事じゃ」
「博士」
「なんじゃ」
「俺は──俺はもっと、強くなりたい」
「なぜ?」
「倒すべき敵がいます」
「それだけか?」

博士のやや意地悪な問いに。
彼は歪みも迷いもなく、力強く答えた。

「もう二度と、泣かせたくないひとがいます」