Pretty Poison Pandemic | ナノ




ごちゃごちゃとなにやら複雑そうな装置のひしめくその部屋は、とても病院内にあるとは信じがたい空間だった。もちろん医療行為に使用される類の機器ではない。打ちっ放しのコンクリートに囲まれた室内に清潔感などはなく、工場かもしくは研究所といった趣きである。

大小さまざまのレバーと、針が絶え間なく動いているメーターが等間隔に並んだ大型の機械から伸びたケーブルがジェノスの背中に差し込まれている。深海王の溶解液によって大半を失った彼の体は上半身のみ復元していた。腰から下のパーツは取り外されて、床に転がっている。ただの金属の塊となったそれはもう使いものにならないので、近いうちにスクラップとして粗大ゴミの日に出される運命なのだった。

「電圧値。熱処理。負荷抵抗。すべて。異常なし。神経接続。します。よろしい。ですか」
「ああ、やってくれ。くれぐれも慎重にな」

ジェノスの隣で忙しなく作業に勤しんでいるのは老人と少年だった。白衣を身に纏った特徴的な髪型の老人と、なぜかフリル満載の小公子風スーツ姿のゴスロリ少年だった。その取り合わせは異質だったけれど、好々爺とその孫のように──まあ、見えなくもない。

少年がレバーのひとつに指をかけて、それを下げる。すると──ジェノスの体が、びくん、と跳ねた。老人がジェノスに近寄って、気遣うような口調で問う。

「どうじゃ、ジェノス。ちゃんと動くか?」
「……はい。問題ありません」

手を握ったり開いたり、脳神経と腕を構成する部品たちが正しく繋がったことを確認して、ジェノスは頷いた。

「大して破損していない状態で両腕を回収することができたのは幸運じゃったな。焼却砲などの機能をそのまま使い回せた。改良の余地はまだまだあるようじゃが、取り急ぎ今回はこれでいいじゃろう」
「申し訳ありません、クセーノ博士。わざわざこんなところまで来ていただいた上に、手間をかけさせてしまって」
「水臭いことを言うな。ほれ、続きに取り掛かるぞ。ゴーシュ君や、二十五番のケーブルを二十八番へ差し替えてくれ。体機能回路の最終チェックに入る」
「了解。しました。博士」

クセーノ博士──ジェノスの命の恩人でもある、偉大な科学者はてきぱきと作業をこなしていく。その臨時助手を務めているのは“教授”の愛息たるゴーシュだった。母親に言いつけられて、こうして健気にジェノスの修復を手伝っている。ちなみに彼には生き写しの妹もいるのだが、その妹は現在“教授”と協力して負傷者の手当てに勤しんでいるのだった。

そこへ──突然の来訪者がやってきた。

特殊な材質で造られた防弾ガラスの扉が開いて、室内にいた三人が揃ってそちらに視線を送る──立っていたのはヒズミだった。驚いたふうな顔をしているのは、恐らくドアが勝手に反応したためだろう。ノックしようと左手を胸の前まで上げた姿勢のまま固まっている。

「……自動ドアかよ」
「ヒズミ? どうしてお前がここに?」
「あー、教授に聞いてきた。話でもしてこいってさ」

遠慮がちにしていたヒズミを、クセーノ博士が手招きした。ヒズミは一礼して室内に足を踏み入れる。コードやらケーブルやらが絡み合って床を這っていて、足の踏み場もなかったけれど、ヒズミはどうにか隙間を探してジェノスたちの近くへ辿り着いた。そして初対面のクセーノ博士に改めて頭を下げる。

「はじめまして。ヒズミと申します。お忙しいところ、突然お邪魔してしまってすみません」
「おお、これはこれは……若いのに礼儀のしっかりした子じゃなあ。ジェノスにも見習わせたいわい」

クセーノ博士はそう言って笑った。

「ワシの自己紹介も必要か?」
「あ、えっと、クセーノ博士──ですよね。お話は教授から伺っております」
「そうかそうか。あの教授、本当に抜かりがないな」
「ヒズミ、お前──怪我はもういいのか」

ヒズミの右腕には現在ぐるぐるに包帯が巻かれている。驚異的な回復力を有し、大抵の化膿菌にも抗体を持つ人外のヒズミが、正直そんなふうに手厚く傷口を保護する必要はないのだが、院内を歩くにあたって、さすがにあの特殊メイクもびっくり仰天な有様を堂々と露呈しておくのはまずいだろうということで、こうして隠しているのだった。

「私は大丈夫。ジェノスくんは……」
「心配はいらんよ。この調子なら今日中には復旧できる。自分の足で歩いて、自分の手で箸を持てるくらいにはな。激しい戦闘は無理じゃが、それは追々リペアしていくとしよう」

答えたのは博士だった。ヒズミは「そうですか」とまた頭を垂れた。

「申し訳ありません」
「水臭いことを言うなと言ったじゃろ」
「……あ、じゃあ、私は帰ります」
「なんじゃ、もうちょっとおればいいのに」
「いえ、作業の邪魔をしてしまっては悪いので……腕がこれじゃあ、お手伝いできることもなさそうですし」

右腕を顔の横で振って、ヒズミは皮肉っぽく微笑んだ。
博士はそんな彼女を見て、目を細めて、そしてジェノスとゴーシュを振り返った。

「彼女と少し、外で話してくる。すぐに戻る。ゴーシュ君、キミも疲れたろう。休憩したまえ」
「博士。自分は。疲労を。感じ。ません」
「……ああ、そうじゃったな。ではジェノスの話し相手にでもなってやってくれ」
「かしこ。まり。ました」

慇懃な返事をし、律儀にジェノスの前に正座するゴーシュを置いて、ヒズミと博士は部屋を出た。廊下はいかにも病院らしい様子で、さきほどまで自分がいた空間とのギャップが妙に落ち着かない。戸惑っているヒズミを先導するように、博士は歩き出した。

「この先に外へ出る扉がある。医師たちしか立ち入れない場所だそうじゃから、煙草も吸えるぞ」
「そんな、どうかお構いなく……あれ? 煙草? ジェノスくんから聞いたんですか?」
「ああ。いつも煙草ばかり吸っていて目に余る、健康に悪影響を及ぼすのに、と口を尖らせておったぞ」

他人にまでそんなこと言ってやがるのかあのサイボーグ。
ちょっと恥ずかしいじゃないか。

ヒズミは内心にもやもやしたものを抱えながら、博士に連れられて通路の突き当たりのドアをくぐった。ドアは年季の入った金属製で、蝶番が錆びているのか、ひどく重い音を立てていた。その向こうに開けたのは雑草の生い茂る空き地のような場所だった。出入口の周りだけ刈り取られて茶色い土が覗いてはいるものの、その面積は小さい。四畳半くらいしかない。

風に吹かれて、ざあっ、と草叢が鳴いた。噎せ返るような青臭さがヒズミの鼻腔をつく。

「夏の匂いじゃなあ」
「そうですね」

昨日の大雨が嘘のように晴れ渡った空を、白い雲がゆっくりと流れていく。