Pretty Poison Pandemic | ナノ





跳躍してオフィスの外に飛び出た。アスファルトの舗道へと落下しながら周囲を見渡して、果たして怪獣の背中はヒズミの十数メートル前方にあった。ずんずんと歩を進めている──他の街まで侵略して、さらなる破壊と殺戮を展開するつもりなのだろう。

ヒズミのことはさっきの尻尾の一振りで始末したと思い込んでいるようで、紐なしバンジーからの着地に成功したこちらに気づく気配もない。無防備だった。隙だらけだった。もっとも付け入る隙などあったところで、頑強で堅固な皮膚と圧倒的なサイズを誇るあのゴジラ(仮)に有効な決定打を与えられる存在など限られているのだけれど。

(教授には“肉体が耐え切れない可能性があるから、あまり出力を上げすぎるな”とは忠告されてっけど──事態が事態だ。そうも言ってられねーよな……今度の検査のとき謝っとこう)

バイクは先ほど吹っ飛ばされたときに行方不明になってしまった。どこかでスクラップになって転がっているのだろう。教授に頭を下げなければならない事項がふたつになってしまった。

怪獣がまるで積み木のように崩したビルの、その支柱になっていた鉄骨に意識を集中させる。本来ならばクレーン車などの力を借りてようやく持ち上がる超重量級の、棒状の金属の塊を電磁力で浮遊させる。それも数本まとめて、一気に──

「だらああああああっ!」

自身の体を強磁性体とし、それと反発する力を鉄骨に加えた。弾かれた鉄骨は巨大な矢となって怪獣めがけて飛んでいく。新幹線の最高速度すら軽く超える超速で、空気との摩擦によって高熱を帯びて──目標に突き刺さった。全弾命中した。形を維持できなくなる寸前まで熱せられて赤くなった鉄骨が、電撃を無効化した怪獣の無敵の鎧を熔かして深々と食い込んだ。

ゴジラ(仮)の悲鳴が迸った。大音響が周囲の大気を震わせて、それだけで建造物のガラスが割れた。これまでに試みた攻撃のなかでは、もっとも深刻な傷を負わせることができた──だが致命傷には至っていない。動きは多少鈍くなったが、それでも戦意を喪失してはいないようで、ぐるりと方向転換して──激しい憎悪の燃える爬虫類の双眸で、ヒズミを見下ろしている。

(だめだ。もっと──もっと強力な攻撃でないと効かない。火力を──いや、電力を上げないと──勝てない)

しかしヒズミは最初に戦闘を行った海人族の群れに、既に“充電”のほとんどを使ってしまっている。残量はあと三十パーセントといったところか。意識的にチャージを行えばある程度は回復できるが、そんな猶予をあの怪獣が許してくれるとは思えない。

(考えろ。考えろ。考えろ。なんでもいい。電力を──電源を──考えろ。考えろ。電気を──)

頭をフル回転させて。
唯一これしかない、という打開策を思いついたときには、敵は目と鼻の先まで迫っていた。

身を乗り出して噛みつこうとしてきた怪獣をすんでのところで避けて、ヒズミは走り出した。神経を操作して、極限まで運動能力を高めた脚力で駆ける。その視線は怪獣ではなく──真っすぐに空を見上げていた。

(──どこだ、どこがいい……どこなら──)

怪獣の追撃を真上に跳んで躱して、そのまま街頭に飛び乗った。そこからさらに“上”を目指して、ヒズミは信号機や看板を足場にして上昇していく。最終的にはまだ壊されていないビルの壁を己の脚だけで走って登り、その屋上に降り立った。この一帯ではもっとも高い建物だった。

そして頭上へと──天へと両手を翳した。

ぱち、ぱちっ、と掌から火花が散る。ゴジラ(仮)はビルごと達磨落としに崩して、自分の目線よりも高い位置で謎の行動に出ているヒズミをお構いなしに墜落させようと、尻尾を振りかぶるような動作をして──異変に気づいたようだった。

それはヒズミ本人に起きたものではなかった。はるか上空に停滞している、分厚いグレーの雲の、その中で──雷鳴が轟いた。そして激しく点滅する。自然には決して有り得ない、奇妙な光り方だった。まるでなにかに誘われているように──導かれているように。

「……──い、来い、来い、来い……ッ!」

ヒズミが顔を凄絶に歪めて──なにかを呼ぶ。
手を伸ばしたその先にあるものを。
空で生まれ、雲の中で成長し増幅し、彼女によって集約され集束され、地上に解き放たれようとしているものを。

そして。

腹の底に響くほどの轟音を従えて、
降り注いできたのは。



──雷。



「きっ……たあああああああああああああアアア!」

ヒズミが大声を張り上げた。容赦も躊躇も遠慮もなく、いっそ笑えるほどの紫電が彼女めがけて落ちてくる。
自らが避雷針の役割を果たすことで、雷を──極めて広範囲に散らばっていた殺人的な電気エネルギーをすべて呼び寄せて、呼び起こして、その身に受けたのだ。

天災すらも捻じ曲げて、強引に。
彼女は──頭から爪先を一気に貫通しようとする雷すら操って“充電”する。

「……っぎ……いいい……っ」

うまくいくかどうかは賭けだった。一か八かだった。ひょっとしたらまるっきり制御できず丸焦げになって終わりかもしれない。みっともなく自滅するかもしれない。しかし──これ以外に方法はなかった。

永遠に続くと思われた雷鳴が止んだ。
果たして、ヒズミは──そこに立っていた。

膝まで伸びた長い白髪が、風もないのに、雨に濡れているのに、ざわざわと靡いている。体中から圧縮された高電圧のスパークを飛ばしながら、深い青の瞳で怪獣を見下ろしている──その風貌は、もはや人間とは思えなかった。

正義の──“怪人”。

「…………………………」

知性の感じられない化け物にも、その異常さは理解できたようだった。むしろ動物に近いぶん、危機を察する能力には優れているのだろう。蹂躙の限りを尽くしていた怪獣は、自分の数十分の一ほどの大きさしかない矮小なイキモノに対して、今ようやく初めて“敵を見る目”を向けた。

怪獣が吠えた。大口を開けて、ヒズミを喰らわんとするように迫ってきて──しかしその中に飛び込むことになったのはヒズミではなかった。

怪獣の口に猛烈な勢いでぶち込まれたのは、さっき背中を串刺しにしたのと同じ鉄骨だった。ヒズミがまた電磁力を操作して、地上から瞬時に持ち上げてきたものだった。怪獣はそれを吐き出そうともがいていたが、縦向きに捻じ込まれた鉄骨がつっかえ棒となって、怪獣の口を完全に塞いでいた。大きく広げられたままの口から、びっしり並んだ尖った牙が──その奥の粘液にぬめる舌が──生物の決定的な弱点である、絶対的な急所である、口腔内という強化のしようのない箇所が、ヒズミの目の前で無防備に晒されていた。

「大逆転だな」

これといって勝ち誇ったふうにでもなく、ヒズミは平坦な口調で言う。その右手が、すいっ、と持ち上がって──怪獣の顔面に、鉄骨によって抉じ開けられた口の中に照準を合わせた。

「サヨナラ特大ホームラン弾だ──受け取れ!」

彼女の痩せぎすの矮躯から乱反射していたスパークが、一瞬、ぴたりと止んで。



青白い超電圧のビーム砲が、右手の先から射出された。



閃光があたり一帯を塗り潰した。人智の限界を超えたヒズミの全身全霊の電磁砲は、放たれてから数秒も経たずに勢いを失って空気中に拡散した。しかしそんな須臾の間でも、如何なくその威力を発揮していた。

怪獣の首から上がなくなっていた。
丸焦げになったとか、切り離されたとか、そんな生っちょろいものではない──消滅していた。消失していた。首の断面は炭化していて、ぶすぶすと白い煙を上げている。

いくら怪物とはいえ、大海の覇者である海人族とはいえ、頭を失ってなお生きていられる道理はない。

ぐらり、と怪獣の体が傾いて、そして倒れた。
舗装された道路を割って、街灯や街路樹をへし折って、地に伏して──動かなくなった。

「……はー、疲れた……」

倒した──これで自分の仕事は片付いた。そう思った瞬間に脚から力が抜けて、ヒズミはその場にへたりこんだ。彼女の右腕は、たった今あの反則的な電磁砲を撃った右腕は、見るも無残に焼け爛れていた。皮がめくれて肉が剥き出しになり、手首のあたりからは骨が覗いている。神経が麻痺してしまっているようで痛みは感じないが、その代わりに動かすこともできない。感覚がない。

「やっちまったな……“教授”になんて言い訳しよう」

ひとつ溜め息をついて──ヒズミは朦朧とする意識をどうにか繋ぎ止めながら、重い腰を上げた。まだ終わっていないのだ。逃げ遅れたというあの少女たちを改めて避難させなければならない。しかし本来の避難場所であるシェルターは現在、海人族の襲撃を受けている。ジェノスやシキミがここに戻ってこないことを鑑みるに、まだそちらの緊急事態は解決していないのだろう。

(となると、安全な場所ってどこだ……?)

はっきりしない頭で考えながら、ヒズミはひとまず歩き出すことにした。ふらふらと覚束ない足取りで、それでも確かに彼女は前に進んでいく。いまだ雨足の衰えないなか、大粒の水滴に打たれながら──自称“正義の怪人”は、勝利の余韻に浸る暇もなく、颯爽と屋上から飛び降りた。