Pretty Poison Pandemic | ナノ





急ハンドルを切って、ヒズミは怪獣の尻尾による攻撃を回避した。その一瞬の隙を突いて、電撃の槍を叩き込む──が、怪獣の頑強な皮膚には傷ひとつとしてつかなかった。

「……かってーなあ、こいつ」

毒づいて、ヒズミは怪獣──先ほど勝手にゴジラと命名した凶悪なでかさの海人族──の股のあいだを華麗に潜って正面に回る。ゴジラ(仮)の双眸が、バイクに跨って疾走するヒズミの姿をぎょろりと捕捉した。うろちょろと目障りなヒズミを踏み潰さんと地団駄を踏んで、衝撃で地面が大きく揺さぶられる。

「とっ……危ねーな! やめろ! 事故る事故る!」

バランスを崩しながらも旋回して、ヒズミは再び高圧電流を放った。目を狙った。高速で──光速で放たれた電撃は真っすぐ怪獣の右眼に命中し、今度こそダメージを与えることに成功したようだった。鋭い爪の生えた手で顔を押さえ、苦しげな咆哮を上げて悶えている。

(やっぱり、ああいう箇所は脆いんだな。狙うとしたら目か。あとは──)

次弾を撃ち込むことに意識を奪われていたせいで、ゴジラ(仮)の反撃に対する反応が少し遅れた。闇雲に払われた太い尻尾が、見事なまでのフルスイングが──バイクごとヒズミを薙ぎ飛ばした。

「ッが……ぁあっ!」

ロケットめいた勢いで一直線に空中へ投げ出され、ヒズミの体はビルの壁を突き抜けた。常人ならば即死していたであろうレベルの衝突に痺れるヒズミの耳を、甲高い悲鳴の重奏が劈いた。ここは二階か、はたまた三階か──正確な位置までは定かでなかったが、一階でないことは自分が空けた大きな穴の外から見える景色の様子でわかった。なにかの会社のオフィスだったようで、事務用のデスクやコピー機が並んでいる──否、並んでいた。恐らく整然としていたのであろう室内は、不躾に飛び込んできたヒズミという名の砲弾でめちゃくちゃに荒れてしまっていた。

「ぃいッッッて……え?」

乱れた髪を後ろに撫でつけていた手が止まる。
いま──悲鳴が聞こえなかったか?

ヒズミはがばっと顔を上げ、薄暗い部屋の隅に目を凝らした。
若い女の子が数人、身を寄せ合っていた。

ヒズミよりも年下だろう。シキミと同年代──十代半ばくらいだろうか。彼女たちはがたがたと震えながら、いきなり飛来してきたヒズミを恐慌の眼差しで見つめている。

「き──君たち、なんでこんなところに」
「いやーっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいいいっ! なんでもするから食べないで! 殺さないでえええ! 死にたくないよおっ! 助けてーっ! おかあさーん!」

泣き叫ばれてしまった。

「おい、落ち着け。落ち着けって美少女たち。取って食ったりしねーから。痛いことしねーから。いいか、もっかい聞くぞ、なんでこんなところにいるんだ」
「……海で遊んでたら、怪人が来て、他の人たちと一緒に逃げてたんだけど、途中ではぐれて、道に迷って避難所の場所がわからなくって、ここに……」
「要するに逃げそびれたんだな」

よくよく見てみれば、彼女たちは水着の上にパーカーを羽織っただけの格好だった。どうやら友人グループで連れ立って海水浴に来ていたらしい。それはとても魅力的な出で立ちだったであろう──こんな状況下でなければ。

ちっ、と舌打ちを零して、ヒズミは頭を掻いた。

「近くに一般人がいるとなると──時間稼ぎがどうとか言ってる場合じゃねーな」

ヒズミとしてはひたすら逃げ回って、ちょっとずつ相手を消耗させながら、増援が来るまで足止めに徹するつもりだったのだが──こんなところにかよわい若者が隠れているのだから、そうもいかなくなってしまった。このビルも、いつゴジラ(仮)の暴走によって破壊されるかわかったものではない。倒壊するかわかったものではない。そうなってしまえば、生身の彼女たちは万に一つも助からないだろう。

「……やるしかねーか」

呟いて──ヒズミはすすり泣く少女たちに、

「いいか、これから十分──いや、五分でいい。なにがあっても絶対ここを動くなよ。いま暴れてる怪獣やっつけたら戻ってくる。それから君たち全員を安全な場所まで誘導するから、ちょっと待ってろ。オーケイ?」

と尋ねた。泣き腫らしてぐしゃぐしゃになった顔で少女たちは頷いた。それを見て満足そうに口を斜めにし、ヒズミは立ち上がった。幸い骨などは折れていないようだ。尾を引く痛みの支障はあれど、問題なく駆動できる──駆除できるかどうかは、また別の問題だけれど。

「あ──あなたは」
「あ? 私?」
「誰なんですか? ヒーローですか?」
「……そうか。若い子はニュースとか見ねーのか」

少女のひとりから受けた直截的な質問に、ヒズミはなんと答えようか逡巡して──別段かっこつけるわけでもなく、愛想を振りまくわけでもなく、ごくごく普通のトーンで返した。

「通りすがりの“正義の怪人”だよ」



シキミの所有する、特大サイズの拳銃──世界にたった一丁、特別製の“ヴェノム”の銃口がゆっくりと動いた。バレルの先端にぽっかりと空いた大口径の丸い闇は、内包した凶器を──狂気を強敵に向けて射出する瞬間を今か今かと獰猛に待っているようですらあった。

しかし──その銃口が押し当てられたのは。
他ならぬシキミの腹部であった。

「……なァに? 自害でもする気? あんな啖呵を切っておいて、無惨に殺される前に死のうっていうの?」

思いもよらなかったシキミの行動に、深海王は残忍に笑う。心の底から馬鹿にしている。油断している。警戒が緩みきっている。最大の好機だ。やるなら──今しかない。

そう、今しかなくて──
自分しかいないのだ。

「……うあああああああああああああっ!」

シキミは絶叫とともに──引鉄を。
力いっぱいに絞った。

一発だけ装填されていた、あの赤黒い液体の込められた“弾丸”が、零距離でシキミの腹に撃ち込まれた。

銀色の注射器状の“弾丸”が──その中身が、シキミの体内に侵入する。肉を貫き、腸を抉って、血液に混入し、全身へ回っていく。シキミはその場に、がくっ、と膝をついて蹲った。

「う……っあああ……あ!」

激痛に悶えるシキミの姿にジェノスは目を瞠った。なにを馬鹿なことをと、その眼差しには責めるような光が宿っていた。そんな血迷ったことをするなんて。この程度の逆境で、容易く諦めてしまうのか──と、絶望的な怒りが湧き上がっていた。

「あははははっ! 本当に撃ちやがったわ、この子! 情けないわね! 苦しそうねえ。かわいそうねえ。哀れだから──私が直々に楽にしてあげる」

深海王が高笑いしながら、シキミに歩み寄る。一歩、二歩、ゆったりと距離を詰めていく。シキミからは苦悶の呻き声すら、もう発せられていない──無言だった。腹部を押さえて前のめりに座り込んだ姿勢のまま既に絶命してしまったのか、とジェノスが思った刹那。

発条仕掛けのように、シキミの頭が動いた。

「…………!?」

その顔を見た深海王が一瞬、硬直した──確かに愕然とした。あの深海王が。驚きのあまりフリーズした。

そして。
深海王の左脇腹あたりが、

ごそっと消失した。

「な──に……!?」

足元にいたはずのシキミの姿が忽然と消えていた。深海王がそれに気づくのと同時、背後に異様な気配を感じて振り返ろうとした──そこに小さな平手がめり込んだ。ものすごいパワーだった。深海王の巨躯が完全に浮き上がって、宙を舞った。

一部始終を至近距離で見ていたジェノスは──自分の目が信じられなかった。

「……シキミ……? お前……なのか……?」

たった今、深海王に人間離れした一撃を炸裂させたのは、紛れもなくシキミなのだった。花のように可憐で華奢で、他の同年代の者たちに比べればいくらか賢明で理知的な女子高生の、シキミなのだった。しかし──しかし。

現在ジェノスの眼前にいる彼女は。
あまりにも──変貌しすぎていた。

まるで狼のように四つん這いになって、歯を剥き出しにして唸っている。雨に濡れて垂れ下がった髪の隙間から覗く瞳は、赤く輝いていた。どこまでも朱く、紅く──



血のように、爛々と、光っている。



シキミが吠えた。
理性のない、箍の外れた獣の声で。

雨音さえ黙るほどの咆哮が、街中まで響き渡った。