Pretty Poison Pandemic | ナノ





「なにを考えているんだお前は!!」

我に返ったジェノスから飛んできたのは、厳しい叱責の怒声だった。ヒズミは悪びれる素振りもなく、わなわなと苛立ちに震えるジェノスの前で、怪人の死骸の上でバイクに跨ったまま一服に興じはじめる。シキミは既にバイクを降りて地に足つけて、ぐったり疲弊しきっていた。

「スタントマンみたいでかっこよかっただろ」
「馬鹿か!  あんな──あんな危険な攻撃があるか! うまくいかなかったらどうするつもりだったんだ! あんな速度で走ってきた上に、あまつさえあんな、あんな上空から──着地に失敗したらお前もただじゃ済まないだろうが!」
「あれくらいじゃ死なねーって。万が一シキミちゃんが振り落とされても怪我させないように対処できるくらいの余裕くれーはちゃんと持って走ってたよ」

もくもくと口から白い煙を吐きながら、ヒズミはこともなげに言う。あれで──あれで余裕があったのか。信じられない。シキミはもう自分の足で立っているのがやっとだった。いっそ気絶でもできたらどれだけ楽だろうか。

「大体お前“あれ”で公道を走るのは怖いとかなんとか、定期検査のときに言っていただろう」
「だって“あれ”ちょっとアクセル入れたらものすげースピード出るんだよ。法定速度なんか絶対守れねーからさ。今日は飛ばしてもいい感じだったから、ついつい」
「ついつい──で済むか! この馬鹿!」
「いやあ、私って走り屋タイプだったんだな。新たな自分の一面を発見した気分。この支配からの卒業? 盗ん……でない自前のバイクで行き先もわからぬまま夜の帳の中へ?」
「十五の夜なんて何年も前に過ぎてるだろうが、馬鹿」
「ジェノスくん今の会話の中で馬鹿ってもう三回言ったぞ。まったく口の悪い子だなー。おねーさん嫌いだわー」
「……………………」
「え? なんでそこで黙るの? そこはもっかい馬鹿って言うところだろ?」
「…………もういい」

ジェノスが頭を掻いて、ヒズミから視線を逸らした。

そこで──遂に雨が降ってきた。雲の中で今か今かとそのときを待っていた大粒の水滴が一気に地上へ注いで、あっという間に滝のような豪雨になった。

「うわ、降ってきやがったな……」
「バイク大丈夫ですか?」
「あの“教授”のことだから、防水くらいはしてあると思うけど。それより──」
「それより?」
「ヤニが湿気る方が問題」
「……ジェノスさん、敵はこれで全部ですか?」

どこまでも緊張感のないヒズミを綺麗に無視して、シキミはジェノスに訊ねた。

「いや、わからない。生体反応をサーチして──」

ジェノスが返答しかけたところで、前方を通り過ぎようとする人影があった。避難しそびれた一般市民かと思われたが、そうであるのなら保護しなければならないところだったが、三人のうち誰もが硬直してしまって動けずにいた。

なぜならば。
そいつは──その若い男は、降りしきる雨の中で、全裸だったのだ。

「…………うおおおおおおおお」

妙な呻き声を漏らして、ヒズミが両手で顔を覆った。心なしか耳が赤い。もっとも“オンナノコ”らしい反応を見せたのがシキミでなくヒズミだというのは──なんとも意外な展開だったけれど、そんなことをどうこう言っている場合ではない。

「お前は誰だ? ここでなにをしている?」

ジェノスの問いかけに、謎の全裸男はこちらを向いた。

「避難警報を聞いてなかったのか?」
「……お前は……ふんっ、ヒーローか?」

目の下に特徴的なフェイス・ペイントを施し、男性にしては長い黒髪を結い上げたそいつの顔を。
シキミは──知っていた。
嫌というほど、嫌になるほど知っていた。
まさかこんなところで出会うことになろうとは。
愕然と目を見開いて、シキミは喉から震える声を絞り出した。

「……音速のソニック……」
「貴様、俺を知っているのか……?」

男は眉根を寄せて、シキミを睨みつけて──目を丸くした。驚いたようだった。

「…………お前は……シキミか」
「どうして……あなたがこんなところにいるの?」
「混乱に乗じて脱獄させてもらった。しかし──それはこちらの台詞だな。なぜお前のようなヤツがこんなところにいる?」
「あたしは……今は、ヒーローだから」

シキミの言葉に、ソニックは「は?」と口をぽかんと開けて──それから哄笑した。嘲りの色が濃い、侮るような、蔑むような呵々大笑だった。

「ははははははっ! お前が? お前がヒーローだと? 笑わせる──お前のようなヤツが、ヒーローだと? お前のような“化け物”が──」
「あたしは化け物なんかじゃないっ!」

シキミが大声を出した。
悲痛な叫びだった──そんな彼女に、しかしソニックは冷えきった眼差しを向けるだけだった。

「……ふん。まあいい、俺には関係のないことだ」
「……………………」
「それより、貴様ら──“深海王”を狩るつもりなら、やめておけ」
「“深海王”?」
「ヒーローごときが束になっても、勝てはしない」

吐き捨てて──ソニックは地を蹴った。

「正義ごっこなどしている連中では本物の強敵には勝てない。なにも守ることはできない──」
「な──待っ」

シキミの制止も虚しく、もうソニックの姿は消えていた。辺りを見回しても、どこにもいない。目にも留まらぬ迅さでこの場を離脱してしまっていた。

「今の変質者は、いったい……? 知り合いか?」
「……昔、いろいろあった相手です」

そう、いろいろ──
一悶着あった相手なのだった。

シキミは唇を噛んで、拳を握りしめる。

「行った? ねえアイツどっか行った?」
「……行きました。もういません」

シキミの返答を受けて、顔を手で隠したまま固まっていたヒズミが、やっとおそるおそる指の隙間から周囲を覗った。俗に言う“キャーッ! のび太さんのエッチー!”状態である。

「あーびっくりした。変態っているもんなんだな」

こえーこえー、と身震いして、ヒズミは雨に濡れて顔に張りついた髪を後ろに撫でつけた。オールバックになった彼女はますます精悍に見えて、ツルコあたりが見たら一目惚れするかも知れないな、とシキミはぼんやり思った。

「それにしてもシキミちゃん、いきなり全裸の男が出てきたっつーのに冷静だったな」
「え? いや、驚きはしましたけど……別に今まで男のひとの裸を見たことがないわけじゃないですし」
「えっ」
「もう高校二年生になりますし。あれくらいでキャーキャーいう歳じゃないですよ」
「えっ」
「そういえばヒズミさんはおいくつなんでしたっけ」
「えっえっえっ」
「……その辺にしておいてやってくれ」

ヒズミの狼狽は人心に疎いジェノスですら止めに入るレベルだった。つい先日まで異性にただのハグさえもされたことのなかった日陰者に、この流れは残酷すぎる。痛恨すぎる。

「雑談している暇はない。とにかく敵を殲滅するのが先だ。たかが海の怪物数匹相手にこれ以上犠牲者を増やすわけには──近くに多くの生体反応がある。海人族か……ここからすぐ近くの場所だな……」

センサー機能を張り巡らせていたジェノスの表情が、そこで途端に強張った。

「……いや、これは……災害避難所だ……!」
「避難所に──シェルターに、あの化け物たちが押し寄せているんですか!?」
「何匹かはわからないが、その可能性が高い。急いで避難所に──だめだ。もう一体、巨大な反応がこちらに向かってきている……近い!」

ジェノスがそう叫ぶのと、ビル群が轟音とともに薙ぎ倒されるのが同時だった。

「…………!?」

そこから現れたのは──

「すっげー。怪獣だな、怪獣」

怪獣。
ヒズミの言葉は、まさしく正鵠を射ていた。
まるで映画に出てくるような、凶悪な恐竜のような風貌をした、体長は何十メートルあろうかという冗談のようなイキモノが──そこに聳えていた。

「…………うそ……」
「くっ──あれも海人族の仲間なのか!?」
「そういえばゴジラも海から来たんだったっけな。いやー似てんな。そっくりだな。ゴジラの親戚かな」
「そんな悠長なことを言っている場合か! 早くあれを倒して避難所に──」
「しゃーねーなあ。私がやるよ」

ヒズミの口調は、いつもと変わらない朴訥としたもので──ジェノスもシキミも、それぞれ自分の耳を疑った。

「……えっ? ヒズミさん、なんて……?」
「あれは私がなんとかするから、ジェノスくんとシキミちゃんはシェルターに向かって」
「馬鹿を言うな! 独力で戦える相手じゃないだろう!」
「そんなこと言ってたら避難所の中にいる人みんな食われちまうよ。勝てないにしても、足止めくらいならできんだろ。さっさと避難所に群がってる怪物どうにかして、それからこっち助けに来てくれたらいいから」
「で──でも……」

ヒズミの無茶な提案に食い下がりながら、シキミはジェノスを横目で窺った。彼もヒズミを思い留まらせようとしているらしかったが、代わりとなる有効な打開策を閃けないでいた。ヒズミは悲嘆に暮れている二人に向けて笑ってみせた。

「そんな顔すんなって。簡単にゃ死なねーから。私なかなか丈夫だし。なるべく怪我しねーように気ィつけるし」
「……本当にやれるんだな?」

ジェノスが重い口を開いた。まさか──まさか、こんな危険な単独行動を許可するというのか? むざむざ看過するというのか? シキミのそんな懸念は表情にまるっきり出ていたようで、ヒズミはひらひらと片手を振って「大丈夫」と言った。

「さっきも言ったけど、別に一人であれを倒そうとしてるわけじゃないんだから。私にできるのは時間稼ぎだけ。ジェノスくんとシキミちゃんで避難所に向かってるっつー化け物を片付けてもらって、それからこっち救援に来てくれれば嬉しいなって作戦だから。……いや、作戦ってほどのアレでもねーけど」
「でも、あんな──あんな規格外の怪獣に……」
「こないだの隕石よりかは、怖くねーな」

そう冗談めかして、ヒズミは跨るバイクのアクセルを噴かした。獣が吠えるようなエンジン音が再び嘶きはじめる。

「……すぐ戻る」
「そうしてくれると助かる」
「無茶はするな。危ないと思ったら、すぐ逃げろ」
「イエス。承知しました、軍曹!」

ジェノスの忠告に、ヒズミはおどけた敬礼で答えて、そして走り出した。その全身からはすさまじいスパークが迸っている。高圧電流の塊と化したヒズミは猛烈な速度で巨大な標的めがけて一直線にバイクを走らせていった。

それと同時に、ジェノスが弾かれたように踵を返した。全速力で駆け出した。シキミも慌てて彼の背中を追う。避難所へと、豪雨を切り裂く一陣の風のように疾走する。

決戦の火蓋がひとつ、かくして落とされた。