Pretty Poison Pandemic | ナノ





ツルコから送られてきたメッセージに添付されていた画像は、彼女と他のクラスメイト数人が水着姿で楽しそうにピースしている写真だった。背景には晴れた空、青い海、そして砂浜。

「……さっそく行ったのね、ツルちゃん」
「なに? お友達?」

横からヒズミが覗き込んできた。そうです、とシキミは相槌を打って、小型のタブレットをバッグにしまった。

「ずっと海に行きたいって言ってたから」
「海かー、いいな。最後に行ったの何年前だろ」
「あまり旅行とかしないんですか?」
「ずっとフリーターで金なかった。貯金してたしね」

現在シキミとヒズミがいるのは大型のショッピングモールである。夏休み期間に突入して、学生と思しき若者の姿が目立つ。派手な服装を身にまとった男女のグループが通路を練り歩いているのがあちこちで目についた。シキミはよくこの商業施設を放課後の遊び場として利用していたのだが、ヒズミがここを訪れるのはこれがただの二度目である。それに前回はサイタマと生活必需品を取り急ぎ揃えに来たのみでゆっくり回ることができなかったので、こうして改めて目的もなくウインドウ・ショッピングを堪能してみると、なんとも新鮮味があった。

「それにしてもシキミちゃん、随分たくさん買ったね」
「そうですか? 夏物の服と、バッグと、あと……」
「今時の若い女の子ってのはショッピング魔なんだな」
「若い女の子って……ヒズミさんも変わらないでしょう?」
「いやあ、十代とオーバー二十歳は全然ちげーよ。まあ、私は特別ファッションに興味のない人間だからアレだけど。もともと物欲ない方だし」

フードコートの一席で小腹を満たすためにクレープをぱくつきながら、シキミとヒズミはそんな談笑に花を咲かせている。ちなみに二人とも世間に顔の知れた“有名人”であるので、ちょっとした変装をしている。シキミは髪を三つ編みにして伊達眼鏡をかけ、ヒズミは白髪を結ってまとめてハットの中に隠している。

「せっかく来たんですから、なにか買いましょうよ。ヒズミさん、お部屋が……その、殺風景ですし」

カスタードクリームにスライスしたアーモンドがまぶされ、その上にたっぷりとストロベリーソースのかかったクレープをもぐもぐと小動物のように頬張りながら、シキミは言葉を選んでそう進言した。

「確かになあ。でも別にこれといって困ってることはないんだよなあ」

ヒズミが食べているのはココアブラウニーにチョコレートクリーム、さらにホットチョコレートがどっさりというどうにも甘ったるい代物である。見ているだけで胸焼けがしそうだ。彼女は意外にも甘党なのだった。

「暇潰しの本はさっき買ったしなあ」
「インテリア関連で、なにか欲しいものはないんですか? ちょっとした置き物とか」
「あんまりごちゃごちゃ飾るの好きじゃないからなあ……あ。そうだ」
「? なんですか?」
「コルクボード買いたいな」
「コルクボード?」
「そう。壁に掛けて写真とか留められるヤツ」
「雑貨店に置いてありますよ。あとで見に行きましょう」
「百均のでいいんだけど」
「だめですよ。どうせ買うならお洒落なのにしないと!」

シキミはそう胸を張って譲らなかった。歳の近い同性とこういった遣り取りをいまだかつて交わしたことのなかったヒズミには、彼女のこだわりが強いのか、はたまたこれが現代の女子にとっては普通なのか判別がつかなかったけれど、そんな瑣末な問題はどうでもよかった。
ただ生まれて初めての経験が楽しかった。
そう、楽しかったのだ──このときは、まだ。



携帯電話が着信を告げたので、ジェノスは食事の後片付けに勤しんでいた手を止めて通話に応じた。相手はヒーロー協会の人間で、なにやら緊急の連絡をよこしてきたようだった。

「J市? 少し遠いな……近場に腕の立つヒーローはいないのか? ……そうか……わかった。間に合うかわからないが、今から現場に向かう」

用件のみを伝達した短い通信を切って、ジェノスはリビングでマンガを読んでいたサイタマに、

「先日、先生が通りすがりに倒した怪人は“海人族”と名乗っていたんですよね?」
「覚えてねえ」
「その海人族の仲間らしき連中が数匹でJ市に出現し、暴れてるようです。たまたま居合わせたA級ヒーローが一人で戦いを挑むも、苦戦中とのことです」
「苦戦……。強いのか」

傍らに置いてあったリモコンを手に取り、サイタマはテレビの電源を入れた。チャンネルを回す必要もなく、画面には当の“海人族”とやらと交戦するヒーローの生中継映像が映し出された。

「J市に現れた複数の怪獣は自らを海人族と名乗り、目についた人々に襲いかかろうとしています。ただいまヒーローが進行を食い止めようと抵抗していますが、体力の限界が近いようで取材陣の目から見ても疲労感が伝わってきます。災害レベル虎! 市民は決して近づかぬよう……」

長槍を握る若い男が、自分より倍はあろうかという大きさの異形と戦っている。しかしその動きは精彩を欠いていて、とても余裕綽々──といった戦況ではなかった。

「……行くか。これはダッシュで行くしかねーな」



買い物を終え、シキミとヒズミがゴーストタウンに帰還する頃、空模様がどうにも怪しくなってきていた。分厚い灰色の雲に覆われた空から、稲妻の唸りを上げる声が轟いている。まだ雨は降り出していないが、それも時間の問題だろう。じきにバケツをひっくり返したような豪雨が襲ってくるに違いない。

「嫌な天気だなあ」
「そうですね」
「雨の日は頭が痛くなるからなあ」
「え? 大丈夫ですか?」
「今のところは平気。帰ったら寝るかな」

あと五分ほどでマンションに到着しようかというところで、シキミのバッグの中からサイレンのような音がけたたましく鳴り始めた。慌ててその音の発信源──スマートフォンを取り出して耳に当てるシキミを“多忙な携帯だなあ”とぼんやり眺めながら、ヒズミは煙草をくわえた。歩き煙草はマナー的な観点から見てひどくよろしくないが、誰もいない廃墟地帯なので誰かに咎められることもない。

「……はい。はい、そうです……えっ? 怪人? J市ですか……遠いですね。スティンガーさんが苦戦中? それは……はい。はい。……はい。わかりました。今から向かいます。急ぎますが、間に合うかどうか……はい。了解しました。では」
「……どうしたの? お友達じゃなさそうだったけど」
「協会からでした。J市に“海人族”と名乗る数匹の怪人が出現して、A級ヒーローが戦闘中だそうです。苦戦しているようなので応援に来てほしいと」
「J市? これまた遠いな」
「ジェノスさんにも召集がかけられたそうです。今まさに向かっているとのことで」
「ジェノスくんも? つーことは、相当なんだな……ジェノスくんが行ったってことはサイタマ先生も行ってるな、たぶん」

ハットを脱いで頭を掻きながら、ヒズミが呟く。

「私も今から行きます。ヒズミさんは帰ってください」
「今から行くって、どうやって?」
「……電車では時間がかかりすぎますし、タクシーで近くまで行ってから、走って……」
「それでも一時間くらいかかっちまうだろ」
「でも、それ以外に方法は……」

じれったそうに歯噛みしているシキミに、ヒズミはしばらく何事か考え込んでいたようだが──意を決したような、腹をくくったような、真面目な顔つきになった。

「よし。私が送っていく」
「え? 送る?」
「とりあえずマンション戻ろう」

ヒズミに言われるがままマンションに向かった。エントランスに入ってから、ヒズミはシキミに部屋の鍵を渡して荷物をすべて自分の部屋に置いてくるよう頼むと、再び外へ出て行った。シキミは訝しみながらも指示を完遂して、一階まで階段を一足飛びに駆け降りて、その真正面の道路で──

バイクに跨るヒズミの姿に目を疑った。

「そ、それは……」
「“教授”特製の愛車。かっこいいだろ」

メタリックな光沢を放つ黒で統一されたボディのそれは、女性が乗りこなすにしてはいささか大きすぎるのではないかという規格の二輪だった。規則的なエンジン音は重厚感あふれていて、まあ確かに民間会社の平和ボケしたタクシーよりはずっと速そうだった。

ヒズミから投げ渡されたフルフェイスのヘルメットを反射的に受け取ってしまったが、シキミは突然の展開におろおろするばかりである。

「ほら、乗って」
「え、あの、えっと」
「急ぐんだろ。早くしねーと」

ほとんど押し切られる形で、慣れない手つきながらヘルメットを被り、シキミはおそるおそるヒズミの後ろに着席した。バイクに乗った経験などないので、どういうふうにバランスをとったらいいのかわからない。とりあえずヒズミの細腰に腕を回して、抱きつくような姿勢をとった。

「……やべえ。私いま女子高生にハグされてる」
「えっ!? あれ!? これ間違ってますか!?」
「いや、合ってる。しっかり掴まっててよ」

言うが早いか、ヒズミはアクセルを一気に入れて──
トップスピードで走り出した。

「────〜〜〜ッ!!」

シキミの華奢な体を吹っ飛ばさんと、ものすごい重力がぶつかってきた。あまりの速さに声を出すこともできない。口なんか開いたら舌を噛んでしまいそうだった。向かい風の勢いが強く、ヘルメットに守られているにも関わらずただ前を見るだけのことも叶わない。本当に道路上を走行しているのかどうかすら怪しかった。この単車、ひょっとして宇宙に飛び出そうとしてるんじゃないだろうか。

そんな不安を胸に抱きつつ、頼みの綱の運転手に必死にしがみついて、シキミは一秒でも早く目的地に到着して、この地獄的な加速度から解放されることをひたすら神に祈るのだった。