Pretty Poison Pandemic | ナノ





「悪いが、ライター貸してもらえるか」

そう声をかけてきたのは、ついさっき喫煙室に入ってきた若い男だった。黒い髪は手入れされた芝生のように短く、生気のない青白い顔にふたつ穿たれた赤い瞳が印象的である。しかし血色の悪さでいうならヒズミも負けてはいない。

「ああ……えっと」

ヒズミが戸惑っているのは、いきなり話しかけられたせいではなく、男の要求に応えることができないからだ。彼女に火種を持ち歩く習慣など、とうにない。

「すいません。ライター持ってなくて」
「あ? ……吸ってるよな?」
「ちょっと煙草くわえて、こっち出してください」

男は疑わしげに眉根を寄せていたが、ヒズミに言われた通りにした。唇で固定された煙草の先端に、ヒズミは親指を押しつけた。そこからかすかに火花が散って、そして火が灯る。男は驚いた顔になった。指先に挟んだ煙草の、ヒズミが触れた部分が確かに赤くなっているのを見て、そして彼女に視線を移した。全身をスキャンするように眺めて、感心したように長い息を吐き出した。

「……へえ。面白いな」
「どうも」
「ん? ……白くて長い髪に、青い目……どっかで聞いたような気がするな」
「ニュースじゃないスかね」

ヒズミの台詞に、男はすぐ思い当たる節を見つけたようで、数度大きく頷いた。

「お前が噂の“生存者”か」
「はじめまして」
「ああ、これはこれはご丁寧に。……まさかこんなところで会うとはな」
「私もびっくりしてますよ。こんなところでS級ヒーローさんとお話しできるなんて──ね。ゾンビマンさん」

男が片目を眇めて、悪戯っぽい表情を作った。

「俺を知ってるのか」
「そりゃ、有名人ですからね」
「俺はたまたま仕事がらみの用事があって本部に来てたんだが……お前は一体なんだ? どうしてヒーロー協会の本部なんかにいる?」
「定期検査です。事故の影響で特異体質に──っていうのは、説明いらないですね。その関係で、こうやって協会直属のお医者さんにあれこれ診察されてるんですよ」
「要するに管理されて、監視されてんだな」
「……身も蓋もなく言えば、そうなりますね」

ヒズミは男の──ゾンビマンの歯に衣を着せぬ物言いに苦笑いを禁じ得なかった。

喫煙室で一服を決め込んでいるのは、現在ヒズミとゾンビマンのふたりだけである。プラスチックの壁で仕切られたスペースに、胸の高さほどの横長のテーブルが置かれている。その真ん中には空調を整えるための機械が埋め込まれ、網状になった金属の板で覆われていた。その両脇に空けられた丸い穴に填め込まれた鉄の容器が灰皿の役割を果たしている。ここにもドーナツ状の蓋が被せられている。中は暗くて見えない。ヒズミが短くなった煙草をそこへ落とすと、じゅっ、という音がした。消火用に水が溜められているようだ。

「懐かしいな、俺も最初はそんな感じだった」
「そうなんですか?」
「まあな。だって得体が知れねーだろ──人体実験によって作り出された“不死身”なんてな」

不死身。
読んで字のごとく、死なない体。

「お前のは、どういう能力なんだ」
「発電体質です。あーっと……体内で電気を作って、外に放出することができる……電気ウナギ的な?」
「若いねーちゃんが電気ウナギって」

なにが琴線に触れたのかはわからなかったが、ゾンビマンには大ウケしたらしかった。大口を開けて笑っている。

「まあ、俺らは似たもん同士なわけだな」
「いやはや、畏れ多いス」
「これもなんかの縁だ。今晩メシでも一緒にどうだ」
「はい?」
「はい? じゃなくてよ。ナンパしてんだけど」

……どうしよう。

なんだか今日はこの手の、異性関係における厄日のような気がする。教授には揶揄われるわ、偶然に出会った初対面の男に食事に誘われるわ──それ自体は悪いことではないのだろうが、むしろ喜ばしいことなのだろうが、クソみたいな非リア人生を送ってきた干物女の自分では対処法を思いつけない。こういうときはどう切り返したら丸く収められるのだろう、とヒズミが枯れた脳味噌をフル回転させていると、透明な壁の向こうに見知った人物の姿が見えた。こちらへ小走りに駆けてくる。

(……助かった)

心中で己の幸運を噛みしめつつ、ヒズミはそれと悟られないよう自然を装って口を開いた。

「すいません。迎えが来たんで」
「あ? ……あれか。……ん? あいつもどっかで見たことあるな……」

スライド式のドアを開いて、ジェノスが喫煙室へ入ってきた。ヒズミのすぐ隣で煙草をふかしているゾンビマンを、ひいては“たまたま同じ場所に居合わせただけの他人”にしては近すぎるふたりの距離を視界に捉え、その顔つきがやや険しいものになった。

「お前は……S級のゾンビマンだな。ヒズミになにか用か」
「なんでそう喧嘩腰なんジェノスくん……」

ヒズミが前髪を掻き上げながら嘆息した。助かってなかった。まったくもって助かってなかった。このサイボーグ野郎、口の利き方を知らなさすぎる。

「ジェノス……? ああ、いきなりS級認定されたっつー大型新人か。道理で見覚えあるわけだ」

得心いったふうにゾンビマンが呟いて、

「なんなんだ? 彼氏か?」
「いや、そういうんじゃないんスけど……」

困惑を隠しきれない様子のヒズミが呻いて、

「……………………」

ジェノスが押し黙った。
不服そうで不満そうだった。
いっそ不憫なほど。

「なんだ、つきあってんじゃねーのか」
「……お前には関係ないだろう」
「なくはねーよ。だって俺この子いまナンパしてんだから」
「…………なんだと?」
「一緒にメシ行こうってよ。なあ?」

こんなタイミングで話を振らないでくれ。ヒズミはダッシュで逃げ出したい衝動に駆られた。この人間離れした脚力ならこいつらを振り切ってさっさと帰ることくらい可能だろう。半分以上も本気でそんなことを考えながらジェノスをちらりと覗って──彼が今まで見たこともない表情をしているのを見て思考が止まった。

それはさながら雨に濡れた捨て犬のような。
ダンボール箱のなかで寒さに震えながらも健気に飼い主を信じて待つ子犬のような。
ストレートに心へ突き刺さる、切ない面持ちだった。

ドーベルマンがチワワへと変貌した瞬間だった。

「……行くのか」
「え?」
「食事。行くのか。そいつと」

ぶつ切りの問いかけに、ヒズミはしばらく硬直して──やがて首を横に振った。

「ごめんなさい。今日はちょっと行けません」
「……そうか、残念だ」
「せっかく誘っていただいたのに、本当すみません。……ほら、ジェノスくん、帰ろ」

悄然としているジェノスの手を引いて、ヒズミは足早に喫煙室を出ていった。果たして独り残されたゾンビマンは──心底おかしそうに頬を綻ばせて、くつくつと肩を震わせていた。そして誰にともなくひとりごちる。

「いやあ……若いってのは、いいもんだな」