eXtra Youthquake Zone | ナノ





『セント・クラシカル・ネプチューン』号が格納されている倉庫からやや離れた場所にある工場の事務室に、サイタマとシキミとジェノス、そしてニーナが集まってテーブルを囲んでいた。

時刻は夜の二十二時を回ったところである。他の関係者たちは各々の責務を終えて帰っていったが、三人はいまだ調査委員会に拘束されたままなのだった。ヴァルハラ・カンパニーの卑劣な闇討ちに倒れたヒーローたちとは違い、最後まで戦い抜いた彼らこそがもっとも事件の核心に近い立ち位置にいることを考慮すれば当然ではあるが、それとこれとは話が別だ。義憤で疲弊が癒えるならだれも苦労はしない。サイタマは椅子の上でぐったりして、死んだ魚のような目で天井を眺めていた。

「シキミ……俺おうち帰りたいよ……」
「……お気持ちはわかりますが」
「申し訳ありませんが、本日はここに泊まっていってください。外部からの来客に備えたゲストルームが上の階にあります」

そう告げたニーナの声音も、いつもより沈んでいる。少々やつれているふうにさえ見えた。アンネマリーが語った「寝食もままならないくらい激務に追われている」という話は、どうやら嘘ではないらしい。

建築資材などの調達を急ピッチで進めるべく二十四時間ずっと休まず稼働している製造とは別の棟──書類の整理や保管、また関係者との打ち合わせを行うための建物なので、整頓の行き届いたオフィス風の室内は静かである。壁や床に使用されている防音材が適切に働いているようだ。

「たかだか工場に、宿泊設備まで整えてあるのか? ここは強化改築に必要な資材や重機を管理するために建設されたプラントなんだろう? 工事が終わったら用済みになる期間限定の事業に、そこまで資金を投入していいのか」

ジェノスの真っ当な質問に、しかしニーナはさして動揺もせず答える。

「用済みにはなりませんよ。後々は開発課の所有物件として、新兵器の動作実験や威力のテストに利用していく予定です。周辺地域にはもう民間人の出入りがありませんから、騒音公害だの暴発の危険性だのと口うるさく横槍を挟まれることもない──軍事活動を行う基地としては最高の環境です。これだけ広ければ実戦部隊の演習にも事欠きません。既に駅や空港などの脅迫目的による占拠を想定した対テロリスト訓練をここで実施する計画が持ち上がっています」
「抜け目がないな。協会の図太さには恐れ入る」
「褒め言葉と受け取っておきますよ。よろしければジェノス様たちも訓練に参加されますか? 私も参加します」
「どうしましょう。でもニーナさんがいたら、そんじょそこらのテロリストなんて敵いっこないですよねえ」

ジョークのつもりでそんなことを言ってみたシキミだったが、ニーナは真顔で首を横に振った。

「あ、いいえ。私テロリスト側なんですよ」
「えっ」
「かつては私も実戦部隊に籍を置いていた身です。第一線こそ退きましたが、それでもまだ衰えてはいないと自負しています。かわいい後輩たちを全身全霊で鍛えてやるつもりですよ。醜態を晒すようなら、容赦はしません。ずたずたにしてやります」
「……そうですか」
「アンネマリーも一緒ですよ。随分と張り切っていました。無心で獲物の刃を研ぐ後ろ姿に、彼女の成長を垣間見て……なかなかに喜ばしかったものです」

遠い目をしてどこか自慢げに語るニーナ。なにやら感動しているポイントがおかしいような気がしたが、深くは突っ込まずにおいた。体育会系をこじらせた人間の思考回路は理屈じゃない。とりあえず参加は辞退しよう、と固く心に決めるシキミであった。恐ろしすぎる。まだ死にたくない。

「ところで、ヒズミさんの件ですが」

なにげなく話の向きを変えた──つもりだったのだが、サイタマとシキミが露骨に表情を強張らせたので、ニーナは一瞬きょとんとしてしまった。触れてはならない事項だったのだろうか。言い澱む彼女に応答を返したのはジェノスだった。

「今朝の検査結果に問題がなければ、協会の幹部連中から引き続き事情聴取を受けると聞いている。現在どうなっているのか、お前の耳には入っていないのか?」
「あ、いいえ……教授に電話して訊ねてみたのですが、教えていただけませんでした。なにか事情があるようで」
「そうか」

その一言だけ──だった。

心配している様子も、不安がっている仕種もない。ひたすら淡々としている。ニーナは違和感を覚えざるを得なかった。かつて彼女が愛用していたどぎついピンクの傘にすら思い出を重ねて、いっそ気色の悪さを感じるくらいの執着を見せていた彼とは、まるで別人のようだった。

「……今から連絡してみますか? 教授に」
「いや、教授も多忙だ。遠慮しておいた方がいい。そもそも教えてもらえなかったんだろう? なにか漏洩しては困る情報でもあるのかも知れない。俺が話したって同じことだ」

同じなわけがない。
同じなわけがないではないか──あれだけ。
あれだけ心を寄せ合って、どんなときも傍にいたのに。

同じなわけがないではないか。

ニーナは覚えている。
彼女が頬をやや赤らめて、はにかんで口元を綻ばせていたのを。

──責任しっかり取ってもらいます。
──私が近々どうなっても、あの子が先々どうなっても、絶対もう離れてなんかやらないってようやく覚悟できたんです、と。

恋する乙女のように照れ笑いしていたのを、ニーナは覚えている。

「しかし、ヒズミさんは……あなたを」
「俺のフルパワーの焼却砲でやっと倒したロボットを一瞬で三体も灰にした女だぞ。たかが民間団体の拘束ごとき、いざとなったらどうとでもできるはずだ。放っておいたって問題ないだろう」

眉ひとつ動かさずにそう言って、ジェノスはニーナの淹れたブラックコーヒーで唇を湿らせる。

「……………………」

ニーナは愕然とした面持ちで、視線をサイタマとシキミにずらした。お手上げだとでもいうふうに肩をすくめているサイタマと、今にも泣き出しそうに口をへの字にしているシキミを交互に見比べて、彼らもまた混乱の最中にいるのだということを察した。

「それより、今は『セント・クラシカル・ネプチューン』号の爆破テロ事件について考えるべきだろう。今日の調査で判明した事実もある。俺たちが交戦したあの巨大ロボット──通称“トール・ツインズ”とやらがヴァルハラ・カンパニーの所有物だったということが確定したわけだが、協会はどうするつもりなんだ?」

冷静に徹した口振りで話題を本筋に戻したジェノスに、ニーナは狼狽しつつも頷いた。

「……まだ確定してはいませんよ。可能性が高いだけであって」
「本気で言っているのか? ハイジが断言したんだぞ。あの“アカシック・レコード・イミテーション”が、船上で見た監視カメラの記録から割り出した結論だ。間違っているとは思えないが」

セレモニー・ホールの花環から爆破予告のメッセージが発見された直後、どこかに隠された爆弾のヒントを探すために管理室で目を光らせていたハイジは、もちろん搬入口付近の映像も網羅していた。昨晩は精も根も尽き果ててしまって爆睡していた彼を早朝に叩き起こしてヴァルハラ・カンパニーが申請した装備品リストの内容を確認させたら、実際に運び込まれていた積荷の量と一致していないというのだ。恐らくトールの巨体を解体したうえでいくつかのコンテナに小分けして隠し、船内で組み立てたのだろう。ハイジはあくび混じりにそう述べていたらしいと調査委員会からは聞かされている。

「そんなことが可能なのでしょうか?」
「その点はヴァルハラ・カンパニーに訊いてみるしかないだろう。警備人員の振りをさせて技術者を載せていたのかも知れない。船底倉庫の監視カメラに死角が多かったのが災いしたな」
「乗船していたヴァルハラ・カンパニーの社員は、全員の身柄を拘束しています。容疑が固まっていないので逮捕には至っておりませんが、ひとまず“トール・ツインズ”に関しては情状酌量の余地もないほど国際平和協定に違反していますから、そちらの罪状で立件する準備を進めています。もっともヴァルハラ・カンパニーの専属PMC──警備員派遣部門のオーナーを担っていた男が死亡していますので、ややこしいことになりそうですが」

『セント・クラシカル・ネプチューン』号の護衛任務においても指揮官の役に就いていた、コードネーム“スコーピオ”──彼の壮絶な死は、サイタマもシキミもアンネマリーの口から聞かされていた。ジェノスは調査委員会からの通達で知ったそうだ。パーティー会場で彼とスコーピオが雑談していたという目撃情報が寄せられたため、逸早く連絡が行ったらしい。

怪しい動きはなかったか、妙な発言をしていなかったか──そんな質問を電話口で矢継ぎ早に突きつけられたが、生憎ながら捜査の進展に貢献できそうな手掛かりは持ち得ていなかった。報告に値しそうな内容といえば、せいぜいスコーピオの「今の我々にヒーロー溶解へ楯突くだけの余力はない」という意味深長な台詞くらいのものだ。

「ヴァルハラ・カンパニーが“爆破テロ事件を自作自演して、ヒーロー協会を出し抜き、手柄を独占して落ち目から脱しようとした”証拠は数えきれないほど挙がっていますが、それでは説明がつかない事態になってしまっています。なぜ組織のボスであるスコーピオが命を落とす羽目になってしまったのか? 私もグレーヴィチ博士の研究所で彼と相対した身ですからわかりますが、彼の罠は周到で執拗でした。あのとき突入していたのが私でなければ──戦闘力のない他の協会員であれば、痕跡などひとつも残さず改造犬の餌にされていたでしょう。そんな男がコメディ映画みたいなミスを犯した挙句あっさり死ぬなんて考えられません」

同じことをアンネマリーも喋っていた。
さすが同じ釜の飯を食って切磋琢磨してきただけのことはある──と、サイタマは思わず感心してしまう。

「救命ボートが何艘か消失していたそうですね」
「ええ。その通りです、シキミ様。これはまだ未公表の見解ですが、外部から侵入してきたテロリストが逃走に使用した線が濃厚かと。ヴァルハラ・カンパニーの計画を嗅ぎつけた第三勢力がそれに便乗する形で首を突っ込んできたのでしょう。近いうちに会見を開いてそのようにメディアへ発表し、公開捜査に切り替えます」
「ヴァルハラ・カンパニーが我が身かわいさに悪事を目論んでいたというのは隠蔽しないのか?」
「隠蔽しても得はありません。ヒーロー協会の傘下に置いていたわけでもないですし、恩を売ったところで相応のリターンが見込める取引相手でもないです。ただ一度でも共同戦線を組んだ対象がそんな悪徳業者だったということが民衆に知れれば、我々の好感度に影響が及ばないとは限りません。その辺りの情報操作は広報課の仕事です。彼らの裁量に任せるしかありませんね」

操舵室で腰を抜かしながらも宣材写真の確保に勤しんでいたメリッサの姿を、シキミは思い出していた。あの異様な執念でもって、命懸けでヒーロー協会の看板を汚さぬよう立ち回ることだろう。

「……くぁ」

なんとも小難しい議論が続いて、サイタマは退屈しきっていた。眠そうに瞼を弛ませている。それに気づいたニーナは話の流れを切るようにひとつ手を打った。

「長々とすみませんでした。今日はここまでにするとして、ゆっくりお休みください」
「おー、そうさせてもらうわ。疲れちまったよ」
「先生がご就寝なさるなら、あたしも失礼しますね」
「かしこまりました。廊下を進んで左手の階段を三階まで上がっていただくと、宿泊室のあるフロアになっております。お好きな部屋をご利用ください。まあ、どこも間取りは同じなんですけれど……私はまだ仕事がありますので、しばらくここにおります。なにかあったらお呼びください」
「了解。あんまり無理すんなよ」
「肝に銘じておきます」
「よし、行くぞーシキミ。ジェノスも来いよ」

サイタマの誘いに、ジェノスは首を横に振った。

「すみません、先生。俺も残ります。関連資料を一通り確認しておきたいので」
「相変わらずクソ真面目だなー、お前」

呆れたふうのサイタマに、シキミも心の中で同意した。
感情の読み取れない無表情も、こうと決めたら梃子でも動かぬ頑固さも、相変わらずだ。
それなのに──どうして。

「……あたし、やっぱり教授に電話してみます。ヒズミさんのこと、心配なので」

シキミが口にした、彼女の名前に。

「そうか」

なんの反応も返してくれないのだろう。

「もし繋がったら、教授によろしく伝えておいてくれ」

なんの愛情も──籠めてくれないのだろう。

彼が昏倒したという、昨夜。
一体その機械の身体になにが起こったのだろうか?