eXtra Youthquake Zone | ナノ





翌朝の報道番組はどこもかしこも『セント・クラシカル・ネプチューン』号の話題で持ちきりだった。ひと通りチャンネルを回してはみたけれど、他のニュースを取り上げている局はひとつもなかった。世界規模の豪華客船が入水式典の最中に爆破テロを受けるというセンセーショナルな事件の持つ話題性を鑑みれば当然のことではあるが、関わった当事者からしたらこれ以上なくうんざりさせられてしまう──サイタマはやるせない溜め息をひとつ吐いて、テレビに向けてリモコンの電源ボタンを押した。一緒に居間で食卓を囲んでいたシキミも、その行動に対してなにも言わなかった。

「あーあ。気が滅入っちまうなー」
「お疲れなら、実況検分パスされますか? 船内で先生とずっと一緒に行動してたあたしが行くわけですし、得られる証言は同じだと判断するでしょうから、調査委員会も参加を強制するようなことはしないと思いますよ」
「そりゃダメだろ。これもヒーローの仕事ってヤツだ」

いくらかカッコつけたふうに言ったのは、己の萎えた気概を鼓舞するためでもあった。世界の平和を守る正義の味方なのだから、面倒だからといって放り出すわけにはいかない。眉間に縦皺を刻みつつ、サイタマは薄くスライスされたバケットを齧った。シキミお手製のリエットが、豊かな風味と滑らかな舌触りを口の中に広げる。

「とりあえず協会に行ったら、ジェノスと合流しねーとだな。あとヒズミも」
「そうですね。あの“掃除屋”さんもいらっしゃるんでしょうか」
「さあな。でもアイツもヒズミと同じで、あの……なんだっけ、バラバラかにパンみたいな名前の敵側にいた人間だろ?」
「ヴァルハラ・カンパニーです」
「そうそれ。下手したら共犯だって逮捕されるかも知れねーのに、ぼんやり留まってるとは考えにくいよなあ」
「それもそうですねえ……ヒズミさんはどうなったんでしょう。取り調べになったんですよね? ジェノスさんがついてますから、大丈夫だとは思いますけど」
「まあ、行きゃわかるだろ。そろそろ出る支度しようぜ」
「了解です。あたし片づけてきますので、先生ご用意なさっててください」

空になった皿をてきぱきとシンクへ運んでいくシキミは、既に着替えて化粧も終えて準備万端である。昨夜あんな寝落ち方をしたのに、サイタマが起きたときにはシャワーを済ませて朝食を作っている最中だった。それでいて更に「先生よりも先に寝てしまうなんて無礼な真似をして申し訳ありませんでした」なんて深々と頭を下げてきたものだから、サイタマの方が罪悪感に襲われる始末であった。なんというか、本当によくできた娘である。つくづく自分には勿体ない。

まあ──手離すつもりは毛頭ないのだけれど。

こんなふうに女子高生にベッタリになっている現状がジェノスにバレたらさすがに軽蔑されるかな、でもアイツも大概だしな、ヒズミも帰ってきたことだしまた騒がしくなるんだろうな──と人知れず頭を悩ませるサイタマであったが、残念ながら事態は彼の予想よりもっと深刻なのだった。



『セント・クラシカル・ネプチューン』号の残骸は、本部の強化改築のために建てられた工場施設の空き倉庫に収容されているそうだ。規格が規格なので、かなりの広さを誇る地下スペースにも格納できなかったらしい。そこまで送迎する車を呼ぶのに少し時間を要するというので、サイタマとシキミはこれ幸いとベルティーユの所有するフロアを訪れていた。

たまたま手が空いていたというアンネマリーの付き添いのもと、エレベーターに乗った。やけに人気が少ないですね、とシキミが訊ねると、アンネマリーは苦笑しながら「みーんなあなたがたと同じ理由で出払ってますよ」と答えた。ニーナも諜報部の一員として捜査に駆り出されているとのことだった。ヴァルハラ・カンパニーは勿論、その周辺の関連勢力に怪しい動きがなかったかどうかも洗わなければならないというので食事も摂らずに徹夜で活動している、というアンネマリーの説明に、仕事とはいえ同情を禁じ得なかった。

「あたしはぶっちゃけ暇なんですよねえ、なにせ戦闘員ですから。ハサミ振り回すしか能がないですから。捜索とか事後処理とかには噛めないんで」
「そうだったんですか」
「餅は餅屋ですよ。まあ、犯人を突き止めたら確保のために出動しないといけなくなるかも知れないですけど」
「犯人……」

その単語を反芻するように繰り返したシキミに、アンネマリーは目敏く反応した。

「なにか心当たりがおありで?」
「ええ、まあ……あの船で実際に戦ってた身としては、この一連のテロ行為、全部ヴァルハラ・カンパニーの仕業だとしか思えないんですよね。功績を残すために、自分たちで爆弾を仕掛けたんだと……」

シキミは偽らなかった。船内の監視カメラやセキュリティ・システムによる乗客たちの乗降記録などは統括マシンごと破壊されてしまって残っていないと聞いているが、同乗していたヒーローたちが誰も欠けることなく五体満足で戻ってきている以上、状況証拠は充分にあるはずだった──ヴァルハラ・カンパニーとの共同戦線において不意打ちを受けたという報告は上がっているはずだった。

あとは彼らが持ち込んだ装備や機材をざっと浚って、協会側に使用申請の通っていないダイナマイトや巨大人型戦闘兵器の痕跡を発見できれば、解決は秒読みだろう。度重なる失態のせいで存亡の危機に追い込まれ、自ら爆破テロ事件を起こし手柄をマッチポンプしようとした危ない集団の狂気の沙汰が世間に晒され、社員はことごとく然るべき処罰を受けることになるのだ。

シキミはそのように、いささか楽観的に過ぎる憶測を立てていたのだけれど──

「ところがどっこい、そうじゃないっぽいんですよねえ」

苦々しげに告げられたアンネマリーの言葉に、驚きを隠せなかった。

「……えっ?」
「死んでるんですよ。爆発で──ヴァルハラ・カンパニーの統轄係がひとり」

サイタマとシキミは揃って息を呑んだ。

「そ……それは」
「間違いない情報です。焼死体の一部が見つかりまして──ほとんど粉微塵になっちゃってたんですけど、歯型の照合とかDNA検査とかで、今朝ばっちり本人確認がされたみたいです」

金髪の毛先を指先で手持ち無沙汰にいじりながら、アンネマリーは続ける。さっきまでの飄々とした雰囲気はとうに消えていて、鋭く尖った顔つきに変わっていた。

「仮にも悪魔みたいな人間の犇めく裏社会を伸し上がってきた傭兵結社のトップが、自分たちが仕掛けたダイナマイトの爆発に巻き込まれて死ぬなんて、そんな馬鹿なことするでしょうかねえ」
「……第三勢力を臭わせるために、犠牲になったのでは?」
「殉死ってヤツですか? それにしたって、なにもボスが死ななくたっていいでしょう。チームの下っ端を何人か生贄にしちゃった方が、今後の運営のことを考えたら得策です。頭を失った組織は、統制が取れなくなって潰れるって相場が決まってるんですよ」
「……………………」

未来ある部下たちのために、泣く泣く身を呈した──なんてことは絶対にないだろう。そんな甘さに流されるような者が、兵士として生きていけるわけがない。

「まさか──本当に、外部からテロリストが?」
「そうじゃないのかなーって、あたしは思ってますよ。その辺は調査委員会の発表を待つしかないです。だからシキミさんも、サイタマさんも、がんばってくださいねえ。あなたたちに懸かってますから」

エレベーターが目的の階に到着して、地獄門のように扉がゆっくり開く。

「よろしくお願いしますよ。ヒーローさん」
「全力を尽くします」
「頼りにしてます。それでは」

シキミとサイタマを降ろして、エレベーターは下に戻っていった。しかし二人は衝撃的な真実に打ちのめされて動けず、しばし呆然とその場に立ち尽くしていた。

「どうなってんだ? 全部かにパンが悪いんじゃなかったのか?」
「……今日の調査で判明することもあるでしょう。とりあえず委員会の人から話を聞かないと、なんとも……教授にも知恵を貸してもらった方がいいと思います」
「めんどくせーことになってきたなあ……」

後頭部をがりがりと掻いて、先にサイタマが歩き出した。シキミも慌ててついていく。ベルティーユの専用研究室の前に差し掛かったところで、ちょうどそこから出てきた人影があった。青い手術着に身を包み、裸足にスリッパを履き、チョークの粉を被ったみたいに白い髪をした、枯れ木を思わせる痩せぎすのシルエット──ヒズミだった。

「あ、先生。シキミちゃんも」

こちらに気づいた彼女は、気さくに手を振ってきた。朗らかに笑ってはいるが、明らかに疲労が滲み出ていた。目の下には色濃く隈が浮いている。

「なんだ、お前、その格好」
「ちょっと検査してたんですよ。今ちょうど終わって」
「ああ、そうか……しばらく教授の健診受けてなかったもんな」
「そういうことです。逃亡生活中にも、お師匠さんの伝手で優秀なドクターに定期的に診てもらってたんだけど……私の体のことは教授が一番よく把握してるから、帰ったらすぐに診察してもらうようにってそのひとに言われてたんで」
「ふーん。そんで、教授は?」
「中におわせられますよ」
「ジェノスも?」
「うん。メンテナンスも済んだことだし、万事快調みたいだよ」
「メンテナンス? なに、アイツも調子悪かったの?」

そういえば隕石が降ってきたときにも見たフルパワーを発揮するためのパーツみたいなの使ってたし、エネルギー使い果たしてバテちまったのか──それくらいのつもりで質問したサイタマだったのだが、ヒズミから返ってきたのはこれまた予想外の回答だった。

「いや、ジェノスくん昨日ブッ倒れたんだよな」
「ええっ!?」
「は!? なんだそれ、大丈夫なのかよ」

目を剥いたサイタマとシキミに、ヒズミは両手で「落ち着け」というふうなジェスチャをして、へらへらと口の端を緩めた。

「問題ないみたい。脳と擬似神経を繋いでる回路に異常が出たらしいんだけど、ちゃんと直ったってさ。教授がそう言ってたから、間違いないと思うよ」
「そ、そうですか……大変だったんですね」
「サイボーグでも倒れたりすんだな」
「……そうだね」

一瞬だけヒズミの睫毛が寂しげに伏せられたのに、すっかり浮き足立っていた二人は気づかなかった。

「じゃあ、私はちょっと外しますんで。事件のことでまた偉いひとたちと話し合いに参じなきゃいけないんで、着替えてこないと」
「船が保管されてる倉庫まで、ヒズミさんも行くんですか?」
「うんにゃ。地下の会議室で取り調べだけ。立場的には容疑者だからね……『セント・クラシカル・ネプチューン』号の爆破事件だけじゃなくて、もともと追われる原因だったハルピュイアのこともあるし。しばらく出してもらえないかも。今度こそ本当に牢屋まで連れてかれちゃったりして」
「そんな……」
「心配しないでおくんなさい。自分のことは、自分でなんとかするよ」

身を乗り出して憤慨しかけたシキミを制して、ヒズミは悪戯っぽく肩をすくめてみせた。

「ジェノスさんに同行してもらった方がいいのでは?」
「いやあ、忙しいからね、あの子は。先生たちも調査委員会に呼び出されてるんだろ? 私なんかに構ってる場合じゃないって。そんな暇じゃないって怒られそうだ」

冗談めかして笑っているヒズミの台詞を、ジェノスが聞いたらさぞかし腹を立てるだろう。馬鹿にしているのか、とかなんとか──頭から煙を出して激怒する光景が目に浮かぶようだった。

「引き留めちゃって悪かったね。教授に挨拶しておいでよ。ジェノスくんにも」
「はあ……そうですね」
「お前は着替えたらもう地下に行くのか?」
「いや、検査結果次第だってさ」
「そうか……」
「なんか申し訳ない。いろいろ迷惑かけちゃって」
「あ? 迷惑なんか被った覚えねーぞ、俺は」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。……さて、そんじゃ私はドロンしますよ。ご機嫌よう」

引き留める間もなく去っていってしまったヒズミの背中が角を曲がって見えなくなってから、サイタマとシキミは研究室に足を踏み入れた。様々な研究用の装置が乱立して雑然としている部屋の、背もたれのないベンチに座っていたのはジェノスだった。クリップで止められた書類の束から顔を上げ、サイタマの姿を視界に収めるやいなや立ち上がって慇懃に一礼してきた。

「おはようございます、先生」
「あ、ああ……なんか倒れたって聞いたけど」
「すみません。不甲斐ないところをお見せしてしまいました」
「見てはいないからアレだけど……元気そうだし、まあいいや。教授は?」
「奥で作業されています。ついさっき行った、ヒズミの検査結果をまとめているようです」

ジェノスの口調は淡々としている。なんだか妙な違和感があった。もっと取り乱しているかと思ったのだ──あれだけ恋焦がれていた想い人と念願の再会を果たしたのだから、トイレにもついていくとか言い出しそうなくらいくっついて離れないんじゃないかと、サイタマはそう考えていたのだ。それなのに、今の彼にそんな気配はない。さっき入れ違いで出ていったヒズミのことを気にかけている雰囲気がまるでなかった。

「……ヒズミさ、今日も地下で取り調べだってな」
「はい。その件は聞いています」
「お前なんとかできねーの? アイツあんな犯罪者みてーに仕立て上げられちまってさ。昨日もお前の……なんていうか、S級の発言力で協会のヤツら黙らせたんだろ?」
「それはそうですが……昨晩の時点ではまだヒズミの体調が万全であるとは思えませんでしたので、正確な証言が得られない可能性がありましたから、そうしたまでです。困憊しきった意識で誤った情報を提供されては困りますし。今日の検査結果に問題がないようなら、積極的に捜査に協力すべきではないかと」
「い、や……それはそうだけど」

──なんだ?
なんなのだ?

この──突き放すような物言いは。
まるで興味なんてないような。
真相が究明されるなら、ヒズミ本人の気持ちなんてどうでもいいとでも──いうような。

「アイツ、牢屋に入れられちまうかも知れねーんだろ? なんにも悪いことなんかしてねーのに。いいのかよ、お前、それで」
「そうなったら一応、抗議はしますが……しかしハルピュイアの件に関しては、擁護できない部分もありますので。説明を拒否して逃げたヒズミにも責任はあるでしょう。協会関係者に暴力を働いた事実もあります。その件で……傷害および公務執行妨害で捕まるというなら、俺からはなにも言うことはありません。れっきとした法律違反ですから」
「…………お、前」

愕然としているサイタマに、ジェノスは訝しげな視線を送っている。なにをそうも驚いているんだと、不思議そうに眉根を寄せている。

自分はただ当然のことを述べているだけなのに──と。
人の温度を失った無表情が物語っている。
正常な心を断ち切られた無感情が──首を傾げている。

「本気で、言ってんのか、それ」
「…………? 俺はなにか間違っていますか?」

──間違ってはいない。
完全に、完璧に、間違ってはいない。

けれど。
彼は。
サイタマの知っている──彼は。

「そんなことより」

命を懸けて守ると誓った唯一の存在が今まさに晒されている絶体絶命の窮地を、そうもつまらなさそうに“そんなこと”呼ばわりするような──そんな男じゃなかった。

「そろそろ迎えの車が来る時間です。行きましょう、先生──唾棄すべき諸悪を、排除しなければなりません」