eXtra Youthquake Zone | ナノ





「失礼しま……っぶ!」

ヒズミが部屋に足を踏み入れるやいなや、駆け寄ってきたベルティーユに熱い抱擁をお見舞いされた。窒息しそうなほど強く抱きしめられる。たっぷり数十秒ホールドされて、いよいよ苦しさに耐えきれなくなったヒズミがベルティーユの背中をぺしぺしとタップしたところで、ようやく腕が解かれた。

「きょっ、教授、すいませんギブですギブ」
「ああ、ヒズミ……なんということだろうか。ああ……」

珍しく取り乱している様子のベルティーユに、ヒズミは朗らかに微笑んでみせる。なにも不安がることはない、と諭すような仕種だった。

「今まで、ご迷惑おかけしました」
「迷惑など……、そんなふうに思ったことは一度もないんだ、私は。……ああ……」

饒舌なベルティーユがもどかしそうに言い澱むのを、ジェノスは初めて見たような気がした。ずっと診てきた患者が長期の失踪からようやく帰ってきたのだから、それも無理はない──のだろうか?

「……検査を、したいのだが」
「え? 今からですか?」
「早い方がいい」
「それは間違いないですが……今日はもう、ちょっと疲れちゃいましたね」
「……そうか」
「すみません」
「いや。君が謝る必要はない。明日にしよう……」

気持ち項垂れて額を押さえながら、ベルティーユはソファに戻った。ジェノスが離脱する前にずかずかと乗り込んできた掃除屋の姿は見当たらない。どこかへ消えたあとのようだった。どうやら会議室で一悶着している間に、彼女たちの“内緒話”は終わったようだ。

「部屋を貸そう。すぐ寝床を用意するから、待っていておくれ」
「本部に泊まるのは、危険じゃないですかね」
「子供たちに交代で見張らせるさ。君の“お師匠さん”もどこかで目を光らせているだろうしな。それに今日はジェノス氏もいる。問題ないだろう。なあ?」

ジェノスは間髪入れずに首を縦に振った。ヒズミはいたたまれなさそうに目を泳がせて、白髪の短く刈り上げられた後頭部を掻いている。

「お師匠さんから、どこまで聞きました?」
「あれが気の利いた隠しごとをできる女だと思うか?」
「……よくわかりました」

乾いた笑いを零して、ヒズミは真横に立つジェノスの顔を見上げた。表情を綻ばせたまま視線を合わせてきた彼女に、ジェノスはなんとなく違和感を覚えた。どこが変なのかと訊かれても、答えようはなかったが──彼女と自分との間に、不可視の薄い壁の隔たりがあるような気がしてならなかった。

「では、私は呼んでゲストルームの準備をしてくるよ。ゴーシュとドロワットも呼んでくる。二人はしばらく、ここで寛いでいてくれたまえ」
「私もお手伝いを……」
「構わないよ。君はゆっくりしていておくれ。ジェノス氏も強化装甲を使用した反動で本調子じゃあないそうだし、ここで一緒に休んでいていい。積もる話もあるだろう。……伝えておかねばならないことも、あるだろう」

そう言ってベルティーユは眼鏡のレンズ越しにジェノスを流し見た。冷静な中に隠しきれない憐憫の潜んだ眼差しだった。そんな態度を向けられるようなことをした記憶はない。ますますジェノスの混乱は募るばかりだった。

「そうですね……では、お言葉に甘えます」
「ああ。なにかあったらすぐにコールしてほしい」

ベルティーユが指差したのは、壁に埋め込まれる形で設置された内線用の受話器だった。カラオケボックスなどでよく見るタイプの子機である。

「了解です。お世話になります」

深々と頭を下げたヒズミの肩を励ますように数度ぽんぽんと叩いて、ベルティーユは部屋を出ていった。かくして二人で取り残され、室内に沈黙が落ちる。先に痺れを切らしたのはジェノスの方だった。

「……とりあえず座るか?」
「うん。そうだね」

そういえばジェノスもヒズミもぼんやり突っ立ったままであった。これでは落ち着かない。互いにしっかり腰を据えて、これまでのことを、これからのことを、話し合わねばならない──気を引き締めつつ足を前に出したジェノスだったが、ヒズミが一向にその場から動こうとしなかったので、すぐに歩みを止めた。

「どうした? 具合でも悪いのか」
「……ジェノスくん」

縋りつくような声音だった。力なく垂れ下がった彼女の手は、頼りなく小刻みに痙攣している。

「ごめんね。いろいろと」
「ヒズミ……?」
「こんな私のこと、鬱陶しがらずに、ずっと面倒見てくれてさ」
「……どうしたんだ、ヒズミ」
「私、ジェノスくんがいたから、ここまで頑張ってこれたんだよ。嘘じゃないよ。ジェノスくんは世界一カッコいい男の子で、ジェノスくんより素敵なひとなんていないって、いるわけないって思ってる」

どうやらえらく褒められているようだ。いくら心の機微に鈍いジェノスとて、惚れた相手からの、そんな告白が嬉しくない道理はないけれど──どうしてそうも悲しそうにしているのだろう。

どうしてそうも、泣きそうになりながら。
そんなことを言うのだろう。

「……俺だって、お前より大事なものなんてない」
「……ほんとに?」
「ああ。お前に出逢っていなかったら、俺は……自分の身勝手な汚さと、醜さに潰されて、まともではいられなかった。お前がすべて受け入れて、すべて許してくれたから、今の俺がいるんだ」
「ジェノスくんは汚くないし、醜くもないよ」

そっとヒズミの背中に腕を回して、優しく抱きしめた。彼女の肩口に顔を埋めると、彼女が震えているのが直に伝わってきて、胸のあたりをきつく締めつけられるような感覚に囚われた。

「会いたかった。ずっと……会って、こうしたかった……」
「うん……」

ヒズミも応えるように細い手を伸ばして、ジェノスの首に絡めた。

「ありがとう、ジェノスくん」

涙に濡れかかった侘しげな口調で囁きながら、ヒズミはジェノスの後頭部を撫でる。

「私を助けてくれたのが君でよかった」

髪を掻き分けて奥へ奥へと細い指先を潜らせて、肉づきの薄い掌でしっかりと包み込むようにして、

そして、
その台詞を彼女が口にしたのは、

二度目だった。



「ばいばい」



すべてを掻き消す雑音とともに、青白い火花が散る。

ジェノスの膝が折れて床に頽れた。電流を直に脳髄へ叩き込まれて統御を失いかけ、それでもどうにか抵抗しようとして、必死にもがいているのがわかる。そんな彼の頭を前のめりになって抱えて押さえ込んで、ヒズミはスパークを迸らせ続ける。

「う、う、うううう……っ!」

その痛々しい悲鳴はジェノスではなく、ヒズミの口から漏れたものだった。暴れるジェノスに思いっきり衣服の裾を掴まれたヒズミはバランスを崩し、ふたり絡み合ったまま床に倒れ込む。そのはずみに拘束が緩んで、目が合った。一瞬だけ視線が交錯した。黒く縁取られた金の光彩が、愛するひとを映して揺れている、なんで、どうして、と、独りぼっちで置いていかれた子供のように──

「……ッあああああああああああああああああああ!」

張り裂けんばかりの絶叫が抑えられなかった。喉の奥が焼けるように熱い。胃液が逆流しそうなほど、血反吐が飛散しそうなほど、体の芯が焦がされて気持ち悪い。その痛みを象徴するかのごとくにひときわ甲高くスパークが嘶いて、空間ごと白く塗り潰されて、

──ばちんっ、

と、爆ぜるような音が響いた直後、周囲は一変して静寂に包まれた。ヒズミはなにが起きたのかわからないというふうな呆然とした面持ちで、薄く白煙を立ち上らせて痺れを訴える己の両手と、ぐったり伏せたまま動かないジェノスとを交互に見比べて、薄い唇をわななかせている。

彼の、瞬きを忘れた焦点の合っていない双眸が、まるで生命の備わっていない人形のようで──

そこへ猛烈な勢いで飛び込んできたのはゴーシュとドロワットだった。恐らくヒズミの電撃による高エネルギーの発生に反応したのだろう。彼らは絨毯に力なく座り込んだヒズミと、完全に意識を喪失しているらしいジェノスを認識して、高性能センサーを搭載した無機物の瞳孔を収斂させた。

その気配を察知しても、ヒズミは振り返らなかった。なにも言わず抜け殻のように背中を丸めて、ただじっと想い人の傍らに佇んでいた彼女の表情を、果たして誰も見てはいなかった。