eXtra Youthquake Zone | ナノ





そろそろ夜も明ける頃になり、空が少しずつ白みはじめた。本部の研究室で新兵器の開発に勤しんでいたベルティーユが仮眠から叩き起こされて、ちょうど一時間が経過したことになる。『セント・クラシカル・ネプチューン』号が何者かの狼藉によって爆破され、瀕死の重体で帰ってきたという報せを受け、さすがの彼女も卒倒しそうになったわけだが──彼女にとってそれより重大だったのは、ヒズミの帰還という予想だにしなかった事態だった。

現在プライヴェート・ルームで目覚めの紅茶を飲んでいる彼女の前では、ジェノスが思いつめた表情で壁に寄り掛かって立っている。まんじりともせず俯いて足元を見つめていると思ったら、ちらりと壁掛け時計に目をやって、そしてまた視線を落とす──その繰り返しだった。

「君も座ったらどうだい、ジェノス氏」
「……お気遣いだけ、ありがたく頂戴しておきます」
「落ち着かないのは私もわかるがね、君が気を張ったところでどうにもならないぞ」

突き放すような言い種だったが、決して冷たくはなかった。

「ヒズミだって馬鹿じゃあないんだ。ヴァルゴ氏に連行されるときも、なにやら自信ありげだった。うまいことやるだろう」

ベルティーユとて同じなのである──陸に足をつけた途端に捕縛され、事情聴取のために閉鎖された地下へと連れていかれてしまったヒズミの安否が心配なのは。

「……しかし」
「腹を括りたまえ。それにだな、ヒズミは間違いなく事件の解決に貢献した人物だ、休ませるべきだと食い下がって取り調べに時間制限をこじつけたのは君だろう? それだけで褒められたものだと思うがね」
「そんなもの──ヒズミを護れたとは言えません。奴らは俺の、S級の肩書きに尻込みしただけです。機嫌を損ねられては困ると思ったのでしょう」
「自分に厳しい男なのだね、君は。頭が下がるよ。まあ、こうなってしまっては……あとはもう、なるようにしかならない。ダイスの目が出るのを待つしかないね」

ふくよかな香りを漂わせるアッサムを一口含んで、ベルティーユは息をつく。

「私も詳細を聞きたいところだ。ハイジは疲れ果てて寝てしまっているし、サイタマ氏とシキミはもう家に帰してしまったからね。君しか頼れる情報源がないという、なんとも不甲斐ない状況なんだ」
「トゥイーニィはどこに行ったんですか?」
「トゥイーニィ?」
「……“掃除屋”です」

ああ、と頷いて、ベルティーユはカウチ・ソファの背もたれに深く体重を預けた。

「あれか──あれは今頃、どこぞほっつき歩いているんだろう。そのうち戻ってくるんじゃないか? ……しかし“トゥイーニィ”とは、また随分と似つかわしくないニックネームを名乗ったものだ」
「ヴァルハラ・カンパニーの方針ですよ。偽名で……コードネームで呼び合っているようでしたので」
「なるほどね。あのフレンチメイド・コスチュームのせいだな」
「教授のご友人だそうですが、昔からああなのですか?」
「本人いわく、あれが戦闘服なんだそうだ。コミックの読みすぎだよ」

どこか親しみの籠った苦笑いで言って、ベルティーユは空になったカップをソーサーに戻した。湯気で曇った眼鏡を、ポケットチーフで丁寧に拭き上げていく。いたたまれない沈黙の落ちかけた、繊細な調度品に囲まれた部屋へ──なんと噂の張本人が、あまりにも秀逸なタイミングでやってきた。

ばんっ! と勢いよく扉を開け放ち、凶悪なくらいに上機嫌な満面の笑みで、ふりふりのスカートの裾を大股に揺らしながら踏み込んできたのである。

「いよォ、ラプラス。あいやしばらくゥ!」
「……もう少し上品に入ってこられないのかい?」
「あァ? なんだ? 不満か? テイク・ツーいっとくかァ?」
「結構だよ。久し振りの再会だ。遠慮なく座りたまえ」
「そォさせてもらうぜ」

客人用に設えた二人掛けのソファに、座るどころかごろんと寝転がるという傍若無人っぷりを発揮する掃除屋の彼女だった。ジェノスは呆れてものも言えず、げんなりと肩を落とした。

「なンだ? あのサイボーグ君はどォしちまッたってンだ? カノジョが逮捕されちまッて落ち込んでンのか? おいおい、若けェんだから元気出せよォ。なァ。いっちょオレに乗り換えてみッか? いろいろテクっぽいコト仕込んでやンぜ?」
「黙れ。焼くぞ」

ニヤニヤと下卑たスマイルで迫ってくる色魔に簡潔な単語で拒絶の意を示して、ジェノスはもう何度目ともわからない時刻の確認をした。ほとんど針は動いていない。約束のタイム・リミットまで、まだ十五分ほど残っている。それだけで憂鬱な無力感に苛まれて、いてもたってもいられなくなってくる。

「そンなにヒズミが心配ならよォ、オマエ、近くで待ってりゃいいじゃねェか。暇なンだろ?」
「お前に口出しされる義理はない」
「冷てェこと言うなよ。年上のアドバイスは黙って聞くが吉だぜ。それにだな、オレはラプラスと内緒話に来たンだ」
「内緒話?」

怪訝そうに眉を顰めたのはベルティーユだった。

「オンナ同士の秘密のお喋りさ。だからよォ、オマエ、ちィと席を外せ。空気ってヤツを読んでくれ」
「……………………」
「ジェノス氏、すまないが……」
「……わかった」

疲弊の色濃い声で渋々と承諾して、ジェノスは部屋を出ていった。恐らくそのまま地下へ向かうのだろう。早まった真似をしないようゴーシュかドロワットに尾行させて見張らせようかと考えかけたベルティーユだったが、すんでのところで思い留まった。

かくして二人きりになった室内で、ベルティーユと掃除屋の彼女は相対する。内緒話とは一体なんなのか。
親交を温め直して今後とも何卒よろしくお願いします、なんて質ではない。肘を立てて、掌の上に顎を乗せて、行儀の悪さを余すところなく見せつけながら。

「結構アレな話すッけど、前置きとか必要か?」
「……いいや」
「そォか」

どこまでも謎めいた掃除屋の彼女は──

「そンならいい」

もう既に、笑っていない。

「──地下にいる、囚われのお姫サンのことなンだが」



ヒーロー協会本部の最下階に位置する会議室は、主に重役が外部に漏洩してはならない類の議論を行う際に使用される空間である。記憶に新しいのは、大予言者シババワが自身の逝去に際して遺した「地球がヤバい」発言の対策チームを発足するためS級ヒーローに集合を掛けた、あの会合──それに負けるとも劣らぬ針の筵めいた緊張感が、現在そこには漂っている。

縦に細長い形をした卓に、計十三名の人間が座している。そのほとんど全員が神経質そうな、怒りさえ滲む厳めしい顔つきで、この緊急会議の主役ともいうべき彼女を睨んでいる。

「……貴殿には、訊かなければならないことが山程あるな」

上座を陣取るヴァルゴが、低い声音で彼女に言い放つ。しかし彼女は──“ホワイト・アウト・サイダー”は、いたって平然としていて、まるで堪えた様子がない。敵意が剥き出しの容赦ない視線から、青い瞳を逸らさずにいる。テーブルを挟んでヴァルゴの真正面にあたる位置で、拘束具を填められている。両腕を組んだ姿勢で寝袋のような形状の布を被せられ、更にその上からベルトで厳重に固定されている。両脚も同様だった。腰を下ろす椅子が用意されていたのは、せめてもの温情といったところだろうか。

「ええ。私が知っていることなら、なんでも答えましょう」
「何故あの船に乗っていた?」
「たまたま知り合った裏稼業の女性に弟子入りして、お仕事を手伝ってたんですが、その一環であの船の警備を──ヴァルハラ・カンパニーの助っ人を紹介されました」
「あれが我々ヒーロー協会が開発に絡んでいる船だというのは、当然知っていたはずだな。身柄を確保されるとは思わなかったのか?」
「いえ、とんでもない。ちっとも知りませんでした。あとから聞いてびっくりですよ。お師匠さんも人が悪くて、教えてくれなかったもんで。ひょっとして、グルだったんじゃないです?」
「……白々しくとぼけよって!」

幹部のひとりの、とっくに還暦を過ぎているであろう老翁が憤慨に叫んだ。余裕の態度を崩さないヒズミが腹立たしくて仕方ないようだ。

「馬鹿にするのも、大概にしろ! 貴様の処遇など、ワシらの匙加減ひとつで、どうとでもなるんだぞ!」
「馬鹿にしてるつもりはないんですけどね……」

苦笑するヒズミに構わず、怒髪天を突いている同胞もついでに黙殺して、ヴァルゴは質問を続ける。

「船が爆破された件については、どこまで知っている?」
「あー、なんかホールに脅迫メッセージが置いてあったそうですね。実物は見てませんけど。どっかのテロリスト集団が紛れて乗り込んできてたそうじゃないですか。どうなったんですか? 捕まったんですか?」
「……目下捜査中だ」

積んでいた救命ボートが何艘か消失しており、逃走に使用された可能性が否めないということを、ヒズミに対してヴァルゴは伏せた。協会側が不利になる事実をなるべく部外者に知られたくない──そういう意図だった。

「そうですか。これから大変になりそうですね」
「……………………」

魔女裁判は平行線のまま、残り時間あと十三分を切った。