eXtra Youthquake Zone | ナノ
「あちゃー、こりゃ困ったなあ」
意思を持たぬ殺戮兵器との激戦を制した英雄たちが、救援のタツマキとゾンビマンに合流すべくセレモニー・ホールのある最前の棟へ連れ立って移動していった、その数分後。
船体を真っ二つに別った断裂の前に立って、イサハヤは途方に暮れていた。
稲妻のように不規則な線を描いて走っている罅は、船首側に近い箇所でも数メートルほどの距離が開いている。後方に位置する娯楽施設で寛いでいたのが仇となった。眼前の亀裂の直下にある船底倉庫に仕掛けたダイナマイトから避難しなければならなかったのと、前列のビルは人員が集中しており、関係者の往来が多いためにうっかり出歩いているところを見つかってしまうという可能性を考慮して、船尾サイドの棟を身を潜めるポイントに選んだのだが──どうやら失敗だったようだ。
「ここまで損壊がひどいとは……しまった、もうちょっとしっかり確認しておくんだった……いつもの悪い癖だな。どうしても詰めが甘いんだ、僕は。また彼に“耳に頼りすぎるからそうなるんだ”とかなんとか、しつこくどやされてしまう……」
白皙の美貌を悄然とくたびれさせて、イサハヤは溜め息をついた。後頭部を掻きながら、ぶつぶつと独り言を繰り返している。
「こうなったら『芒塚』か『現川』あたりを呼ぶか……いや、借りを作るのは嫌だなあ。彼らのことだから、どうせあちこち言いふらすに決まってる。それは面白くない。僕にだって意地というものがあるからね。『桟原』は素直な子だから、なんにも言わずに助けてくれるだろうけど……そういう有望株に先輩の格好悪いところを見せるのは、もっと嫌だよねえ。……しょうがない」
汚れひとつ付着していない革靴の爪先で、とんとん、とリズミカルに軽く床を叩いて、
「──跳ぶか」
音もなく腰を低く落としたイサハヤの背後から、
「ちょっとー! そこのあなたー! なにしてるんですかーっ!」
不意に大声が突き刺さった。
振り返ると、そこにいたのは細身の青年だった。成熟しきっていない、まだ幼さを残した雰囲気の、頼りなさげな若者にしか見えなかった。しかし彼の実態はそうでないのを、イサハヤは理解している。
残暑の厳しい時期だというのに厚手のコートを着込み、ファーの温かそうなフードまで被って、スキーの際に履くようなスノーブーツで足元を固めている彼が、凶悪な怪人をも打ち倒しうるA級ヒーロー“しろくま”であることを、イサハヤは知識として備えている。武器や戦法や信条など活動スタイルの詳細は知らないが、それなりの実力者なのは確かだ。
“しろくま”ことトーラスは、イサハヤが今しがた出てきた船楼の、三階の窓から身を乗り出していた。そのまま飛び降りて、観客があれば拍手が起きていたであろう満点の華麗な着地を披露した。しかし彼はそれを自慢げに誇るでもなく、ひたすらぼんやりと眠そうな顔をしている。それが逆に、彼の常人離れした強靱さを雄弁に物語っていた。
「危ないですよ、そこ割れてますから」
「……ええ、そうですね」
そんなのは誰だって見ればわかることだったが、イサハヤは笑って首肯した。
「今、なにが起きているのですか?」
「えーっと……ちょっと、トラブルが発生しまして。あなた、どうしてこんなところにいるんですか?」
「パーティーが退屈だったので、夜風に当たろうと散策していたのです。そうしたら、お恥ずかしいのですが、迷子になってしまいまして。いつの間にか船尾に出てしまったので、戻るところだったのです」
「そうですか。それはそれは、災難でしたね」
トーラスはイサハヤの虚言をまったく疑っていない。心の底から同情しているふうだった。
「大きく揺れたと思ったら、いきなり船が浮かび上がったので、驚きました」
「S級ヒーローのタツマキさんが超能力で持ち上げてくれているんです。僕もまだ詳しいことは聞かされていませんが、船はもうまともに動く状態じゃないでしょうから、このまま港まで飛んでいくんだと思います。我々も他のお客さんたちがいるホールに戻りましょう」
「そうは言いましても……」
イサハヤが語尾を濁しながら視線を足元に落としたのを察して、トーラスは「大丈夫ですよ」と相好を崩した。
「ちょっと待ってくださいね」
「……? はあ……」
前置きをしてから、トーラスは手袋を外すと、亀裂の縁にそっと触れた。数度そこを撫でたかと思うと、掌を押し当てて力を込めた──異変は唐突に訪れた。
めきめきめきっ、と軋むような音を立てながら、彼此を繋ぐ橋が現れた。
「────────!」
イサハヤの顔に頑なに張りついていた笑みが消えた。その代わり、隠しきれない驚愕の色に染まる。月明かりに輝く無色透明の道が完成して、トーラスはよいしょと立ち上がった。
「これでオーケイです。さあ、渡りましょう。滑りますから、足元に気をつけてください」
「滑る……」
「はい。氷ですので」
こともなげに頷くトーラスだったが、イサハヤは嘆息を堪えられなかった。ヒーローの中には自然の摂理を引っ繰り返す異能力を持つ者も少なくないが、実際に目の前で見たのは初めてだった。
「ひょっとして、パーティー会場に設置されていた、あの氷像は……」
「ああ、見てくださったんですね。ありがとうございます。僕が作りました。製作期間およそ三ヶ月の大作です」
「そんなにも?」
「あまり出力が強くないんですよ、本来は。今みたいに周りに水が多い場所だと、なんとなくですけど、気持ち威力が上がるんです。原理はよくわからないですけれど」
「……素晴らしい」
イサハヤの賞賛は嘘偽りのない本音であったが、トーラスは社交辞令と受け取ったらしかった。曖昧に笑って、イサハヤを慎重に誘導しながら橋を進んでいく。
「持って生まれた才能、というものですか」
「あ、いえ……そういうわけでは」
「違うのですか?」
「僕のこれは、人の手で植えつけられた中途半端な能力ですから」
イサハヤは再び目を瞠った。唖然として、愕然として──そして。
じわじわと、彼の瞳に狂喜の火が灯っていく。
「それは──どういう?」
「まあ、いろいろありまして」
「詳しくお聞かせ願えませんか?」
「面白い話じゃないですよ。恨み話になっちゃいます」
適当にはぐらかそうとしたトーラスを、イサハヤは逃さなかった──許さなかった。
もうすぐ彼岸に渡り終えようかというところで足を止めたイサハヤに、トーラスは不思議そうな眼差しを送る。
「どうかされましたか? 忘れ物ですか?」
「強くなりたいと、思いませんか」
真剣な口振りで投げかけられた問いに、トーラスは息を呑んだ。
「……どういう意味ですか?」
「僕はですね、実は生物学者なのです。自慢のように聞こえてしまったら申し訳ありませんが、業界の権威としてこのパーティーに招待される程度の功績を残しています。僕なら、あなたを──あなたの能力を、もっと進化させられるかも知れない。恨み話になる、と仰っていましたね。ひょっとして、あなたは、あなたをそんなふうにした相手を憎んでいるのではないのですか? 復讐したいと思っているのでは、ありませんか?」
「……………………」
「教えていただけませんか、もっと──あなたのことを」
そうすれば僕が、あなたを。
今よりずっと強くしてあげられる。
獲物に毒牙を突き立てんとする蛇のように、イサハヤは獰猛に嗤う。
「……あなた、なんだか堅気じゃなさそうですね。でもやめておいた方がいい。話を聞いたら、それだけで関わり合いたくなくなると思いますよ──あれはそういう組織でした」
「実に興味深い。是非お聞かせください。あなたの斃すべき、敵の名前を」
脅迫めいた台詞にもまったく怯まないイサハヤに、トーラスは諦め半分ながら警戒心を緩めないまま、その名を口にした。
……それは偶然にも、この船に乗り合わせることになったもうひとりの男の因果にも深く根差した名であった。現時点ではまだ、彼らは互いに繋がりがあるという事実を夢にも思わないでいる。しかしながら今この邂逅を境に、その糸は複雑に縺れて、煩雑に絡んで、ありとあらゆるなにもかもを巻き込みながら破滅へと──崩壊へと突き進んでいくことになる。
「あなたは──“進化の家”を、ご存知ですか?」
『セント・クラシカル・ネプチューン』号が港に帰還を果たしたとき、波止場には大量のパトカーや救急車が停まっており、騒ぎを聞きつけた報道関係者たちの車も数えきれないほど集まっていて、混沌とした有様であった。警官が怒鳴りながら道を空けさせている。それでも積極的に追い払おうとしないのは、怪我人がひとりも出なかったというニュースを広めてほしい意図があるからだろう。無闇に情報の開示をシャットアウトして反感を買い、あることないこと言われたり書かれたりするよりは、そちらの方が事態の収束は早い──そういう判断なのだろうとシキミは考えていた。
実際それは正鵠を射ていたのだけれど、なによりマスメディアが欲しがっている恰好のネタが、他にもあった。
船内を駆けずり回るのに必死でシキミは気づいていなかったのだが、船の上空をフリージャーナリスト集団のヘリコプターが飛んでいたらしい。それは奇しくも今夏、海人族がJ市を侵略してきた際、怪獣が市街地を蹂躙するさまを撮影したのと同じ機体だった。船の外装やスペックはインターネットなどでも広く公表していたし、序幕式典自体は極秘でもなんでもなかったので、外部からの撮影を禁止していなかったのだ。防衛省に航空申請を通して許可さえ取っていれば、誰でも自由にカメラを回せる状態だった。
彼らにしてみれば、駄目元のつもりだった。パーティーに招聘され、内部で取材しているプレスの方が有益で実のある記事を出せるに決まっている。ただライトアップされた豪華客船を俯瞰から録画しただけに過ぎないビデオなんて、どこの局も金を出して買ってなどくれないだろう──ヘリに搭乗していたクルーの誰もが、そんなだらけきった気持ちでいた。
──のだけれど。
結果として、彼らは思わぬお宝映像を入手することになった。彼らは望遠レンズのフレームに、ばっちり収めたのだ──あの“ホワイト・アウト・サイダー”が、謎のロボットを一撃のもとに無力化する光景を。
彼らがその一部を先んじて動画サイトに公開したことで、救世主の凱旋は全世界へ爆発的に拡散した。蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。かくしてマスコミ各社が押っ取り刀で集結し、大慌てで生中継の準備を整え、件の彼女が船から降りてくるのを今か今かと待ち構えているのだった。
そして──
一斉にフラッシュが焚かれ、地鳴りのような怒号が沸き起こり、ひとつの大事件が終結する瞬間が訪れる。