eXtra Youthquake Zone | ナノ





ぐらり、と甲板が斜めになった。派手な爆音に次いで、地響きめいた船体の唸り声が連続して聞こえてくる。普通人ならば立っていられないくらいの揺れと傾斜に見舞われて、窓から身を乗り出して数十キロ近いスナイパー・ライフルを担いでいたシキミは、体勢を整える間もなく、そのまま宙に投げ出された。

「──わっ、わあああっ……!」
「シキミ!!」

ハイジが咄嗟に手を伸ばしたが、届かなかった。あわやオープン・デッキの床に激突するかと危ぶまれたシキミの華奢な体は、慌てて跳んできたサイタマの腕の中にすっぽりと収まった。人間離れしたジャンプ力で飛び出してきた彼のお陰で事なきを得た──かと思いきや。

シキミが肩から下げていたポシェットが、その肩紐がするりと抜けて、甲板に落ちた。そして滑り台を降下するように勢いよく転がっていって、縁に建てつけられた柵の隙間から零れて、誰かが追いかける隙もなく、夜闇に包まれた大洋へあっという間にダイブを決行してしまった。

「ああああーっ! あ、あたしのエルメスがーっ!」
「んなこと言ってる場合か! バカ!」

自分の一喝を受けて口を噤みはしたものの、悲痛そうに悲愴そうに瞳を潤ませるシキミはなんともかわいそうで、着地した直後の一瞬サイタマは本気で海に飛び込もうかと考えかけたが、そんな場合じゃないのはさっき己が発した言葉の通りだ。この船になにが起こったのか──事態を解明して、解決するのが最優先だ。

「なんだってんだ、今のは……!」
「簡単な話だ。爆弾がイッたンだろ」
「ば──爆弾だぁ!?」
「恣意なのか、それとも事故なのかは知らねェがな。多分ヴァルハラ・カンパニーのヤツらが積んできた証拠隠滅用のダイナマイトがドカンしやがッたのさ。大方あのロボットがヤラれたのを見て、船を沈める最終手段に出たンだろ」

忌々しげに顔を歪めるトゥイーニィの台詞に、一同は青褪めた。
ただひとりを除いては。

「ジェノスくん」
「……? どうした、ヒズミ」
「ごめんけど、ちょっと退いて」

ヒズミに言われるがまま、ジェノスは抱え込んでいた腕を解いた。彼女が腰を上げて歩いていく先を、遠ざかっていく背中を、不安そうに見つめている。

「ま、待てヒズミ、迂闊に動くのは危険──」
「これくらい大丈夫だよ」

ジェノスへの返事もそこそこに瓦礫の山をさっさと下りていく彼女の人相を、サイタマとシキミはそのとき初めて真正面から見た。さっきまではジェノスが覆い被さる格好で全身を隠していたので、彼が庇うようにしている防護服姿のそいつが女性であることさえもわからなかった──まして行方不明で目下捜索中の、旧知の指名手配犯だったとは。

まったく思いもよらなかった。

二人ともども驚愕に口をあんぐりと開けて、港まで聞こえるのではないかというくらいの声で叫ぶ。

「えええええええええええええええええっ!?」
「な──おまっ、なん、ヒズミ!? なんでお前ここに!?」
「ご無沙汰してます。えーと、まあ、いろいろありまして」

へらへらと笑いながら頭を掻いている白髪の彼女は、紛れもなくヒズミだった。別れ際よりも髪が短く刈り上げられて、あまり面影は残っていなかったけれど、いっそ神郷なくらいに青々と輝く瞳を見間違える道理もない。

「気づかなかった? 先生、さっきこっち見ただろ」
「いや、全然……さっきのロボットに気を取られて……」
「ひっでーなあ。堂々の凱旋が台無しだよ」
「自分で堂々の凱旋とか言うなよ」
「ちょっとした茶目っ気にマジレスしないでおくんなさい」

そして彼女はデッキの隅で呆然としていたヴァルハラ・カンパニーの構成員の男の前に立った。なんだかわからないがとにかく標的にされたらしいことを察して、ひっ、と息を呑んだ彼の頭を、ヒズミは剥き出しの右手で無遠慮に鷲掴みにした。

その掌から白い火花が散って、びくん、と男の肢体が跳ねる。

「がっ──あ──あああ、あっ──」

男の口から唸りとも呻きともつかない声が漏れた。白目を剥いて、唇の端から泡を吹きながら、俎板の上の鯉のように痙攣している彼に、ヒズミは容赦のない問いを突きつける。

「コードネームを教えてください」
「がっ──あ──“トーテムポール”──」
「トーテムポールさん。今の揺れについて説明してください」
「あ、がっ、あああ──あ──」
「……あなたのチームの中で一番偉いひとを、指差してください」

がくがくと震えながら、トーテムポールと名乗った男の腕が糸で操られる人形のようにぎこちなく持ち上がって、離れた場所に倒れていた別の男を指し示した。

「ありがとうございました。おやすみなさい」

ぱっ、とヒズミが手を離した途端、トーテムポールはその場に倒れてしまった。電池が切れた玩具みたいに、ぴくりとも動かなくなる。一部始終を傍で見ていたサイタマは、いっそ不気味といって差し支えない一連のやりとりに、呆気に取られるしかなかった。

「……なに? 今の? なにしたの?」
「んーと、脳内に流れている電気信号に干渉して、強制的に自白させた、みたいな。判断能力を司る器官を麻痺させて、訊かれたことに素直に答えるしかできない状態にすんの」

電圧のチューニングを行うかのように掌を繰り返し開閉させながら、ヒズミはこともなげに言ってのける。

「知らないことには答えようがないから、飛び抜けてすごい技なわけじゃないけど──でもまあ、便利っちゃあ便利だよ」
「記憶を操作したりとかも?」
「できなくはない。ヒトの脳ってのは複雑な構造してるから、かなり大雑把になるけどね」
「どこのメン・イン・ブラックだよ……」

恐ろしい技術を会得して帰ってきたらしいヒズミに、げんなりと憔悴しつつ引いているサイタマに対して、トゥイーニィはどこか誇らしげである。

「すげェだろ? もう怖いモンなしだぜ」
「なんでアンタが嬉しそうなんだ?」
「オレが教えたからだよ」
「教えた?」
「この数ヶ月間で、アイツにゃオレが直々に戦争のイロハを仕込んでやッたのさ。この様子じゃア、お前も知ッてんだろ? ヒズミが有名で有能な“掃除屋”に匿われながら逃げてたッてよ」

トゥイーニィの意味深長な発言にサイタマは首を傾ぎかけて、すぐに思い当った──彼女こそが“掃除屋”なのだと気がついた。彼女が纏っているふざけたコスプレ衣装に信憑性は感じられなかったが、しかし、メイド服──という単語は、どこかで聞いたような気がする。

一体どうしてその有名で有能な“掃除屋”がこの船に乗り合わせていたのか、今までどこでなにをどうやってヒーロー協会の追手から逃げ遂せていたのか、訊きたいことはサイタマにもジェノスにも山程あったけれど。

後回しにせざるを得ないのだった──そんな場合ではないのだった。

そうこうしている間にも『セント・クラシカル・ネプチューン』号は徐々に傾きを増している。気絶しているトリコロール隊の面々が甲板をずるずる滑り落ちそうになるのを、サイタマとシキミがなんとか庇ってはいるが、船そのものが沈むのも時間の問題だった。幽霊船と化す羽目になってしまっては、彼らの労苦も文字通り水の泡である。

「ど……どうしましょう、先生」
「どうしましょうっつったってなあ……」
「オマエ、いっちょ船担いで海の上ェ走って港まで帰れよ」
「そんな無茶なっ!」
「おお、やってみるか?」
「先生も真に受けないでくださいっ!」

サイタマなら本当にそれくらいの芸当をやってのけられそうなところが恐ろしかった。もはやそんな突拍子もない博打くらいしか打つ手はないのか──とシキミが奥歯をきつく噛んだところに。

空の向こうから、ものすごい勢いで飛来してくる気配があった。

「──なんだ……?」

ジェノスが訝しんで目を眇める。夜空に溶け込むようで、輪郭は杳として知れなかったが──“そいつら”はすぐに肉眼でも視認できる距離まで逼迫してきた。ジェノスもサイタマもシキミも一様に言葉を失った。

見覚えのありすぎるシルエットだった。
頑強な鋼鉄の鎧に包まれた、巨大な機械兵が──三体。

まっすぐに、脇目も振らず、こっちへ飛んでくる。

「オイオイ嘘だろ!?」
「そんな……」

シキミが崩れ落ちるように、がっくりと膝をついた。サイタマと二人がかりでやっと撃破できた戦闘用ロボットの新手が、追加で複数やってくるなど──どう足掻いても絶望的だった。

「ひゅう! ヴァルハラ・カンパニーの連中も、なかなか気合い入ってンなァ」

口笛を吹いて軽口を叩いたトゥイーニィを叱咤する気力さえ、もう誰にも残っていなかった。

「そうまでしてこの船をゴースト・シップにしちまいてェのか──難儀な話だぜ」
「くそっ、俺が落としてくるしかねーか……」
「その必要はねェよ、タキシード仮面の兄ちゃん。──ヒズミ!」

再び夜天に飛び出しかけたサイタマを、トゥイーニィが制した。フリル盛りだくさんのスカートの裾を直しながら、彼女はヒズミを振り向いた。トーテムポールから聞き出した情報をもとに、チームのリーダーであるトリコロールの頭をなにやらごちゃごちゃ触っていたヒズミが顔を上げる。きょとんとしている彼女へ、トゥイーニィは立てた親指でくいっとトールの方向を指してみせた。

「手加減いらねェ。ヤッちまえ」
「え? いいんですか?」
「こォなったら、どうせ放っといたって船ァ沈んじまうンだ。遠慮なくブッ壊せ」
「それもそうですね」

得心いったふうに頷いて、ヒズミが動いた。まるで近所のコンビニへ向かうみたいな気軽さでデッキの縁まで歩いていく。ひらりと跳んで、さっきまでの激闘のせいですっかり曲がりくねってしまった落下防止の柵の上に立つ。

「ま、待て、ヒズミ……!」

どうやら臨戦態勢に入ったらしいヒズミを、ジェノスが這う這うの体で止めようと必死に追い縋る。彼の言いたいことは容易に想像がつく──ヒズミは笑って、ゆるゆると首を横に振った。

「大丈夫だよ、ジェノスくん。心配しないで」
「そ……そんなこと」
「あとは私にお任せくださいまし」

籠手の周囲に、スパークの閃光が渦を巻く。高圧電流が火花を散らす。

「俺はッ……お前を守ると決めたんだ! もう二度とお前が傷つかなくていいように、望まない戦いを強いられなくていいように、俺が……!」
「……うん。知ってる。嬉しいと思ってる」

本当に、心の底から嬉しそうに言いながら、しかしヒズミは逃げようとしない。
それどころか──むしろ、ますます決意を強めたふうに口角を上げる。

「だけどね、ジェノスくん」

重ねてきた“特訓”の成果を──黙って見ていてくれとでもいうように。

「すっげえ強くなったんだよ、私」