eXtra Youthquake Zone | ナノ





スコーピオが目を血走らせ、必死の形相で走って向かう先は“トール・シリーズ”を格納していた船底の倉庫である。アドバイザーが独断で動かしたと思われる巨大機械兵──あれがひとたび起動して暴れ出したとなれば、いかに二十万トン級の大型客船『セント・クラシカル・ネプチューン』号といえど、たちまち海の藻屑になってしまうだろう。

いかに犠牲を出さず戦果を収めるかを重視して組み上げられたマシンなので、パイロットが搭乗して操縦する類の設計にはなっていない。最低限の遠隔操作は可能であるものの、その駆動のほとんどは人口知能による自動戦闘システムによるものである。基本的に、いったん戦地に送り出したら敵を殲滅するまで止まらないように造られているのだ。もはや博打といっていい。良くも悪くもトールは“最終兵器”なのだった。

「はあっ、はあっ、……くそっ……!」

毒づきながら搬入用通路の突き当たりに位置する倉庫に転がり込んで、スコーピオは積荷のコンテナによって迷路のように入り組んだ空間を突き進んでいく。彼の足取りに澱みがないのは、アドバイザーに支給したヒーロー協会指定のスーツに忍ばせておいた発信機の反応を追っているからだ。掌サイズのタブレット端末の画面に表示されたアドバイザーの所在を示すポイントは、この広い倉庫の奥まった一角に停滞している。恐らくトールを発進させて、そのまま留まっているのだろう。

脚を縺れさせながら急ぐスコーピオの無線機に、そのとき、通信が入った。インカムの受信スイッチをオンにする。彼の耳に聞こえてきたのは──まさしくアドバイザーことイサハヤの、どこまでも楽天的な、あっけらかんと晴れ晴れした声であった。

「ああ、お疲れ様です、スコーピオ閣下」

その軽佻浮薄さに、スコーピオの額にぴしりと青筋が浮いた。

「貴様ァ……!」
「おや、どうされたので? 具合でもお悪いのですか?」
「自分が一体なにをしたかわかっているのか!」

罵声を浴びせられても、イサハヤは平然とした物言いを崩さなかった。こつん、こつん、こつん──と、妙な音も一緒に届いてくる。イサハヤが受話器を指先で叩いているらしかった。その不規則なリズムに、なぜだか体の奥から苛立ちのような感情が募って、心が落ち着かない。

「もうバレちゃいましたか。いやあ、あなたは本当に頭の回転が速くておいでだ」
「ふざけるな! 今すぐトールを停止させろ!」
「もう手遅れですよ」
「なんだと──」
「今さっき壊されちゃいましたからね」

スコーピオは呆気に取られるほかなかった。
あのトールが──闇社会にその名を轟かすヴァルハラ・カンパニーが威信を懸けて、軍事国家の研究員たちと極秘に協力しながら開発した最新鋭の殺戮人形が、こんな短時間のうちに敗れたというのか?
たかだかヒーロー風情に?

「恐ろしい話ですよ。僕も見ていましたけれど、まさか彼らがあそこまでやるとはね。見立てが甘かったようです。次回の教訓とさせてもらいますよ」
「な……なんということだ……!」

項垂れて頭を抱えるスコーピオ。念入りに敷いておいたレールから計画が大幅に脱線してしまっている現状に卒倒しそうになりながら、それでも彼は発信機の導く方向へと迷わず進んでいく。

「あなたも覚えておくといい。ヒーロー協会は侮れない、ということをね。次こそは負けないように戒めとしてください。まあ、どうせ次なんてないでしょうけれど」
「黙れッ! そもそも貴様が勝手なことをしなければ──」

半ば八つ当たりのように怒鳴りかけて、スコーピオはふと気づく。
なにか──なにかが、おかしくはないだろうか?
喉の奥にへばりつくような違和感があった。頬を伝う冷汗がひどく不快だった。

こつん、こつん、こつん──と、乾いた音が鼓膜の裏に染み込む。

「とりあえず、事後処理のことを考えましょう。船に紛れ込んだゲリラ集団による爆破予告があった──という点は、当初の予定通り、そのように世間に公表します。乗客の安全確保に精一杯で確保には至らなかったが、警備に抜擢されたヴァルハラ・カンパニーの社員は死力を振り絞って“一般市民を無事に港へ帰す”という最たる役目を果たした、ともしっかり付け加えておきますので、ご安心を」

すらすらと台本を読むように謳うイサハヤに、スコーピオはひとつも言葉を返せない。

「しかし残念です。目的は達成できそうですが、いろいろとイレギュラーな事態が多かった。さすがの僕も少し疲れちゃいました。あなたもそうでしょう? 心拍数が上がっているのが、僕には聞こえますよ。嘘だと思ってます? 本当ですよ、僕は人より耳がいいんです。たとえば今あなたが船底の倉庫にいるってこともわかってます。僕の耳には全部が筒抜けなんですよ。あなたが怒り心頭で、我を失って冷静さを欠いた状態で──僕のスーツに隠してあった発信機を頼りに、僕を探しているのもね」

図星を突かれて、ぎくり、とスコーピオの背筋が冷えた。

こつん、こつん、こつん、こつん、こつん──いまだ絶えず、鳴りやまない。

「さて、ここで重要になってくるのは──我々がマッチポンプした架空の爆破予告に、いかにして真実味を持たせるかです。あなたはトールの性能テストも兼ねて、全員が避難して誰もいなくなった船を証拠隠滅のため徹底的に破壊させるつもりだった。そのためにトールを積んできた──船もろとも沈んで構わない、テスト用の試作機を持ち込んだ。そうでしたよね? そうだとして話を進めます。しかしトールは船楼ひとつ倒しただけで、両方とも破壊されてしまった。船を沈没させる術はなくなったわけです。このまま『セント・クラシカル・ネプチューン』号は帰港してしまう。それは困りますよね。苦労して準備してきたプロジェクトが水の泡です」

そこでスコーピオは気づいた。
気づいてしまった。

己の裡で靄のように澱のように吹き溜まっていた、漠然とした不安の正体に。

「僕はね、スコーピオ閣下。こんなこともあろうかと、あなたに黙って用意しておいたものがあるんです。同胞たちが正常に機能しなくなり、トールさえも通用せず、ヒーローたちに無様な完全敗北を喫してしまったときのために、予め安全策を練っておいたんですよ。虚言を隠し通すには──嘘が嘘だと露呈しないようにするには、閣下、どうするのが一番いいと思われますか? まあ、訊くまでもなく、答えは簡単ですよね──」

イサハヤは、トールが破壊される瞬間を“見ていた”と言った。
しかし彼の所在を示す発信機は、倉庫から動いていない。
船底にあたるここから、船楼はおろか甲板の状況など目視できるわけがないのだ。
ということは──
つまり──

「真実にしてしまえば、いいんですよね」

自由研究の成果を発表する小学生みたいに得意げな口振りでイサハヤがそう述べるのと同時に、スコーピオは倉庫の最奥、二体のトールを安置していたエリアに到達した。機体に被せておいた馬鹿でかい防塵シートが、くしゃくしゃに丸まって床に落ちている。その傍らに添えられていたのは──丁寧に畳まれた、ヒーロー協会指定のスーツと。

何十本という小型の制汗スプレーに似た茶色の筒だった。
それらが円を描くように設置され、血のように赤いリボンで括られている。
中央の一本には、黒い管が差し込まれていた。その細長いコードの繋がる先には──特殊な無線信号を受信して発火する類の、起爆装置が埋め込まれている。

「あ……」

スコーピオの顔から、表情が消えた。瞬きさえも忘れて、目の前の光景に釘づけになる。

「僕自身が実際に第三者となることで──真犯人であるヴァルハラ・カンパニーの事実上トップたるあなたさえも知らない敵対勢力となることで、爆破予告は真実味を増します。ヒーローだけでなく、ヴァルハラ・カンパニー側にも少なからぬ犠牲が出たとなれば、猶のことね。もっとも──あなたがそれを裁判所で証言する機会は、残念ながらないのですが」
「…………………………」
「“死人に口なし”──ですよ。閣下」

がくり、とスコーピオはその場に膝をついた。己の誤算が招いた終焉に絶望して──というよりは、肉体そのものが衰弱したかのような頽れ方だった。動こうとしているのに、逃げようとしているのに、体が言うことを聞かない──そんな印象だった。指先が小刻みに痙攣している。イサハヤが手慰みのように受話器を叩き続けているのと同じリズムで、ぴくっ、ぴくっ、と震えている。

「あなたは賢い人でした。その点に関しては誇るべきです。あなたほどの機転と聡明さを持った人材は、なかなか現れるものではありません。大変に口惜しく思います。人類の損失ですよ。しかし今回は、僕の方が一枚上手でした、ということで。すみませんが、大海に潔く散ってください」
「…………………………」

最初から最後まで、イサハヤの最後通牒は平淡だった。それが逆にスコーピオの恐怖を増長させていた。ヒトの皮を被った獣が跋扈する裏の世界を生き抜いてきた彼は誰より知っているのだ──過剰な興奮もなく、大仰な演出もなく、快感に昂揚するでもなく堂々と勝ち誇るでもなく、路傍の石が邪魔だから蹴飛ばすのと大差ない感覚で他人を殺せる人間こそが、もっとも狂っているのだと。

こつん、こつん、こつん、こつん──
その響きが脳髄まで汚染する。鼓膜が破れて血が出そうだった。



「さようなら、哀れな敗軍の将。あなたの死は無駄にはしませんよ。多分ね」



一方的に別れを告げて、イサハヤは無線機のスイッチを切った。彼のいる高級サロンは、ショッピングモールやアミューズメント施設の集合するちょうど船の中央の棟──セレモニー・ホールを擁する先頭の建物と、トールが破壊した船楼を挟む形で聳えるビルディングの五階に位置しており、開放感を演出するための広い窓からはトールとヒーローたちの激闘がよく見えた。

花火を見物するのには、絶好のポジションだった。

腰かけていたロココ調のカウチ・ソファから立ち上がり、イサハヤはサロンを出た。体重を掛けたらそのまま沈んでいきそうな柔らかい絨毯を踏みしめながら、廊下を進んでいく。スキップ一歩手前くらいの、上機嫌に弾んだ足取りだった。いまに鼻唄でも飛び出しそうな雰囲気である。

彼の両手の中で転がされているのは、客室で待機していたときから散々いじくっている、あのルービックキューブである。くるくると目まぐるしく回りながら、カラフルなパズルが着々と出来上がっていく。

「さて、ヒーローさんがたのお手並み拝見といきましょうか」

かちり──と。

イサハヤはいとも容易く、さして感慨深くもなさそうに、ルービックキューブを完成させた──六面すべてが揃ったときにスイッチが入るように設定して内臓された起爆装置の、その封印を解いた。

炸裂音が轟いて、船が大きく傾き、激しく左右に揺れ動く。

それは──倉庫に仕掛けられた大量のダイナマイトが一気に起爆して、船底の三分の一以上をも一瞬のうちに破壊し、そこから怒涛の浸水が始まった合図だった。