eXtra Youthquake Zone | ナノ





両の耳元にそれぞれ手を添えて、まるで交響楽団の演奏にでも聞き入るように陶然と聴覚を研ぎ澄ませながら、雇われ参謀“アドバイザー”ことイサハヤは薄暗い船底の通路を歩いている。

「……ああ、ガーディアン・トールはもうやられちゃったか。呆気なかったなあ……今のはきっと、あのサイボーグの子の攻撃だね。クローディアちゃんには不意打ちでしてやられたようだけれど、腐ってもS級ヒーローってことかな。まったく末恐ろしいよ」

喋っている内容とは裏腹に、彼はとにかく上機嫌だった。

「彼に力を貸したのは“シンデレラ”だね。鳥の群れが嘶くのにも似た純度の高いスパーク音、とても美しかった。芸術と称賛するに相応しい。あの生物学の権威、グレーヴィチ博士が興味を持つのも頷ける。彼女のことも、是非とも飼い慣らしてみたい……でも若い女の子だし、ひとりだと寂しがるかもなあ。サイボーグの子と仲が随分いいようだし、彼を達磨にして、一緒に檻へ入れてあげたら喜ぶかな。ちょっと考えておこう……今はそれより『セント・クラシカル・ネプチューン』号の後始末をつけないと。ガーディアン・トールの退場が思っていたよりも早かった……これは計算外だった」

嬉々として物騒な独り言を呟きながら、イサハヤは足を進めていく。そんな彼が着ているのは、さっきまでのスーツとは違う、白のタキシードだった。彼を一般の乗客と一緒に脱出させるためにスコーピオが用意した、擬装用の衣装である。披露宴に出席する新郎のように晴れやかな出で立ちで、イサハヤは迷うことなく次の目的地へと向かっていく──狭い一本道なので、迷いようもないのだけれど。

「まあでも、あれは名前の通り“守衛”──護りに徹した設計の機体だったからね。本来こういう戦闘のシチュエーションを想定して造られたマシンじゃない……能動的に敵を潰しに行くのには向いてないAIシステムだ。致し方ないよ。こういう場面は──“あっち”の仕事だ」

そいつを起動させたのはガーディアン・トールと同時だったが、いかんせん馬力に大幅な差があるせいで、比較すると立ち上がりが遅い。ゆくゆくは大量生産を目標に据え、いわばチープ・エディションとして開発されたガーディアン・トールとは対照的に、採算もコストも度外視して徹底的な破壊能力のみを追及したハイエンド・モデル──その脅威が目覚めの雄叫びを上げるのが、イサハヤの耳には届いていた。

「というわけで、頑張って出来の悪い弟の仇を取ってくれよ──“ヴィング・トール”」



トールというのは海外の主に北方で浸透している神話に登場する、巨人をも容易く屠りうる怪力を誇る農耕神を指す単語である。頭の中には火打石の欠片が入っているため、性格はひどく短気で横暴とされた。圧倒的な強さで以てすべてを支配した暴君──それこそが現代にもなお語り継がれるトールという存在の肖像である。

なにもかもを灰燼と帰す殺戮の権化。
床の大穴から這い出てジェノスたちの前に現れた、第二のキリング・マシンには──その名を冠するに充分すぎる威圧感があった。

「……マジで?」

眼前に展開された常識を逸脱した光景に、ヒズミはいっそ笑ってしまった。歪んだ口の端から、息が漏れる。

そこに超然と君臨しているのは──ついさっき消し炭にしたロボットを更に一回りも二回りも凶悪にしたデザインの機械人形だった。より頑強に固められた装甲は、分厚いながらも空気抵抗を極限まで減らすために洗練されていて、一筋縄ではいきそうもないのが窺える。左腕に握っているのは、ハンマーのような形状をした武具だった。伝承によればトールは“ミョルニル”と呼ばれる大槌を振るい、数多の敵と戦ったのだという──その武勇伝を象徴する、掲げれば天まで届きそうな凶器を、そいつは軽々と振り回している。

「ジェノスくん、もう一発イッといてよ」
「……そうしたいのは山々だが」

生憎すべてのエネルギーを、先程の一撃に集約してしまった。もう雀の涙ほども余力は残っていない。もはや立って歩くことさえ難しかった。それでもヒズミを庇うようにして、ジェノスは新手の真打ちを──ヴィング・トールを睨みつける。

「動けるヤツを連れて逃げろ、ヒズミ……お前だけでもいい。お前だけは、助かってくれ」
「ジェノスくんは?」
「俺は……こいつを足止めする。命を懸けてでも」

声を絞り出すように呻いて、歯を食いしばりながら動こうとするジェノスに、ヒズミは溜め息をついてその頭をぺしんと叩いた。なにをするんだと憤りを露わに振り返ったジェノスの額を人差し指で突く。それだけで尻餅をついてしまった彼の疲弊ぶりに苦笑いして、ヒズミはよいしょと腰を上げる。

「ちょ──ちょっと待て! どうする気だ、ヒズミ」
「え? いや、どうするもこうするも……私がやるしかないだろ?」
「馬鹿を言うな! 俺の全力の焼却砲でやっと倒せた相手だぞ! お前がまともに戦ったら、どうなるか──」
「まあ、タダじゃ済まないだろうけどさ。でもそんなこと言ってらんないだろ」

ぞんざいな口振りでぼやいて、ヒズミは爪先で足元を、とんとん、と肉体の力加減をチューニングするように叩いた。青々と澄んだ目の瞳孔が開いて、髪が逆立つ。そこから迸る紫電のスパークに、ヴィング・トールが反応した──その巨躯の向きを、ヒズミの立つ方角に固定する。

まさしく一触即発だった。
ヒズミの周囲に渦を巻く高圧電流が弾けようとした──まさにその瞬間だった。



「うっっっわ!? なんだアレ!?」



その場で最も早く、声のした方に注意を向けたのはジェノスだった。棟の一階からデッキに出る扉を押し開けた姿勢で固まっていたのは──サイタマだった。

「──先生ッ!!」
「おっ、ジェノスじゃねーか! やっぱりもう戦ってたんだな、お前!」
「一体は既に倒しました! そいつは二体目です!」
「はあ? こんなのがいくつもうろついてるってのかよ、オイオイたまんねーなあ」

面倒そうに肩を鳴らしながら、しかし彼の目は爛々と輝いている。初めて相対する巨大ロボットという敵に、少なからず期待しているらしかった──そんな彼めがけて、ヴィング・トールが素早く動いた。

「…………っ!」

ヴィング・トールを追って走り出そうとしたヒズミを、ジェノスが後ろから飛びついて押さえ込んだ。ふたり揃って瓦礫の山に倒れ込む。ヒズミの体が硬いアスファルトに激突しないよう身を挺して下敷きになりながら、ジェノスはサイタマが拳を振り翳したのを視界の隅に見た。

ただの一発で、ヴィング・トールの左半身が粉々に砕け散る。思わぬ痛手を食らったヴィング・トールが、巨体を翻してサイタマから飛び退いた──距離を開けて、桁外れの膂力を有しているらしい排除対象を攻略すべく、己が受けた攻撃の解析に移ったようだった。

「なんだ? ……もう終わりか?」

拍子抜けしたサイタマが、すっかり沈黙してしまったヴィング・トールにすたすたと歩み寄る──警戒心など微塵も感じさせない無防備な足取りで近づいてくる彼に、ヴィング・トールは第二撃を開始する。

四つん這いになったかと思うと、背中が翼のように割れた。その空間から出現したのは──大砲だった。

大人が三人くらいなら詰め込めそうな規格の砲口が、真っ直ぐサイタマを捉えている。

「──嘘だろ、」

ぎょっと目を剥いて、サイタマは反射的に上へ跳んだ。発射されたミサイルがサイタマを狙って飛んでいく。壁を蹴って進行方向をずらすことで回避を試みたが、ミサイルも空中で軌道を変えて追ってきた──正確に追尾してきた。

躱すのが困難であることを察したサイタマは、空中でなにやらごそごそとポケットを漁り出した。そこから取り出したものを、迫りくるミサイルに投擲した──ぴっ、と軽く放られただけなのに、すさまじい速度でミサイルの先端に突き刺さった“それ”は、道中の花瓶に活けられていたのを、こんなこともあろうかとサイタマが無断で持ち出してきた、一輪の薔薇だった。

薔薇の弾丸によって炸裂させられたミサイルの爆風に煽られながらも華麗に着地して、サイタマは気障ったらしくジャケットの襟を直しながら、得意げに胸を張っている。

「はっはっは、俺のことはタキシード仮面と呼んでくれ」
「月に代わってお仕置きよ、ッてか──なかなかヤるじゃねェの、兄ちゃん」

物陰から囃し立ててきたトゥイーニィの姿には、ファッションに無頓着なサイタマも驚いたようだった。

「なんだ? この船にはメイドまでいんのか」
「セーラー服の方がよかったかもなァ? シチュエーション的に」
「いや、ていうかお前、こんなとこにいたら危ないぞ」
「ご忠告どォも。安心してイイぜ、オレは戦闘員だからな。まァ、さすがにあんなロボット相手にできねェんで、こォして隠れさせてもらってるが。兄ちゃん腕が立つみてェだし、さっさと片付けてくれや」
「……簡単に言ってくれるな」

そうこうしているうちに、二発目が発射されてしまった。さっきのように上空へ逃げるのも、今からでは間に合いそうになかった──いっそ海に飛び込むか、と本気で考えかけたサイタマを救ったのは、鼓膜を劈く甲高い発砲音だった。

ミサイルがサイタマの鼻先すれすれを掠めて、遥か上空へ昇っていった。そのままぐんぐん上昇していって、米粒くらいにしか視認できなくなったところで弾け飛んだ。花火のように鮮やかな爆炎が、一瞬だけ夜空を明るく彩った。

なにが起きたのか──その答えは。
窓の縁にくっついて身を縮こまらせながら、びくびくと成り行きを見守っていたハイジの隣にあった。

「せんせーっ! ご無事ですかーっ!」

操舵室からダッシュでサイタマを追いかけてきた、シキミだった。

師を気遣う殊勝さはいつもの彼女らしく大変いじらしかったが、華奢な細腕にそれぞれ二対ごつい銃を構えているので、可憐さはない。まったくない。上品なパーティー・ドレスという本来アクションとは無縁であるはずの衣装が、なぜだか恐ろしさを煽っているような気がする。

なにはともあれ──これで役者は揃った。
絶海を漂う船上という孤立無援のステージで、ヒーローたちの最終決戦がいよいよ幕を開ける。