eXtra Youthquake Zone | ナノ





「……ですから、お客様がたへの危険は一切ございません。どうぞご安心していただいて、ごゆるりとお食事、ならびにご歓談を──」
「しかし君、そうは言ったってね、こう揺れられちゃあ落ち着いてワインも飲めやしないよ。どうにかしてくれたまえ」
「申し訳ございません。なるべく早急に、対処いたしますので」
「頼むよ、私はこの『セント・クラシカル・ネプチューン』号のスポンサーを務める会社の取締役でもあるんだ。投資が実を結ぶかどうかは、今回のパーティーが成功するかどうかに懸かっている。せっかく苦労して集めた名立たるゲストの方々に船酔いでもされてしまったら、正式に営業が始まる前から評判はガタ落ちだ。一般庶民にも手の届くリーズナブルな豪華客船による優雅な船旅と銘打って売り出しているのに、安かろう悪かろうと鼻で笑われるような事態になってしまっては、先が危うくなるのだよ。わかるかい? 君」

いかにも偉ぶったカイゼル髭を蓄えた中年男性が苦言を呈しているのは、ヴァルハラ・カンパニー所属の青年“レインコート”だった。今年度から入社したばかりの新人である彼には危険性の少ないセレモニー・ホールの監視が命じられていたのだが、セキュリティ・システムの誤作動により扉が閉鎖されてしまうというアクシデントに見舞われたせいで、とんだ心労の伴う任務になってしまった。

「プレスだって盛大に招聘しているんだからね。下手なことをしでかしたら、すべて世間に筒抜けだ。くれぐれも悪評で誌面を埋められることのないように尽力してくれたまえ」
「それはもう……、重々に承知しております」
「うむ。期待しているよ」

レインコートの肩をぽんぽんと叩いて、どこぞの社長だという彼はパーティーの人混みに溶けていった。本人にしてみれば激励のつもりだったのだろうが、先行きの不透明な状況に置かれて苛立っていたレインコートには逆効果だった──口をへの字に曲げて、小馬鹿にしたふうに鼻を鳴らす。

(期待しているよ、じゃねえっつーんだよ。この狸ジジイめ。ちょっと人より金持ってるからってデカい態度しやがって……)

心中で口に出せない不満を爆発させるレインコート。今しがたの社長だけでなく、招待客や報道陣からも幾度となくさっきの大揺れについての説明を求められている。進路上に巨大な海洋生物の死骸が浮いていて、それが怪人の類という可能性もあったことから衝突を避けるために大きく舵を切らざるを得ず、そのために衝撃があったのだ──と、苦し紛れにでっち上げた理由でそろそろはぐらかすのも限界だった。

レインコートにしたって、ろくに詳細を教えられていないのだ。想定以上に戦闘が激化しており船に多少の損壊が生じているのだと、それくらいの情報しか与えられていない。それで乗客たちを完璧に残り時間ごまかしきれだなんて無茶も甚だしかった──リカバリーが杜撰すぎる。

(もういいだろ、早くロック解除してくれよ……さすがにもうヒーローどもは片付いた頃だろ? あとはとっとと避難して、港に帰って、勝手にヒーロー協会の信用がガタ落ちしてくのを見てりゃいいんじゃねーの? 一体なにしてんだよ。あのバケモノたちが寄って集っても倒せねーようなヤツがいるとは思えねえし)

彼がバケモノと称したのは、船内を駆け回っているヴァルハラ・カンパニーの精鋭部隊の面々である。軍隊に所属していた者、要人の護衛を請け負っていた者、非合法の地下闘技場でファイト・マネーを荒稼ぎしていた者──経歴は十人十色で千差万別だが、共通しているのは全員が戦闘のプロフェッショナルであるという一点に尽きる。

そんな喧嘩屋たちの本気を結集したら、素人にほんのちょっと毛が生えた程度の実力しかないC級やB級のヒーローなんて赤子の手を縊るように叩き伏せられる。常人離れしたA級ヒーローだって数にモノを言わせれば無力化できるはずなのだ。

(ったく、ろくに報告も指示もよこさねーで……俺らに構ってられないほどのトラブルでも起きてるのか? ……まさか、トチ狂ってやがるって噂の、S級クラスが出張ってきたとか……)

頭の隅に浮かんだ突拍子もない考えを、レインコートは「そりゃないか」と軽く笑い飛ばした。しかしそれがまさに正鵠を射ていることを、現時点で彼はまだ知らない。

さらにそのS級に匹敵するレベルの敵性因子が複数、手を取り合ってヴァルハラ・カンパニーの作戦行動を妨害しようとしていることも──そいつらを制圧するために、次世代に起こりうる世界大戦への登用を目的として造られた巨大機械兵が起動していることも、彼は気づいていない。

所詮は末端構成員に過ぎないレインコートが『セント・クラシカル・ネプチューン』号で繰り広げられた大戦争の全貌と、雇用主が仕組んだ架空の爆破予告が招いた結末を聞かされるのは、すべての事態が収束して終息したあとのことになる。そのとき彼が勝利の快感に笑うのか、はたまた敗北の絶望に膝をつくのか──それは神のみぞ知る、そう遠くない未来の話であった。



そして舞台は船舶のちょうど中央──“ガーディアン・トール”の暴挙によって惨憺たる有様と化したデッキの上に戻る。

突き崩された建物の瓦礫が積み重なった丘の上。
淡い月明かりに照らされる──再会劇。

「……………………」
「……………………」
「……………………」
「……あの、なんか言ってくんない?」

沈黙に痺れを切らした“彼女”が、いたたまれなさそうに口を開いた。鉄筋コンクリートの山に頭から突っ込んでおきながら、傷ひとつ負っていない。ほんのわずか、頭に土埃を被っているだけである。

「一時のテンションでダーリンとか言っちゃってクソ恥ずかしいんだからさ。フォローしてよ」
「……ほ、本当に……お前、なのか? ……ヒズミ」

震える声で呼ばれた己の名に、くすぐったそうに頬を綻ばせて、“彼女”は──ヒズミは、にいっ、と笑う。
照れ臭いのを隠す子供のようであり、包み込んで慈しむ大人のようでもある、複雑怪奇な女心を体現してやまないそのどこか蠱惑的な仕種は──紛れもなく、この数ヶ月間ずっと捜し求めていた、愛するひとの温もりだった。

「正真正銘、怪人ビリビリ女のヒズミちゃんですよ。あー、よかった。そろそろ私の顔なんか忘れられてるんじゃないかと思ってたから──」
「そんなわけがあるか!」

かっと頭に血が昇って、思わず大声を張り上げてしまう。いきなり怒鳴りつけられ、へらへらと笑っていた表情をびくっと引き攣らせつつ身を引いたヒズミの腕を掴んで引き寄せて、ジェノスはものすごい剣幕で彼女の至近距離まで詰め寄っていく。

「ちょ、ま、おっふ、ちょっジェノスくん待っ」
「お前のことを考えなかった日なんて一度もない。一分だって、一秒だってお前のことを忘れた瞬間なんてなかった。俺は今日まで、お前のことばかりで、このままお前に会えないで死んでしまうんじゃないかと、胸が張り裂けそうな思いで、あの夜から、ずっと──ずっと、会いたかったんだ……」

そんなことを本当に死にそうな面持ちで、もう離さないとでもいうようにきつく指を絡めながら宣うものだから、さすがにヒズミも赤面してしまう。

「……どこで覚えてくんだよ、そういう台詞……」
「台詞じゃない。本心だ。俺はお前を──」
「わかった、わかったから! 勘弁してくれよ、みんな見てんだから」

見下ろしてみれば、瓦礫の山の麓でトゥイーニィがにやにやと下卑たふうに口角を吊り上げていた。気絶させられていたヴァルハラ・カンパニーのトリコロール隊の面々も続々と目を覚ましていて、突き刺さったカラフルなナイフの痛みに耐えながら、なぜか廃墟の上で寄り添っているジェノスと謎の白髪女を呆然と眺めている。彼ら全員の視線が、白髪女の左腕に装着された見覚えのありすぎる黒い籠手に釘づけになっていた──彼女こそがあの“シンデレラ”の正体であることを察して、驚きを隠せずにいた。

「ひゅう、アッツいですねェ、お二人サン! 熔けちまいそォだよ、こっちまで」

トゥイーニィの野次に、ジェノスは不快そうに眉を顰めた。しかしそれでもヒズミから一向に離れようとしないのが、彼らしいといえた──が、状況がそれを許さなかった。

機体を押し潰していた無数の鉄筋コンクリートの破片を派手に跳ね除けて──ガーディアン・トールが起き上がったのだ。

ヒズミの飛び蹴りによって胴体がクレーターのようにへこんでいて、動作も幾分か鈍くなっているが、致命傷には至っていなかった。頭部にふたつ灯った赤いランプの眼が、ジェノスとヒズミを無機質に睨んでいる。ぎぎぎっ──と不快な音を響かせながら腕を持ち上げて、力任せに叩き潰そうと構えを取る。

「まだ動くのかよ。しぶといなあ」

忌々しげに舌打ちを零して、ヒズミはジェノスの背中側に回った。自分の役目は終わったから──とでもいうふうにどっしり胡坐をかいて、困惑した様子のジェノスに、おどけて親指を立ててみせる。

「そんじゃあ、やっちゃっておくんなさい。お兄さん」
「やっちゃって……って、お前」
「とっくにチャージ完了してるだろ?」

にいっと唇を斜めにして、いっそ挑発じみた口振りでヒズミは言う。
ジェノスは右手の砲口に目を落とす。
今か今かと解き放たれるときを待つエネルギーの躍動を──
充填された熱量が溢れそうになっているのを感じる。

以前フルパワーの焼却砲を解放した、巨大隕石の到来を思い出す。
そういえば──あのときも、助けてくれたのだった。

──彼女が。

どこまでも頼りなくて、怖がりで泣き虫で、放っておいたらふらっと消えてしまいそうなくせに、誰より懸命で誰より聡明で誰より勇敢で、誰より凛として強い彼女が。

あのときも、そして今も、ここにいる。

だから──
怯える必要などない。
怖いものはもう、なにもないのだ。

「ダーリンのカッコいいとこ、見せてくださいよ」

彼女がそう願うなら。
……ハニーがそう強請るなら。
やらねばなるまい、一匹の男として。

ガーディアン・トールが高々と跳躍して、巨体が宙を舞った。大蛇を思わせる靱やかさで振り上げられた腕が、月を隠して甲板に影を落とす。優に十数メートルを超える鋼鉄の塊が飛びかかってくる──その前に、ジェノスは体内のリミッターを解除していた。

的が空中ならば──加減を誤って船を焼いてしまう危惧もない。
飛んで火に入る夏の虫、と、いったところだろうか。

船体を割りそうなほど激しく軋ませながら、夜空に光の帯が伸びた。眩い灼熱のレーザーが、月まで届きそうなほどの勢いで闇を裂いて、黒く染まった海面を朝陽のごとくに照らす。永遠に続くかと思われた轟音と砲撃が徐々に収まって、再びオープン・デッキに静寂が訪れる頃には──もう超合金製の巨大機械兵ガーディアン・トールは、さっきまでそれが存在していたことを証明する術がないほど完膚なきまでに、塵ひとつさえの影も形も残さずにこの世から消滅していた。