eXtra Youthquake Zone | ナノ





「……そっか、それは想定外だなあ。困った困った」

さして困ったふうでもなく、アドバイザーは後頭部を掻いている。彼が歩いているのは、さっきまで寛いでいた客室ではない。もっと雑然とした、紐で括られた積荷のコンテナが犇めきあう、倉庫のような空間である。面積自体はセレモニー・ホールよりも広いのだが、いかんせん物量が多いので、ひどく狭苦しい。照明やエンジン機材の予備も一緒くたに格納されているので、当然といえば当然だった。

「え? ……いや、本当だよ。予測してたアクシデントの範疇を超えてる。まさかヒーロー協会がこんなに早く増援を飛ばしてくるなんて……しかも“彼女”を投入してくるとはね。この船に知り合いでも乗っていたのかな? 噂を聞く限りじゃあ、そんな人情に厚いひとだとは思えないけれど……」

見上げるほどに高く積み上げられた物資が形成する迷路を、アドバイザーはきょろきょろ見渡しながら進んでいく。

「まあ、そうなってしまったものは仕方ないよ。スコーピオ閣下とはさっき楽屋で二言三言ちょっと交わしただけで慌てて帰られちゃったから、どこまで把握してるかわからないけど、次の手を打とう。これで失敗するようなら、もうヴァルハラ・カンパニーに未来はない……この程度の危機を乗り越えられないような組織は、どのみち生き残っていけない」

突き放すようなことを淡々と言いながら、アドバイザーは倉庫の奥へ奥へと歩いていく。そして彼が突き当たったのは──これまでに通りすぎてきたどのコンテナよりも大きい、全貌をシーツに包まれた謎の塊だった。その全長は二十メートルほどだろうか。ほとんど天井に届きそうなサイズである。

「うん? なんだい? ……ああ、まあね。君ひょっとして、今頃やっと気づいたのかい? ……いや、そんなに怒るなよ。ほんの冗談じゃないか。まさかバレるとは思ってなかったから、ちょっとした意趣返しさ。君にも最後まで隠し通すつもりだったよ。僕が本当は──“乗客もヒーローもヴァルハラ・カンパニーも、誰ひとりとして生きて地上に帰すつもりなんてなかった”ってことはね」

一瞬だけ彼の白皙の美貌から笑みが消えて、双眸が猛禽類のごとく酷薄に細められた──“アドバイザー”ではない“イサハヤ”としての本性が現れた。しかしすぐに口の端を緩めて、手の中の機械に目を落とした。

それはテレビゲームのコントローラに似ている。表面にボタンとレバーがこれ見よがしにくっついているので、なにかを操縦するためのものであるのは子供が見ても容易に想像できただろう──なにを動かすための装置なのかは、別にしても。

「……いや、それは言い過ぎかな。僕が“真の依頼主”に命じられたのは実際、ヴァルハラ・カンパニーの監視だけだもの。今回のプロジェクトが成功しそうなら全力で補助しろ、失敗しそうならそうなる前に始末しろ、犠牲者の多少は問わない──そう言いつけられてる。生きて帰すつもりがなかったってことはないけど、生きて帰れなくても別にいいとは考えてる。今のところ五分五分だけど、天秤は少しずつ不利な方向に傾いてきてるね。ぎりぎりまで待ってみるけど、敗軍の長に責任を取らせる準備は進めておかないと」

そして彼は、コントローラの隅でひっそりと息を潜めていたスイッチを──躊躇いなく入れた。
途端にシーツの裏から、強烈なモーター音が響き始める。巨大なマシンが稼働を始めた、その息遣いが──周囲の大気を震わせて、倉庫全体を揺らした。

「……ああ、いい声だ」

陶然とした恍惚の表情を浮かべて、アドバイザーは誰にともなく囁く。その声はエンジンに掻き消されて、誰の耳にも届くことはなかった。高揚のままに彼は腕をばっと振り上げて虚空を指差し、無邪気にはしゃぐ子供のように、その名を嬉々として叫ぶ。

「──“ガーディアン・トール”、いざ発進!」



その振動は、船全体を襲っていた。突如として足場が大地震に見舞われたかのように揺れ、エステやマッサージ店が軒を連ねるスパ・リゾートエリアを操舵室へと全力疾走していたシキミは思わず前につんのめった──が、サイタマがすかさず伸ばした腕にキャッチされて、ことなきを得た。

「大丈夫か? 怪我は?」
「いえ、大丈夫です、ありがとうございます……」
「なんだったんだ? 今のは」
「……まさか、爆発……」

シキミが顔面蒼白で漏らした台詞に、サイタマもぎょっとした。

「おいおいマジかよ、爆弾なんてないんじゃなかったのか?」
「最初に発見したダイナマイト以外にも、本物の爆弾を持ち込んでいたのかも知れません。それが暴発したとか……あんまり考えたくないですけど、もうどこかで計画が頓挫しちゃって、乗客もろとも心中しようとしたとか」
「はあ? ふざけんなよ、そんな自分勝手な集団自殺に付き合わされてたまるかよ! 行くぞ!」
「い、行くってどこに──」
「操舵室の偉いヤツらに訊きゃなんかわかるだろ! 急ぐぞ!」
「わあっ! せ、先生、ちょっと……!」

シキミを横抱きに持ち上げて──いわゆるお姫様抱っこである──サイタマは猛然と走り出した。タキシードの青年がドレスアップした女性を抱いて駆ける画はまたもや大層ドラマチックだったけれど、いかんせんスピードが速すぎて、仮に観客があったとしても誰も目で追えすらしなかっただろう。

憩いの場として用意された吹き抜けのエントランスに入って、芸術的な造りの巨大な噴水を軽やかに飛び越えて、手入れの行き届いた見事な花壇にも一瞥さえくれず通過して、二人はこの大騒動のエンディングへとまっすぐに飛び込んでいくのだった。



トゥイーニィが指の間に挟んでいた三枚の刃を、腕の一振りで投擲した。孔雀の羽根みたいなふざけた色合いの、柄のない玩具めいたナイフが、正確に敵を貫いた──針に糸を通すような精密さで、装備の関節部分、わずか数センチにも満たない隙間に深々と突き刺さった。

「ぎゃああああああっ!」

肉と骨と神経を断ち切られる激痛に絶叫の多重奏が迸った。筋肉を繋ぐ腱にダメージを受けたことで腕の自由が利かなくなり、続けざまにライフルが地面に落ちた。

しかしヴァルハラ・カンパニーとて、その隙を見逃すような素人ではない──場所を変えたスナイパーが、再度トゥイーニィに遠距離狙撃を仕掛ける。脳天に照準を合わせたつもりだったのだが、標的がくるくると激しく踊っているせいで、狙いが外れた──無数のナイフに守られたマント代わりのコートに当たって、トゥイーニィの怒りを煽っただけだった。

「いッてェエって言ってンだろうがああああああッ!」

左脚を軸にして、トゥイーニィが華麗なターンを見せる。回転の勢いを利用して、彼女の左手からナイフが放たれた──二枚。

不本意ながら隅で成り行きを見守る羽目になっていたジェノスだけが、それを理解できた──それがどういう技術なのか、把握することができた。

背中に当たった弾丸の、その衝撃だけで入射角度と射程距離を計算して、スナイパーの位置を割り出したのだ。そしてその弾道とまったく同じ直線に乗せてナイフを投げつけた──口にするだけなら簡単だが、とんでもない芸当である。撃たれるタイミングがわかっているならまだしも、いつどこから飛来してくるのかわからない銃弾の軌道を分析するなど、まず不可能だ。少なくとも、自分にはできない──ジェノスは素直に彼女の底知れない実力を認めざるを得なかった。

ショッキング・ピンクの刃が銃口を縦に割り、蛍光グリーンのもう一枚は狙撃手“ホールデン”のヘルメットを砕いた。破片が目に入ったのか、ホールデンが顔面を押さえて屋上付近のバルコニーでのたうち回っているのが、夜目の利くジェノスには視認できた。

絶対的だった。
絶望的だった。
圧倒的で──決定的だった。

彼女は誇らしげに自身をメイドと名乗った。

屋敷をキレイに守るのが仕事だと宣言した。
楽しい楽しい大掃除の時間だ、と。
どんな面倒事でも立ちどころにイレイズしてデリートしてフォーマットして──
スイープしてしまう請負人だと、断言した。

そんな彼女にこそ相応しい肩書きは──まさしく──

(……“掃除屋”……!)

確証は、なかったけれど。
ジェノスは確信していた。

彼女なら。
彼女くらいの強さがあれば──“ヒーロー協会から追われる指名手配犯を匿い、ほとぼりが冷めるまで逃走の手助けをする”ことくらいは。
間違いなく朝飯前だろう。

数分も経たないうちにトリコロール隊の全員が串刺しになり、文句なしの戦闘不能に落ちぶれて、戦々恐々たるオープン・デッキに己の足で地を踏んでいるのは果たしてトゥイーニィだけとなった。返り血ひとつ浴びず、凛として仁王立ちするその姿は、ジェノスにすら戦慄を覚えさせる風格があった──その理由の大半は、あまり似合っていないメイド服のせいだったけれど。

「……口ほどにもねェな。まァ、なにはともあれ──」

つまらなさそうに言って、トゥイーニィはコートの結び目を解いた。ひたすら目に痛い衣装を潮風に翻しながら──べろり、と獰猛に舌なめずりをする。

「ご馳走様デシタ」