eXtra Youthquake Zone | ナノ





出払っていたクレーシヴァルが戻ってきたのを見て、メリッサのがちがちに強張っていた表情があからさまに緩んだ。

ひとり操舵室に残されて、送り込んだ十数名のヒーローの誰とも連絡がつかず、それを受けたヴァルハラ・カンパニーの警備員たちが「爆弾の調査を打ち切って、所在の知れないヒーローたちの捜索に移る」と言い出したのにも強く反論できず、目まぐるしく変化する状況に置き去りにされ、不安でしょうがない思いをしていたのがバレバレの、とても褒められたものではない態度だったが──クレーシヴァルは責めることもなく、単刀直入に本題を切り出した。

「さっきの通信──あれは確かな情報か?」
「ええ。本部からダイレクトに送られてきた、増援部隊の出動通達だったわ」
「そうか……“あれ”が来るなら、まずこの船が沈むことはないと見ていいな。そうなると、乗客はむしろセレモニー・ホールに固まっておいてもらった方がよさそうだ。船の安全を確保してから、ゆっくり避難してもらう方策に切り替えよう。ヴァルハラ・カンパニーの統轄だとかいう、あの男には伝えたのか?」
「いいえ、まだよ。セキュリティ・システムが誤作動を起こした件で、様子を見てくるとお仲間さんのところに行かれてから、お戻りになっていない」
「わかった。俺が直接その旨を伝えてこよう。お前は引き続き、ここで電話番だ。俺の判断が必要な緊急の報告が入ったら、すぐに連絡をよこせ。いいな」
「えっ? あ、いや、ちょっと──」

言うが早いか、クレーシヴァルは再び操舵室を離脱した。健闘を祈る間もなくまたもや孤独な精神戦を強いられる羽目になったメリッサは、しばし呆然としたのち、ふつふつと湧き上がってきた行き場のない憤りのままに「んもう!」とひとり寂しく地団駄を踏むのだった。



メリッサが受けた“増援部隊の出動通達”は、言うまでもなく専用の衛星回線を利用した極秘の音声通話によるものだった。並の技術や機材では合わせられない周波数に設定されているので、その会話を聞くことができたのはヒーロー協会から支給されている通信端末を持つ者のみである。しかし言い換えてしまえば、その通信端末さえ持っていれば、ヒーロー協会の所属でなくとも電波の傍受はできるということにもなる。

それはたとえば拾得だったり。
それはたとえば強奪だったり。

それは、たとえば──
卑劣な不意打ちによって気絶したヒーローの懐からの、勝手な拝借だったり。

「…………………………」

地上の映画館に引けを取らない巨大なスクリーンと、ずらりと整列した柔らかいクッションの座席が並ぶ劇場で、そいつもまた「人命救助のために追加のヒーローが来る」という連絡をこっそり盗み聴いていた。隣に誰か客があれば迷惑そうに席を変えるであろうくらいに、堂々と脚を開いて座っている。やや背中を丸め、それぞれ膝の上に肘をついて、指を軽く組んでいた。その左側に装着されている、細い体躯と均整が取れているとは思えない仰々しい規格の籠手は、クロックポケット隊との多対一の戦闘を経て、なお健在だった──完全に元の形状に戻っていた。

「…………………………」

そいつ──“シンデレラ”の足元には、いまだ意識を失ったままのヒーローが転がっている。パーティー用の拵えではない黒スーツを着ているところを見るに、B級を牛耳っているフブキ組の一角だろうとシンデレラは当たりをつけていたが、やられてしまったヒーローの素性など今更さして重要なことでもないので、確認はしていない。

「…………………………」

銅像のように身動ぎひとつせず坐していたシンデレラだったが、やがて意を決したふうに立ち上がった。迷いのない足取りで劇場を去り、自らの“仕事”を果たすべく、次なる目的地へと進んでいく──。



ヴァルハラ・カンパニーの目論見を阻止すべく“トゥイーニィ”と操舵室を目指すジェノスは、一等旅客デッキの豪奢な廊下を歩いていた。宝石を鏤めたような美しいシャンデリアの見下ろす先に、ごちゃごちゃと高級そうな絵画やら繊細そうな花瓶やらの装飾品が並んでいて、なんだか落ち着かない。こんなところに泊まったって安息などできそうもない気がするのだが、資産家という人種はこういった行き過ぎた厚遇にこそ優越感を覚え、心を安らがせられるものなのだろうか。

「しッかし、どこ見ても派手な船だなァ。面白くねェ」
「お前が言えた義理か?」
「オレだからこそ言ってンだよ。たかだか背景にキラキラされてみろよ、オレが霞むだろォが。……まァこの程度の調度品じゃア、せいぜいオレの引き立て役だがな」
「……………………」

ヒーロー協会に籍を置いて数ヶ月、売名に命を懸けているレヴェルの同志にも何度か会ったことがあるが、彼女は──トゥイーニィは、彼らとさえ自己顕示欲の桁が違うように感じる。そのナルシストっぷりも含めて、目立ちたがりもここまで到達してしまうと、いっそ病気だ。

(……何者なんだ、こいつは? スコーピオから直々に金で雇われた部外者だというのは聞いたが……)

案の定エレベーターは動いていなかったので、階段で一階まで降りて屋内ラウンジを抜けたところで、オープン・デッキへ出る扉が見えた。

この『セント・クラシカル・ネプチューン』号には合計で五つの船楼が高く聳えており、それらが等間隔に連なっているのだ。それぞれの地上五階をパイプ状の屋根つき通路で結んだ渡り廊下と、今まさにジェノスとトゥイーニィが足を踏み入れたオープン・デッキが、各棟を行ったり来たりする往来経路の役割を果たしている。

眼前に迫っているのが、つい数十分ほど前に飛び出した、操舵室とセレモニー・ホールのある建物である。他の棟に比べると規模自体はいくらか小さいのだが、それでも圧迫感がある──デッキに設置された照明によって下からライトアップされているせいもあるのだろうが、何倍も巨大に錯覚させられる。立ちはだかる白い壁が、まっすぐに夜空を突いていて──

その屋上からこちらを狙うスナイパー・ライフルの銃口を、ジェノスの視覚装置がはっきりと捉えた。

「…………ッッッ!!」

トゥイーニィに注意を呼びかける暇も与えられなかった。

発砲音は聞こえなかった。高性能のサイレンサーで消しているのだろう。ヘルメットで顔を隠した狙撃手によって放たれた弾丸は一直線に宙を裂いて、なんの前触れもなく、なんの前置きもなく、どこまでも無感動に無慈悲に無遠慮に、トゥイーニィの毛皮のコートに突き刺さった。

「──がっ!」

短い悲鳴を引き摺って、トゥイーニィは吹っ飛ばされた。ごろごろと地面を転がって、潜ったばかりのドアに叩きつけられる──しかしジェノスは、もう彼女を見ていない。焼却砲のエネルギーを充填して、離れた位置に隠れている狙撃手に遠隔攻撃をブチ込むべく掌を翳す。乗客は全員セレモニー・ホールでパーティーを楽しんでいるのだから、屋根の一角が焼けて抉れたところで巻き添えを食う者はいないだろう。

鉄をも熔かす高熱の一撃を食らわそうとしたジェノスの真横から、飛びかかってくる影があった。既に見慣れてしまった防護服を着たそいつが、ジェノスを取り押さえようと腕を伸ばしてくる──すかさず回避に移り後ろへ飛び退ったジェノスは、そこでようやく、自分が十数人の警備員たちに取り囲まれていることを知った。

(……迂闊だったな)

トゥイーニィの同胞に対する狼藉が、もう伝わってしまったのか──ジェノスは歯噛みする。頭領のスコーピオを捕縛するべく操舵室へやってくるであろうジェノスとトゥイーニィを返り討ちにすべく、ここで待ち伏せていたのだ。

「大人しくしろ。妙な真似をしたら、即座に撃つ」

カラシニコフを構えた男の一人が、テンプレートな脅し文句を突きつけてきた。正直サイボーグであるジェノスが鉛弾を撃ち込まれたところで痛くも痒くもないのだが、それくらいのことは連中だって理解しているはずだ。なんらかの妙な細工がされているに違いない──油断はできない。

「貴様ら──ありもしない架空の爆破予告などと、そんな馬鹿げた嘘をつき通せると思っているのか?」
「……ふん、やはり気づいていたか。さすがにS級ともなると、それなりに頭が切れるようだな」
「諦めて降伏しろ。その方が身のためだぞ。貴様らの計画は既に破綻しているんだ」

臆するどころか逆に威圧してきたジェノスに、男たちのうち何人かは怯んだようだった。しかし最初にジェノスへ脅迫を口にした“トリコロール”は、まったく動じた様子がない。どうやら彼がこの軍勢のリーダーで、作戦の指揮を執っているらしい。

「仮にそうだとしても……いや、そうだとしたら、なおさら引き退がるわけにはいかん。中途半端に放棄しておめおめ逃げ帰るなど、許されることではない。それは陥落を意味する。ヴァルハラ・カンパニーは組織としての体を保てなくなり、瓦解するだろう。構成員である我々もただでは済むまい。もはや途中下車は不可能なのだ。最期まで我々は戦い続けよう。それに──ここでお前を黙らせてしまえば、事実を知る人間は確実にひとり減る。あの協会の女が我々の自由行動をまだ禁じていないことを見るに、爆破予告が虚偽であるのは浸透していないのだろう? お前が余計な告げ口をしなければ、まだ我々にチャンスはある」
「やれるのか? 一介の警備員風情が、俺を止められるとでも?」
「さあな。やってみなければ、わからんだろう!」

トリコロールの啖呵を受けて、男たちが一斉に臨戦態勢に入った。ぎしっ、と空気が重苦しく強張る。ジェノスも腰を低く落とし、体を構成するパーツの隅々まで信号を行き巡らせて、かくして大混戦の火蓋が切って落とされる──

かと──思われた。

「いッッッ──てえええええええええええなァア!!」

星空を引き裂くような、咆哮。
ジェノスが肩越しに背後を振り返る。額に青筋を立てたトゥイーニィが立っていた。

「よくも! よくもテメエらッ! オレを撃ちやがッたなァ! この野郎! よくも……ド腐れの三下どもの分際でオレを……クソがァ! 調子に乗りやがッてえええええええッ!」

堰が切れたように吠え立てるトゥイーニィに、ジェノスのみでなく、ヴァルハラ・カンパニーの者たちも呆気に取られていた──彼女にスナイパーの射った凶弾が寸分の狂いもなくジャスト・ミートしたのは、誰もが目撃していたのだ。大型動物の狩猟にも用いられる、大口径の銃弾だったはずなのに──かなり距離があったとはいえ、そんなものを食らって普通人が生きていられるわけがないのに──いきなり混乱の極地に放り投げられた面々の前に、トゥイーニィは大股でのしのしと立ち塞がった。

信じられない光景を目の当たりにして、さすがのジェノスも動揺を隠しきれていない。

「お、おい、大丈夫なのか、お前」
「オレがやる」
「は?」
「コイツらはオレがやるって言ったンだよ! ポンコツはすッこんでろ!」
「なっ──んだと……?」

あまりの暴言にうっかりカチンときたジェノスが売り言葉に買い言葉で反論しかけたのに目もくれず、トゥイーニィはコートの前を留めるボタンに手を掛けた。こんなもの外す時間も勿体ないといわんばかりに、ぶちぶちっ、と乱暴に引き千切ってしまう。そうして足首まで隠していたマーブル模様のコートを脱ぎ去って──獣のように尖った犬歯を剥き出しにして、凄絶に笑う。

「……やっぱオレは、この恰好が一番しっくりくらァ」

そう嘯いて、トゥイーニィはコートの袖を胸の前で結んで、マントのように羽織った。その内側にびっしりと貼りついているのは、コートの柄に負けず劣らず色とりどりの金属片だった。隙間なく敷き詰められたそれらはまるで鱗のようである。ひとつひとつが縁を鋭く研がれていて、触れただけで切れてしまいそうな危うさを醸し出しながら光っている。あれが盾になって、さっきの銃弾を防いだのだ──遠い世界の出来事のように、ぼんやりとジェノスは納得した。

そんなことよりも──衝撃だったのは。
彼女がコートの下に着ていた、その衣装である。

カジノで初見したときから奇特な女だと思ってはいたけれど、内心コスプレ趣味でもあるのかと馬鹿にしていたけれど、彼女はさらにその斜め上をジェット気流ばりの勢いで飛んできた。
飛んできて──度肝を抜いてきた。

──コスプレ趣味。
悪意に満ちたジェノスのそんな揶揄は、予想外なことに、まさしくその通りだった。近年サブカルチャー・コンテンツの劇的な成長とともに社会に普及し、街中でも見かけることのある、その出で立ち。

黒と白のエプロン・ドレス。
過剰なほどに、レースとフリルがあしらわれている。
スカートの丈は、膝よりも少し上くらいか。

アンドロイドの双子がいつも着用しているゴシック・ロリータを連想させる、その奇抜で奇矯なファッションは──巷では俗に、こう呼ばれている。

「……メイド服だと……?」

唖然と呟いたジェノスに振り向きもせず、トゥイーニィはコートにへばりつけていた原色の金属片を──取っ手のない極めてデンジャラスな刃物を、まるで手札からトランプを取るような気軽さで指の間に挟んで引き抜いた。両腕を体の前でクロスさせて、独特なポージングを取る。

「こいつがオレの本業だ」
「本業……」
「メイドの仕事は、屋敷をキレイに守ることだろ?」

キレイに──
守る。
クリーンに保つ。
あらゆる汚れを駆除して。
あらゆる穢れを駆逐して。

健全な暮らしを維持するため。
安全な住まいを提供するため。
跡形もなく、主人に仇成す害虫を一匹残らず払う。
それこそが、メイドの果たすべき仕事で。

──“掃除屋”の、本分──

「さァて、楽しい楽しい大掃除の時間だぜ」

不敵に頬を歪めたまま、トゥイーニィは高らかに叫ぶ。

「覚悟しやがれ──テメエらまとめて、海に不法投棄してやッからな!」