eXtra Youthquake Zone | ナノ





トーラスと予期せぬ合流を果たし、事実上の対策陣営と相成った操舵室へ戻る最中だったサイタマとシキミは、トーラスの応援に駆けつける予定だったヴァルハラ・カンパニーの“ボストン”隊と鉢合った。事情を説明し、ともに次の作戦に移行するべく足並みを揃えた──と思ったのも束の間。

人気のないテラスを横切ろうと外に出た途端、ボストン隊の矛先が一斉にサイタマたちに向いた。

高らかなファンファーレのように、銃声が夜天に溶ける──降り注ぐ弾雨に、シキミはさすがの反応を見せた。咄嗟に跳んで、近くのテーブルを押し倒して盾にしたのだ。無慈悲な掃射によって金属製のテーブルが激しく揺れるのを背中に感じつつ、メリッサから借り受けた協会支給のピストルの安全装置を外す。しかし──彼女の掌中で臨戦態勢を整えたグロックが火を噴くことはなかった。

「なんだ、こいつら。いきなり撃ってきやがって」

ぴたりと衝撃が止んだと思ったら、不審そうなサイタマの声が聞こえてきた。こっそり覗いてみれば、木で組まれたテラスの床に折り重なるように転がされたボストン隊の面々の脇に、顔色ひとつ変えず、傷ひとつ負わず立っているサイタマの姿があった。辺りに立ち込めていた硝煙が、潮風に流されて、あっという間に消えた。

「……これ、先生が?」
「おう。とりあえず倒しちまったけど、よかったんだよな? 大丈夫だよな?」
「大丈夫だと……思いますけど……」

誰がどう見たって先に仕掛けてきたのはあちらなのだから、これは紛れもなく正当防衛だ。とやかく言われる筋合いはない。グロックを下げて、そこでシキミはもう一人の連れが見当たらないことに思い至る。

「あっ──先生っ、トーラスさんは!?」
「そこで引っ繰り返ってるぞ」

サイタマが指差した先に、テーブルやら椅子やらがぐちゃぐちゃになった山があった。その隙間から「誰かー! 誰か助けてー!」というくぐもった声と、冷蔵庫を開けたときみたいな冷気の風が漏れている。どうやら無事のようだ。シキミは安堵に脱力して、生き埋めになった彼を救出するべく腰を上げた。サイタマと協力して瓦礫撤去に勤しみつつ、シキミは状況を整理しようと頭を働かせる。

「この人たち、どうしてあたしたちを攻撃するような真似を……先生、お怪我ありませんか?」
「いや、平気だよ。何発か食らったけど」
「ええっ!」

思わぬサイタマの報告に、シキミは持ち上げていた椅子を落とした。ぐえっ! とトーラスの悲鳴が聞こえたが、それどころではなかった。

「く──食らったって! 撃たれたってことですか!?」
「だから大丈夫だって。あいつらが撃ってきたの、コレだからな」

そう言って、サイタマは指先でつまんだ小さな塊をシキミに見せた。それは貫通力など持たない、主に対象を無傷で捕縛するために使用されるゴム弾だった──シキミは驚きに目を見開く。

「えっ……」
「殺すつもりはなかったってことだろ。俺たちを気絶させて、捕まえようとしたんじゃねーの? ……よっと」

テーブルを蹴飛ばして、ようやく現れたトーラスの首根っこを掴んで引っ張り上げるサイタマ。こともなげに言っているが、殺傷能力が低いとはいえ、ゴム弾だってれっきとした凶器である。防弾チョッキでも着ているなら話は別だが、ほとんど生身でそんなものを当てられたら、痛いじゃ済まないはずなのだ。それなのに一個の痣も作らず平然としているサイタマの頑強さに、改めてシキミは舌を巻く。

「ありがとうございます。あー、びっくりしたあ」
「大丈夫か? なんだってそんなコントみたいな状態になってんだ、お前」
「いやあ、慌てて逃げようと思ったら、足が縺れてテーブルに突っ込んじゃって。ヤバいと思って必死で暴れてたら、いつの間にかあんなことに」
「お前ヒーロー辞めて、リアクション芸人とかになったらいいんじゃないか?」

一仕事を終えて、両掌を払うように軽く叩きながら、サイタマは途方に暮れた顔で溜め息をつく。

「さて……これからどうすっかな」
「……たぶん、ヴァルハラ・カンパニーが爆破予告の黒幕なんでしょうね」
「え?」
「ハイジさんが言っていたように、一連の騒ぎが内部関係者による仕業なんだとして──今のヴァルハラ・カンパニーによる襲撃と照らし合わせると、そう考えるのが一番、辻褄が合います。そのために邪魔なヒーローたちを、闇討ちで倒してしまおうとしていたのではないかと」

シキミの弁に、トーラスもふんふんと顎に手を当てて頷いている。

「なるほどね。僕もおかしいとは思ってたんですよ。なにかを要求してくるでもなく、ただ船を沈没させたいだけなら、こんな遠回しなことしなくたっていいですからね。さっさとダイナマイトでもなんでも爆発させて、目的を果たせばいいんですよ。僕らヒーローが大慌てしてるところを見物して笑い者にしたいってなら、それはそれですけれど」
「お前、なかなかブラックなことサラッと言うな……」
「でも実際、トーラスさんの仰る通りですよ。ヴァルハラ・カンパニーは、グレーヴィチ研究所での失態のせいで窮地に立たされていた……その原因の一端は、ヒーロー協会にもあります。その仕返しのつもりなんじゃないでしょうか」
「なんだそれ。馬鹿じゃねーの?」

トーラスに負けず劣らず、サイタマもストレートに辛辣だった。

「自分たちも乗ってる船をドカンしてどうすんだよ。一緒に死ぬじゃん」
「はい。ですからきっと、あの爆破予告は作り話です」
「えええ?」
「ありもしない爆弾であたしたちをてんてこ舞いさせた挙句ボコボコにして、世間に「お前らが信頼しているヒーローってのは所詮いざというとき使い物にならないんだぜ」って言いふらしたいんじゃないですかね」
「それにしたって結局、どこにも犯人はいないってことになるじゃねーか。まさか自分たちが嘘の爆破予告をしましたなんて公表するわけないだろ?」
「そんなの、逃げられたことにしてしまえばいいですよ。適当に「罪のない招待客を守るのと、弱っちくてダメダメだったヒーローの尻拭いをするのに精一杯で、犯人グループの確保には至らなかった」とかなんとか言ってね。僕ならそうします。それでも最低限の威厳は保てますからね。そしてなにより──」
「にっくきヒーロー協会に煮え湯を飲ますことができるんですよ、先生」

トーラスとシキミの解説に、サイタマは腕をこまねいて、難しそうに眉尻を下げている。理解はできても、納得はできない──そんな表情だった。

「わっかんねーなあ。そこまでするか?」
「面子とプライドがなにより大事っていう世界ですからね。ともあれ──早くメリッサさんたちに今の襲撃を報告しないといけません。船内に散っている他のヒーローたちも、あたしたちみたいに騙し討ちされている可能性が非常に高いです。戦力を削がれる前に、対策を練らないと」
「僕はこのまま、船内を回ります。不利な戦いを強いられているヒーローがいるなら、手を貸さないと」

トーラスの言っていることは頼もしいが、ぼんやりした口調なので、いささか不安が残る。さっきの生き埋めパニック事件のこともあり、サイタマはいまいち彼を信用しきれていなかった。

「本当にお前に任せていいの? 俺も行こうか?」
「心配は無用です。僕だってA級の端くれですからね」

ぐっと拳を握り、ガッツポーズめいた仕種で気合いをアピールするトーラスだったが、どうにも着膨れして全体的にもこもこしたシルエットなので、迫力など微塵もない。しかしそんなことを押し問答している時間はない。本人がやると言っているのだから、その気概に委ねるしかないだろう。

「ああ、そう……そんじゃあ、よろしく頼むわ」
「よろしく頼まれます」
「用が済んだら、俺たちも行くから」
「気をつけてくださいね」
「お前もな」

挨拶もそこそこにトーラスと別れ、サイタマとシキミは走り出した。脇目も振らず、ぬるい潮風に晒されているボストン隊を荒れ果てたテラスに放置したまま、カーペットの敷かれた廊下を駆け抜けていく彼らの姿は、さっきの茶番よりもずっと映画のワンシーンらしく映えていた。



その頃ホーム・ベース──操舵室では、客室に“アドバイザー”を残したまま移動してきたスコーピオが、船内の見取図を眺めながら次の一手を模索していた。隣には協会サイドに属するメリッサもいるが、彼女が本来こういう指揮系統に就くべき立場でないのは察しがついている。自分たちに都合のいい形になるような案をもっともらしい言い分で最善策だと提示すれば、簡単に丸め込んでしまえるだろう。

(順調にヒーローたちを無力化できてはいるが、連絡のつかなくなったチームもいくつかある……反撃を受けて返り討ちに遭ったと考えるのが妥当だろう。そいつらが戻ってくる前に阻止するために、追加で別働隊を送り込んでいるが、用心しておいた方がいいな──闇討ちの報告が上がってきたとしても、謎のゲリラ集団がヴァルハラ・カンパニーを襲い、恐らく我々を混乱させるために装備を奪ってなりすましている、とでも言っておけば、あとはどうとでもなる。ヴァルハラ・カンパニー側にも被害が出ていることを利用するんだ)

涼しい顔を装ってはいるが、スコーピオの心中は穏やかでない。むしろ殺伐としていた。この計画を成功させるためには、ひとつの取り零しも許されないのだ。並々ならぬプレッシャーに押し潰されそうになりながら、それでもスコーピオは意地だけで司令塔の役目を全うしている。

(さっきクロックポケット隊の無線から“トゥイーニィ”と“シンデレラ”が裏切ったという息も絶え絶えの連絡もあった──あいつらを制御できなかったのは誤算だが、せいぜい引っ掻き回してくれればいい。第三勢力の存在を臭わせるには、その方が都合がいいからな。いざとなったら現時点でまだ生き残っている戦力を総動員すれば、黙らせられない相手じゃないはずだ。ぎりぎりまで泳がせておく)

刻々と変化していく状況を脳内で更新しながら、スコーピオは奥歯を噛む。
分水嶺の見極めを誤ってはならない。

最終手段として用意した“奥の手”を投下すべきタイミングが訪れたなら、見逃してはならないのだ。

(アドバイザーには予め通達しているが──できれば“あれ”は動かしたくない。少なからず船を破損させてしまうだろうからな……我々が全力を尽くしても敵わないようなヒーローでも乗り合わせているというのなら致し方ないが、恐らく協会サイドの最大戦力であろうあのS級サイボーグとて、我々ならば鎮圧できるはずだ)

このとき、スコーピオはまだ知らない──そのS級サイボーグが唯一無二の師と仰ぐ史上最強の男が、この操舵室に向かってきていることを。

誰の手にも負えない、誰も牙さえ立てられない、本気を出せばいっそこんな船くらい片手で持ち上げて海上を走って港まで帰れるかも知れないレベルの、とんでもないヒーローが存在していることを。

錯綜する各々の思惑を乗せて、大争乱の豪華客船『セント・クラシカル・ネプチューン』号は、先の見えない航海を続けている。