eXtra Youthquake Zone | ナノ





「──動くなッ! そこで止まれッ!」

大口径のカラシニコフを構えた“オパール”の鋭い大声が、照明を落とされ薄暗闇に閉ざされたショッピング・モールに反響した。彼が引き連れている部下たちも、同じようにライフルの銃口を標的に向けている──こちらに背中を見せて、ふらふらと歩いていた彼女にすぐさま発砲できるよう、引鉄に指を掛けている。

「…………………………」
「手を挙げろ」
「…………………………」
「おい、聞こえなかったのかッ! 手を挙げろと言ったんだ──この反逆者め!」

腹の底から湧き上がる怒りに震えているらしいオパールの再三の警告に、彼女はようやく従った。しかし怯んだとか竦んだとかいう様子はない──やれやれ、といわんばかりに、面倒くさそうに両手を頭の横くらいの高さまで持ち上げた。

「貴様の“付き人”が尻尾を現したとクロックポケット隊から連絡があった。任務を妨害してきたので、さっき戦闘に入ったそうだ。……貴様ら一体、どういうつもりだ? まさか最初から裏切るつもりで潜入してきたのか?」
「……………………」

彼女は応えない。なにも言わず、ただ──美しさを誇示する孔雀のようにド派手な後ろ姿を、無防備に晒している。

「我々も貴様の実力は知っているんだ。悪名の数々も含めてな。貴重な戦力だと認識している。ここで貴様を付き人ともども蜂の巣にしてやりたいのは山々だが、貴様を今回のメンバーに組み込んだスコーピオ様の顔を立てて、もう一度だけチャンスをやろうというのが我々ヴァルハラ・カンパニー戦闘員の総意だ。相応の報酬だって用意しているんだ、きっちり働いてもらうぞ」

もはや脅迫ともいうべきオパールの要求に、彼女はゆっくりと振り向いた。カラフルな服装に引けを取らない原色の化粧に飾られた、モデルばりの美貌がお目見えする。瞬きの度に風が起きそうな睫毛に縁取られた切れ長の双眸が、きゅっと不敵に細められた。たったそれだけで、百戦錬磨の戦士であるオパールたちは、無様なくらいに気圧されてしまう。

「そんなこと言ってッから、いつまでも二流なんだよ、テメエら」

煌びやかな外見にはひどく不釣り合いな、品のない男勝りの口調で吐き捨てて、彼女の唇が弧を描く。

「なん──だと?」
「どいつもこいつも平和ボケしやがッてよォ。裏切り者だとわかってて懐柔しようってなァ、一体どういう了見なンだ? そもそも金で他人をどうにかしようってとこが浅ましいンだよ。資本主義に毒されやがッて」
「……貴様、今の状況をわかっているのか?」

あからさまな彼女の挑発に、オパールは呆れ返っていた。命知らずなんて次元ではない。一個小隊から機関銃を向けられて、威されているというのに、この余裕はなんなのだ。

「ここで貴様を撃ち殺して、海に捨てたっていいんだぞ?」
「はん、ヤれるもんならヤってみろよ。ま、どォせ無理だろうけどな」
「あまり舐めるなよ。ここにいる全員が、両の指じゃ足りないくらいには人を殺したことがあるんだ」
「そんな自慢はいーんだよ、くッだらねェ。せっかく盛り上がってんのが白けッからやめろ。大体──オレが言ってンのはよ、そんなつまらん話じゃあねェんだ」

含みありげな彼女の言い種に、オパールはヘルメットの下で眉を顰めた──どういう意味だ、と問い質す前に。
戦況は一変することになる。

がしゃん! と──なにかが豪快に割れるような音が、細かな硝子の破片とともに頭上から降ってきた。オパールが反射的に顔を上げる。開放感を演出するための天窓が砕かれて、夜空が一望できる吹き抜けになっていた。その窓枠に足を掛けて、中空に浮かぶ月を背負って立っていたのは──

「仲間割れでもしているのか?」

タキシードのジャケットとベストを捨て、シャツの袖を肩まで捲り上げ、皓々と瞬く星明かりに両腕の金属質な輝きを滲ませるジェノスだった。

「な──貴様は……!」
「詳しくは俺の知ったことじゃないが──女一人に寄って集ってそんな物騒なものを突きつけるのは、少し見苦しいんじゃないのか?」

サイタマたちと別れ、単独で船内の捜索に当たりながら船楼の屋根の上を移動していた彼だったのだが──センサーに不審な反応を感知したので足元を確認してみたら、この現場に遭遇したという顛末だ。普段のドライな彼ならばどうでもいいとスルーするところだが、事態が事態だけに、看過するのは得策ではない。ハイジの観察眼によって爆破予告が内部関係者による犯行だと判明した以上、些細なトラブルも見逃すわけにはいかないのだ。

まして謎多きヴァルハラ・カンパニーが、なにかを裡に隠している可能性があるというのなら──猶のこと。

「そこでなにをしているのか、聞かせてもらおうか」
「──くっ!」

オパール隊のひとり“キャンパス”が呻いて、反射的にジェノスへ銃口を移した──が、そんな素人に毛が生えた程度の反応に後れを取るジェノスではない。彼がトリガーを引くよりも迅く、ジェノスは跳躍している。片脚一本で着地して、その反動さえ利用して、目にも留まらぬ速度で飛びかかった。鋼鉄の掌底が叩き込まれて、ヘルメットを砕け散らしながら、キャンパスは昏倒した。

次いで迎撃態勢を取った男たちを、ジェノスは容赦なく叩きのめしていく。仕立てのいいシャツに汚れひとつ付着させることなく、一分も経たぬうちにオパール隊の全員を地に這い蹲らせて、その場に立っているのはジェノスと──妖しげな笑みを湛えながら、ひらひらと毛皮のコートの裾を翻す彼女だけだった。

かろうじて意識を保っていたオパールが、ぐぐっ、と唸りながら彼女を見上げて睨む。殺意さえ滲んだ鬼の形相を受けても、彼女はニヤニヤと口角を吊り上げたままで、堪えた様子がない。

「おのれ……“トゥイーニィ”……!」
「だから言ったろ? どォせ無理だってよ」

ハスキーな声で己の言を繰り返して、彼女はピンヒールの踵でオパールの鳩尾を踏みつけた。的確に急所を圧迫されたことで、オパールはやっとの思いで繋いでいた意識を断ち切られた──がくり、と気絶した。

「……“シンデレラ”じゃなかったのか? お前」

意表を突かれたジェノスが訊ねる。彼女は最初「あ?」と怪訝そうに片眉を上げたが、ややあって彼の真意に気づくと、得心いったふうに頭を振った。

「あァ、違う違う。シンデレラはオレにくっついてた方のヤツだよ。見てねェか? 左腕にごッつい籠手つけたアイツ。オレはここじゃ“トゥイーニィ”って呼ばれてんだ」
「“トゥイーニィ”──」

それは特定の家に仕える召し使いを意味する単語である。ハウス・メイドとキッチン・メイドの両方を兼務する女性のことを指し、その仕事量の多さは激烈を極めるという──要するに薄給の下働きだ。

「……………………」
「似つかわしくねェ名前だって思ってんな?」
「そう思わないヤツがいるか? お前の恰好を見て」
「ははッ、正直でいいじゃあねェか。お前みてェに素直なクソガキ、オレは好きだぜ」

からからと笑って、トゥイーニィというらしい彼女は「さァて」と仕切り直した。

「こんなとこでくッちゃべってる場合じゃねェな。豪華客船で若い男前を口説いてアツぅい一夜を過ごすのァ、後回しだ──早いとこアタマをシメに行かねェと」
「やはりこの爆破予告は、お前たちヴァルハラ・カンパニーのマッチポンプだったんだな」
「なンだ、気がついてたのか? ケッ、あんだけ大層に下準備しといて、こうも簡単にバレてちゃあ世話ねェや」

その事実へ辿り着くに至ったのはハイジの明晰な頭脳があったからこそなのだが、その点は黙っておくことにした。その言動からして、トゥイーニィもヴァルハラ・カンパニーの凶行を止めようとしているのは明らかだったが、あまりにも素性が知れない。こちらの情報を開示しすぎるのは良策とはいえないだろう。

「どうするつもりなんだ? これから」
「とりあえず全員ブチのめす」
「……乱暴だな」
「それッきゃねェだろ。なるべく慎重にヤんなきゃなンねェがな──なにせどこに爆弾があるのか、オレにもわかんねェんだ」
「爆弾? 爆破予告は嘘なんじゃないのか?」

にわかに気色ばんだジェノスに、トゥイーニィは軽蔑したような視線を送る。

「寝ボケたこと言ってンじゃねェよ。爆破予告が嘘だとしても、あいつらが爆弾を持ってねェってことにゃアなんねェだろ。こんな馬鹿げたこと平気でしてのけるアホどもだ──計画がオジャンになったら船ごと心中して証拠隠滅するつもりに決まッてる」
「……なるほどな」

ちっ、と舌打ちを零して、ジェノスは眉間に皺を刻む。

「どこまでもトチ狂ってるな」
「同感だぜ、兄ちゃん。シンデレラもどっかで戦ってるらしいが、もう終わってンだろォな……もういっそ今からスコーピオの野郎を探してボコッて、いろいろ吐かせるか。裏でコソコソ動くってのァ、思った以上にまだるッこしい。肌に合わねェや」

総轄の立場にあると言っていたスコーピオが、やはり主犯なのか。事件の核心を握る人物とパーティー会場で呑気に雑談していた自分の愚かさが呪わしい。思えば彼の「“今の我々に”ヒーロー協会へ楯突くだけの余力はない」という発言も、この騒動を示唆していた。ヒーロー協会を引っ掻き回して世間的な地位を陥落させ、逆に自分たちが事件を解決したふうを装って信用を取り戻すという肚か──なんとも小賢しいこと、この上ない。あのときも、ジェノスの皮肉を内心で嘲笑っていたのだろう。

ジェノスはありもしない腸が煮え繰り返るのを感じつつ、虚仮にされた借りをどう返してやろうかと、子供じみた悔しさを募らせるのだった。



ジェノスと“トゥイーニィ”の邂逅から、少し時間を遡る。

クロックポケット隊の面々は、反撃の狼煙を上げた“シンデレラ”と相対していた。影のようにトゥイーニィに付き従い、常に行動を共にしていたシンデレラの実力は未知数だったが、ああも露骨に好戦的な態度を取られては引き下がれる道理もない。万が一に殺してしまったとしても周りは大海原である。死体は魚の餌にしてしまえばいい。

廊下は細い一本道で、逃げられる場所はどこにもない。

「…………………………」

先に動きを見せたのはシンデレラだった。鎧めいた籠手を装着した左腕を、すっ、と横に薙いだ。不可思議な質感を湛えて鈍く光るそれが、音もなく空を切って──次の瞬間。

ぱっ、と跡形もなく消失した。

「──……!?」

刹那の出来事だった。出来のいい手品か、そうでなければ魔法でしか有り得ない現象──眼前で繰り広げられた常識を逸脱した光景に、男たちは驚愕に固まる。籠手というヴェールを脱ぎ露わになった、強化繊維で編まれたシャツから伸びる腕は枝のように細く、とても武器を所持した傭兵たちには敵いそうもない。

(な……なにをしたんだ、コイツ……!?)

浮き足立ったクロックポケットだったが、彼も戦闘のプロフェッショナルである。すぐに平常心に立ち直り、注意してシンデレラを観察する──そして気づく。

目を凝らさなければわからないほどに薄い黒色の霧が、シンデレラの周囲に漂っていることに。

それは蝶の鱗粉のように細かな、無数の粒子によるものであった。すべてが意思を持った生き物のように蠢いて、シンデレラを中心に、不規則な軌道で流れている。

敵に思考する暇を与えず、シンデレラが、素早く左腕を前に突き出した。

変化は劇的だった──空気中を泳いでいた黒い粒子たちが引き合うように集まって、固着しあって──先端が鋭く尖った錐に姿を変えたのだ。それも一本でなく、優に十を超える数の凶器──それらがクロックポケットたちに照準を定めている。彼らが回避行動を取ろうとしたときには、もう既に遅かった。

「────ッッッ!!」

一気に射出された錐の群れが、男たちの肩を、脚を、次々と貫いた。手痛い一撃を食らった男たちが激痛にライフルを取り落して床をもんどり打ち、狭い通路に騒々しい金属音と悲鳴が重なり合う。なんとか難を逃れられたのは、リーダーであるクロックポケットと“カトラリー”と“キャスケット”の三人だけだった。彼らは怖気づくことなく、咄嗟にシンデレラへ狙いを合わせ、小銃の引鉄を絞ろうとした──が、その銃口から弾丸が放たれることはなかった。

突如として襲ってきた不可視の力に、三人は揃って地面につんのめった。ライフルがいきなり両手でも持っていられないほど重たくなったような──それに引っ張られて、引き摺られて、思わず膝をついてしまった。体勢を立て直そうと迅速に顔を上げたのは、カトラリーが最初だったのだが──それは同時に、彼が誰より逸早く敗北を悟り戦意を喪失したということに他ならなかった。

天井に程近い、高い場所に浮いていたのは──鉄球だった。

シンデレラが高々と掲げた腕の先に、ボーリングの玉くらいの黒い球体が出来上がっている。クロックポケットとキャスケットの脳天に重なる線上に、ひとつずつ。

カトラリーは恐る恐る、自分の頭上を見た。
既にこちらへ落下していた鉄球が、彼の顔面を押し潰した。ごつんっ、という、鈍い音が頭蓋に反響して──幸運なことに痛みを感じることもなく、そのまま彼の思考回路は強制的にブラックアウトした。