eXtra Youthquake Zone | ナノ





メリッサが血相を変えて飛んできたのは、そろそろ腹も膨れて一段落といった頃合だった。サイタマとハイジは「一口ずつでいいから全部食べたい」と言って広い会場を行脚していたが、シキミはもう満足しきってしまって気が抜けていた。満腹中枢の働きによって、眠気すら覚えていた──そんな折に、メリッサは転がり込んできたのだった。

ビッグ・トラブルを──とんでもない災厄の種を抱えて。

「毒殺天使様、あの、今よろしいですか」
「ああ、メリッサさん。どうかされたんですか?」
「ちょっと、あの、ここでは……ちょっと来てください」
「どうかしたのか?」

ちょうど皿に焼きたてのミートパイを取って戻ってきたジェノスに、メリッサは目を大きくした。

「ジェノス様も、あの、お願いします」
「なんだ? なにかあったのか?」
「ええ──あの、その、とんでもない事態が発覚しまして……」
「とんでもない事態……ですか……?」

詳細は飲み込めないが、メリッサの動転っぷりを見るに、呑気に舌鼓を打っている場合ではなさそうだ。ジェノスは近くで一口サイズのステーキを堪能していたハイジに「これも食え」と皿を押しつけて、シキミとふたり、慌ただしい小走りで人混みを抜けて控え室に繋がる裏口に向かうメリッサについていった。

「……なんだろ?」
「お? シキミどこ行った?」

ウエイターからもらったジントニックを飲みながら帰ってきたサイタマに、ハイジは肩をすくめてみせる。

「よくわかんないけど、今メリッサさんと出ていったよ。ジェノス氏と一緒に。なんかあったみたい」
「ふーん……あれ、それなに? パイ?」
「うん。ジェノス氏にもらった」
「それ俺まだ食ってねーヤツだな。一口くれよ」
「いいよー。はんぶんこしよっか」

陸地から遥か離れた沖に浮かぶこの『セント・クラシカル・ネプチューン』号で一体なにが起こっているのか露知らぬまま──このあと彼らがどんな目に遭うのか想像さえ巡らせぬまま、サイタマとハイジは和気藹々と仲良くフォークを踊らせているのだった。



警備員の詰め所として使用されている管理室の壁には、無数のモニターが飾られていた。監視カメラの映像をリアルタイムで流しているらしく、絢爛に賑わっているパーティー会場は勿論、今はがらんとしているショッピングモールやカジノやゲームセンターなどのアミューズメント施設、新品同然の宿泊エリアの様子まで完全に網羅していた。それらを操作するための機器類もごちゃごちゃと犇めいていて、近未来が舞台のフィクション作品に登場する宇宙船のコクピットみたいだ、とシキミは思った。

他の警備員やヒーローたちにも召集がかけられたようで、部屋の人口密度は極めて高い。相変わらず季節外れな恰好をしているトーラスの姿も見えた。彼はこちらに気づくと相好を崩し、軽く手を振ってきた。

「……こちらをご覧ください」

メリッサが指差した、ひときわ巨大なスクリーンに映し出されたのは、一枚の紙切れだった──縁に金の装飾が施されたメッセージ・カードだった。

しかしそこにプリントされていたのは、その上品な趣きの紙片にはとても似つかわしくない、物騒で攻撃的な文章だった──それを読んだ全員が気色ばんで、にわかに場がざわつき始める。

「……なんなの、あれ……」

シキミが思わず漏らしてしまった呟きが、全員の心中を代弁していた。
そこに記されていたのは──

“今宵、偽りの正義を驕る者どもに、鉄槌が下される”
“己の傲慢を悔いながら、海神を道連れに沈むがいい”

「……これが十五分ほど前、セレモニー・ホールに飾ってあった花環の中から発見されました。監視カメラの映像を確認したところ、この花環に接近する関係者以外の人物は映っていませんでしたので、恐らく船内に運び込まれる以前から仕込まれていたものと思われます」

神妙な面持ちで、メリッサは続ける。

「これが示す“海神”というのは、おそらくネプチューンのことで、この船を指しているのでしょう。そして──“道連れに沈むがいい”という、この言葉は……」
「なんらかの手段でもって、この『セント・クラシカル・ネプチューン』号を乗客もろとも幽霊船にしてやる──っていう、いわば脅迫だね?」

トーラスが軽く挙手して引き継いだ解答に、メリッサは首肯を返した。

「そう捉えるのが妥当でしょう。そして“偽りの正義を驕る者”というフレーズから見て、恐らくヒーロー協会に恨みを持った者の仕業である可能性が高い……かつてヒーローに捕縛された凶悪犯の復讐という線が濃厚かと」
「失礼しちゃうなあ。悪いことしてるのは、そっちなのに」

のんびりと間延びしたトーラスの声に「そんな悠長に構えてる場合か」とでも言いたげな、批判的な視線が集まったが、本人はどこ吹く風だった。

「しかし──実際、そんなことができるのか? そんじょそこらの悪党の手に負える規模じゃないだろう。こんなデカい船が、そう簡単に沈むとは思えないが。大量の爆弾でも持ってきたというなら、話は別だろうが……」

マントで隠れた腕にあたる部分に大砲みたいなガトリングを生やしたヒーローが、怪訝そうに言う。メリッサはやや目を伏せて、

「その通りです。我々も、そう思っていました。小悪党がちょっとした仕返しに考えた、質の悪い悪戯だろうと──これが出てくるまでは」

スクリーンに投影されていた映像を切り替えた。
表れた写真に、一同の顔面から、さあっと血の気が引いた。

「な──なんだ、これは!」
「おいおい嘘だろ?」
「まさか……」

小型の制汗スプレーに似た茶色の筒が数本、ベルトで括られている。そのうちのひとつの頭には、黒い管のようなものが差し込まれていた。

「協会の専門家が慎重に解析した結果、この筒の内容物からニトログリセリンが検出されました。ブラスチング・ゼラチンと呼ばれる──正真正銘、本物のダイナマイトです」
「そんな馬鹿な……」
「先程の脅迫文と一緒に発見されたもう一枚のカードに“まずは尻尾から喰い千切る。腹を割り、背骨を砕き、メインディッシュの頭は最後”と書かれていました。その示唆する通り、船尾をくまなく捜査したところ──第一ボイラー室から、この爆弾が。こちらは既に起爆装置である雷管を抜いて、無害化してあります」
「……犯人からの要求は?」

それまで黙って聞いていたジェノスが口を開いた。この船に乗っているS級ヒーローは、彼ただ一人だけである──疑う余地もなく最大戦力である彼の台詞に、皆が縋るような思いで耳を傾ける。

「ありません。現時点では、確認できていません」
「……単なる愉快犯か、それとも俺たちが混乱しているのを確認してから、コンタクトを取ってくるのか──どのみち、こんなところで突っ立っている時間はなさそうだな」

ジェノスが組んでいた腕を解いて、目を眇める。

「わざわざヒントを開示して爆弾を発見させるような輩だ。面白がってやっているんだろう。しかし研究試験用にしか使用されない危険な代物を、こんなふうに使い捨てにしている──酔狂ではあっても伊達じゃない。本気でこの大型客船を沈没させようとしていると考えていいだろう。他の場所にも爆弾を設置しているはずだ。本命をな」
「本命──」
「俺たちに見つけられないよう、周到に隠してあるんだろう。そのダイナマイトと同程度の──いや、下手をしたらもっと威力の大きい爆弾を、どこかに……恐らく複数」
「こ、こんなものを、いくつもいくつも隠したっていうんですか!?」

青褪めて声を上擦らせるシキミに、ジェノスは「落ち着け」と前置きしてから、

「あくまで可能性の話だ。もしかしたらただの悪戯で、爆弾はこれだけだったというオチだってありうる。いかにも“必死で爆弾を探さないとお前たち全員が海の藻屑になるぞ”という演出をして、ヒーローや他の警備員たちが慌てふためいているのを眺めて満足して終わり、かも知れない。まあ、これはかなり薄い線だろうがな」
「……………………」
「とにかく、早急に総当たりで船内を捜索して、一刻も早く爆弾をすべて回収すべきだ。一体いつ、どのタイミングで犯人が起爆装置を発動させてくるかわからない以上、猶予はない。パーティーの招待客たちにこのことが知られて騒ぎになったら、収拾がつかない。パニックに陥った人間は手がつけられないからな──まず間違いなく、二次災害が起きる。そうなる前に片付けなければならない」
「ジェノス様の仰る通りです。この場にいる皆さんは、すぐに爆弾の捜索に当たってください。なるべく隠密に、トラブルが発生していることを表には出さないよう、くれぐれもお願いします。警察には既にこちらの極秘回線を利用して通報してありますが、犯人を刺激してはいけないので、応援は望めません。あなたがただけが頼りです」

メリッサは気丈に振る舞ってはいるものの、不安を抑えきれていなかった。それも当然だろう。彼女は広報部に属する人員なのだ──本来こんな矢面に立って弁舌を振るう立場ではないのだ。予想だにしていなかった緊急事態に直面して、そのうえ慣れない司令塔の役目まで任されたら、狼狽して動転して混乱するのも無理はない。

ヒーローとヴァルハラ・カンパニーの社員たちが指示された持ち場に向かい、管理室にはメリッサと他の協会関係者が数名、そしてジェノスとシキミが残された。呼びつけられた船員が急いで救命ボートの準備に当たっている横で、メリッサは疲弊しきった顔で忙しなく首元を撫でている。癖なのだろう。

「申し訳ございません、このような事態になってしまい……来賓として招待した毒殺天使様とジェノス様にまで協力を仰ぐのは、不本意ではございますが……」
「そうも言っていられないだろう──事態が事態だ。そんなことより」
「……なんでしょうか?」
「今モニターに表示されている監視カメラの映像は全部、記録されているのか?」

ジェノスの質問に、メリッサは目を白黒させながら、頭をこくこくと縦に振った。

「え、ええ、今日の昼間から……パーティーが始まる前の、機材や物資の搬入がスタートした段階から、監視カメラは起動されていました。予備のモニターもありますので、すぐにでも現行の映像と並行しながら確認できます。ただそのぶんデータが膨大なので、すべてを隅々までチェックして状況と照らし合わせるのは、短時間では困難かと……それでもご覧になりますか?」
「ああ。だが──それを見るのは、俺じゃない」
「? ……えっと、それはどういう……」

素で困惑に首を傾いでいるメリッサと同じ表情を、最初はシキミも浮かべていたが──ジェノスがなにを画策しているのか、すぐに思い当たった。

たとえ──船内構造が複雑と煩雑を極めていようが。
その中を途方もない数の人々が無作為に行き交っていようが。
気の遠くなりそうな情報量であろうが。

「シキミ、頼みがある」
「はい。……大体の想像はついてますよ」

食後の腹ごなし程度に集中して記憶して分析して演算して正解を導ける絶対的な頭脳の持ち主を、ジェノスとシキミは知っている。

「大至急、ハイジを呼んできてくれ」