eXtra Youthquake Zone | ナノ





「…………えっ?」

シキミが驚きに目を瞠った。氷の粒が凝固して、結合して、みるみる体積を増していく。あっという間にトーラスの手の上で完成したのは、高貴な女性が身に着ける装飾品であるティアラを象った透明の塊だった。

「すっげーな、どうなってんだ、それ。手品?」
「違います。種も仕掛けもありませんよ。こういう超能力です。でも才能ないみたいで、出力が強くないんですよ。短時間ではこれが限界ですね。このネプチューン像を作るのにも、三ヶ月くらい掛かっちゃいました……はい、どうぞ。差し上げます」
「えっ、いいんですか?」
「邪魔でなければ。五分くらいで水になっちゃいますけど……しまったなあ、指輪にしておけばよかった。そしたらちゃんとアクセサリーとして使えましたし。……ああ、でも、毒殺天使先輩みたいにお綺麗な方じゃ、ただの氷のリングなんて見劣りしてしまいますよね。お美しさを損ねてしまうかも知れない」
「いえ、そんな……ありがとうございます。嬉しいです」

直径十センチにも満たない小さな氷のティアラをシキミに渡して気障ったらしい台詞を吐くトーラスを、サイタマはじっとりと不良高校生みたいな目で睨んでいる。どこもかしこも敵だらけだった。トーラス本人は、あからさまに威嚇されてもまったく堪えていないようだったけれど──刺々しい悪意を向けられていることに気づいていないのかも知れない。

「特殊な生体波動の効果かな? 空気中の水分に干渉して、分子の結晶化を促進してるのかも……きっと表皮細胞の微細な振動が、一定距離内にある水素を制御して……」
「難しいことは、僕にはよくわかりません」

研究員根性を丸出しにして目を輝かせているハイジの解析に、トーラスは頬を綻ばせたまま、ゆるゆると首を横に振った。

「こういう力があって、使えるなら使おうって、それだけですよ」
「はあん……超能力者ってのは、そんなもんなのか」
「他の人たちのことは、僕程度の人間にはよくわかりませんけどねえ」

投げやりとさえ取れる覇気のない口調で、トーラスは言う。どこまでも掴みどころのない青年だった。

「毒殺天使先輩たちは、船内見学に行かれないんですか?」
「いえ、これから見て回りますよ」
「そうですか。楽しんできてくださいね」
「トーラスさんは?」
「僕はこの氷像の管理がありますから。傍について冷やし続けていないと」
「それは……大変そうですね」
「そういう仕事ですから。それに──大勢の前に立ってスピーチさせられるよりは、ずっと気が楽ですよ」

おどけた調子でウインクしてみせるトーラス。どことなく中性的な雰囲気に、茶目っ気のある仕種がよく似合っていた。

「そ、そうでしょうか……」
「先輩のご挨拶、とっても素敵でしたよ」
「あ……ありがとうございます」
「……なあ、そろそろ行かねーか」

憮然とした口振りで割って入ったのはサイタマだった。他の男に褒めそやされて照れているシキミを見ているのが、いよいよ本格的につまらなくなってきたらしい。

「見学時間なくなっちまうよ」
「ああ、引き留めてしまって申し訳ない。ごゆっくり堪能してくださいね──サイタマさん」
「え? お前、なんで俺の名前……」
「そりゃあ有名人ですから。巨大隕石の破壊、深海王の撃退、記憶に新しいのはグレーヴィチ博士の研究所でのご活躍でしょうか? こんな僕の耳にも入るくらいですから、さぞかし高尚で、ヒーローの鑑のような方なのだろうと思っていました。今はまだ僕の方が級は上ですが、いずれ追い抜かれてしまうかもですね。お会いできて光栄です」
「……お前」
「? なんでしょうか?」

さっきまでの子供じみた素っ気なさから一転して──首を傾いでいるトーラスの手をサイタマはむんずと掴み、激しく上下に振って、感極まったように歓喜の声を絞り出した。

「いいヤツだな!」
「……? は、はあ……?」
「俺が悪かった。すまん。お前はよくできた男だ」
「……よくわかりませんが、どうも……」

頭の上に疑問符を浮かべているトーラスとひとしきりハンドシェイクを交わして、サイタマは満足そうであった。なにしろ、それらの事件に関しては悪評ばかりで気が滅入っていたのだ。こんなふうに認めてくれている者が身内以外にもいるという事実には感動のひとつくらいするだろう。サイタマだって人の子なのだ。

「お前もつらいだろうが、仕事がんばれよ」
「え、ええ……精一杯やらせていただきますよ」
「うんうん、いい心掛けだ」

殊勝にはにかむトーラスの肩をぽんぽんと偉そうに叩いて、サイタマはご機嫌で踵を返し、セレモニー・ホールと船内とを繋ぐ通路に出る扉へと向かっていった。ジェノスがそれに続き、ハイジも慌ててついていき、シキミもトーラスとメリッサに一礼して「待ってくださいよう!」とドレスの裾を翻しながらぱたぱた駆け出していった。

「さて──僕らも仕事に戻りましょうか、メリッサさん」
「ええ、そうですね。……ところで、しろくま様」
「はい?」
「ヒーローネーム、お気に召してらっしゃらないんですか?」

先刻の発言をつつかれて、トーラスは苦笑しながら鼻の頭を掻いた。いやあ、と言葉尻を濁して、

「僕も男の子ですからね。やっぱりカッコいい名前がよかったなあ、って」
「今からでも変更を申請してみますか?」
「いえ、遠慮しておきますよ。手続きとか面倒でしょう。そういうの苦手なんですよ」

そこで会話を打ち切った。背中を反らして猫のように伸びをする。よしっ、と短く気合いの入った掛け声を漏らして、トーラスはずらしたマフラーを直し、己が精魂込めて造り上げた氷像を眩しそうに見上げた。



サイタマたちは『セント・クラシカル・ネプチューン』の目玉でもある、他の客船とは一線を画したアミューズメント施設のエリアを訪れていた。服飾や飲食のショップが軒を連ね、大人の遊戯場ともいうべきカジノも数百人が収容できるほど広く、ビリヤードやダーツが楽しめるゲームセンターも隣接している。超豪華と自負するだけあって、とても海に浮かぶ船の中とは思えない充実したラインナップであった。

「すげーな、マジで。金かかってんなあ」
「本当に一個の街みたいだよね」
「だよな。こんなとこ住んでみてーな、一年くらい」
「お言葉ですが先生、これらの設備はオプション料金を払うことによって使用が可能になるものですので、通常の旅行プランに肖って一年間すべてを網羅するとなると、莫大な金額が必要になります」
「わかってるよ。冗談で言ってんだ、冗談で」

ジェノスの指摘によって一息に現実へ引き戻されてしまった。気を取り直して、サイタマは再び周囲をきょろきょろと観察する。テレビで見たことのある顔があちこちを行き交っていて、なんだか妙な気分だった──非日常的な空間の効果も相乗して、映画の世界に紛れ込んでしまったような高揚感があった。

「どっか行きたいところとかあるか?」
「カジノ! カジノ行きたい!」
「おー、いいな。俺も興味あるわ」
「あたし未成年ですけど、入場できるんでしょうか」
「今日はパーティーなんだし、大丈夫なんじゃねーのか? もし止められたら、他を当たりゃいいよ。ジェノスも十九だしな……大体、それ言ったらハイジが一番アウトだろ。七歳だぞ、コイツ」
「まだ戸籍もないしねー、俺」

とんでもないことをあっけらかんと宣うハイジであった。

ジェノスはサイタマたちの会話を聞きながら、招待客に混じって物々しい出で立ちで闊歩する人間たちをそれと悟られぬように窺っている。黒い制服の上に分厚い防弾チョッキを装備し、プラスチック製の最新型ライフルを背負っている。腕には社章が刺繍された腕章を巻いていた。まるで警察の特殊部隊か、そうでなければ戦争の最前線に送り込まれた軍人のようだ。

(警備会社──合法傭兵集団“ヴァルハラ・カンパニー”の連中か)

ヴァルハラというのは海外の古い伝承に登場する、死んだ戦士の魂を集めて夜な夜な宴を開き、冥界の聖戦に備えて彼らの傷を癒し士気を高めるための城であったとジェノスは記憶している。選ばれし猛者のみが潜ることを許された、神々に仕える騎士へと至る門。その大仰な名に恥じぬ組織だと一目置かれていた──グレーヴィチ研究所での、忌まわしい一件が起こるまでは。

「……………………」

全員がフルフェイス・ヘルメットを被っているので、表情は読み取れないが、醸し出している雰囲気は一様にぴりぴりしている。なにせ後がないのだ──今回も失態を晒すようなことになれば、いよいよヴァルハラ・カンパニーの信用は地に失墜するだろう。そういった焦燥から余裕がなくなるのも無理はない。

(それに──この共同任務を機にヒーロー協会と結託できれば、奴らは新たなコネクションを得ることにもなる。裏社会では顔の広さがモノを言う。どうにか取り入って、連携を深めたい意図もあるんだろうな……付け込まれて乗っ取られるようなことにならなければいいが)

他人事のように考えながら、ジェノスは意気揚々とカジノを目指すサイタマとハイジとシキミの後ろをついていく。長いエスカレーターを上って、カーペットが敷かれた道なりに歩いていくと、そのままトラックの搬入口に挿げ替えても差し支えないサイズの革張りの扉に突き当たった。ドアマンらしい男がふたり門番のように立っていたが、シキミの顔を見ると慇懃に頭を下げて、流れるように扉を開放した。

「あたし、カジノなんて、初めてです」
「俺も初めてだよ。よーっし、やってやんぜ」
「やってんぜ、って……なにをです?」
「んなもん決まってんだろ」

シキミの問いに、サイタマはにたーっと口角を吊り上げる。スキンヘッドにタキシードという風体のせいもあって、悪どさが三割増しだった。どこのマフィアだと取り押さえられても文句は言えなさそうだったが、本人にその自覚はないらしかった。蝶ネクタイの締まりを直しつつ、高らかに宣言してのける。

「一攫千金だよ」