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乗客に船旅を提供するクルーズ・シップ──いわゆる旅客船というのは、一般的に三つのクラスに区分されるらしい。もっとも宿泊料が安価な“マス”と、それよりも少し位の高い“プレミアム”と、そして最高級のサーヴィスを提供する“ラグジュアリー”がある。しかしこれらはあくまで海外で使用されている区分であり、この国の独自の文化や価格設定においては分類が難しいところもある。だからこそ、観光地のリゾート・ホテルと比較しても割安な金額で利用できる、スケール・メリットによって単価を下げた大衆向けの船舶でも、馴染みの薄い一般市民にはひとくくりにされてしまうのだろう──“豪華客船”と。

景気が徐々に回復しつつある昨今、非日常的な刺激を求める人々は着実に増加の一途を辿っている。そんな者たちにとって、船旅というのは格好のターゲットとなりうるだろう。世界各地に支社を持つ一大企業でありながら近年は赤字続きであったタラータ重工が威信を懸けて、非営利の民間団体であるヒーロー協会の名を借りてまで打った業績改善の一手。

それこそが──この二十万トン級の超大型客船。
『セント・クラシカル・ネプチューン』なのだった。



「……であるからして、我々はこれまで限られた人々にのみ許された娯楽──いわゆる富豪のお遊びとされてきた遊覧クルーズ旅行を、一般市民にも充分に手の届く、ちょっとした贅沢であるということを広めるために、この船舶を就航させるに至ったのです。低俗化路線という聞こえのよろしくない言葉を使われる方もありましょうが、その悪評も人々に夢を与えるためには越えてゆかねばならない第一歩であり……」

誇らしげに壇上で語っているのは、旅行会社のオーナーらしい。いかにもお偉いさんといった雰囲気の、壮年の男性である。年相応に白髪交じりの頭髪をしているが、弱々しい印象はない。むしろ悠久の時を生きてきた大木のような貫録があって、そこに集められた関係者各位は皆、真剣に彼のスピーチに聞き入っている。

……ただひとりを除いては。

「なあジェノス、あのじーさん、いつまで喋るの?」

船内の広いセレモニー・ホールの最後列で、サイタマがジェノスに耳打ちした。ベルティーユに見立ててもらった、白いストライプ柄の入ったダーク・グレーのタキシードに身を包んではいるが、衣装が変わったからといって、中身までそれに伴うわけではない。いつも通りの緊張感のなさだった。

「さあ……話題性の強めるために各プレスや芸能人を多く招待しているそうですから、他の旅客船といかに差別化しているのかを誇示する必要があるのではないですか?」

そう答えたジェノスも、黒いフォーマル・スーツ姿である。わざわざ肩と腕にあたる部分のパーツを削って、きちんとジャケットを着られるように調整したらしい。さすがに各界の著名人が軒を連ねる式典の場に、上着の袖を切り落として行くわけにはいかないと、それくらいの常識はあったようだ。焼却砲などの性能は落としていないそうなので、不測の事態にも対応できるようにしているとのことではあったが、彼は今日ここに警備人員として訪れているわけではない。なにも戦闘力に気を配る必要はないのだ。

「ふうん。よくわかんねーなあ」
「俺は面白いけどな。お祭りみたいで」

ジェノスの隣で、ハイジは本当に楽しそうにしている。なまじ顔立ちが整っていて、モデルばりにスタイルもいいだけに、正装が様になっている。ジェノスと並んでいると、映画スターの試写会挨拶のようだった。実際さっきからドレスの貴婦人たちが幾度となくひっきりなしにこちらを盗み見て、目が合う都度これ見よがしに愛想を振りまいてくる。ジェノスは清々しいほどそれらをガン無視しているが、人懐っこいハイジはいちいち微笑んでみたり手を振り返したりとフランクに反応するものだから、余計にちょっかいをかけられている。

「じきに終わるでしょう。そうしたら、船内の自由見学時間です。海上のテーマパークを自称しているだけあって、いろいろと目白押しのようですよ。さすがにプールには入れませんが、ショッピング・モールの一部は実際に営業して、カジノなどのアミューズメント施設も稼働するそうです」
「へえ、そりゃすげーな」
「夜にはディナー・パーティーもありますし。実際にエンジン回して、近海の沖に出るそうです」
「そうだよ、俺は豪華なメシを楽しみに来たんだよ。なに食わしてくれんのかな」

オーナーの話は営業形態の解説に変わり、主に今後のリピーター客になるであろうセレブリティたちに対し、追加代金を支払うことによって付加される充実したオプションについて熱弁を奮っている。しかしサイタマは聞く耳など持たず、数時間後のめくるめく晩餐会に期待を膨らませ、天井からぶら下がっている特大サイズの派手なシャンデリアを眺めながら、欠伸を噛み殺して立っているのだった。



「……まだお話されてるんですか? オーナー」
「そのようです。念願の除幕式ですから、熱が入っているのでしょう。いろいろあって延期になったりもしましたし、そのぶん高揚なさっているのかと」

ヒーロー協会の広報部に属するメリッサが、冷静な口振りで言った。シキミはそういうものかと頷きつつ、ドレッサーの鏡をチェックする。鮮やかなエメラルドグリーンのロングドレスに、控えめな輝きを放つパールのネックレス。一流のスタイリストに上品なメイクを施され、艶めく黒髪もアップにセットされて、まるでスター女優のようだった。なんとなく気恥ずかしい。

楽屋として与えられたこの客室は、高級リゾートホテルのスイートのようにロイヤリティに溢れていて、どうにも落ち着かない。調度品のひとつひとつが繊細な造りで、触れることさえ躊躇うほどだった。ベルティーユのプライヴェート・ルームと比較しても引けを取らないだろう。

「では、私は失礼いたします。しばらく出番は先でしょうから、お寛ぎくださいませ。お時間になりましたら、わたくしがお声掛けに参りますので」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」

かくして部屋にひとり取り残され、シキミは重たい息をつく。ロックフェスのときとは一味も二味も違う緊迫感があった。相手にする観衆の数はあっちの方が圧倒的に多かったけれど、今回は客の質が違う。右を見ても左を見ても地位と名誉のある大御所ばかりで、失態をしでかしても笑って「かわいい」と許してくれるような方々ではないのだ。

「……うっ、おなか痛くなってきた……」

きりきりと不快感を訴える腹部を両手で押さえ、シキミは椅子から転がり落ちるようにして、カウチ・ソファに投げ出していたバッグに駆け寄っていく。念のために持ってきた胃薬を前屈みになりながら握りしめ、ミネラルウォーターを求めて這う這うの体で冷蔵庫へ向かうのだった。