eXtra Youthquake Zone | ナノ





明くる朝、報道番組では昨日の銀行強盗事件がヘッド・ニュースとして大々的に取り上げられていた。建物はいくらか壊されたが金銭的な被害はなかったこと、人質全員が怪我なく無事に救出されたこと、犯人グループが一網打尽にされたこと──それらすべてはヒーローの活躍の賜物である、とキャスターは真面目くさった顔で述べていた。

解決に最も貢献したヒーローとして、シキミの顔写真が映し出された。軽くシキミの紹介がされてから、画面はスタジオに切り替わる。大御所コメンテーターが「これで彼女の順位が上がるのは間違いないでしょう」などと牧歌的な意見を出して、他のタレントたちも同意した。一般市民の投票によって作られる人気ランキング上位に入っている“毒殺天使”は、なるほど世間の好感度も高いようだ。

「洗いもの終わりました、先生」
「さんきゅ。テレビ見るか? お前の話してるぜ」
「えっ、本当ですか? いやだなあ、恥ずかしい……」

朝食の後片付けを終えて台所からリビングに戻ってきたシキミが、サイタマの言葉に眉尻を下げた。液晶のなかでなおも続いているトークを愉快そうに眺めているサイタマの、テーブルを挟んだ反対側に腰を下ろし、困惑を隠せない様子ではらはらと見守る。そんなシキミに、サイタマはなぜだか不満そうだった。

「なんでそんな離れたとこ座るんだよ」
「はい?」
「こっち来いよ」
「え、あ、いやそれは……」

彼との師弟関係から一歩を踏み出してから数週間が経過しようとしているが、まさかここまで態度が一変するとは想像していなかった。想定していなかった。まさか時代遅れなくらいの硬派だと思っていたわけではなかったけれど、どちらかといえば朴念仁タイプだろうと勝手に決めつけてしまっていただけに──ここまで露骨にスキンシップを要求されてしまうと、戸惑わざるを得ない。

ジェノスさんがいるときはさしてそんな素振りも見せないのに──と考えて、シキミは強引に話題の向きを変えるために彼の名前を出すことにした。

「そっ、そ、そういえばジェノスさん昨日からいらっしゃいませんが、どちらへ行かれているんでしょうかね! 先生ご存じですか!」
「あ? ジェノスなら昨日の昼頃くらいに定期メンテナンス行って、そのまま教授んとこ行って泊まってるみてーだけど」

教授というのはシキミもサイタマもなにかと世話になっている、ヒーロー協会直属の研究員、ベルティーユ・Q・ラプラスを指す肩書きである。実際に大学で教鞭を振るっていたのは昔のことらしいので、現在の彼女にその敬称は相応しくないのだが、一種の綽名のようなものとして定着しているのだった。世界最高峰の頭脳を持つと称され、その膨大な専門知識はジャンルに関わらず多岐に亘る。こだわりを持たず、ありとあらゆる事象の解を貪欲に求めて生きる彼女精通していない学問はない。

「教授に用事でもあったんでしょうか」
「さあ? パーツ強化の相談か、雑用でも手伝わされてんのか、そうじゃなかったら──“アイツ”のことでも聞きに行ってんじゃねーの」

アイツ──という、曖昧な三人称。
名前など出さなくても、それが誰のことなのか、シキミにはすぐに思い至った。

「……今頃、どこでなにしてるんでしょう」
「どうだろうなあ。アイツ根っからガサツで図太い癖に、妙なとこでガラスのハートだからな……そういやアイツ、第一級指名手配犯だっつってなんか協会に妙なコードネームつけられてたな。なんだっけ……すげー長い横文字の……まあ、どうでもいいんだけどよ。アイツが無事ならそんで」
「ええ、元気にしててくれたらいいんですが……」
「その辺はあんまり心配いらねーんじゃねーの? 絶対アイツはここに帰ってくるよ」
「? どうしてそう思うんですか?」
「ジェノスがいるからな」

食後の熱いお茶をずずっと親父くさく啜りながら、サイタマは断言した。

「ジェノスのベッタリ加減も大概だけどよ、それはアイツも同じだろ。あのバカップルはたとえ死んでも治らねーよ、多分」
「……そう、ですね」
「おー、そうだよ。だから」
「だから? ……なんですか?」
「二人でいるときに他の男の名前出すなよ」
「………………………」
「返事」
「…………はい」



ヒーロー協会本部の上層階に位置するその部屋は、まるで高級ホテルのスイート・ルームといった趣きであった。毛足の長いふかふかの絨毯が敷かれ、凝った装飾の施された調度品が設えられている。柔らかな日射しの射し込む窓際に置かれたロココ調の猫足テーブルを囲んでいるのは、ベルティーユとその愛息ゴーシュ、愛嬢ドロワット、そして──ジェノスの四人である。

触れるだけで割れてしまいそうな薄さのカップに注がれた紅茶のふくよかな香りを楽しみながら、ベルティーユはすらりと長い足を組み替える。それだけの仕種がやたらと上品で優雅で、女王めいた貫禄を漂わせていた。

「ジェノス氏も飲みたまえ。いい茶葉なんだ」
「いいえ。俺は結構です」
「おや、そうかい。彼女もこの味を好きだったんだがね」
「……いただきます」
「そうしたまえ。遠慮は不要だよ」

眼鏡のリムに触れながら、ベルティーユは口を斜めにする。

「協会の人間に軽食も用意させている。ブレックファースト・スペシャルが済んだら、仕事の続きに取り掛かろう。まだまだやらなければならないことが山積しているからね」
「アイツ絡みのことでいろいろあって、立場が悪くなったのをいいことに、無理難題を押しつけられているのでしょう? あなたには報いなければならない恩がある。俺にできることなら、手間は惜しみません」
「嬉しい言葉だ。感謝するよ。それが建前でもね」

おどけたふうに片眉を上げるベルティーユ。対してジェノスは厳しい無表情のままで、白い部分のない双眸を鋭く細めている。

「本音は“少しでも彼女の情報を得たい”といったところだろう? なにせ私が追われているのは、他ならぬ彼女の捜索任務なのだからね。協会の総力を挙げての大捕物劇さ。かの災害レベル鬼、ハルピュイア事件の真相を知る、唯一の重要参考人──“ホワイト・アウト・サイダー”のね」

それは──畏怖と軽蔑とが込められた称号。
その名が堂々と冠するのは──

彼女の透き通るような肌の色であり。
彼女の異質を象徴する髪の色であり。
彼女が絶えず吐き出す煙の色であり。

燃え尽きた灰の色であり。
曇天を裂く雷の色である。

それは直截的に“白い異端者”を意味しながら、同時に炭酸の泡のように一瞬で忽然と霧消したトリッキーな咎人であるという看板をも背負わせている。

ジェノスが求めて憚らない彼女に。
心の底から愛して止まない彼女に。

誰より弱く、誰より脆く、誰より泣き虫の──ヒズミに。

「こじらせた中学生が喜びそうな、陳腐なネーミング・センスだよ──まあそんなことは置いておくとして、君にしてみれば彼女の居場所を特定する手掛かりは喉から手が出るほど欲しいはずだ。違うかい?」
「……本当に、教授には敵わない」
「いいのさ。責めているわけではないんだ──むしろ大歓迎だよ。愛し合う若い男女の切ない別れ、そしてドラマティックな再会──心の踊る展開じゃあないか。ありふれたラヴ・ストーリーほど、胸に迫るものはない。王道はなによりも美しく揺らがないからこそ王道たりうるのだよ」

ソーサーにカップを置いて、ベルティーユはカウチ・ソファの背もたれに深く体重を預けた。

「まったく、自分で逃がした患者を自分で探さなければならないなど、とんだマッチポンプだよ。笑ってしまいそうだ。まあ、彼女には去り際に手痛い一撃をもらったからね。その借りはしっかりと返さなければ」
「……ヒズミの電撃による後遺症はなかったと聞きましたが」
「ああ。後遺症どころか傷痕もない。むしろ悩まされていた腰痛と肩凝りが解れたくらいだ。いいマッサージだったよ」

しれっと肩をすくめて、ベルティーユは続ける。

「とにかく、ヒズミの現状を把握しておきたいのは事実だ。これでも本腰を入れて調べているつもりだよ。仮に捕捉できたとしても、腐った幹部連中に彼女を売る気は毛頭ないがね」
「本当に知らないのですか? あなたが手配したのでしょう? アイツを匿ってくれる人物を」
「皆目見当もつかない。私は“委細は問わないから、なるべく彼女を協会の追手から遠退けてくれ”と依頼した。委細は問わない──手段は選ばなくていいと言ってしまったからね。本気で逃げるだろう──あの“掃除屋”は」
「“掃除屋”──」

何度も耳にした単語だったが、しっくりこない呼び名だった。金の折り合いさえつけば、どんな面倒事でも立ちどころにイレイズしてデリートしてリセットしてフォーマットしてスイープしてしまうプロフェッショナルの請負人なのだというが──いまいちその実態が見えてこない。

「不本意ではあるが、あれの腕は私が保証する。核爆弾を落とされたとしても、ヒズミの生命は守り抜くだろう。だが──」
「…………?」
「彼女の貞操が心配だ。あれは自分が気に入った女には見境がない。形振り構わず手を出す悪い癖がある。この私ですら眉を顰めざるを得ない程度にはね。乱暴を働かれていなければいいのだが──おい、ジェノス氏、急に立ち上がってどこへ行くんだい。血相を変えて──なに? ヒズミのところへ行く? 待ちたまえ、落ち着くんだ、あれとてまさか保護すべき対象に牙を剥くわけは……ないとは言い難いが……待てジェノス氏、冷静になるんだ、おい、戻りたまえジェノス氏──ええい、ゴーシュ! ドロワット! 彼を取り押さえろ!」

ベルティーユの指令によって、アンドロイドの子供たちが一斉にジェノスへ飛びかかった。いかにS級ヒーローのサイボーグである彼といえど、とことん戦闘用に強化された体躯を持つブーステッド・チャイルドふたりがかりでホールドされてしまっては身動きが取れるはずもない──床に這い蹲らされた彼が悲痛に想い人を呼ぶ叫び声だけが、虚しく響き渡った。