eXtra Youthquake Zone | ナノ





港の倉庫での抗争から一夜が明け、ヒメノはヒーロー協会本部で朝を迎えていた。緊急性の高い重大な怪我もなく、カウンセリングが必要なほどの精神的なダメージも見受けられなかったので、客人向けの宿泊用レストルームに宿泊する運びとなっていたのだった。

その部屋には現在ヒメノと、協会支給のスーツに身を包んだニーナがいる。丸い木製の質素なローテーブルを挟み、向かい合って座っているのだが、和気藹々とした雰囲気は感じ取れない。二人のあいだに流れる空気は、どこかぎこちなかった。とはいってもニーナが敵愾心や高圧的な振る舞いをしているわけではない。ただ一方的にヒメノが緊張しきっているだけなのだった。

「そんなに固くならないでください。あなたを取って食うつもりはありませんよ」
「え、あっ、……はい、すみません……ごめんなさい……」

さっきからずっとこの調子である。これがあの、悪鬼のごとくに怒鳴りながら仇敵を足蹴にしていた少女なのか──すさまじい落差だった。ニーナは思わず苦笑してしまう。それにすらヒメノはびくりと肩を震わせ、膝の上に置いた手をもじもじさせながら、ますます小さくなっていく。

「あなたがあの誘拐犯に働いた暴行は、正当防衛が認められました。一連の事件の関係で、あなたが罰せられることはありません。私が保障しますので、どうか安心なさってください」

正確には“認めさせた”のだけれど──という事実を、ニーナは告げなかった。せっかくヒメノがいくらか安堵した様子で胸を撫で下ろした(ように見えた)のだから、わざわざ蛇足を付け足す必要もないだろう。

「ヨビツギさんは、今どちらに……」
「警察病院で治療を受けているそうです。命に別状はないそうなので、今日にでも正式に逮捕されることでしょう。正義は必ず勝つのですよ」
「……そうですか」
「心配ですか?」
「一応は、同じ組で生きてきた……家族みたいなものでしたから」

遠い目をして、ヒメノはぽつりと呟いた。

「家族──ですか」
「ええ。もちろん血は繋がっていませんけれど……小さい頃から、知っている人でしたし。当時から怖かったですけどね。それでも、尊敬できるところだって、あったんですよ」
「…………………………」

昔を懐かしむように言うヒメノに、ニーナも相貌を細めた。全幅の信頼を寄せてきた身内に裏切られるという、直接的に身を斬られるよりずっと堪える不可視の痛みならば──彼女にも、覚えがある。

「お察しいたします」
「ありがとうございます……ご迷惑を、おかけしました」

深く追及せず、優しく微笑むニーナへ、ヒメノは深々と頭を垂れた。

「妙興寺組を代表して、この若頭が一人娘、あなたがたの大恩にいつか必ず報いることを、ここに誓います」
「そんな、やめてください。これが我々の仕事ですから」
「それを言うなら、仁義を通すのが我々の仕事です」
「…………………………」
「すみません。借りは返せを信条に育ってきたものですから……格好つけさせてください」

悪戯っぽく眉を上げてみせるヒメノ。どうやら随分と警戒は解れたようだ。ニーナも相好を崩して、甘んじて彼女の意地を受け入れることにした。

「では、期待させていただきましょう」
「なにからなにまで、ありがとうございます」
「いいえ。しかし今回は私ほとんど出番がありませんでしたから、礼を言うならアンネマリーと、サイタマ様とジェノス様でしょう。あとは──あなたのご学友の、シキミ様に」
「……そうですね。また改めて、ご挨拶に伺います」
「アンネマリーには、私から伝えておきましょう。あの子すぐ調子に乗りますから、ただ褒めるだけではいけません。少し釘も刺しておかなければ、また突っ走ってしまうでしょう。頭の痛い話です……まあ、お偉いさんから既にこってり絞られたようなので、ほどほどにしておいてあげますよ」

ニーナが冗談めかして嘯いたところで、ドアが控えめにノックされた。どうぞ、とニーナが返すと、開かれた扉の向こうに立っていたのは──まさに話題に上っていたシキミだった。

「あ、ニーナさん、いらっしゃってたんですね」
「お疲れ様でございます、シキミ様」
「ニーナさんも、お疲れ様です。……お邪魔ですか?」
「いいえ。ただ世間話に花を咲かせていただけですので」

シキミを室内に招き入れ、ニーナは席を譲ろうと立ち上がった。当然シキミは遠慮したが、そろそろ業務に戻らなければならないので、というニーナに押し切られる形で、椅子に腰を下ろした。

「これからヒメノ、どうなりますか?」
「特には。ご家族の方がお迎えに来てくださるそうなので、いらっしゃったらそのままお帰りいただきます」
「……つまり、お咎めなしですか?」
「そういうことです」
「あー、よかった。ちょっと心配だったんですよ」

脱力しきったふうに背もたれに体重を預け、シキミが破顔する。

「好き勝手やっちゃいましたから、怒られるだけで済めばいいなあって思ってたんです」
「あなたもヒメノ様も、なにも悪いことはしていません。無茶はしたかも知れませんけれどね」
「……反省してます」

しおらしく項垂れたシキミに、ついついニーナは吹き出してしまう。

「シキミ様がたへのお叱りは昨日させていただきましたから、もう蒸し返しませんよ。ヒメノ様のお迎えが到着されたら、協会の者が呼びに来ると思いますので、それまでごゆっくりなさってください」
「わかりました。お仕事がんばってください」
「ありがとうございます。それでは、私は失礼いたします」

恭しく一礼して、ニーナは部屋をあとにした。かくして二人きりで残されて、ヒメノは内心どうしようかと焦っていた。あんなトラブルに巻き込んで危険な目に遭わせておいて、どの面を下げて話せばいいのかわからない。怪人に襲われたとか、暴漢に狙われたとかいう不可抗力ならまだしも、個人的な“家庭”の問題だというのだから余計に質が悪い。かつてシキミには似たような原因で迷惑を被らせている。もう二度目は起こすまいと心に決めていたのに、こんなことになってしまって、不甲斐なさと申し訳なさに押し潰されそうだった。

もしかしたら今度こそ軽蔑されて愛想を尽かされて、ツルコともども自分から離れていって、また独りぼっちになってしまうのではないかと──

「ねえ、ヒメノ」
「! な……なに?」
「どうせ今あんた“また自分のゴタゴタにあたしを巻き込んだ。もう合わせる顔がない。友達でいてくれなくなったらどうしよう。うえーん”とか思ってんでしょ」

図星を突かれて、ヒメノはぎくっとした。その動揺を見透かして、シキミは椅子にふんぞり返った姿勢で「ふんっ」とひとつ鼻を鳴らしたかと思うと、いきなり身を乗り出して、びしっと立てた人差し指をヒメノの鼻先に突きつけた。

「いい? あたしはヒーローである前に、あんたの友達なの。友達が困ってたら助けるのは当たり前でしょーが。細かいことうだうだ悩んでる暇があったら、結局キャンセルになっちゃったカラオケ今度いつ行くか考えなさいよね」
「シキミ……」
「そんでパフェ奢りなさいよ、パフェ。あの苺が載ってる大きいやつ。それで今回のことはチャラ。おしまい。わかった?」
「…………………………」

真顔でそんなことを宣言するシキミに──ヒメノは。

「……お前さん馬鹿じゃのう」
「馬鹿とはなによ。失礼しちゃうな」
「本当に大馬鹿じゃ。ようついていかんわ」

泣き笑いのように口元を歪めた。

「改めてカラオケ行くの、楽しみにしとる」
「うん。あたしも」
「パフェは奢ってやらんけどな」
「ええっ! なんでよう! ここは『まっこと世話になりやした!』って気前よく奢ってくれるところじゃないの! ねえ!」
「じゃかーしいわ。友達に見返り求めるなんちゅー不義なァ、ワシは絶対に認めんぞー」
「ひどすぎる! 鬼かっ! お前は鬼かーっ!」
「はっはっはっはっは、これが極道じゃい」

シキミの悲痛な叫びと、ヒメノの高笑いがなんとも姦しかったけれど──誰が聞いているわけでもない。本人たちが楽しそうなので、これはこれでよしとしておくことにしよう。

しかし後日、完膚なきまでに蚊帳の外で、あとから事件の詳細を聞きつけた激怒のツルコから揃って正座させられ、懇々と延々と耳の痛い説教を食らう羽目になることを、二人はまだ知らずにいる。