eXtra Youthquake Zone | ナノ





地響きめいた雄叫びが、倉庫の中で爆発した。

幾重もの怒声が混じり合ってひとつの咆哮と化したようだった。津波のように躍りかかってくる呼続一派の鉄砲玉たちに──サイタマとジェノスとシキミが、果敢に立ち向かう。

「だァアアらあああああッ!」

振り下ろされた鉄パイプをひらりと躱し、その反動を利用して、シキミは華麗な後ろ回し蹴りを暴漢の顔面に叩き込んだ。潰れた鼻から血が噴いて、かわいらしい装飾の施されたミュールを汚す。気に入ってたのに──と眉を顰める暇もない。次々と襲いくる怒涛の暴力を、シキミは息つく間もなく捌いていく。

その数メートル左方では、ジェノスも同じように奮戦している。頭につけているものがものなので緊迫感は一切ないが、鋼鉄の拳でタコ殴りにされている方からしたらたまったものではないはずだ。背後から隙を突いて殴りかかろうとした筋肉質な男の頭を振り返りざま鷲掴みにして、掌の温度を一気に上昇させる。じゅうううっ、と顔面の肉が焼ける音と白煙が立ち上って、耳を塞ぎたくなる痛々しい悲鳴が迸った。

サイタマはというと──最初に披露した離れ業が災いしたのか、もっとも大勢の相手をさせられていた。しかし、そうはいってもあのサイタマである。どれほど凶悪で強靱な怪人でも一撃で倒してしまえる彼が、生身の人間ごときに苦戦するはずもなかったのだが──現状、はっきりと彼は押されていた。

「うおっ、やべっ、ちょっとタンマちょっちょっ」

横薙ぎの木刀をぎりぎりで避け、刀の柄の頭でカウンターを仕掛けて顎を突く。欠けた歯を零しながら昏倒したそいつの陰から飛び出してきた新手の正拳が、つるつるの後頭部にクリーンヒットした。

「いてっ! なにすんだ! くそー!」

大して痛がる様子もなく、草鞋の底でがら空きの腹を蹴り飛ばす。後ろに続いていた数人を巻き込んで、男は乱闘からログアウトした。それでも劣勢は変わらない。じわじわと圧倒的な物量の攻撃に削られていく。

(こいつ実際、大したことねェぞ! やれる!)

サイタマの和服の襟に手をかけたヤクザの一人が勝利を確信して、口の端を緩めた──その瞬間サイタマが取ったのは、まったく予想だにしていなかった行動だった。

「あー、ダメだ、やっぱり邪魔だわコレ」

ぽいっ──と。

まるで路傍の石を放るような気軽さで、唯一の武器であるはずの日本刀を捨てたのだ。男が目を瞠った次の瞬間、強烈なエルボーが彼の額にブチ込まれた。鉄球でも投げつけられたのかと錯覚するほどの衝撃が彼を襲って、あっという間に意識を奪った。

「よしよし、身軽になった。やっぱり慣れないことはするもんじゃねーな」
「このハゲ野郎、なんのつもりだ!? あァ!?」
「ははっ、喧嘩すんならよ、男は黙ってステゴロだろう──がっ!」
「──ぎゃあっ!」

飄々と嘯きながら、さっきまでのもたついた戦いっぷりが嘘のように軽やかに暴れ回り始めるサイタマ。それをちらりと横目に窺って、シキミはやれやれと苦笑してしまう。助太刀は不要そうだと再確認して、自分の戦闘に集中する。自分の三倍くらい体重がありそうな巨漢の突進をものともせず、足を引っ掛けて転倒させ、後頭部を思いっきり踏みつけてやった。

サイタマやジェノスと手分けして三分の一ほどまで戦力を削いで、そろそろ宴もたけなわかという頃合いになったところで──

「調子に乗ってんじゃねェぞォオ!!」

ヨビツギの絶叫が轟いた。三人を取り囲んでいた人垣が割れて、そこに現れたのは、羽交い絞めにしたヒメノの首筋にナイフを突きつけて立っているヨビツギの姿だった。

「それ以上やってみろ、このガキ殺すぞ!」
「……なんかテンプレートだなー、オッサン」
「あれ以外の抵抗ができるほどの知性がないんでしょう」
「聞こえてんだよォ! このド腐れどもがァア!」

動じる様子のないサイタマとジェノスに、ヨビツギは唾を飛ばしながら激昂する。シキミだけがあたふたしている──が、なにやら様子がおかしい。

「ちょ、ちょっとヒメノ、あんた逃げなさいよ」
「……それは……」
「いやいや、逃げろって、そりゃ酷だろ。あの状況で」

サイタマの常識的な発言に、シキミは視線を泳がせる。ヒメノも同じようなリアクションだった。

「ははははっ! できるわきゃねェよなア、家族思いのヒメノちゃんはよォ! なんたってこっちにはもうひとり“人質”がおりやすからねェ!」

すっかり勝ち誇った気分でいるヨビツギの哄笑に、返答を述べたのは──

「それって──ひょっとして、この子?」

いつの間にか入口に立っていた、アンネマリーだった。
彼女の横には、倉庫群に程近い場所に並べられたコンテナの陰に隠れているよう指示したはずのダイキが立っている。

「そこでうろうろしてたので、連れてきました」
「うろうろしてたって、お前……片付くまでじっとしてろって言ったろ」
「す、すんません、でも俺、ヒメノさんが心配で……!」

サイタマの軽い叱責にすらびくびくしつつも、ダイキは力強く声を張り上げた。信じられないといったふうに瞠目してダイキを見つめているヒメノに届くように──殴られて蹴られて痣だらけになりながら、叫ぶ。

「ダ……ダイキさん! あなた、怪我を……」
「ヒメノさん! 俺なら平気です! もう大丈夫です!」

誰よりも早く、明確に反応したのは、ヨビツギだった。

思いもよらなかったダイキの登場に──彼は一気に、青褪めたのだ。

ヒメノを拘束していた腕を離し、彼女から飛び退こうとした。しかしそれを許さなかったのは、他ならぬヒメノであった──彼の胸倉をがっしりと掴み上げて、

「──なァにを逃げくさろうとしとるんじゃ、この外道がァア!!」

迫力満点にドスの利いた罵声と。
一流格闘家も真っ青の、強烈な頭突きをお見舞いした。

「ぷぁ……っ、」

鼻っ柱を圧し折られて、ヨビツギが苦悶にふらつく。前のめりになった彼のオールバックに整えられた髪を引っ張りながら、ヒメノはとどめとばかりに喉笛へ膝蹴りを入れた。急所を的確に突いた、まさに“喧嘩殺法”ともいうべき、ノールールでアンモラルな攻撃だった。

たまらず倒れたヨビツギだったが、ヒメノが手を休めることはなかった。正確には手ではなく、足だったけれど──篠突く雨のごとく、ヨビツギの背中にヒメノの踵と怒号とが止め処なく降り注ぐ。

「好き勝手やってくれたのォ、どう落とし前つけてくれよるんじゃア、テメエこら聞いとるんかァ! 人質とってワシ黙らそうって魂胆だったんじゃろうがのォ、甘いんじゃボケェ! 偉大なる妙興寺組の若頭が一人娘を舐めとんのか! 黙りこくっとらんでのォ、なんぞ言うてみんかい! こらァ!」
「ひっ──ぐえっ! がっ! ぐはぁっ!」
「薄汚ねェ血ィ垂れよってからに! テメエの肚にゃア組長への仁義はありゃせんのんか! 一遍くたばってェ十万億土をァ踏みやがれ、この恩知らずのクソ畜生がァ!」
「がっ、は、かんべ……勘弁してくらはァ……」

すっかり立場が逆転してしまったヒメノとヨビツギを、ちんぴら連中は呆然として眺めている──それはサイタマとジェノスも一緒であった。シキミだけが「やっぱりこうなったか……」とでも言いたげな、複雑そうな顔で立っている。

「……え? あの子……悪いヤツに誘拐されて……危ない目に遭って……え?」
「……多分、あのダイキさんっていう方が人質になってたんだと……いうことを聞かなければダイキさんを傷つけるとかなんとか、そうやって脅されてたんじゃないでしょうか。だからきっと今まで……ダイキさんの無事を確認するまで、抵抗できなかったんです」
「ああ……そうなの……」
「そう、だと、思います……」

これにて一件落着──なのだろうか?

いいように弄ばれた鬱憤を晴らすかのようにヨビツギをボコボコにしているヒメノを見つめながら、サイタマはひくひくと頬を引き攣らせるしかなかった。

「……アイツ、被害者なんだよな?」
「……そのはずです」

そこでようやく敗北を悟った残党の面々が、弾かれたように走り出した。恥も外聞もなく、己の保身のために逃走を図った。武器を投げ捨て、我先にと唯一の入口に殺到していく。はっ、と我に返り、追いかけようとしたシキミの眼前で──彼らの体はなんとシャッターの手前で揃って宙に浮き上がり、そのまま空中で固まってしまった。

「……えっ?」

脂汗を滲ませながら、視線をきょろきょろと泳がせ、なにが起こったのかわからないというふうに混乱している彼らはまるで蜘蛛の巣に引っ掛かった羽虫のようであった。極細の糸に絡め取られ、身動きのすべてを封じられた、哀れな被食者。

そう──“糸”。

大の男を幾人も束縛できる、最強のストリングス。

その死線を駆使し、危険を顧みず平和のために戦う女性を、シキミはひとり知っている。

「……後輩に呼び出されたから、なにかと思って来てみれば」

破壊されたシャッターの奥から出てきて、アンネマリーの隣に並んだ彼女──ヒーロー協会でも屈指の実力者である諜報員ニーナは、黒い革手袋を嵌めた指先をくいくいと軽く動かしながら、荒れ果てた倉庫内部を一度ぐるりと見回して──疲弊しきった様子で、盛大な溜め息を吐き出した。

「とりあえず全員、本部までご同行を願います」