eXtra Youthquake Zone | ナノ





湾岸の工業地帯に建てられた倉庫群は、コピーアンドペーストで貼りつけたみたいに同じ姿かたちをしていた。海を埋め立てて確保したアスファルトの敷地にそれらが整然と並ぶ様はどことなく退廃的で、独特の雰囲気がある。加えて、あちこちに点々と転がっている小型のクレーンやクローラ運搬車が、なんともいえない物悲しさを醸し出していた。

ロマンチックさなど微塵も感じられない、そんな鉄臭い埠頭にアンネマリーの運転するセダンが到着して四人が揃って車を降りた頃には、既に陽が傾きかけていた。朱と紺のグラデーションが彩る夕闇の空に、街灯りが星のように瞬いているのが遠く見える。湿った潮風がシキミの肌を撫でて通り過ぎていった。

「結構広いみてーだけど、敵はどこにいんの?」

よれた着物を手探りで直しながら、サイタマが訊ねる。

「第三倉庫と言っていました。この第二倉庫の、ちょうど裏ですね」
「ほうほう。そんじゃ、さっさと乗り込むか」
「あの、サイタマ様、お面もつけていくんですか?」
「え? ダメ?」
「……いえ、問題ありません」

すっかり“着流しヤクザ”風ファッションを気に入ってしまったらしいサイタマの説得を諦めて、抜き身の大鋏を担いで進みかけたアンネマリーが──はたり、とあることに気づく。

「……そういえば」
「どした?」
「私は世間に顔を公表していないので、いいとして──仮に高名なヒーローであるジェノス様とシキミ様がそのままヤクザのドンパチに乗り込んでいって、それが世間にバレたら、大騒ぎになりますよね」
「確かに、イメージはよくないかも知れないですけど……」

それどころか、ゴシップ誌に好き勝手なことを書かれるかも知れない。国内に数多く存在する暴力団の中でも最大クラスの規模を誇る妙興寺組の若頭の一人娘と、アイドル的な人気で知られるA級ヒーロー“毒殺天使”が友人関係にあるなんて、下世話なメディア関係者たちからしたら恰好のネタだろう。散々つっつかれて、下手をしたら学校にも迷惑が掛かる可能性がある。当事者のシキミとヒメノだけでなく、二人といつもつるんでいるツルコにまで飛び火しないとは断言できない。

「あたしマスク持ってますんで、つけときますね……焼け石に水かもですけど……」
「ないよりはマシですよ。……ジェノス様は」
「俺はそんな顔を隠せるようなもの、用意してないぞ」

面倒くさそうに眉を顰めたジェノスの肩を、サイタマがちょんちょん、と突いた。振り返ったジェノスの目の前に、サイタマから意気揚々と差し出されていたのは──

「ほいよ」
「持ってきてたんですか?」
「こんなこともあろうかと思ってな」

信憑性が欠片も感じられない台詞を吐きながら誇らしげに胸を張るサイタマから“それ”を受け取って、呆然と手の中の“それ”を数秒見つめたのち、ジェノスは重たそうに口を開いた。

「……つけないといけませんか?」
「空気を読め、ジェノス」
「……………………」
「男だろ!」

サイタマが気合いたっぷりに放ったその言葉の意味はわからなかったけれど、まったくもってひとつたりともわからなかったけれど。

「……………………」
「ジェノスさん、すいません、お願いします……」
「…………………………」

尊敬してやまない師匠と、年下のかわいい妹弟子の頼みとあらば、無碍にはできなかった。肉体のほとんどが機械でも、ヒトとしての心までは捨てていないのだ──断れるわけがない。

しかし“それ”を装備した己の愉快な風貌に、ハムスターのように頬を膨らませながら笑いを堪えているアンネマリーだけはあとで消し炭にしてやろうと固く心に決めて──ジェノスは半ば自暴自棄になりながら、仲間たちとともに夕暮れの港を突っ切っていった。



──その頃。

そこから程近い第五倉庫の中で、ダイキは膝を抱えてがたがたと震えていた。武者震いだったら多少の格好くらいはついたのだろうが、残念ながら彼が小刻みに全身を痙攣させているのは純然たる恐怖のためである──きつく唇を噛みしめて、目尻には今にも零れ落ちそうな涙の玉が浮いていて、彼を拘束して監禁している呼続一派の構成員たちにさえ憐憫の情を植えつけるほどであった。

「……なんつーか、アレだな。兄ちゃん、気の毒だな」
「ううう……」
「ことが終わったらちゃんと帰してやッからよ、なっ? そう怖がりなさんな。俺らだって鬼じゃアねーんだ」

そうは言われても、忌むべきヨビツギの部下である彼らが働いた狼藉はダイキの網膜に焼きついてしまっているのだ。若頭の屋敷で、彼らの残忍な暴行を受けて倒れた者たちの姿が頭から離れない。自分もああなるのではないかと怯えるのは、この血で血を洗う裏の業界に足を踏み入れて日の浅い新入りとしては常識的な反応だった。

「まァ帰れたところで、今まで通りの生活ができるかどうかァ、保障できんがな──ヨビツギの兄貴が頭取に就いた暁にゃ、若頭派の連中の立場は一気に悪くなる。俺らは鬼じゃアねーが、ヨビツギの兄貴を前にしたら、鬼だって悪魔だって裸足で逃げ出すだろうよ。気に入らねえ部下をコンクリ詰めにして海に沈めるくらいのこと、鼻唄混じりにやってのけるからな」
「こ……コンクリ詰め……」
「そうならねーように、せいぜいご機嫌取りの方法でも考えておくんだな、兄ちゃん」

蝋人形のように真っ青になりながら、ダイキはもう卒倒しそうだった。いろいろあって社会での居場所をなくし、若頭とその一人娘の懐の深さに救われて、ここに拾ってもらえた。二人には命を懸けてもなお足りない大恩がある。頭も悪い、力も弱い、それでも全身全霊で彼らの温情に報いようと、強く心に決めていたはずなのだけれど──いざ危機が目の前に迫ってきたら、容易く決意は揺らいでしまった。死ぬほど情けなかったが、どうしようもなかった。

「そもそも、なんでコイツまで連れてきたんスかね、ヨビツギさんは。あのメスガキ一匹いりゃあ若頭との“交渉”はできるでしょう?」
「さあな。兄貴の考えてるこたァ、俺にゃとんと想像もつかん。保険のつもりじゃねーか?」
「こんな下っ端、保険になりやすかいね?」
「そうだな……あ、アレじゃねーのか? 兄貴が秘密裏に関わってる、人身売買組織。こないだ一番のお得意先が潰れたんだろ? これから大きくシノギが減っちまうって、酒の席でぼやいてた。だから不足分を取り返していくために商売の手を広げていかにゃアならん、とかなんとか──大方パーツの販売でも始めるんじゃねーか」
「パーツ?」
「臓器」
「ああ……なるほど。合点がいきやした」
「この兄ちゃん、虫も殺せなさそうな顔してやがるからなァ。それなりに育ちはいいんだろ。カラダが健康なら、高く売れると思うぜ。見た目はイマイチだから“ソッチ”方面での買い手はつかんだろうが──若くて活きのいいハラワタなら、いくらでも需要はあんだろ」
「ですねェ。いや、本当に気の毒だ、兄ちゃん」

げらげらと下品に哄笑しながらそんなことを話している二人を前にして、ダイキは正気を保っているだけで精一杯だった。いっそ狂ってしまえたらどれだけ楽だろうかと思ったが、しかし恐ろしい目に遭っているのはヒメノとて同じなのだ──いや、彼らの本来の標的は彼女ひとりなのだから、今頃なにを言われているのかわからない。けれど、ことのついでに拉致されてきた半端者の自分などとは比べるべくもないくらい、もっと怖いに決まっている。女子高生がこんな事件の渦中に放り込まれて、まともでいられるわけがないのだ。

「あのメスガキは、どうするんでやしょうね」

男のひとりが、再度ヒメノの話題を出した。ダイキの肩が一際おおきく跳ねる。

「さァな。全部が終わったら、店にでも出すんじゃアねーか」
「店って──ヨビツギさんの? そりゃア酷でやしょう。あそこに集まるのァ、金と時間を持て余したド変態ばっかりだって聞いてやすよ」
「あァ、陰でマジモンのスナッフ・ムービーなんかも録ってるらしいな。まったく頭が下がるぜ、あの人の趣味にゃアよ。ま、俺らが心配するこたねェ。外道どもに引き取られる頃までには、なんにもわかんねェようにうまく漬けておくんだろ。そういうことに関しちゃ、ヨビツギさんは抜け目がねーからな。大人しそうな顔したあのガキがどういうふうになンのか、俺もちょっと興味あらァ」
「ははは、大概あんたも外道でさァ」
「違げェねえや」

ダイキの肩は相変わらず、ぶるぶると震えている。
しかしそれは──さっきまでの、根性の足りない怯えのせいではなかった。血の気が引いていた額には青筋が浮いていて、きっ、と力強く二人を睨みつけている。

「──……すな」
「あ? なんぞ言ったか、兄ちゃん」
「ヒメノさんに手を出すな!!」

ついさっきまでみっともなく縮こまっていたダイキが突如として張り上げた怒鳴り声に、二人は呆気に取られたようだった──が、一瞬だけだった。彼がなにに反応して激昂したのかを理解すると、揃って腹を抱えて笑い出した。

「なんだァ、お前、あのガキに惚れてんのか?」
「あの人に──ヒメノさんに指一本でも触れてみろ、絶対に許さないからな!!」
「でけー声を出すんじゃアねェよッ!」

凄んだ大音声とともに、男がダイキの腹に前蹴りを叩き込んだ。短く呻いて前のめりになったダイキの横っ面に、もう一発、高そうな革靴の爪先が食らわされる。折れた歯が飛んで地面に転がって、苦しげな咳に混じって血の飛沫が散った。

「がっ……は、」
「いい気になりやがって! 気取ってんじゃねェぞ、雑魚が!」

顎を蹴り上げられて、ダイキの意識が揺れる。万に一つも勝ち目はなかった。悔しくてたまらない。こうしていいように甚振られ、恩人の危機に駆けつけることさえできない、自分の下らなさに腸が煮えくり返る思いだった。闇雲に足掻いてみても、自らを縛りつけている縄は固く、解けそうにない。

「……くッ……そ……」

切れて鉄の味が充満する口から唸りを漏らし、蹲って額を床に擦りつけながら、ダイキは祈るような気持ちで──きつく目を閉じた。

誰でもいい。
本当に、もう、誰でもいいから──

──助けてくれ。

実際にそう口に出したわけではなかった。そんなことを言おうものなら、いよいよ自分はただの負け犬だ。自尊心やプライドだなんて大層なものは持ち合わせていなかったが、それだけは許せなかった。

しかし──“彼ら”は。

たとえ、呼ぶ声がなくとも。
救いを求める涙がなくとも。
それが世界の摂理であるかのように。
それが不変の真理であるかのように。

どこからともなくやってくる、そういう存在なのだった。

悩める弱者の、絶体絶命の危機には。

──必ず、ヒーローが現れる。