eXtra Youthquake Zone | ナノ





別室でジンロウの事情聴取に当たっていたジェノスとアンネマリーが、サイタマたちのもとへ戻ってきた。どうやら“仕事”を無事に終えたらしい──想定していたよりも、ずっと早かった。

「もう場所わかったのか?」
「ええ。Z市の港にある物流倉庫だそうです。連中が裏で牛耳っている通運業者が所有している場所のようで。隠れるにはもってこいの好物件ですね」
「はあん。海沿いの倉庫とヤクザって、いよいよテンプレだな」
「……ていうか……」

緊張感のない口振りでそんなことを言うサイタマに、アンネマリーは釘付けになっていた。ぽかんと口を開けて、彼の立ち姿をじろじろと眺めている──それも無理はない。彼の出で立ちが、先程までとは大きく変わっていたのだから。

「……なんですか? その格好」

現在サイタマが纏っているのは、羽織を省いた和装だった。着流しと呼ばれる、着物に帯を締めただけの、略式的な普段着のスタイルである。濃いグレーの色無地に、ご丁寧に足袋と草鞋まで履いていた。側頭部に留めている狐の面までは、果たして必要なのかどうかわからないけれど──彼なりのお洒落なのかも知れない。

「どう? 似合ってる?」
「どっから持ってきたんですか、それ」
「この兄ちゃんが引っ張り出してきたケースの中に入ってたんだよ。宴会用なんだと」
「はあ……」

アンネマリーがリュウヘイに視線を移す。彼は「コイツが勝手に着ただけだ」とでも言いたげに、口を尖らせつつ目を逸らしてしまう。となると、恐らくシキミが着付けたのだろう。雑誌の撮影などで様々な衣装を着る機会の多い彼女である──これくらいできても不思議ではない。サイタマがもともと着ていたパーカーを畳んで置いて、シキミは厳しい面持ちで顔を上げた。

「行きましょう。一刻を争います」
「そうだな。先生、早く着替えをして──」
「え? いいよこのままで。めんどくさいし。ジェノスも着る?」
「……遠慮しておきます」
「あ、そう。じゃあ、これ、お面だけでもどう?」

サイタマが差し出してきたのは、なんとも間抜けに口をすぼめて曲げたひょっとこであった。それを複雑そうな表情で一瞥して、ジェノスは「結構です」と丁重に申し出を断った。

「つければいいじゃないですか。せっかくですし」

ニヤニヤしながら揶揄するアンネマリーを、ジェノスが睨む。

「諸説あるみたいですけど、ひょっとこって漢字で“火男”って書くんでしょう? 火を吹く男ですよ。ぴったりじゃないですか」
「お前から燃やしてやろうか」

そんな馬鹿げた遣り取りもそこそこに、一向はジンロウから聞き出した港へと急ぐべく車に乗り込んだ──アンネマリーの愛車は定員オーバーだったので、塀の脇に停められていた呼続一派のセダンを拝借することにした。憤然と先陣を切って後部座席に座ろうとしたリュウヘイを、アンネマリーが制した。

「あなたはここに残ってください」
「はァ!? なんでだよ! 俺だって戦えるぞ!」
「だからこそです。破落戸どもは全員動けないようにしてありますが、それでも見張りは必要でしょう。負傷した方々もいます。一応ヒーロー協会に連絡はしましたから、じきに救急車が来るでしょうが──それまで、この砦を守ってください。その白鞘があれば、殿の任務は立派に果たせるでしょう」

リュウヘイは最初こそ渋っていたが、アンネマリーの発した“殿”という単語に悪い気はしなかったらしく、彼女の命を了承した。殿というのは本来、後退行動する本隊の背後を追撃から阻止する役目のことなので、この場合に用いるのは正確ではないのだが、そんな齟齬は取るに足らない些事である。

「……アンネマリーさん」
「はい? なんでしょうか?」

発進したセダンの車中、助手席のシキミが口を開いた。

「リュウヘイさんを連れてこなかったのは、単に後始末が面倒だったからですよね? あたしたちヒーローが誘拐犯を叩きのめすぶんには正義活動の一環として通るけれど、一般人であるリュウヘイさんが私情で暴力を働くとなると、彼も犯罪者になってしまう……それを防ごうとしたんですよね?」
「買い被りです。そこまで考えていたわけじゃありませんよ。ただ、現場に駆けつけてきた協会の人間に、状況を説明する人間がいないと困るでしょう? 好き勝手ヤッちゃいましたからねえ」

住宅街を抜けて、海の方角へ続く大通りに出る。滑走路のようにまっすぐ伸びる四車線の車道を飛ばしながら、アンネマリーはひそりと口角を上げた。

「きっとニーナ先輩も出張ってくるでしょうし。私の尻拭いばっかりさせられてますからね、いつも」
「そう思うなら、少しは自重したらどうなんだ」
「いや、あなたに言われるのは心外ですよ、ジェノス様。あなただってさっき、あのヤクザに滅茶苦茶してたじゃないですか」
「あれは必要な犠牲だった」
「ぎ、犠牲って……殺してないんですよね?」
「当然だろう」
「そ、そうですよねっ! あはは……」
「せいぜい半殺し程度だ」
「………………」
「あれは四分の三殺しだったと思いますけど」
「ほとんど死んでんじゃねーか」

着物の裾を気にしながら、珍しくサイタマが真っ当なツッコミを入れた。後学のために、のちのちジンロウに対して彼らが行ったことを具体的に聞こうと思っていたシキミだったが、やめておくことにした。精神の衛生を保つために。

哀れなジンロウが果たしてどうなってしまったのかは、語るに余りあった。ちょうど同時刻、ひどく痛めつけられ、持てる情報のすべてを根こそぎ搾り取られ、タオルを巻いた猿轡を噛まされたまま放置されていた彼の抜け殻を目の当たりにして、リュウヘイが顔を引き攣らせながら立ち尽くして硬直していたのは──また別の話である。



「だからァ、そんな怖いカオしねーでくだせェって、お嬢。ワシらはねェ、若頭の一人娘であるアンタと、ちィーっと仲良くできりゃア、そんでいいんスわ」
「そうそう。お近づきになりやしょうや」

ダンボールと廃材が堆く積まれ、乱雑に散らかった薄暗い倉庫の隅で、錆びたパイプ椅子に座らされたヒメノに二人の男が詰め寄っている。

「私には、そのつもりありませんので」
「つれねェこと言いなさんな。強情も大概にしやせんと、身を滅ぼしますぜ」

遠回しな脅迫にも、ヒメノは眉ひとつ動かさない。怯えるどころか、目尻を吊り上げて嫌悪感を剥き出しにしている。

「一緒に連れてきた兄ちゃんも、お嬢がそんな態度だと悲しむんじゃねェですかい?」
「……ダイキさんに手を出したら、ただじゃ済みませんよ」
「ひひひっ、怖い怖い。こりゃアおっかねェや」
「俺ちびっちまいそォですよ。ひゃははは」

ダイキというのは、ごくごく最近この組に加わった若い青年である。年の頃はヒメノとそう変わらないのだが、いろいろあって任侠の世界に入ってきた。まだ盃を交わしていない雑用係だが、何事にも一生懸命で真面目なので、若頭も目を掛けていたのだ。しかし虫も殺せないような優しい心根の持ち主なので、ゆくゆくは事務所の経理でも任せようと育てていたようなのだけれど──こんな事態に巻き込まれてしまっては、もう駄目だろう。箍の外れた同業者の危険さを思い知って、足を洗いたくなったに違いない。

それがとても悲しくて──悔しかった。
新しい家族をひとり失ってしまうことがつらかった。

彼は現在ここにはいない。恐らく別の倉庫に隔離されているのだろう。わざと姿を見えなくさせることで、ヒメノの抵抗を防ごうという肚なのだ。

「あなたたちのこと、私は絶対に許しませんから」
「許さねェならどうだってんですかい? パパに言いつけでもするんですかいね?」

下卑た問い掛けに、ヒメノは答えなかった。ただ耐え忍びながら、眼鏡のレンズの奥で、その瞳に静かな怒りを燃やしていた。