eXtra Youthquake Zone | ナノ





どこかに出掛けていたジェノスが帰ってくるなり、なにやら紙の山のようなものを差し出してきたので、サイタマはぽかーんと面食らってしまった。寝転がってだらだらと読んでいたマンガ雑誌を床に伏せて、とりあえず受け取ってみる──ずしり、ときた。ついさっきまで手に持っていた週刊少年サンデーより重たい。いったい何百枚あるのだろうか。

「……なにこれ?」
「俺なりの反省文です」
「反省文?」
「このあいだ……S級の集会の日、あろうことか俺は泥酔して……先生に見苦しいところを見せたばかりか、多大なるご迷惑をおかけしてしまいましたので、その謝辞と謝罪と自己分析、そして今後どう生活態度を改善していくかをまとめました。読んでください」

真面目くさった顔で正座して、そんなことを言うジェノス。サイタマはぴくぴくと頬を引き攣らせながら、恐らく彼が数日かけて書き上げたのであろう原稿用紙の分厚い束に目を落とした。定規で引いたみたいな整った字で、びっしりと枡目が埋められている。作文というより大作長編みたいなスケール感だ。これを最後まできっちり読めというのは、活字が苦手すぎてデスノートの読破すら挫折したサイタマには、もはや拷問であった。

「……今度、時間があるときにな……」
「お忙しいのは重々承知ですが、なるべく早くお願いします」
「…………うん」

とても二十文字以内で簡潔にまとめてこいと突き返せるような雰囲気ではなかった。学生の時分に、己も何度か反省文の類を書かされたことはあったけれど、ここまではとてもできなかったな──とサイタマは懐かしい気持ちになった。紛れもない現実逃避だった。いっそ走馬灯と称していいくらいの。

と──そのとき、窮地に立たされていたサイタマに助け舟が出された。ジェノスの携帯電話が着信を告げたのである。

「もしもし。なんだ、どうした、……シキミ」

ぴくっ、とサイタマはその名前に反応して、目を大きくして顔を上げた。シキミは確か今朝、教授に会う用事を済ませてから友人たちとカラオケに行くと言っていた。なにかあったのだろうか。

「俺か? ああ、今はサイタマ先生の家にいるが……先生も一緒だ。……なに? 妙興寺組? ああ、知っている。内輪揉めでドンパチやっているらしいと、週刊誌にも出ていたな。……そこにいるのか? お前が? 今?」
「ちょ、ちょっと待て、貸せジェノス」
「あ、はい、……シキミ、先生に代わる」

会話の不穏な空気を察して、サイタマは露骨に焦りつつ身を乗り出し、ジェノスから携帯を半ば奪うようにして借り受けた。スピーカーの向こうから聞こえてきたシキミの声に苦痛や苦悶の色はなく、普段どおりの様子であったので、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。

「お疲れ様です、先生、それで、あの」
「妙興寺組ってお前、あれか? ヒメノの家か?」
「そうです。カラオケに行く約束してて、連絡つかなくなったので迎えに来たんですけれど、男性の方が暴行を受けた形跡がありまして。家の中も荒らされてて……それで話を聞いてみたら、その、……権力争い絡みで、過激派の連中にヒメノが誘拐されてしまったみたいなんです」
「え──誘拐?」
「急いで探し出して保護しないと、どうなるかわかりません。今ここにはあたしと、ヒーロー教会のアンネマリーさんがいます。先生のお力添えもいただけませんか?」

そんなもの──
疑問形を付随されるまでもない。

誰かの危機には勇敢に駆けつけるのがヒーローだ。

「わかった、すぐ行く。ダッシュで行く」
「ありがとうございます」
「そこで待ってろ」
「了解しま」

ぶつん、とそこで通話が唐突に切れてしまった。

「──!? おい、シキミ!?」

シキミの返答に被って、確かに派手な破壊音が──豪快な崩壊音が聞こえた。明らかに攻撃的な、自然には有り得ない音だった。何者かの襲撃を受けた可能性が高い。

「緊急事態ですか?」
「ジェノス、妙興寺組の場所、わかるか?」
「はい。郊外の住宅地を、少し東に行った地点です。俺と先生なら、走れば二十分程度で到着します」
「十分で行くぞ」
「わかりました」

ヒーロースーツに着替える時間も惜しい。よれよれのパーカーとハーフパンツのまま、サイタマはジェノスを引き連れて自宅を飛び出した。まったく──どうにもこうにもこのところ、トラブルが多い。



残党がいるとは想定していなかった。とっくに蛻の殻だと思い込んでしまっていた──その油断が、致命的な隙を生んでしまった。

どこからともなく湧いてきた十数名の男たちに、完全に囲まれた。奥の和室と、縁側の左右、そして背後の庭──シキミとアンネマリーの両名は、ぐるりと包囲されてしまった。気づいたときには手遅れだった。よくよく考えれば、外の塀に停まっていた外ナンバーの黒いセダン──身内かもしくは正式な来賓であったなら、この広い敷地内で、然るべき駐車スペースを与えられていたはずだ。泣く子も黙る妙興寺組が、同胞に対して、あんな路上駐車みたいな真似はさせないだろう。招かれざる客だったというわけだ──迂闊だった。シキミは舌打ちでも零してやりたい気分だった。

驚いた拍子に通話終了ボタンを押してしまったが、用件は伝えたので大丈夫だろう。サイタマと、きっとジェノスもここまで応援に来てくれるはずだ。

しかし──あの廃墟地帯からここまでは、いささか距離がある。
この絶望的な状況は、自分がなんとかしなければならない。

「ねーちゃんたち、ここでなにしてんのォ?」

リーダー格らしい男の一人が、揶揄するような口調で、ねちっこく問うてきた。その右手には、大振りのミリタリー・ナイフが光っている。

「我々はヒーロー教会の者です」
「あァ? ……ヒーロー?」

アンネマリーの名乗りに、全員が怪訝そうに眉を顰めた。

「あなたがたが拉致したご令嬢の居場所を教えなさい。そうすれば見逃してあげます」

傲岸不遜な、上から目線の物言いだった。彼らを逆上させてしまうのでは──とシキミは冷や冷やしたが、男たちはむしろ腹を抱えて哄笑した。ただの女が強気に楯突いてくるのが、おかしくてたまらないらしい。

「なに、オマエ、今の状況わかってんの?」
「そういう陳腐な脅迫はいいから、早く教えなさい。時間がないんです」
「ちょっ、ちょっと、アンネマリーさん……」
「まさか“部外者だから殺されない”とか思っちゃってる?」

ぎらり、と凶刃を閃かせて、男が一歩前に出てきた。
しかしアンネマリーは微塵も怯まなかった。

「思っていますよ。我々が、あなががた程度に後れを取るわけがありません」
「ボーッとしてるあいだに取り囲まれてるくせに、でけェ口を叩くんじゃねーよ、クソアマ」
「そうですね。それは猛省すべき点です。……ニーナ先輩にバレたら、説教されそう」

どこまでも余裕を崩さないアンネマリーの態度に、男の怒りが頂点に達したようだった。あまり知性の感じられない見た目の通り、随分と沸点が低いらしい──理不尽なくらいに。

「──さっきからベラベラわけのわかんねェことほざいてんじゃねェエぞオオアアアッ!!」

怒声を張り上げながら、掌中のナイフを、アンネマリーの顔面めがけて投擲してきた。
分厚い刃が、まっすぐこちらへ飛来してくる。
反射的に横へ飛び退こうとしたシキミに対して──
アンネマリーは、その場から動かなかった。

その代わりに、右手に持っていた、ギターケースのように括れて細長い形をしたバッグを、瞬時に射線上へ振り上げる。切っ先が食い込んで、中に収納されている“なにか”に突き刺さって、

──がきんっ、

と金属同士がぶつかる甲高い音がして、ナイフが弾かれて床に落ちた。

「なッ──んだと、」

驚愕に目を瞠っている男の前で、アンネマリーがバッグの留め具を鮮やかな手捌きで外していく。蓋が開いて、そこから出てきたのは──当然のように、ギターではなかった。曲線を描く丸い取っ手と、すらりと伸びる刃が、それぞれ二対──刀で喩えるならば鍔の部分に当たる刀身の根本が、ネジに似た番で固定されている。

“それ”を今まで見たことがないという者は、いないだろう。
誰しもが子供の頃から自由に使い、最近じゃあ百均やコンビニでも売っている、現代社会の日常生活において必要不可欠な、もっとも身近で、もっとも安易で、もっとも平和的な、刃物。



(は──“鋏”……!?)



見慣れた形状ではあるものの、そのサイズは異常だった。一メートルを優に超えている。常軌を逸した大きさだった。目を疑ってしまうほどに奇妙で奇矯で奇抜な武器を、アンネマリーは軽々と操りながら、凛と立つ。

「……シキミ様」
「えっ、あ、はいっ!?」
「ちょっと暴れます。そちらの被害者男性に飛び火しないよう、頼んでもよろしいでしょうか」
「と、飛び火って──」
「手加減が不得意なんですよ、私。それでいつもいろんなもの壊しちゃって、偉い人たちに叱られるんです」

ひゅんひゅんひゅん──と大鋏を振り回しながら、アンネマリーは土足のまま縁側に上がり込んだ。

「サイタマ様、すぐ来るんですよね?」
「……と、思います……」
「では、それまでに、あらかた片付けておかないとですね。合流したら、すぐにご令嬢を追跡できるように」

こともなげにそう言って、アンネマリーが構える。両手にそれぞれ柄を掴み、右腕を肘を曲げた状態で頭の高さまで上げて、左腕は前に突き出す姿勢──カンフー映画の主人公みたいな、トリッキーなポーズだった。開かれた二重の刀身には、虎に食らいつかんと吼える龍さながらの鋭さがあった。

「さて、それじゃあ──」

子供向けのバトル漫画にしか登場しないような、馬鹿げた得物を向けてくる“自称ヒーロー協会員”の女にたじろいでいる呼続派の男たちに、アンネマリーは本職の彼らも顔負けの、勇ましく凄んだ啖呵を切る。

「丸坊主になる覚悟ができた御仁から、掛かってきなさい」