eXtra Youthquake Zone | ナノ





「──というわけで、電撃ブチ込まれたり髪を切らせてもらったり、なんだかんだでヒズミさんとは縁があって」
「そんなことがあったんですね」
「そんなことがあったのですよ」
「アンネマリーさん、今度あたしの髪も切ってくださいよ」
「シキミ様なら──天下のアイドル“毒殺天使”様なら、もっといいスタイリストさんが専属でいらっしゃるのでは?」
「雑誌の撮影なんかに行ったらそういう方についてもらうこともありますけれど、そういうときだけですよ。お化粧だって自己流ですし。いろいろと練習中です」
「ははあ、若いっていいですねえ」
「そんなおばちゃんみたいな……」
「おばちゃんですもの。歳女ですからね、今年」
「おめでとうございます」
「あはは、どうもありがとうございます」

職人の技術が隅々まで施されたテスタロッサの車中でガールズトークに花を咲かせながら、渋滞などに巻き込まれることもなく、彼女らは無事Z市に入った。四車線の大通りを爽快に飛ばしながら、二人の雑談は留まるところを知らず続いている。

「シキミ様と懇意にしてらっしゃる、あの、サイタマ様がおいくつなんでしたっけ」
「二十五歳って仰ってました」
「ひとつ上か……じゃあ、シキミ様とは結構お歳が離れてますよね」
「ええ、そうですね」
「年の差カップルが流行ってはいるみたいですけど」
「か──カップルって、そんな、ちょっとアンネマリーさん」
「えっ? あっ、すみません、とても仲がよろしくていらっしゃるようだったので、てっきり私……そういうご関係なのかと」
「…………………………」

正直に喋ってしまおうかとも思ったが、やめておいた。自分は構わないが、十代半ばの女子高生に手を出したとあってはサイタマの立場が危うくなる可能性がある。行き過ぎた年下趣味が疑わしい男に対して、昨今の世間は冷たい。

「先生のことは、純粋に尊敬してるんです」
「随分お強いそうですね、あの方」
「はい。他人には誤解されがちみたいですけれど……あたしは一生ついていきます。馬鹿にされてても虚仮にされてても、誰より強くて、かっこよくて……先生は本物のヒーローなんです」
「……お気持ちはわかりますよ」
「えっ?」
「そういうひとがいますので。私にも」

フロントガラスの向こうを見つめたまま目を細めるアンネマリーの横顔は、哀愁の内に凛とした力強い決意を秘めているようで──とても魅力的だとシキミは思った。覚悟を決めたオトナの女性だった。行方を眩ます前のヒズミが浮かべていた表情と、とてもよく似ていた。

「……そうなんですか」
「ええ。お互い苦労しますね」
「そうですね」

ぶつかった交差点を左に曲がって、都心からやや外れた位置にあるヒメノ宅へと向きを変える。閑静な住宅街を抜けて、何度か訪れたことのある瓦葺き屋根の豪邸が見えてきた。そこだけ周りの家々と雰囲気が違うので、異様といえば異様なのだが、かといってさほど奇矯なわけでもない。

しかし。
いつもと異なる空気を、シキミの第六感は確かに拾っていた。

「………………………………」

門の前に停めたクルマから降りて、すん、とシキミは微かに鼻を動かす。庭の池の湿って饐えた匂いと、尖った葉を茂らせた松脂の青臭さに混じって届いてくる、

──血と硝煙の気配。

「どうやら、なにかあったようですね」

続いて外に出てきたアンネマリーも異変を察したようで、心身を引き締めているのが伝わってくる。ぐるりと邸宅を取り囲む白い壁。それに沿って視線を遠くに巡らせると、黒塗りのセダンが停車しているのが見えた。

「……外ナンバーですね」
「まあ、堅気じゃあない方々のおウチですから、ああいうのが停まっててもおかしくはないんでしょうが……ちょっと用心しておきましょうか」

そう言ってアンネマリーは、トランクからなにやら妙な形をしたモノを取り出した。ギターケースに似た、箱というべきか袋というべきか──持ち手のついたそれを提げて、門扉に取りつけられたインターホンも鳴らさず中へと侵入していった。その躊躇のなさにシキミはぎょっとしかけたが、なにかトラブルが発生したのなら、自分たちの来訪は知らせない方が得策だろう。そう思い直して、アンネマリーについていく。

シキミの現時点での装備は、シグ・ザウエルP232──女性でも扱いやすいとされる、全長が十七センチにも満たない小型拳銃のみである。口径も小さく、殺傷能力は低めで、せいぜい護身用レベルだ。いささか心もとないが、いちいち協会本部まで戻って準備を整えるわけにもいかない。

(……アンネマリーさんは、たぶん非戦闘員……グレーヴィチ研究所から帰ってきて、ニーナさんと彼女の話をしたとき「あの子と戦闘任務に就くのは罰ゲームだ」って言ってたの、覚えてる。特殊部隊である程度の訓練は受けたそうだけど、きっと争いごとには向いてないんだ。……あたしがなんとかしなきゃ)

ひっそりと気を引き締めて、シキミは警戒を巡らせる。広々とした庭園を横切って、差し掛かった縁側に──男が倒れていた。

「…………!」

脇腹から血を流しながら、ぐったりと伏している。微かではあるが動いているので、意識はあるようだが──早く手当てをしなければ、取り返しのつかないことになるだろう。腰のベルトに差したシグ・ザウエルをいつでも抜いて撃てるよう神経を集中させながら、シキミはアンネマリーとともに男の傍らへ駆け寄った。

「大丈夫ですか? 聞こえますか? わかりますか?」
「……あんたは……お嬢の、ご学友の……」

息も絶え絶えに、男は──ギンスケは、シキミを認識した。夥しい出血を続けている腹部のみでなく、彼の片腕も、自然には有り得ない奇妙な曲がり方をしている。なんらかの暴力を行使されたのは火を見るよりも明らかだった。

「ヒメノは? ヒメノはどこに?」
「情けねえ話だが……連れて、いかれちまった……ヨビツギの野郎に……アイツ、お嬢を誘拐して……」
「ゆ、誘拐──って」

さあっ、とシキミから血の気が引いた。予想だにしていなかった事態への動揺によって思考停止に陥った彼女から、アンネマリーが質問を引き継いだ。

「襲撃犯がどこへ行ったか、見当つきますか?」
「いや、まったく……くそっ……許さねェ、あいつら……組長への恩を仇で返すような真似しゃーがって……欠片の仁義もありゃしねえッ……!」

悔恨に呻くギンスケから、アンネマリーに視線の向きを変えるシキミ。

「……アンネマリーさん」
「なんとなく、事情は察せますね。妙興寺組といえば、時期トップの地位を争って不安定な状態にあるということで、我々ヒーロー協会も危険視していましたから。それ絡みでしょう? そして“あいつら”ということは、犯人は単独ではなく集団──“呼続派”ですね。銃器や麻薬の密輸、人身売買にも手を出している、野蛮な連中だと聞いています」
「……話が早くて助かるが……姉ちゃん、やけに……詳しいな?」
「うちのコワーい“先輩”の情報網を舐めないでくださいな」

ヒーロー協会の使命は、巷の治安を維持し、一般市民の安眠を妨げる危険因子を排除することである。反社会的な進化を遂げ猛威を奮っている怪人のみでなく、凶悪犯の捕縛および制圧に関わることもある──パワーバランスの崩れかけた暴力団の動向を監視して、いざとなったら武力介入も厭わず始末をつける準備をしておくのも、立派な責務のひとつというわけだ。

「本部に応援を要請しますか?」
「……あまり大人数で動くのは、こういう場合は得策でないような気がします。襲撃犯に勘づかれたら面倒ですから。少数精鋭で、人質の奪還を最優先に、奇襲を掛けるのが理想ですが……二人では少しばかり不足ですね。シキミ様──天下のA級“毒殺天使”が、信頼に値すると判断できるヒーローを若干名だけ招集するのがいいかと」
「信頼に値するヒーロー……」

と──言われたら。
シキミの脳裏に浮かぶ人物は。

ひとりしかいなかった。

「……先生に連絡を取ってみます」
「かしこまりました。よろしくお願いします」
「ジェノスさんも、手が空いていれば来てくれると思います」
「それは誠に心強いですね」

そう嘯くアンネマリーにギンスケを任せ、シキミはスマートフォンを取り出し、素早くアドレス・ブックを開く。サイタマは携帯を所持していないので、ジェノスに掛けてみるしかない。どうかふたりが一緒にいてくれますように──と神に祈りながら、シキミはジェノスの番号をタップした。