eXtra Youthquake Zone | ナノ





ヒーロー協会本部を浮かれ気分で歩いていたアンネマリーを、後ろから呼び止める声が掛かった。振り向いてみれば、シキミがぱたぱたと栗鼠みたいに駆けてくるではないか──アンネマリーは足を止め、ぺこりと会釈をして、たっぷりチークを乗せた赤い頬を綻ばせた。

「あら、シキミ様じゃないですか。お疲れ様です」
「こんにちは。今日もお勤め、ご苦労様です」
「ありがとうございます。といっても、今日はもう上がりなんですけどね」
「そうなんですか?」
「はい。もともと非番だったんですけど、ちょっと野暮用で……それも終わりましたので、これから帰るところです」
「休日出勤ですか。大変ですね」
「そう言ってくださるのはシキミ様だけですよ」

悪戯っぽくウインクしてみせるアンネマリーに、シキミは微笑みで応える。

「あたしもちょうど用事が済んだところで」
「じゃあ、少し遅いですけれど、よかったらランチご一緒しませんか?」
「あ、えっと、ごめんなさい。このあと友人とカラオケに……」
「然様ですか。楽しそうでなによりです」
「せっかく誘っていただいたのに、すみません」
「いいえ、お気になさらず。それじゃあ、せめてお送りさせてください。Z市でしたよね」

アンネマリーの申し出に、首と両手を振って“滅相もない”というジェスチャを返すシキミ。

「えっ、いえいえ、そんなお気遣いなく!」
「遠慮しないでください。ぶっちゃけ暇なんですよ。運転するのは好きですし、日頃の感謝を込めてアッシー務めさせてください」
「……いいんですか?」
「女に二言はありませんよ。駐車場が少し離れていますので、クルマここまで持ってきますから、入口のロータリーで少々お待ちください」
「すみません。助かります」

腰が馬鹿になったのではないかと心配になるほど礼を繰り返すシキミに吹き出しそうになるのを堪えつつアンネマリーは本部をあとにして、十分後に愛車を連れて戻ってきた。真っ赤なボディが人目を惹いて憚らないテスタロッサだった。特徴的な車体のラインが妙な色気さえ感じさせる、正真正銘、庶民が憧れてやまないセレブ御用達の高級車である。

「……いいの乗ってるんですね」
「ありがとうございます。自慢の我が子です」

アンネマリーは得意げにクルマから降り立って助手席側に回り、フットマンのように扉を開け、呆然としているシキミに「どうぞ」と乗車を促す。彼女が恐る恐る革張りのシートに身を滑らせたのを確認してから、極力やかましい音を立てないよう丁寧にドアを閉めた。

「Z市のどこ方面に向かえばいいですか?」

シートベルトを締めながら問うてきたアンネマリーに、シキミは煮え切らない返事をした。スマートフォンの液晶に指先を往来させながら、困ったように首を傾げている。

「えっと……待ち合わせは駅なんですけれど、なんか友達と連絡つかなくなっちゃって」
「おやまあ。なにがあったんでしょう」
「さっきまでずっとラインでやりとりしてたのになあ……なんだろう」

秒刻みでひっきりなしにメッセージを送り合っていたのに、ぱったりと既読の文字すらつかなくなってしまった。別に珍しいことではないのだが、シキミは妙な胸騒ぎを覚えていた──歴戦のヒーローの勘が、不測の緊急事態を予感させていた。

「その子のご自宅まで行きましょうか」
「確かにそれが一番早いかもですね……でもなあ……」
「ご住所は? わかりますか?」

躊躇いがちにシキミが告げた地名と番地に、アンネマリーは双眸を瞬かせた。

「そこって、妙興寺組の本拠地じゃありません?」
「…………はい」
「ご友人?」
「そこの一人娘が、クラスメイトなんです」
「……お顔が広くていらっしゃる」
「大丈夫ですか? ヒーロー協会に所属する人間が、そういうところに出入りするのって、問題ありませんか?」
「プライヴェートの人付き合いにまで口出ししてくるような職場なら、こっちから辞めてやりますよ」

本気なのか冗談なのか掴みづらいトーンでそう言って、アンネマリーは愛車を発進させた。独特の排気音を唸らせながら車輪が駆動を始め、爽快にスピードを上げてゆき、協会の尽力によって少しずつ復興の兆しを見せつつあるA市のなかを駆け抜けていく。



野太い怒号と、なにかが壊れて崩れる音が連続している。

雄叫びと悲鳴とが折り重なり、屈強な男たちが殴り蹴り頭突き踏みつけ投げ飛ばし合う、まさに地獄絵図──吹っ飛ばされた部屋住みの青年が襖を突き破って、縁側で待機するよう命じられていたヒメノの目の前に転がってきた。

「…………ッ、」

腹部を押さえて悶絶する彼に駆け寄る間もなく、奥から現れた男。柄にサラシを巻いた木刀を担ぎ、襟を立てて胸元を開いたシャツから威嚇するように刺青を覗かせながら、傷を縫った痕が鮮烈に横切る顔面に獰猛な笑みを張りつけていて──ヒメノの姿を発見して、殊更ますますケダモノじみた表情へと変化させる。

「あァ──お嬢、これはこれは。ゴキゲン麗しゅう」
「……どういうつもりですか、ヨビツギさん」

震えながらも力強い眼差しで睨みつけてくるヒメノに、ヨビツギは下卑た嘲笑を向けている。

「ちと挨拶に来たんですよォ。お父様はいらっしゃらないようで、残念ですけどねェ」
「わかってて来たんじゃないんですか?」
「おやおや、俺ひょっとして嫌われちまいましたかねェ? 傷ついちまァな」

背後に従えた部下たちと目配せして、げらげら笑うヨビツギ──それと悟られぬよう、ヒメノは彼が手にしている得物を観察する。土産物屋で売られているような、修学旅行でやってきた学生たちが喜んで買っていくようなオモチャの木刀とは違う。内側に金属の棒を重りとして仕込んである、れっきとした殺傷兵器だ。そんな物騒なモノを持ち出してきておいて“挨拶”とは随分な話である──今時テロリストだって、もう少しくらいは理性的だろう。

「ほらァ、もうすぐ“会合”があるでやしょオ? その前に、俺らもちょいと、次期頭首第一候補のお父様と仲良くしておこうと思ったんでェございやすよ」
「先程あなたが仰ったように、父は不在です。どうかお引き取りください。家の者に乱暴を働いたことについては、いくらか私が口利きしてあげますので」
「……まったく大した根性でさァ、お嬢」

ヨビツギの顔から、笑みが消える──空気がきりっと張り詰めた瞬間、横の和室からギンスケが文字通り転がり込んできた。苦悶に眉を顰め、脂汗を滲ませながら、脇腹を赤く染めている。深刻な傷を負っているのは一目瞭然だった。

「──ギンスケさん、」
「お嬢! 逃げて──逃げてくだせェ! こいつら正気じゃねェ!」

這い蹲りながら怒鳴るギンスケの背中を、ヨビツギが思いっきり蹴り飛ばした。悲痛な叫びを上げながら悶えるギンスケに、ヒメノは二の句が継げなくなる。さっきまで談笑していた顔見知りが、血塗れになってもなお痛めつけられている──普通の女子高生には、ショッキングすぎる光景だった。

「正気じゃねェとは失礼だなァ、俺たちは挨拶に来ただけだっつったろ? それをお前らが掴みかかってきたんじゃアねーか、オイ?」
「バカこくんじゃねェ、てめーらが先に撃ってき──ぎゃあっ!」

振り下ろされたヨビツギの木刀が、ギンスケの左腕に命中した。ごきんっ──という鈍い音。間違いなく折れただろう。ひょっとしたら、もう、使い物にならないかも知れない。

「じゃかあしィ。若頭の金魚のクソは黙ってろ」
「……やめてください」

ヒメノが一歩、すっと前に出る。レンズの奥の瞳は澱みなく、真っすぐにヨビツギを見据えていた。

「要求を聞きましょう」
「要求だなんて、そんな人聞きの悪りィこと言わねえでくだせェ。何遍も言っとりやすがね、俺らはあんたがたと仲良くしたいだけなんですよ──ヒヒッ」

木刀の切先をふらふらと危なげに彷徨わせながら。

「そういうわけでありやすんで、お嬢や、お忙しいとは思いやすが、ちィとばかし俺らと……」

ヨビツギはまた、侮蔑と狂気を隠そうともしない、残忍な笑いを垂れ流して。

「──あーそびーましょッ、てなァ」