eXtra Youthquake Zone | ナノ




紆余曲折を経て、サイタマとシキミはテナントの喫茶店で小休止を挟んでいた。アイス柚子茶をおいしそうにストローで啜っているシキミの足元には、ぱんぱんに膨らんだビニール袋が置かれている。中身はすべて彼女が勝ち取ったサイタマの衣類である。

「いやあ、いい買い物ができましたねっ!」
「……そうですね」
「あの白いクロップド・パンツ、先生に似合うと思いますっ! すっごくオシャレですよ! 一緒に買ったシャツと合わせてですね……」

楽しそうに語っているシキミだが、サイタマにはなんのことやらわからない。もはや暗号だった。今年のトレンドがどうとか言われても、まったくピンと来ない──魂の抜けた顔で相槌を打ちながら、オレンジジュースをずるずると吸い込むくらいしかやることがなかった。

「そういえば、言おうと思ってて忘れてたんだけど」
「なんでしょうか?」
「さっきヒメノもいたぞ」
「本当ですか?」

目を丸くしたシキミに、サイタマは頷く。

「なんかお付きの人みたいなのがいた」
「……ああ」

どうやら思い当たる節があるらしい。ヒメノの家のことは、シキミも知っているようだ──まあ、それなりに付き合いは深いようなので、当然といえば当然か。

「ケンカ売られませんでした?」
「見てたの?」
「いいえ、なんとなく……」
「ちゃんとヒメノが止めてくれたぞ」
「ええ、昔からそれで苦労してきたみたいですから。あの子」
「そうなのか……なんつーか、まったくそんな感じしねーんだけどな。気が小さそうっていうか……一番そういう世界から縁遠い人種だと思ってたわ」
「人は見かけによらないんですよ、先生」

諭すように言われてしまった。そういうものか、と納得しておく。

「今も大変みたいなので」
「あー、なんか揉めてるとかって……詳しくは聞けなかったけど」
「あの子のお父さんが若頭を務めている派閥のトップ──組長さんが病に伏されたそうで。いよいよ次期頭首を決めることになったそうなんです。新しい組長の座には、実質ナンバーツーのお父さんが就くだろうって噂されてるみたいなんですが、お父さんは麻薬売買とか高利貸しとかの汚いお金が絡んだ商売を嫌ってて、そういうやり方をよく思ってない幹部が多数いるらしくて……言っちゃえば、暴力団の権力争いですね」
「へぇえ、なんかVシネみてえ」

まさしく『仁義なき戦い』だな、とサイタマは嘆息する。

「全然そんなとこで育った雰囲気ねーのになあ、あの子」
「……いろいろあったんですよ」
「ふーん」

とても大型デパートの喫茶店で交わすには相応しくない物騒な話題だったけれど、周囲の客は各々のお喋りに夢中のようで、聞き咎める者はいなかった。

「今回も平和に……丸く収まればいいんですが」
「そうだなあ。そういうの、俺にはよくわかんねーけど」
「どんな世界だって、血が流れないのが一番ですよ」
「そりゃそうだ」

それはその通り──なのだけれど。
反論の余地もないのだけれど。

──そう上手くはいかないのが、世の常である。



それからなにごともなく数日が経過して、舞台はZ市の外れにある屋敷に移る。

豪邸と称して差し支えない和風の平屋である。手入れの行き届いた庭の池にはのんびりと錦鯉が泳ぎ、どこからともなく鹿威しの竹筒が鳴らす澄んだ音が響いていた。そこに面した縁側に腰かけ、スマートフォンをいじりながらくつろいでいたヒメノのもとに、ギンスケが顔を出した。

「隣いいですかい、お嬢」
「ええ、どうぞ」
「お言葉に甘えやす」

相好を崩して、ギンスケがどっこいしょと胡坐をかく。心地よい夏の風が吹いているが、彼のパンチパーマはまったく靡きもしなかった。

「このあいだは、誠に失礼しやした」
「……なにかありましたっけ?」
「リュウヘイが呉服屋で、お嬢のお知り合いに粗相をしたでやしょう」
「ああ……」
「アイツにはきつくお灸を据えておきやしたので」
「ギンスケさんが言うと、怖いですねえ」
「ははは、やめてください。ワシかて鬼畜じゃありやせん。盃を交わした大事な舎弟に、そこまでの仕打ちはしやせんよ」

冗談めかして言うギンスケにつられて、ヒメノも笑う。

「リュウヘイさんも、気が立っていたんでしょう。例の“会合”が近いですから」

ヒメノが口にした“会合”というのは、幹部たちが一堂に会して次期頭首を決定する会議のことである。錚々たる面子が本家本元であるこの邸宅に集まって、組の将来を左右する重大な話し合いを行うのだ──言葉にするとチープに聞こえてしまうが、その緊張感、緊迫感は筆舌に尽くし難いものがある。

「あんなアホより、お嬢の方が大変でやしょう。後継の資格がある正式な血縁者として、会合に出席しなきゃならんのですから」
「私なんて、ただのお飾りですよ。座ってるだけでいいんですから、気楽なもんです」
「肝が据わってる。さすが、あのひとの娘だ」
「あんまり買い被らないでください」

苦笑を零したヒメノの手の中で、スマートフォンが震えた。

「お電話ですかい?」
「いえ、これはラインですよ」
「らいん? ってなんでやしょう?」
「無料で電話とかメールができるアプリのことです。これから友達とカラオケに行くので」
「ほう、便利なもんですな。オジサンにはわかりやせん」
「ギンスケさん、まだガラケーですもんね」
「がらけー? っていうのは?」
「……えーっと」

どう説明しようかと逡巡していたヒメノの耳に、騒々しい足音が届いた。ギンスケともども、顔を上げてそちらを窺う。血相を変えて走ってきたのは、いわゆる部屋住み──兄貴分たちの飯炊きや洗濯などの家事から“事務所”の電話番まで、幅広い雑用を行う下っ端の青年だった。

「ああっ、ギンスケさん! 探しましたよ!」
「おいトラ公、お前、家の中をドタバタ走るんじゃねえよ。みっともねえ、お嬢の前で」

サングラスのレンズ越しに睨まれて、青年は一瞬ぎくっと硬直したが、すぐさま再び慌てふためく。よっぽど焦っているらしい。ギンスケもそれを悟ったのか、それ以上は彼を責めなかった。

「す、すいやせん……あの、今、トラブルが発生して」
「トラブルだァ? なにがあった?」
「“呼続派”の連中が乗り込んできやがったんスよ!」

その名に──ギンスケの眼の色が変わった。

「なにィ? 会合は来週だぞ。なんのつもりだ、あの野郎」
「……ヨビツギさんが来てるんですか?」
「お嬢は気にすることありやせん」

ヒメノが眉尻を下げるのも無理はない。ヨビツギというのは荒くれ者が集まった組の中でも頭ひとつ抜けて過激な武闘派として名を轟かす、彼女の父である若頭と次期頭首の地位を争う男である。そんな彼が──否、彼に心酔して忠誠を誓っている“呼続派”の者たちも揃っているようだ──穏健な若頭派とは敵対しているといって差し支えない立場の彼らが、アポイントメントもなしにここを訪れている。不安を覚えずにはいられない。

「父はどこに?」
「今日は公園の屋台で、若い衆とお好み焼き売っとりやす」
「……そうですか」

この家の最高権力者である父親の不在──
偶然では、ないだろう。
狙ってきたとしか思えない。

「どうしますか?」
「ワシが相手してきやす。お嬢はこちらで」
「父に電話を……」
「それにゃア及びませんよ。適当に理由をつけて、追い返しちまいますんで」

億劫そうに腰を上げ、木張りの床を鳴らしながら玄関へ向かっていったギンスケと部屋住みの青年を見届けつつ、ヒメノは掌中のスマートフォンをきゅうっと握り締める。どうかすべてが穏便に運ぶようにと信じてもいない神に祈っていた彼女だったのだが──

屋敷に響く乾いた銃声が、その願いを無惨にも引き裂いた。