eXtra Youthquake Zone | ナノ





土曜日のショッピングモールは、不景気だなんだと騒がれているこのご時世の中でも、えらく繁盛しているようだった。

真っすぐ前に歩くことすら困難なくらいの人通りで、しょっちゅう誰かとぶつかりそうになったりフェイントを掛け合ったりしているサイタマとは対照的に、シキミはすいすいと群衆の隙間を抜けていく。手慣れたものだった。自分の目の高さより一回りも低い位置にあるシキミの後頭部を見失わないようにするだけでサイタマは必死だった。

「先生、こっちですよう」
「待って待って、ちょっと待って」

通路の隅で足を止めてくれたシキミに追いついて、サイタマはげっそりした顔で溜息をつく。既に疲労困憊の様相だった。まだここに来て数十分しか経っておらず、ひとつの買い物すらしていないというのに、この体たらくである──先が思いやられた。

「大丈夫ですか? 休憩しますか?」
「いやいい、まだ平気……もうさっさと済ませて帰ろう」
「でも、先生、顔色が優れませんけれど……」

心配そうなシキミを押し切って、サイタマは再び足を動かし始める。エスカレーターで二階に上がり、一刻も早く用事を終わらせてマンションに帰りたい一心で目的地を目指していた。

「それにしても、本当にいいんですか?」
「えっ? なにが?」
「ここ大きいモールですから、たくさんメンズのショップも入ってるんですよ? せっかくの機会ですし、いろいろ見てみたら面白いんじゃないかと」
「そういうのはいいよ、流行とかオシャレとか俺あんまし興味ねーし……なにより高い。さっきチラ見してびっくりしたわ。なんだアレ。たかだかジャケット一枚に何万も出せるかよ」
「グレーヴィチ研究所での働きが認められて、臨時報酬が出たじゃないですか。奮発しましょうよ」

どうやらシキミはあの手この手でサイタマに財布の紐を緩めさせたいようだった。しかしサイタマの意志は固かった。倹約家といえば聞こえはいいが、実態はただのドケチ野郎である。

「アレは貯金に回すんだよ」
「貯金ですか?」
「今までカツカツだったからな。あーいうまとまった金なんて、久々にもらったし……定期預金にして、後々でかい買い物する必要が出てきたときのために取っておこうと思って」
「さすが先生、将来のことを見据えていらっしゃる……」
「そんな大層なもんじゃねーけどな」

具体的なプランがあるわけでもない。ただシキミとくっついて、こうして連れ立って遊びに出掛ける機会が増えたこともあり、自由に動かせる足がない不便さが目につくようになってきて──クルマの一台でもあればなあ、とぼんやり考えるようになったのだ。

免許なら持っている。今となっては懐かしい就活時代になんとなく取得して、それ以来まともに乗っていないのでペーパーもいいところなのだけれど、法的に運転をしてもいいライセンスは一応ちゃんと所持している。

二人乗りの軽自動車で、なんだったら中古でも構わない。そうすれば電車の時間も気にせず、行楽地なんかにも赴けるようになって、行動範囲が広がるだろう。夏休みが終わって紅葉のシーズンになったら、郊外の山で赤と黄に彩られた自然の美しい風景を楽しんだりとか、自分は別にこれといって四季折々の変化に興味があるわけではないけれど、でもそれでシキミとちょっといい雰囲気になれたり、とか──

「……あのう、先生?」
「おっふ!? なんだどうした!?」
「え、いえその、なんだか遠くの方を見てポワーンとしてらっしゃるようだったので」
「すまん、忘れてくれ……」

柄にもなく浮かれてしまった。相手は女子高生だというのに、獲らぬ狸の皮算用も甚だしい。これまでに異性と触れ合う機会に恵まれなかったサイタマのことである──はるか年下の、まして従順な子犬めいた愛くるしい美少女ときたら、盛り上がるなという方が無理難題だった。

そんなこんなで、サイタマとシキミは人混みを掻い潜ってユニクロの前に立っていた。他の店より格段に規模がでかい。その広大なフロア面積と、それにも関わらず窮屈そうに犇めく客たちが、無難で安価なカジュアル衣料品の需要を物語っていた。通勤ラッシュの満員電車がサイタマの脳裏を過ぎる。

「……混んでんな」
「そうですね。なに買います? 男物あっちですよ」
「え? なんでお前そんな躊躇ないの?」

ずんずんと店内へ押し入っていくシキミの後ろについて、サイタマも恐る恐る進んでいく。なんとかかんとか辛うじて辿り着いたワゴンセールのコーナーで、どことなく殺気に満ちた黒山の人集りを掻き分けて商品を掴みにかかるシキミ──自分の買い物でもないのに、鬼気迫る勢いだった。隣の主婦に負けじと値引きされたジャケットやらTシャツやらを物色している彼女は、怪人と戦うときより気合いが入っている、ような気がする。

(女って怖えー生き物だな……)

それも自分のためなのだと思うと少し嬉しかったり──は、残念ながら一切しなかった。愛を感じるにはやや環境が殺伐としすぎていた。ショッピングは女性をケモノにするのだと、ひとつ大事な勉強になっただけだった。

少し距離を置いてシキミの激闘を眺めていたサイタマだったが、しばらく膠着状態が続きそうだったので、その場を離れることにした。遠巻きにパーカーがぶら下がっている棚を見つけ、どうやら比較的に人口密度が低いようだったので、そちらを覗いてみようと踵を返す。そして──そこにいた見覚えのある少女とばっちり視線が合って、あっ、と互いに口を開けた。

肩よりも少し短い高さに切り揃えられたぱっつん風の黒髪と、赤いセルフレームの眼鏡。おとなしそうな顔立ち──シキミの同級生で仲のいい友人だという、ヒメノだった。

「おお、誰かと思ったらヒメノじゃん」
「あ、どうも、こんにちは。サイタマさ……先生?」
「いいよ、無理して先生つけなくて」

思わぬ再会に破顔しながらヒメノへ近寄ろうとしたサイタマだったが、その行く手を遮るように、二人の男が割って入ってきた。

オールバックの金髪に派手な和柄のシャツを纏い、とどめとばかりに濃い紫のサングラスを掛けた若者と──厳ついパンチパーマの下に高級そうな白いスーツを着込んだ、これまた色眼鏡で目元を隠した背の低い中年だった。

写真に撮って、ウィキペディアの『ちんぴら』のページに載せても問題ないであろうというくらい、絵に描いたような──テンプレートな柄の悪さである。

「オイ、お前──お嬢になんの用じゃア? おォ?」
「えっ? なに? 俺?」

金髪の若者の方が、ずいっとサイタマに詰め寄る。サイタマより背が高いので、凄むように背中を屈めてやっと視線が同じ位置になる。普通の神経ならば萎縮しきってしまうところだが、なにせ相手はサイタマである。通用するわけがなかった。まったく怯んだふうもなく、平然としている──それが余計に男の苛立ちを煽ったようだった。ますます声を荒げて、額に青筋を立てる。

「お前以外におらんじゃろうがのォ、なんじゃお前このハゲ、ナンパか? お前このひとを誰やと思うて──」
「ちょっと、やめてください、リュウヘイさん。知り合いですから」

責める口調で言うヒメノに、リュウヘイと呼ばれた彼はぴたりと恐喝を取り止めた。信じられないとでもいうように目を瞠って、サイタマを指差し、ヤニで黄色く変色した歯を剥き出しにして唾を飛ばす。

「知り合いィ? マジすか? お嬢が? このハゲと?」
「おい、ハゲハゲ言うんじゃねーよ」
「何者なんスか? まさかコイツにしつこく言い寄られてるとかじゃ……」
「そんなんじゃないですって。私のクラスメイトがお世話になってる、ヒーローの方です」
「ヒーロー? ……ああ、あの民間団体の私兵か」

反応したのは、もう片方のちんぴら──リュウヘイに比べればいくらか理知的に見える、インテリヤクザ風の男だった。彼は礼儀正しく慇懃に、自らをギンスケと名乗った。

「すまんのォ、ヒーローの兄ちゃん。うちの若いのが」
「ああ、いや別にいいけど……」
「こいつはウチの鉄砲玉の中でも、特に血の気が多くてなァ。ほれ、リュウヘイ、謝らんか」
「はァ? なんで俺が、こんなハゲに──」
「謝らんか」
「……すんませんした」

ギンスケの不可視の圧力に負けて、リュウヘイは渋々頭を下げた。なんとなく彼らの力関係が垣間見えた──のはいいのだが、どうして彼らのような人間がヒメノのボディーガードみたいな真似事をしているのだろう。そんなサイタマの至極当然の疑問を察したのか、ヒメノがおずおずと口を開く。

「すいません、その……実は私、こういう家系の生まれで……」
「へー、そうだったの。知らなかった」
「ごめんなさい。不快な思いさせてしまって……」
「いやいや、俺そういうの全然アレだし。気にしねーし」
「ありがとうございます。……それで、今ちょっといろいろ揉めてて、みんな荒れてて」
「お嬢」

鋭いギンスケの口調に、ヒメノが押し黙る。

「そのくらいにしておきやしょう。無関係の兄ちゃん巻き込みなさんな」
「……そうですね」
「…………………………」

なにやら複雑な事情があるようだ。第三者が首を突っ込むべき雰囲気ではなさそうだったので、サイタマも深くは言及しなかった。

「それじゃあ、私はこれで……」
「ああ、また……そうだ、あっちにシキミもいるんだけど」
「今は時間がないので……よろしく伝えておいてください」
「……そっか。わかった」

ぺこりと会釈してから背を向けたヒメノと、彼女に付き従うヤクザ二人が人混みに紛れて見えなくなって、サイタマはやれやれと痒くもない後頭部を掻いた。

「今時の子供には、いろいろあるんだなァ……」

誰にともなく独りごちて、サイタマは自分もそろそろシキミのところへ戻ろうと思い立って──はたと気づく。大きな棚がまるで迷路のように壁を成している、地図も見取図も持ってない、だだっ広い店内を忙しなくきょろきょろと見渡して──絶望的な事実に直面して、にわかに青褪める。

「……俺、どっちから来たっけ……」