eXtra Youthquake Zone | ナノ





その朝シキミを起こしにやってきたのは、完全復活を果たしたゴーシュとドロワットだった。ふたりともワインレッドを基調としたゴスロリ衣装を身に纏い、己の脚で立って歩き、シキミが寝泊りしている療養用の個室を訪れてきたのだった。

既に起床して着替えを済ませ、簡単なストレッチ運動で身体を解していたシキミは、彼らの姿を見てぱあっと顔を輝かせた。視線が合うと、双子は洗練されたシンクロナイズドスイミングのように完璧にタイミングの揃った優雅な一礼をして、口を開く。

「おはようございます」
「気分は。いかが。ですか」
「おかげさまで、清々しい目覚めです」
「それはそれは誠に重畳ですわ。こんな早くに申し訳ないのですけれど、教授がお呼びですの。来ていただけますかしら」
「教授が? ……わかりました。すぐに行きます」
「感謝。いたし。ます。簡単な。朝食を準備して。おりますので。お召し上がり。ください」
「三十分後に、教授の研究室へお越しくださいませ」
「はい、承知しました」
「それでは。失礼。します」
「ごきげんよう」

用件のみを簡潔に伝えて去っていった双子の、ふんだんにあしらわれた繊細なフリルが花弁のように柔らかく揺れるのを見送ってから、シキミは支度を始める。先日やっと邪魔で仕方なかったギプスが取れて、万全とはいえないまでも、ある程度は左手も使えるようになったので、長らくご無沙汰だったメイクが捗るのだ。とても楽しい。花のように鮮やかなチークを乗せていると、心の中のオンナノコの部分が晴れやかに高揚してくる。

それに、あのベルティーユのことである──さぞかしリッチで贅沢なブレックファストが用意されていることだろう。あれこれと想像を膨らませながら、シキミは浮かれ気分で期待に胸を弾ませていた。



「──S級ヒーローの集会だと?」

受話器の向こうから発せられた幹部の言葉に、ジェノスは眉をしかめた。フローリングに寝転がって少年ジャンプを読みふけっていたサイタマも、なんとなく顔を上げて会話の成り行きを窺った。

「なんの目的で……は? 連携を深めるために定期的に行っている? ……悪いが、俺に他のヒーローと馴れ合うつもりはない。そんな親睦会のような行事に興味は……ああ。それならいい。話はそれだけか? ……ああ。わかった。もう切るぞ」

宣言通りに通話を終了して、ジェノスは携帯電話をポケットにしまい、皿洗いに戻った。のそりと体を起こしたサイタマが、壁を刳り抜いて造られたキッチンと居間とを繋ぐ小窓越しに、ジェノスへ声をかける。

「なんだったの?」
「今日の昼、本部でS級ヒーローの集会があるから来いと」
「へー。でもお前なんか行かないふうに聞こえたけど」
「はい、断りました。基本的には強制でなく、出欠の事前報告なども必要ない、自由参加の集まりだそうなので。そんなくだらないことに割く時間はありません」
「ハイジと延々ババ抜きする暇はあるのに?」
「……それとこれとは別です」

バツが悪そうにトーンを下げたジェノスに、サイタマはおかしそうに口元を綻ばせた。脳味噌まで機械なんじゃないかと疑ってしまう堅物の彼だけれど、そういう年頃の若者らしい一面もあるのだと、ちょっぴり微笑ましかったのだ。もはや保護者の心境だった。

「でもさ、そういうのって出といた方がいいんじゃねーの? 知らねーけど。他の強いヤツと交流することで、その秘訣が伝わったりとかさ」
「そういうものでしょうか」
「いや、知らんけど。勉強にはなるんじゃね?」
「なるほど、一理ありますね……」

サイタマのそんな一言だけで、ジェノスの気持ちは逆方向に傾いてきたようだった。いまどき珍しく純粋で素直な青年だと褒めるべきなのかも知れないが、単純すぎて不安になってくる。いくらなんでもそこまで従順だといつか痛い目に遭うぞ、とサイタマは思わなくもなかったが、ジェノスが外出してくれるというのなら、それはそれでありがたい話である──久々に誰もいない自宅で悠々自適、ひとりの時間を満喫できるのだから。

「先生がそう仰るなら、顔だけでも出してこようと思います」
「おうおう。そうしろそうしろ」
「本部へ行くついでに教授にも挨拶してきます。あの双子の修理も終わったそうですし」
「ああ、なんだ、あいつらもう直ったのか。教授さすが仕事が早いな……俺も近いうちに会いに行くかな。シキミの見舞いもあるし」
「シキミはそろそろ帰宅許可が下りそうですね」
「らしいな。今週中には帰れるんじゃないかって聞いてるけど……どうなんだろうな。その辺も詳しく聞いとかねーと。持って帰る荷物とか運ぶの手伝わないとだし」
「俺も行きますよ、先生」
「ああ。頼むわ」

テレビに視線を移すと、なんとなく流しっぱなしになっていた朝のニュース番組に、人気の若手俳優が映画の宣伝で出演していた。以前シキミが爽やかでカッコいいとかなんとかと褒めちぎっていたので、サイタマもその顔を覚えている男だった。興味は特にないけれど、正直、あんまり面白くはない。スタイルのいい男前じゃなくて悪かったな。ふん、と誰にともなく鼻を鳴らす。

ナレーションに耳を傾けてみると、地上デジタル放送のネットワークを利用して、今からリアルタイムで視聴者とじゃんけん対決を行うらしい。勝敗が自動的にデータ送信されて、結果に応じて懸賞に応募できるとかなんとか──とりあえずリモコンを手に取ってみたはいいけれど、やたらボタンが多く、どれを押せばいいんだかよくわからなかったので、参加は諦めることにした。

液晶の向こうで、イケメン俳優が握った手を軽く突き出す。
サイタマも横になった姿勢のまま、同じく構える。
進行役の女性アナウンサーが、最初はグー! と、張り切った前振りをして。
サイタマはグーを出して。
画面の中の彼はパーを出していた。

「……………………」

普通に負けた。

がっくりと肩を落として、サイタマは重い溜息をひとつ零すと、チャンネルを変えた。お笑いタレントが観光地の穴場を紹介するコーナーだった。毒にも薬にもならない内容だったけれど──じゃんけんとはいえ自分をあっさり負かし、しかもシキミの数少ないお気に入りのうちの一人であるらしい、いけ好かない野郎の魅惑的なスマイルを眺めながら惨めな気分でいるよりはいい。

(なにやってんだろうなあ、俺……)

うまく言い表せないフラストレーションが、サイタマの中で澱のように溜まっていた。ぐるぐると濁った渦を巻いて、底の方に沈んで淀んでいく。吐き出してしまいたいのに、粘ついた塊が喉につかえて苦しい。塞いでいるものを除けられないのが、どうにも悩ましかった。

知りたいことを──訊けないのが。
どうにも焦れったかった。

偉そうに師匠ヅラして守るとか助けるとか宣言しておきながら、なにひとつシキミにしてやれることがない。自力で戦って、自力で完治して、つらいリハビリまで熟して、そうして自力で最前線に帰ってくる彼女を、こうしてバカみたいに待っているだけだ。

──まったく。
情けないヒーローもいたものだ。