eXtra Youthquake Zone | ナノ





「こちら待機班。もう予定時刻を過ぎているぞ。首尾はどうだ」
「…………………………」
「どうした? おい、聞こえていないのか?」
「……いや、大丈夫だ。問題ない。すぐにそちらへ戻る」
「それならいい。すぐに現金を確保しろ。もたもたしている暇はないぞ、既にヒーローが動き出しているようだ。C級B級ならともかく、A級レベルにまで出てこられたら俺たちでも危ない。すぐに退避するんだ」
「……ああ、……えっと」
「なんだ? なにか問題でもあるのか?」
「いや、その……もう一度、逃走経路を確認したい」
「は? 裏手に警備会社の送金車に偽装したトラックを予めつけてあるだろう。お前が調達したものじゃないか。呆けたのか? クスリのやりすぎじゃないのか」
「いや、そうじゃない、そうじゃなくて──」
「いいから早くしろ。時間がないんだ。すぐに戻れ。連れていった銀行員はそこで始末しても構わない」

そこで通信は一方的に切られた。男は“会話が終わり次第すぐに無線機は捨てなさい”と最初に命じられていた通り、端末を床に放り投げ、おそるおそる背後を振り返る──自分の後頭部に拳銃を突きつけている、華奢な女子高生の顔色を強張った表情で窺う。

「ありがとうございます。あなたがたの企みは把握しました。すぐに他のヒーローたちに駐車場を洗い浚いにしてもらいましょう。これであなたがた全員を逃がさずに済みそうですね」

にっこりと屈託なく笑いながら、それでも手中の小型兵器──広く軍事運用もされている、高品質、高精度のダブルアクション・オートマチック・ピストルであるシグ・ザウエルP220を、彼女は下ろそうとしない。

「た……助けてくれ。命だけは……」
「殺しはしません。私の仕事はあなたがたを捕まえることです」

目の前で繰り広げられるフィクションじみた光景に、コトミはただただ唖然とするほかない。絶体絶命の危機に颯爽と現れた女子高生が、非道な強盗集団をばたばたと薙ぎ倒す──特殊な趣味を持った人種が喜びそうな漫画みたいな、現実離れした展開だったけれど、これは紛れもなく現実に起きている出来事である。夢でも幻でもない。

彼女が先程ぶらさがっていた場所には、人ひとりがやっと通り抜けられそうなサイズの正方形の穴が空いている。それは窓のない廊下の空調を整えるための通気口なのだった。どこからか侵入して、複雑に入り組んだ狭い天井裏を掻い潜って、ここまでやってきたらしい。そして隙を突いて突撃し、武装した屈強な男どもをあっという間に制圧し、コトミを保護するのに成功した。海外アクション映画の有能なスパイさながらに。

そんなことが果たして可能なのだろうか。
とても信じられなかったが──
しかし、コトミは彼女を疑ってなどいなかった。

なぜなら先刻、彼女が誇らしく名乗ったあの肩書き。
それは信頼に足る、正義の味方の証明に他ならなかったからだ。

──それ、すなわち。

「…………“ヒーロー”……」

すっかり呆然自失のコトミとは裏腹に、男は焦っているようだった。とうに彼が装備していたガスマスクは外されており、人相は白日のもとに晒されている。仲間たちは容赦なく昏倒させられたのに、わざと自分だけ気絶しない程度に痛めつけられて情報を引き出すための餌にされながら、その屈辱に対する怒りもなく、ただ己の安否だけを考えていた。猛獣の檻に丸腰で放り込まれたかのような怯えっぷりである。

「そう、私の仕事はあなたを捕まえて、しかるべき機関へ引き渡すことです。この場合は警察ですね。ですから、あなたに危害を加えることが目的ではありません」
「そ、それなら──」
「ただし」

気の緩みかけた男の懇願を遮って、彼女は言う。

「目的のためにあなたに危害を加える必要があるのであれば、躊躇はしません」

淑やかに断言して。
朗らかに宣言して。

彼女はシグ・ザウエルを手中で鮮やかに一回転させた。バレル部分を握って、大きく振りかぶり、渾身の力でもって──グリップの底で、思いっきり男の脳天を殴りつけた。

一キロにも満たない小さな金属の塊による一撃だったが、既にそこそこダメージを負わされていた男には充分とどめになったようだ。断末魔もなく彼の体は崩れ落ち、そのまま動かなくなった。

あまりにも──呆気ない決着であった。
拍子抜けしてしまうほどに。

「……ふう」

息をひとつ吐いて、女子高生は拳銃をまた掌の内でくるりと回し、そして「あっ」と短く声を漏らした。なにか想定外の事態でも発生したのかと、コトミは思わず身構えてしまう。

「しまった、今のでグリップ歪んじゃった……これ貸借品なのに……どうしよう、トキノさんに怒られるかな……まあいいか。人命が係ってたわけだし。緊急事態だったし。うん、これは必要な犠牲だった。仕方ない仕方ない」

そんなことを呟いて、彼女は拳銃を腰のホルスターに戻した。大立ち回りを演じた直後とは思えない、どこまでも平坦な調子だった。こんな修羅場なんて慣れっこです、と言わんばかりの堂々たる振舞だった。腰を抜かしているコトミに歩み寄って、そっと傍らに膝をつく。

「お待たせしました。避難しましょう」
「え……あ、この人たちは……」
「直に増援のヒーローが来て、連れていくでしょう。その前に目が覚めたとしても、どうせ立って歩くことなんてできませんから、ここに置いといても問題ありません。それよりも、あなたの安全が第一です。すぐに外へ出ましょう」
「だ、だめです! 人質が……人質がいるんです! 今もまだ、みんな縛られて捕まっていて──」

そう──強盗集団は、まだ半分以上も残っているのだ。彼らに囚われているなかに大事な顧客は勿論のこと、同じ釜の飯を食う同僚だっている。彼らを見捨てて自分だけがのうのうと脱出するわけにはいかない。そう言い募ろうとしたコトミに、女子高生はふわりと微笑んでみせた。

「心配ありませんよ」

どこか──自慢げにも見えるふうに。
ほんの少しだけ、胸を張ってみせた。

「先生がいますからね」
「……“先生”?」
「そうです。誰よりも強くて、優しくて、頼りになる──世界で一番、かっこいいひとです」



「──へくしっ!」

緊張感に欠けるくしゃみが、サイタマの口から飛び出た。お世辞にも品があるとは言い難い、中年のオッサンめいたその生理現象は、しかし誰の耳にも届くことはなかった。それも致し方のないことである──彼のいる銀行の広いロビーは、銃声の大合唱に包まれていたのだから。

すべてを一掃せんと乱射される、アサルトライフルの絶叫。無慈悲に降り注ぐ弾幕の暴風雨は、武器を持たない生身の人間ひとりに対して行使される暴力とするには明らかに過剰だった。行き過ぎていた。

けれどサイタマは無傷である。ひょいひょいと、ふざけているとしか思えない身のこなしで飛来する弾丸をすべて躱している。どう見ても普通ではない──突如として現れヒーローを名乗り単独で抵抗の意思を見せた命知らずの彼に対して、初めこそ優越感に浸りきった薄笑いを貼りつけていた強盗たちも、今となっては青褪めて闇雲に引鉄を絞るばかりだった。

一瞬の間隙を縫って、サイタマが動いた。出来の悪いジルバみたいな、とても美しいとはいえない出来の──しかし目にも留まらぬ超速のステップを踏んで、一足で距離を詰める。誰もそのスピードを捕捉できない──反応さえできない。

「危ねーもん振り回すんじゃねええええ!」

唸る拳が、一団の最前に立っていた男の顎にクリーンヒットした。圧倒的な威力のパンチによって吹っ飛ばされ、きりきりと宙を舞う。いっそ滑稽ですらある散々なやられ姿を晒した仲間が描く、緩やかな放物線に強盗たちが気を取られた刹那の間に、サイタマは次々と彼らを伸していく。

「流れ弾が! 人質に! 当たったら! どうすんだ!」

無論サイタマとて阿呆ではないので、万が一にもそうならないよう配慮してはいたのだけれど──立ち位置を考えるくらいのことはしていたのだけれど、この場において、そんなことは取るに足らない些事だろう。

人智を超えた身体能力を保有する彼にしてみれば、放たれた銃弾を素手で掴むくらいの芸当など容易いものだ。発射されたあとからでも、鼻唄混じりに指先でつまんで捨てるくらいのことは、どうにもこうにも朝飯前である。

そんな桁外れの、常識外れの男に──
小悪党が少し寄って集った程度で、敵うわけもない。

一群は赤子の手を捻るがごとくに軽くあしらわれ、最後に残った男は恐慌のあまりトリガーを引くことすらできなくなっていた。無骨なガスマスクの奥から、くぐもった悲鳴が響く。

「な──なんなんだよおおおッ! お前はァ!」
「うるせえ! どーでもいいんだよ今そんなことは!」

どういうわけだか憤怒を剥き出しにして叫ぶ自称ヒーローは、マントを翻してラスト一人に飛びかかる──赤いグローブを装着した鉄拳を、鉄槌を、情け容赦なく振り上げる。

「アイツにかすり傷ひとつでもつけてみやがれ!! お前らタダじゃおかねーからな!!」

──がつん、と。
鼓膜を重く震わせる鈍い音。

顔面にダンプカーが突っ込んできたみたいな凄まじい一撃を食らい、鼻血を噴きながら空中へすっ飛ばされた男が、気絶する直前に脳裏に過ぎらせていたのは──

(……“アイツ”って誰だ?)

という、答える者のない些細な疑問だけであった。