eXtra Youthquake Zone | ナノ





──アンネマリーだった。

彼女はニーナが出てくるとは思っていなかったようで、目を丸くしている。それはニーナも同じだった。互いに驚きを隠せない対面を果たして、ふわふわした挨拶を交わした。

「あれ、ニーナ先輩じゃないですか。お疲れ様です」
「お疲れ様……じゃなくて、えーと、なんであなたがここに?」
「シキミ様を呼びに来たんですよ。お知り合いの方がいらっしゃったんで」
「お知り合い?」
「あの……名前なんていったっけ……グレーヴィチ博士の研究所で最終的にクローディアを倒したっていうB級の、なんていうか、頭の寂しい男の人が……」
「サイタマ様ですか?」

その名前に、シキミが反応した。小動物のように小さく体を跳ねさせて、ぴょこぴょこと駆け寄ってくる。

「先生が来てるんですか?」
「あ、シキミ様、トレーニングご苦労様です……で、えーと、はい。教授のプライヴェート・ルームでお待ちいただいてます。行かれますか?」
「もちろんですっ! 今から! すぐに向かいます!」
「では、そう伝えます。ここの片付けは私とニーナ先輩でしておきますので」
「……いいんですか?」
「お構いなく」
「ありがとうございます。お言葉に甘えますっ!」

勢いよく頭を下げて、シキミはダッシュで飛び出していった。廊下は走らないでください、と注意する間もなかった。みるみる遠ざかるシキミの背中を遠い目で見送りつつ、やれやれとでも言いたげに頭を掻いたニーナに、アンネマリーはおかしそうに息を洩らした。

「若いっていいですねえ」
「まったくだわ。羨ましい限りよ」
「そこまであのサイタマ様とやらは魅力的なんでしょうか」
「私は知らないけど……でも、強かったわ」

研究所でサイタマが見せた圧倒的な戦闘スキルを思い返し、ニーナは眉間に浅く皺を作る。自分やシキミ、ひいてはS級のジェノスでさえも赤子の手を縊るようにあしらった悍ましいクローディアを、まるで豆腐でも調理するかのように容易く潰してしまった、あの凄まじい膂力──同じ血が流れている生き物だとは思えなかった。

「そりゃあ強いでしょう。だって──あのテオ様を一撃で倒した男ですよ。ニーナ先輩、テオ様がグーパンで吹っ飛ばされるのその場で見てたんじゃなかったんですか?」
「それはそうだけど……後から調べてみたら、彼まだヒーロー名簿に登録したばっかりの駆け出しで、しかもC級スタートだっていうじゃない。あれはまぐれの一発だったんだな、ラッキーパンチだったんだなって思うわよ、普通」
「まぐれの一発でやられるような男でしたか? テオ様が」
「……じゃないわね」
「そうですよ。本当に強かったんですから、テオ様は」

なぜだか誇らしげなアンネマリーに、ニーナは複雑そうな表情を浮かべる。かつて付き従った元ヒーロー“ジャスティス・レッド”ことテオドール──彼の恐ろしい正体と悲惨な末路は、第三者が語るには余りある。

「それにしても……そのサイタマ様がいたにも関わらず、ここまで被害が拡大したっていうことは相当ヤバかったんですね、今回の案件」
「まあね。ちょっと甘く見てたみたいだわ、科学者っていう人種を。……あなたがヘリコプター飛ばしてきてくれなかったら、シキミ様は危なかったと思う。他のパイロットのテクニックじゃ間に合わなかったでしょうし……礼を言うわ」
「お礼なら散々聞きましたよ、先輩からも教授からも上司からも、それにシキミ様からも。あたしは久し振りに思いっきり大型航空機の操縦できたんで、正直すっきりしました。ストレス発散ですよ」
「相変わらずテレビゲーム感覚が抜けてないわね、あなた」
「すみません、ゆとり世代なもので。改めていきます」
「どうかしらねえ」
「先輩ひどい。後輩を信じてください」
「日頃の行いを反省することね」
「はいはい、先輩が相変わらずクールでストイックで後輩は安心ですよ。……さてさて、シキミ様がそちらに向かってますって教授に連絡しなきゃ」



「……そうかい。ああ、了解した。大至急シキミの分の紅茶を用意するとしよう。手間を掛けさせてすまなかったね。……ああ。ご苦労だった。通常業務に戻ってくれたまえ。ああ……そうだな。承知しているよ……それでは失礼する」

短い電話を済ませたベルティーユに、サイタマは一気に中身を飲み干した高級そうなカップを高級そうなソーサーへ慎重に戻しつつ、話しかける。

「シキミこっち来んの?」
「全速力で走っていったらしいぞ」
「あいつ無茶しやがって……まだ完治してねーってのに」
「ふふふ、すっかり保護者の心境だな、サイタマ氏」

保護者という表現は正鵠を射ていないのだが、サイタマは訂正しなかった──というよりできなかった。まさか健気に慕われて後ろをついて回られているうちに年甲斐もなく本気で惚れてしまったので真面目にお付き合いしています、などと言えるわけがない。ベルティーユならばそれくらい察していそうなものだが、とてもそんなことは訊けやしない。自ら墓穴を掘るようなものだ。

テーブルを挟んで対峙しながら、腹の探り合いめいた会話が続く。

「シキミどうなんだ? 治るのか?」
「ああ──今のところ問題はない。損傷した箇所は順調に回復している。感覚が戻ってきたことで痛みに苛まれてはいるようだが、それも長くはないだろう。あと数日で落ち着く見込みだ」
「……そんな簡単に治っちまうような傷だったか?」
「? どういう意味だい」
「アレどう見ても致命傷だったろ。一週間だか二週間だかで塞がるようなもんじゃないぞ、普通」
「……………………」
「アイツ、最後に撃つとき、叫んでたんだよ──“そんな化け物にされて、普通じゃなくなって、幸せになんかなれるわけがない”って」
「……………………」
「あんたならわかるんじゃねーのか、その意味」
「どうしてそう思う?」
「コソコソと“内緒話”してたみてーだからな」

ぴりっ──と、室内の空気が尖る。
至るところに飾られた、値の張りそうな繊細さを持つ調度品の数々が欠けてしまいそうなほど、鋭く張りつめる。

「アイツがどうしてああなったのか──あんな異常な体質になったのか、俺はまだ知らない。アイツがなんにも教えてくれねーからな」
「……………………」
「俺はそんなに頼りないか? 役不足か? なにがあったんだか想像もつかねーけど、それは俺の手にも負えないようなことなのか? 俺じゃアイツを支えきれねーと思うか? 教授」
「……珍しいこともあるものだね」
「あ?」
「君は随分と動揺しているようだ。苛立っているふうにも見える。そんなにも──シキミをクローディアの毒牙から守れなかったことが悔しいのかい?」

森羅万象を拳ひとつで打ち砕ける力を持ちながら。
悪辣な策に嘲弄されて──守れなかった。
ヒーローとしての使命を果たせなかった。

「…………俺は」

取り乱して、取り零した。
誰よりも大事に想っていたはずのひとを。

命の危機に晒してしまった。

「……………………」

俯いて、サイタマはテーブルの上で組んだ指に力を込める。
試合に勝って、勝負に敗けた──そんな譬えこそ相応しい。

異形の怪物に襲われて、全身を血塗れにしながら、それでも自分を頼らず凛と戦って、すべてが終わったあと己の腕の中で衰弱していったシキミの姿が脳裏に焼きついて離れない。

(──俺は、お前のヒーローにはなれないのか?)