eXtra Youthquake Zone | ナノ





戦闘というにも値しない、一方的な攻撃の連続だった。

クローディアの殴打を片手であっさり受け止めて、サイタマは空いた腕で右ストレートを繰り出した。その一発でクローディアの分厚い肉に風穴が生まれて、見通しがよくなって──しかしたちまち塞がっていく。さっきからその繰り返しだった。

(……すごい。すごすぎる。次元が違う)

ニーナは固唾を呑んで、サイタマとクローディアの闘いを見守っている。ジェノスやベルティーユが、この緊迫した事態の中でも一切サイタマの身を案じていなかった理由がようやくわかった。確かに、この男に生命の心配など無用の長物だった。

断じて“まぐれの一発”なんかじゃなかった。
S級クラスに匹敵する実力──いや、それ以上かも知れない。

それでも状況を打開できない。

苦戦しているわけではない。実際サイタマには傷のひとつもついていない。クローディア渾身の乱打が直撃しても、大口で噛みつかれても、サイタマはけろっとしている──まったくノーダメージだった。信じられない頑丈さだった。自分と同じ生き物とは思えなかった。

しかしクローディアは、そんな彼にいくら叩きのめされようとも瞬時に回復する。復活する。腹を抉られようが、腕をもがれようが、脚を折られようが、気に咎めてさえいないようだった。本能のままに暴れ回り、狂ったような慟哭を絶え間なく浴びせてくる。

「うるっせええええええッ! 静かにしろ!」

苛立ちを露わにして、サイタマは力任せに千切った腕を持ち上げ、クローディアの口に突き立てる。クローディアが苦しげな呻きを漏らしたのは一瞬だけで、そのまま咀嚼して嚥下してしまった──自身の屍肉すら食糧としてしまうその異常性に、ニーナは眩暈がした。

「気持ち悪りーなコイツ、なんなんだマジで」

さすがのサイタマも少し焦っているようだった。なにせ時間がない──今もどこかで、クローディアに大怪我を負わされたシキミが苦しんでいるのだ。これまでに交戦してきた、生命力が取り柄の怪人たちにそうしてきたように、とにかくタコ殴りにして体力切れを待っている暇はない。一刻も早く息の根を止めて、捜索に移らねばならない。

「っざけやがって……アイツになんかあってみろ、ぜってー許さねーからな……!」

低く唸って、サイタマがもう何度目とも知れない正拳を容赦なくブチ込む。肌色の外皮が弾けて、生々しい鮮血が飛び散って、しかしまた無情にも再生していくクローディア。破裂した箇所がみるみる膨らんで盛り上がっていって──そこに、なんの予兆も前兆もなく、



疾風のごとく、弾丸の矢が飛来して突き刺さった。



鈍い銀色の、細長い筒状をした、特殊な形状のそれに──サイタマもニーナも、見覚えがあった。

揃って背後を振り返る。
銃口から硝煙を立ち上らせるヴェノムを構えた、シキミが立っていた。

「……………………、」

彼女を血眼になって探し回っていたサイタマですら言葉を発せなくなるほどの、深い傷──羽織っていたサマーカーディガンを自分で縛って止血はしたようだったが、そんなものは焼け石に水だった。まったく庇いきれていない。薄手の布地では吸収しきれない血が滴り落ち、だらりと力なく垂れ下がった左腕は皮一枚でやっと繋がっているような有様だった。剥き出しになった肘の骨が──罅の入った関節がよく見える。

“食われかけた”という、あの忍者の言葉に嘘はなかった。

「シキミ、お前、それ」
「すいません、先生……後れを取りました」
「んなっ……」

息も絶え絶えになりながら、開口一番、そんな台詞を吐いたシキミに──サイタマの脳髄へ、かあっと怒りの熱が集中する。

「こと言ってる場合か! 馬鹿野郎、お前、そんな──死んじまうぞ!」
「死にませんよ、あたしは、これくらいじゃ……」

不格好に口の端を歪めて、シキミは言う。
どうやら、笑った──らしい。

「これくらいじゃ、死にませんよ」
「シキミ……」
「先生の、お手伝い、します。早く……そいつを、片付けて……」

そこで我に返ったサイタマが、はっとクローディアへ意識を戻す。シキミの弾を食らって、クローディアは──驚異的な再生を停止していた。

図体に穴を空けたまま、硬直している。
さっきまでの大暴れが夢だったかのように、すっかり大人しくなってしまっている。

まるで、じわじわと猛毒に蝕まれているみたいな──

シキミが一歩、前に踏み出す。
すると、クローディアは──なんと後退した。
脅威に怯える小動物のように。
縮こまって、きいきいと鳴きながら、はっきりと──逃げようとした。

「……なんだ?」

サイタマが訝しげに眉根を寄せる。対して、シキミは冷静そのものだった。当然のことだとでもいうように、どこか憐憫すら含んだ表情でクローディアを見据えている。

「あたしが怖いんですよ。きっと」
「怖い……?」
「だって、その子、あたしのこと食べたんですよ」

かのベルティーユに“理解を超えた異常体質”と言わしめるシキミの血を啜り、肉を齧り、胃に収めた。

生物を殺傷するための劇薬を撃ち込んで活性化する、埒外のカラダを持つ“猛毒天使”を、ごくごく少量とはいえ──体内に取り込んでしまった。

ニーナには、その片鱗に心当たりがあった。
衰弱していたクローディアの。
あの──異様な嘔吐。

「……“食中毒”……」

あれが有害物質を食したことによる、拒絶反応なのだとしたら。
物理的な攻撃は無効化できても、内側から浸食する毒素には耐性がないのだとしたら。
勝機は恐らく──そこにある!

「……ニーナさん」
「! な──なんでしょう、か」

ややくぐもっていたが、ニーナの鼓膜はシキミの呼びかけを拾った。

「あの子が、一体なんなのか、わかりますか?」
「……グレーヴィチ博士の娘だそうです。何年も昔に亡くなって、それを蘇生したと……なによりも優れた完璧な生命として完成させるのだと、それこそが彼の研究の最終目標だったようです……」
「要するに、親の勝手な理想に振り回されたんですね」

静かに言って──シキミは、重い溜め息をついた。
心が痛くて、苦しくて仕方ないというように。

「……くだらない。なにが完璧な生命よ。なにが……本当にくっだらない。馬鹿にしてる」

唾棄するごとく、悪辣な言葉を吐き捨てるシキミ。

「──生物としての優秀さ? 力を手に入れるための進化? どうでもいいじゃない、そんなの。くだらない。そんなことしてどうなるのよ。どうせこれは死んでしまった娘のためだ、とか思ってたんでしょ。そんなの自分勝手なエゴじゃない! 思い通りにしたかっただけじゃない! どいつもこいつも! ──いい加減にしてよ!!」

金切り声の──悲愴な叫びが。
誰に向けられたものなのか、知る者はない。



「そんな化け物にされて、普通じゃなくなって──幸せになんかなれるわけないじゃない!!」



トリガーが絞られる。
射出された弾が、猛毒の込められた矢が、クローディアを貫く。

流し込まれた劇物によって、クローディアの巨躯がぐずぐずに溶けていく。シキミを“食べた”ことによって維持できなくなりつつあった体組織が、とどめを刺されて──ゆっくりと。
少女を二度目の死へ引きずり込んでいく。

「……………………」

腐り落ちた肉の鎧の奥から出てきた、一糸纏わぬ姿で脚を崩している少女。べっとりと赤黒い血に濡れた長い金髪は、さぞかし美しかったことだろう。かわいらしい顔立ちをしている。パライバ・ブルーの宝石に似た青い瞳が胡乱げに、シキミとサイタマとニーナを交互に見上げている。

「……おとうさま」

花の蕾のように小さな唇から転がり出る声は、澄んだソプラノで。

「クローディアは、かなしい」

だらりと座る少女にシキミがふらふらと歩み寄る。今際の際に瀕した怪物に引導を渡すべく、ヴェノムに次弾を装填した彼女を制止したのはサイタマだった。すっと腕を遮るように差し出して、前に出る。

「いいよ」
「……先生?」
「あとは俺がやるから」
「でも……」
「もういいから」

サイタマの表情は、シキミからは伺えない。ただ声音は落ち着いていて、どこまでも優しい。その温かさに包まれて、限界の近かったシキミの意識が滔々と薄らいでいく。

すとん、と尻餅をついて、消えかかった感覚が最後に認識したのは、

「おとうさまは?」
「あー、……遠いところに行ったよ」
「クローディアはさびしい」
「会いたいか?」
「さびしい」
「…………………………」
「つれていって」
「…………………………」
「クローディアはさびしい」
「……そうだな」

そりゃそうだろうな。
さびしいよな。

そんな同情に溢れた悲しい台詞と。

少女の頭蓋がそっと砕ける、湿った嫌な音だった。