eXtra Youthquake Zone | ナノ





再びソニックが放った飛苦無の連弾を、もうクローディアはものともしなかった。すべて受け止めて、噛み砕いて、飲み込んでしまう──そして太い腕を高く持ち上げて、ソニックの立つ小屋の外壁へ袈裟斬りに振り下ろした。ソニックは後ろに跳躍して回避したが、頑丈な鉄筋コンクリートで造られた駐屯所はそのたった一撃で破壊され、哀れにも瓦礫の山と化した。

そこから頭を両腕で庇いながら転がり出てきたのは、サイタマも知っている男だった。

「あれ? お前、確か教授んとこの」
「え──あっ──サイタマ氏! 君もいたの!?」
「あー、まあ、うん。そうそう。助けに来たぞ」
「そっ……そいつが! その怪獣がっ! ジェノス氏をっ……ジェノス氏の手と足バラバラにしてっ」
「え? ジェノスやられたの? これに? ……まあアイツ手と足もがれたくらいじゃ死なねーだろうけど……」

動けなくなってるんだろうし、一応ちゃんと探してやるか──心底から面倒くさそうに頭を掻いたサイタマの手が、

「それに──シキミも! そいつにやられちゃったんだよ!」

ぴたり。
と。
止まった。

「………………は?」
「俺のこと助けようとしたんだ! それでっ……避けられなくて……間に合わなくて……噛みつかれて──それで」

ほとんど悲鳴の色に近いハイジの絶叫も、サイタマの耳にはもう届いていない。彼が認識しているのは──くるりとこちらを振り向いた歪な肌色の塊の、ひときわ大きな口の奥にびっしり犇めく歯牙をべったりと汚している──鮮烈な赤だけだった。

たとえば“活きのいい人間を生きたまま噛み潰したら”──
きっと、そんなふうに、なるのだろう。

「────────」

思考回路の断線。判断能力のフリーズ。再起動、が、できない。目の前が真っ白にブラックアウトする。どうして。なんで。そうなった? なにが起きた? どこで? なぜ? シキミがそんな目に遭わなければならなかった? 

一体どうして?

自分の手が届かないところで?
自分の拳で守れないところで?

あの誰よりも純真で、正義感にひたむきだった、シキミが、



──こんな化け物に無惨に食い殺さr



コンマ数秒にも満たない刹那で、サイタマはクローディアに躍りかかっていた。上顎と下顎をそれぞれ掴んで、無理矢理に引き裂く。目も鼻も付随していない異形にも、どうやら痛覚は備わっているらしい──迸る断末魔など意にも介さず、てらてらと体液に滑る舌をぶちぶちと引き抜いて、ゴミでも放るように地面に投げ捨てる。

返り血を全身に浴びながら、削いで潰して捻って捩って抉って千切って掻き分けて、口腔の奥を漁る。

「ッざけんじゃねえ、くそッ、ふざけんな、ふざけんじゃねえぞ、ンだよ、この野郎、」

狂ったようにクローディアの体内を暴いていく。

「──せよ、返せよ、この野郎、ちくしょう、返せ、返せよ」

クローディアは既に原型を留めていない。人間離れした膂力でもって細分化されながら、しかしそれでもまだ生きている。力なく垂れ下がった腕がぴくぴくと痙攣している。生物学の根幹を揺るがす、常軌を逸した生命力だった──そんな狂科学者たるグレーヴィチの“研究成果”も、サイタマにとってはどうでもいいことだったのだけれど。

圧倒的な蹂躙の光景を目の当たりにして、ハイジは腰を抜かしている。S級ヒーローであるサイボーグのジェノスを容易く無力化し、シキミをもただの一撃のもとに返り討ちにした、とんでもない脅威であるはずのクローディアを──なにも使わず頼らず、徒手空拳というにも満たない暴力だけで制圧している。声も出なかった。次元そのものが違いすぎる。

「…………………………」

クローディアを余すところなく素手でミンチにして、血に濡れた肉の山を足蹴にして立つサイタマは──むしろ彼の方が悪鬼のようですらあった。光の宿っていない空虚な眼差しで、足元の残骸を見据えている。

「……気が済んだか?」

やや離れた位置から一部始終を観察していたソニックの言葉にも、サイタマは反応を見せない。

「ひとつ貴様が重大な勘違いをしていることを、俺が親切に教えてやる」
「……………………」
「別にあのガキはそいつに食われたわけじゃない」
「あ?」

ようやくサイタマが顔を上げて、怪訝そうに片目を眇める。

「……食われてない?」
「齧りつかれて食われ“かけた”だけだ。その化け物の胃には収まっていない」
「噛みつかれて、すごい怪我、したんだけどっ、お、俺たちのこと、そいつから必死で逃がしてくれて……それで……」
「まあ、俺たちが離脱したあとで餌になったかも知れんがな──そうでなくとも、どのみち致命傷だった。今頃どこかでくたばっているんじゃないか」
「……………………」

ソニックの酷薄な薄笑いを受けながら、サイタマは雨で湿ったアスファルトに広がる血溜まりの上に降り立って、口を開く。いつもと変わらない平淡で平熱な、だからこそ底冷えのする物言いで──

「どこだ」
「え、っ──」
「シキミと別れたの、どこだ」
「あ……あそこに見える棟の……渡り廊下で」

ハイジが震えながら指差した建物を、

「そうか」

サイタマは軽く一瞥して、

「さんきゅ」

その場から影も形も残さず消え失せた。

「…………──!?」

それに驚いたのはハイジだけではなかった。ソニックも愕然と瞠目して、綽々と組んでいた腕を解いて──動揺を隠せていなかった。最速の忍者を自称する自分が、目で追うことすらできなかった。図らずも宿敵との実力の差を見せつけられ、ソニックに後頭部を金槌で殴られたような衝撃が走る。

「……くそっ」

八つ当たりのように毒づいて、ソニックは唖然としているハイジの首根っこを掴んで立ち上がらせた。忘我の面持ちで、ふらふらと頼りない足取りながらも、ハイジはさっさと歩き出したソニックの後ろについていく。

「な……なにが起きたの? サイタマ氏は?」
「知るか。むしろ俺が訊きたいくらいだ。なんなんだ、あいつは? 急に目の色を変えて──あのガキと一体どういう繋がりがあるんだ」
「……シキミは、サイタマ氏のこと“先生”って呼んでたけど……」
「先生?」

どういう意味だ?
師弟関係──なのか?

それにしては些かサイタマの豹変が激しすぎた気がする。ただ弟子の安否を気遣っているだけ──だったら、ああも我を失わないだろう。常に間の抜けた顔をして、なにに興味を持っているんだか、なにを考えているんだかちっとも読めないあの男なら、尚更のこと。

「……まあいい。今は安全な場所へ避難するのが最優先だ」
「えっ? クローディアは今、サイタマ氏が……」
「まだ死んだとは限らん。俺が最初ヤツを真っぷたつに斬ったときも即再生しただろう。今の装備ではまともに戦えない。相手をしていられない。今のうちにヤツから離れておくべきだ──癪な話だがな」

懐から取り出した無線機をごちゃごちゃといじくっていたかと思うと、ソニックは舌打ちを零してそれを無造作に放り捨てた。クローディアに吹っ飛ばされた衝撃で壊れてしまっていた。これではグレーヴィチと連絡の取りようがない。まだ彼はあの“実験室”と呼称されていた地下の隠しホールにいるのか──否、それはないだろう。凶暴な動物や凶悪な怪人を監禁するために造られた特殊合金製の堅固な牢に閉じ込められていたはずのハイジが、こうして外に出て逃げ回っているのだ。なんらかのトラブルがあったと推察すべきだろう。

(サイタマは現在ヒーロー協会に所属しているんだったな。グレーヴィチが拉致してきたこいつと、あの金髪の女も協会お抱えの優秀な学者だという話だ──恐らく誘拐を嗅ぎつけたヒーロー連中が乗り込んできたと見るのが妥当だ。荒事専門の俺を大枚叩いて雇ったということは、それくらい織り込み済のはずだったんだろうが……もうグレーヴィチは捕縛されてしまっているのか?)

そう考えて、ソニックは自らの仮説に頭を振った。こうして己の娘という最終兵器たる隠し玉を解放しているのだ──ぎりぎりまで追い詰められたところで、逆襲の手段としてクローディアを“起こした”のだと予測される。

あの狂信的で妄執的なマッド・サイエンティストが。
そう易々と白旗を揚げはしないだろう。

「……つまらなくなってきたな。笑えるほどに」

ソニックの独白は、誰の耳にも届かず──今にも泣き出しそうな、濃い灰色に彩られた曇天に吸い込まれていった。

低い空を突き刺すように林立する樹海の木々が、湿った風に煽られて、鳴き声を上げている。