eXtra Youthquake Zone | ナノ





どうしてこんなことになってしまったのだろう。

コトミはZ市の大手銀行支店の窓口係の仕事に就く、ごくごく普通の一般女性である。三十六歳になったのがつい先月のことで、結婚してからちょうど十年が経つ。証券会社に勤めている誠実で真面目な旦那と人生の苦楽を共にしながら、やんちゃな二人の子供を育てる、良き妻であり賢き母親であった。

今日も彼女はいつも通り、自分の担当する業務をこなしていた。預金の引き出し、新しい口座の開設、投資信託や資産運用の相談、税金の支払受付など、その内訳は多岐に亘るが、既にベテラン銀行員としての地位を確立しているコトミにとってもはやそれらはルーチン・ワークであった。次々にやってくる客たちをくるくると手際よく案内しながら、ぼんやり空腹を感じながら「もうすぐ昼休憩の時間だな」と時計を気にしていた──平和で平静で平穏な、抑揚のない日常だった。

それなのに、一体どうして。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。

コトミは背中に突きつけられる硬い感触に「ひいっ」と短く悲鳴を上げた。それが彼らを苛立たせてしまったらしく、早く歩け、と怒鳴りつけられる。両手を頭の横まで挙げさせられた姿勢で、コトミは彼らに命じられるがまま裏の通路を進んでいく。その表情はがちがちに強張り、目の端には今にも零れ落ちそうな涙の玉が浮いている。気の狂いそうなほどの恐怖に染まりきっていた。

それも無理のないことだ──なぜなら彼女の華奢な体に向けられているのは、ポンプ・アクション式の散弾銃、レミントンM870のストック付きモデル「ウイングマスター」の、その恐るべき銃口なのだから。

彼女を取り囲む、四人の屈強な男。揃ってガスマスクのようなものを装着しているので、人相はわからない。それぞれが手に凶悪なショットガンを持っている──まるで絵に描いたような、辞書に写真を載せても問題ないくらいの、歴然とした銀行強盗であった。

十数人の集団で押し入ってきた彼らの一味は、あっという間にロビーを制圧し、そこにいた全員を拘束した。手足を縛り上げるだけでなく、目隠しまでするという徹底振りで、その周到な手口は彼らがこれまでに幾度となくこういった略奪行為を繰り返してきたという証明に他ならなかった。それから一味のリーダーらしき男が、この銀行で立場が一番上のヤツはどいつだ、と叫んだ。コトミの脳内に、瞬時に支店長であるスズキの顔が浮かんだが、彼は現在C市にある本社で開かれている定例会議のために出張中だった。

まさかそんなことを馬鹿正直に答えられる状況でもなく、関係者たちが口を噤んで押し黙っていると、静寂を引き裂くように銃声が轟いた。本物を聞いたのは初めてだった。甲高い悲鳴の合唱が沸き起こる。名乗り出なければ端から順番に一人ずつ撃ち殺していく、というリーダーのテンプレートな脅迫に、人質はみな震え上がった。それはコトミも同じだった。処理能力の許容を超えた危機に瀕し、がたがたと怯えながら、しかし彼女は動かなければならなかった。なぜなら彼女は今日ここに出勤しているテラーの中で最も勤務年数が長い人材で、肩書きこそ平素な窓口係であれ──実質的には、責任者代理を任されている立場にいたのだから。

視界を塞いでいた黒い布を外され、ロープを解かれ、コトミはわけもわからないまま彼らに連行されることになった。かわいがっていた派遣アルバイトのレイカが「コトミさん、コトミさん」と泣き喚く声が聞こえて、思わず足を止めて振り返りそうになったが、強盗に容赦なく背中を押されてしまい、結局それは叶わなかった。

そして──現在に至る。

彼女が連れてこられたのは、管理する財のすべてを保管するための金庫室だった。銀行内の見取図を予め手に入れていたのだろう──強盗たちは迷いなくそこへ辿り着いた。本来ならば金庫の位置などトップ・シークレットであるはずなのだが、どこかで情報が漏れてしまったようだ。機密管理の杜撰さが図らずも露呈したわけだが、そんなことを言っている場合でもない。厳重に閉ざされた金属製の扉の前で、コトミは呆然と立ち尽くす。

「ここを開けろ。責任者なら、できるはずだ」

強盗グループのうちの一人にそう命令され、やっとコトミは自分がここまで引っ張られてきた理由を悟った。莫大な資産を堅固に守る分厚いドアは、とてもショットガン程度でどうにかできるものではない。それならば銀行の人間にロックを開けさせてしまえばいいと、そういう算段だったのだ──少し考えれば素人にも察せそうな計画ではあったが、なにせこんなビッグ・トラブルの真っ只中である。一介の一般市民に過ぎないコトミに、それは酷な要求だろう。

「そ、それは……できません」
「なんだと!?」

声を荒げて詰め寄る男に、コトミは竦み上がった。

「抵抗するつもりか!? 人質がどうなってもいいのか!? 俺が無線で連絡すれば、ロビーにいる連中を一瞬で蜂の巣にできるんだぞ!?」
「ち、ちが、違うんです、この金庫は、ロックはタイマー式で」
「タイマー式?」
「そ、そうなんです。安全のために、業者が来る一定の時間にしか、あ、開かないようになってるんです、この金庫は」

強盗たちが顔を見合わせた。金庫の場所は把握できていても、ここまでは想定していなかったらしい──どうする、とアイコンタクトを取っている。

「そうだとしても、鍵はあるはずだ。緊急事態のためにマスターキーが作ってあるに違いない。それを今すぐに出せ」
「そっ、そんなもの、私は知りません」
「嘘をつくなッ! お前がここの長なんだろ!? 知らないわけがない!」
「わ……私は窓口係で、責任者代理です、っから、今、本社にいる、支店長なら……わかるかも知れませんが……」

さりげなく自分の素性とトップの不在を明かしてみたが、それで彼らが納得することはなかった。コトミと押し問答していた男は激昂し、構えていたショットガンを天井に向けて放つ。壁と天井に反響する凄まじい轟音に、無理も道理も裸足でさっさと逃げ出していってしまう。コトミは引っ繰り返って尻餅をついた。

「くそっ! てめえ、騙したのか!」
「だ、騙したわけでは──」
「黙りやがれ! この腐れアマ! 殺してやる!」

ひっ、とコトミの喉が鳴った。無情にもレミントンの砲口が、その照準が目をいっぱいに見開いて腰を抜かしている彼女の額に合わせられる。

「お前を殺して、外に放り出して見せしめにしてやる! どうせもう警察とマスコミが騒ぎを嗅ぎつけて来てやがるんだろうからな──生中継のカメラに頭の吹っ飛んだてめえの死体を投げつけてやる。どうだ! 面白い余興だろ!」
「追手が迫っているのがわかってるなら、そんな馬鹿なことしてないで、早く逃げた方がいいんじゃないですか?」
「わかってねーなあ、俺たちの怖さを思い知らせてやるための儀式みてーなもんだよ! どうせ逃走手段はキッチリ準備してあるんだ。捕まりっこねえ。俺たちが本気だってことを頭の悪いヤツらにも理解できるように──あ?」

唾を飛ばして捲し立てていた男は、そこで異変に気づいた。
割り込んできた鈴を転がすような声の違和感に。

ばっ、と顔を上げる。その視線の先──数メートル前方の天井。



女子高生の胸から上が逆さまに生えていた。



「…………んなァ……!?」

紺色のブレザー制服に身を包み、墨を流したように美しい髪を垂らして、こちらを覗き込んでいる──睫毛が長く黒目がちで、おまけに顔立ちが人形のようにかわいらしく整っているので、なんだか質の悪いホラー映画のようだった。

驚きのあまりレミントンを取り落しそうになったのをなんとか堪え、男は反射的に銃口を彼女へと移した──それがなによりの命取りだった。

一般市民であるコトミから攻撃の矛先が外れた瞬間には、もう謎の女子高生は動いていた。ヘアスプレーの缶のようなものを、ひょいっと彼らの足元に投擲した──それは表面になんの装飾も施されていない、素っ気も洒落っ気もないメタリックな銀色をした──手榴弾であった。

ぎょっと男たちが目を剥いて身を翻そうとしたが、遅かった。ぶしゅううううっ、とものすごい勢いで煙幕が撒き散らされて、通路が白く塞がれる。突然の出来事に、一介の銀行員であるコトミが対処できるわけもなく、思いっきり煙を吸い込んで咳き込んでしまう。男たちはガスマスクを装備していたため、呼吸器官に影響を受けることはなかったようだが、視界を奪われたのは同じだった。仲間が至近距離にいる以上、闇雲に発砲することもできず、慌てている気配が伝わってきた。

「な──なにが──げぶっ!」

前触れなく、なにか硬いものが激突するような音と、嫌な感じの悲鳴がコトミの耳朶を打った。ひいっ、と肩を跳ねさせるコトミの周囲で、似たような現象が連続した。ほどなくして煙幕は引いたが、そのほんの数分がコトミには永遠のように感じられた──憔悴しきった彼女の眼前、そこに広がっていたのは、その極度の混乱を更に加速させるに足る、信じられない光景だった。

武装した男たちが、地に伏していた。ぐったりと横たわって動かない。今この場に己の脚で立っているのは──あの謎の女子高生だけだった。制服には汚れひとつなく、呼吸にもまったく乱れは見られない。凛と毅然と仁王立つ彼女の右手には拳銃が握られている。強盗集団が所持していたものよりはずっと小さいので、頼りなく見えてしまうが、それでもそれはれっきとした暴力のための兵器だ──コトミはマナーモードの携帯電話のように震えながら、突如として現れた得体の知れない女子高生に目を釘づけにされていた。

その視線に気づいて、女子高生はコトミの傍らに膝をついた。そして柔らかく、にこり、と破顔してみせる──まるで少女漫画のヒロインのように、清楚で可憐な微笑みだった。

「乱暴をして、すみません。大丈夫ですか? お怪我は?」
「あ……いえ……平気です……」
「無事でよかったです。立てますか?」
「……あ、あなたは……?」

なぜだかコトミは、どこかで彼女と会ったことがあるような気がしていた。妙な既視感があった。しかし思い出せない。この少女は一体──何者なのだろう?

「あたしは──」

コトミの問いに、少女は答える。
気取ったふうでもなく、至って淡々と、ひとこと。
しかしそれは、まるで救世主の神聖なる名乗りのように高潔だった。

「通りすがりの、ヒーローですっ!」