eXtra Youthquake Zone | ナノ





どこからともなく轟いてきた地鳴りのような咆哮に、一向は揃って立ち止まった。

グローブの指先に意識を集中しつつ、ニーナが周囲を警戒する。

「……今のは」
「クローディアだろう」

簡潔に答えたベルティーユの手にあるのは、小型の端末である。真ん中で折り畳める形状になっていて、巷で人気の液晶タッチ操作機能を搭載したゲーム機のようにも見えるが、勿論のこと遊んでいるわけではない。双子の体内に埋め込まれたGPSがどうやら生きているようなので、その反応を追っているのだ。二人が返り討ちに遭ってしまったのならば、そこになんらかの痕跡が残っている可能性が高い。ターゲットを──クローディアを追う手掛かりが拾えるかも知れないという算段だった。

「いやはや、恐ろしいよ。医療技術の進歩を研究のテーマに掲げながら、その裏であんな化け物を飼っていたなど──関係省庁の監査が甘すぎるのではないか?」
「あの古狸なら、いくらでも隠せたでしょう。悪知恵が働きそうだ。それに奴は民間の有志から多額の援助金も受けていた。腐った連中に賄賂を払うには充分だったのではないですか」
「ジェノス氏は辛辣だな。まあ、強ち的外れでもないのだろうが──そのあたりの調査は、すべてが終わってから、然るべき機関に任せるとしよう。ヒーロー協会は黙っていないだろうし、この調子だとユビキタス機構も出てくるだろう。あの胡散臭い“世界平和愛護団体”ハイ・ソサエティ・クラブも首を突っ込んでくるかも知れない」
「……戦争が起きますよ」
「ああ。それくらいは覚悟しておいた方がいいだろうな」

こともなげにベルティーユは言ってのけるが、ニーナはその恐ろしさに身震いせざるを得ない。ベルティーユが列挙したのは闇社会に跋扈する無数の秘密結社の、その中でも抜群に質の悪い連中である。現在ヒーロー協会が有している、国内外の政治にすら干渉せしめるほどの、民間組織の枠を超えたオーソリティ──事実上の治外法権を狙って暗躍しているそいつらが、この研究所で起きているビッグ・トラブルを嗅ぎつけてきたら、一枚でも二枚でも噛ませろと言ってくるのは目に見えている。
なんとか綺麗に後始末をつけて、部外者の干渉を避けられるような形で幕を引かねばならなかった。頭の痛む話である。

「とりあえずそこの警備員氏は重要参考人として確保しておく必要があるな」
「口封じのために首を刎ねておいた方がよいのでは? 状況が状況ですし、疑いの目が向くことはないでしょう」

ニーナの冷酷な発言に、スコーピオはびくりと身を強張らせた。大の男が猟銃を向けられた子鹿のように目を剥いて、失禁しそうなほど怯えている姿は、あまり見栄えのいいものではなかった。

「無闇な殺生はすべきじゃない。罰が当たるよ。私が言えた義理ではないがね」
「……そうですか」
「あくまでも“現段階では”だがね。成り行き次第だよ。手荒な手段は取りたくないが、状況が許さないのならば仕方がない。なるべく血を見ないで済むよう努力したいところではあるが、難しいかも知れないな」

そんな会話をしれっと交わしているベルティーユとニーナ、片脚で器用に跳ねて歩くジェノス、己の行く末を案じて顔面蒼白になっているスコーピオの四名が──GPSの案内に従って辿り着いた、隣接する棟とこちら側を繋ぐ渡り廊下で目にしたものは。

“用心棒”の兇刃によって斬り裂かれたゴーシュとドロワットと。

一面に飛散した、明らかに双子のものではない、生きた人間の──夥しい量の血液だった。

「………………これは」

さすがのニーナも顔を顰めるほどの、腐敗した鉄の臭気。まだ乾いていない、真新しい鮮血──床には引き摺ったような跡も確認できた。割れている窓がひとつと、その周辺の壁が不自然に凹んでいる。激しい戦闘があったのは一目瞭然だった。

「グレーヴィチが雇ったとかいう“用心棒”のものか? 双子と交戦して、手傷を負ったのでは」
「わからん。あの手練れが、そう簡単にしてやられるとは思えない……私の子供に後れを取るとは考えづらい。逃げるハイジを追っていたクローディアと、ここで鉢合った可能性が高いな。階段が近かったし、屋外よりも複雑な建物内部の方が撒きやすいとハイジは判断したんだろう。彼は単純だが──断じて、馬鹿じゃあない」

ジェノスの類推に答えながら、ベルティーユは残骸と成り果てた愛息と愛情の傍らに膝をついた。二人の頬をそっと撫でて、見開かれたまま機能を停止した両目を労わるように閉じてやり、長い息をつく。

「よく頑張ったな。いい子だ」
「……教授」
「私はここに残らせてもらうよ。これ以上できることは、しがない学者の私にはもうなさそうだ……君たちは引き続きクローディアを追ってくれ。サイタマ氏とシキミもいるんだろう? 合流できるようなら、探した方がいいと思うのだが」
「そうですね。ジェノス様も──」
「いや、俺も残る。この状態では、まともに戦えない。せいぜい務まるのは待機行動中の非戦闘員の護衛くらいだろう」
「……お気遣い痛み入るよ、ジェノス氏」

ふっ、と口の端を緩めるベルティーユに頷いて、ジェノスはニーナに向き直る。

「それに──この血痕が用心棒のものだという確証もない」
「……………………!」
「クローディアはハイジに対して“逃がすな”、“捕えろ”と命じられていた。恐らく危害を加えることはないと見ていい。それくらいの分別はあるだろう。多少の攻撃くらいはするかも知れないが、生命に危険が及ぶほどのダメージは与えないはずだ──こんな大量出血を伴う致命傷は負わせないはずだ。そうなると“命令の遂行を阻害する障壁”と衝突したと考えるのが妥当だろう。それが例の用心棒だったのなら別に問題ないが──先生か、もしくはシキミだった場合、そうも言っていられなくなる」

ジェノスの言葉に、ニーナはごくりと喉を鳴らす。

「先生があの程度の低俗な怪物に負けるわけがないから、最悪の展開があるとすれば、きっとシキミだろう」
「……そんな」
「腐ってもシキミはA級ヒーロー“毒殺天使”だ。一矢くらい報いてうまく逃げられていればいいが、丸呑みにされて骨まで食われてしまっていたのだとしたら──ここに血痕しか残っていないことも説明がつく」
「……………………」

反論しようと口を開きかけたニーナだったが、結局なにも言えなかった。ジェノスの論に理が敵っていない箇所がなかったのと──なにより彼が険しく眉間に皺を寄せた、悔恨と苦渋に満ちた顔をしていたことが、二の句を継ぐタイミングをニーナから奪っていた。

「……至急、シキミ様とB級の彼の捜索へ入ります。クローディアと遭遇したら、なんとか鎮圧できるよう尽力しましょう」
「無茶はするなよ」
「ええ、承知しております、教授」
「絶対に深追いするな。危険だと思ったら迷わず撤退しろ」
「肝に銘じておきます」
「お……俺は……どうしたら」

おずおずと割って入ってきたスコーピオに、ニーナは冷めた視線を向ける。

「あなたもここにいてください。ご存じの通り、私の武器は広範囲に亘る無差別攻撃を得意とするものです。手加減が難しいんですよ──巻き添えを食って細切れにされてもいいと仰るなら、共同戦線を張っても私は一向に構いませんが」

ぶんぶんと首を横に振って、スコーピオはわかりやすく拒否の意を示した。

「ジェノス様、彼の監視もよろしくお願いします」
「ああ」
「妙な真似をしたら燃やしてくださって結構ですので」
「……ああ」

さらりと冷徹な要求を繰り出すニーナに、さすがのジェノスも同情を禁じ得なかった。自分も苛烈な戦いの世界に身を置いているので、似たような行動を取った経験は少なからずあるけれど、ほとんど一般人に近い者を相手に、ここまでの仕打ちをしたことはない──と、思う。

そんなジェノスの内心など置き去りにして、ニーナは単騎、颯爽と駆け出していった。この広大な研究所のどこにいるのかわからない肉塊とハゲと女子高生を──そしてこの抗争の核である“アカシック・レコード・イミテーション”をほとんどノーヒントで探し出せというのは無理難題きわまりなかったが──それでも彼女に賭けるしかなかった。

「……それにしても、意外だったな」

ニーナの背中が見えなくなってからベルティーユがぽつりと漏らした呟きに、ジェノスは首を傾ぐ。

「? なにがですか」
「君のことだよ、ジェノス氏」
「……俺ですか?」
「シキミが食われたかも知れないと話していたとき、とても不安そうな表情をしていただろう? 君がサイタマ氏とヒズミ以外の対象に感情を出したところは初めて見た」

茶化すような物言いのベルティーユに、ジェノスは口を尖らせた。

「それは教授の見間違いでしょう」
「いや、君にとってシキミがそこまで重要な対象であるとは想定していなかった。てっきり“たまたま接点が多いだけの他人”くらいの認識だろうと思い込んでいたからね。私は驚いたよ」

己の反論に耳を貸そうともしないベルティーユの説得を諦め、ジェノスは目を明後日に逸らした。

「……それなりに認めていたんですよ」
「ほう?」
「まだまだ未熟ですが、強くなりたいという意思は本物のように感じていましたから。実際あいつの気概と根性はなかなかでしたし。そこそこ見所はありました」
「おや、下り坂に差し掛かった化粧っ気のない年上から、花のピチピチ女子高生に鞍替えかい?」
「それは断じてありませんしヒズミは決して下り坂に差し掛かってなどいません化粧っ気は確かにないかも知れませんがそれでもあいつの心は誰より純粋ですし綺麗ですしだからこそかわいらしくて愛くるしいんです俺が守ってやらなければならないんですそれに俺がいないとあいつは幸せになれないんです帰ってきたら二度と寂しい思いなんてさせないように俺がずっと側にいて話を聞いてやるんですもうあいつが泣かなくてもいいように俺だけが」
「わかったすまなかった私が悪かった」

額を押さえて呻くベルティーユ。踏んではならない地雷をブチ抜いたことを瞬時に理解したらしい。事情を知らないスコーピオも露骨に引いている。ジェノスだけが今ここにいない想い人を脳裏に浮かべて熱の篭った眼差しを中空に向けていた。

「これは危険な兆候だな……」
「俺はヒズミを愛しているだけです。早く会って抱きしめてやりたいと、それだけです」
「……ああ、そうかい」

おざなりに頷いて、ベルティーユはずれた眼鏡の位置を戻した。

まったくもって──どこもかしこも。
多事多難、波瀾曲折ばかりだった。