eXtra Youthquake Zone | ナノ
残るは、一頭。
シキミは右手にヴェノム、左手にワルサーの二丁構えで廊下を駆ける。作戦通り狭い渡り通路にクリーチャー軍団を誘導して、着実に確実に化け物を仕留めていった──点々と転がる異形の死骸が、激闘の凄まじさを物語っている。
狂ったような勢いで追いかけてくるのは、なんと人間の赤ん坊である。愛らしい顔をしているが、その体積はシキミの数倍以上もある。四つん這いで、健康的に膨らんだ幼児特有な丸いラインの全身を揺らしながら、きゃっきゃっと楽しそうな声を上げている──それが逆に悍ましく、シキミの背筋に冷たいものを走らせる。
「気持ち悪いなあ、もう……! ドラッグ・オン・ドラグーンDエンドかっつーの! 未亡人のエルフでも食ってろっつーの!」
わかる者にしかわからないマニアックなツッコミを吐いて、シキミは振り返りざまにワルサーのトリガーを引いた。射出された弾丸が、狙い通りに赤ん坊の右目を貫く。全身が怖気立つ甲高い悲鳴が鼓膜を劈いた。
怯むことなく、シキミは隙を突いてヴェノムの引鉄に指をかける。放たれた銀の矢は赤ん坊の額に突き刺さり、内包していた猛毒を体内に注入した。その箇所から、みるみる肌がどす黒く腐食していく──熟しすぎた果実のように肉が崩れ落ちて、白い骨が露わになり、周囲に嘔吐感を喚起する錆びついた臭いを充満させる。
「……三階に戻らなきゃ」
打ち尽くしたワルサーに予備の弾倉を装填しながら、シキミは呟く。あのサイタマが苦戦しているところなど想像もできないが、なにしろ数が数である──徒手空拳での殲滅には骨が折れるだろう。彼の実力はあくまで一対一で本領を発揮する種類の強さである。あの狂犬たちに、実力の違いを察して白旗を振れるほどの知能があるとは考えづらい。
と──そこへ。
新手の迫り来る気配があった。
渡り廊下の先から、腹の底に響く轟音が連続して聞こえてくる。それはだんだんとこちらへ近づいてくる──シキミはワルサーの照準を正面に合わせて、迎え撃つ体勢を整えた。
壁を抉り壊し、床を踏み鳴らしながら、猛進してきたのは──
瀟洒で豪奢なゴスロリ衣装に身を包んだ双子だった。
「ゴーシュくん……と、ドロワットちゃんっ……!?」
彼らは排斥すべき敵ではない。シキミは銃口を下げた──が、なにやら様子がおかしい。ゴーシュの小公子風スーツも、ドロワットのフリル盛りだくさんのドレスも、あちこち破れてぼろぼろになっている。値の張りそうな仕立てのいい洋服が見る影もなく台無しになっていた。二人はそれを気に咎めることもなく、焦点の合っていない目で疾走してきて──ちらり、とシキミを一瞥した。彼らが起こしたアクションはそれだけだった──“攻撃してくる素振りのない、敵性因子ではない可能性が高い”彼女の横を無言で風のように通り過ぎていった。
「ど──どうし──」
状況が飲み込めなかった。シキミは狼狽えかけたが、自分のすべきことが変わったわけではない。それにあの双子がここにいるということは、つまりベルティーユやハイジもこの施設のどこかにいるという事実の裏付けに他ならない。一刻も早くサイタマとジェノスを見つけて合流して、この研究所の長であるグレーヴィチの捜索に踏み出し、真相を聞き出さねばならない──いや、それよりベルティーユを探すのが先決だろうか。双子の“暴走”を鑑みるに、きっと只事ではないのだろう。今まさに彼女と助手は危険に晒されているのかも知れない。
シキミが踵を返した──のと、同時に。
通路を渡り終えようとしていたドロワットの右脚が、胴体から分離して、リノリウムの床に転がった。
すっぱりと滑らかな斬り口。アンドロイドである少女の内部──メタリックな部品が整然と密集しているのが、シキミからもよく見えた。もともとそういうふうに造られていたかのように、切断面には不自然さがなく、美しくさえある。触れただけで傷つくほどの鋭利な刃でなければ、限界まで研鑚された達人の太刀筋でなければ、とてもこうはいかないだろう。
常人には目視すらできない領域のスピード。
猛者にも捕捉すら許さない瞬息のデリート。
例えを挙げるとするならば──
──“音速”。
間髪入れずに叩き込まれた二撃目によって、ドロワットの後頭部が割れた。鋼鉄の頭蓋の内側を晒しながら、少女はその活動の一切を停止した。
ゴーシュが吠える。少年の澄んだボーイソプラノが、耳を塞ぎたくなる獣の咆哮へ変貌する。その首筋に一文字の亀裂が走った。後ろ半分がばっくりと割れて──ゴーシュはその場に頽れて動かなくなった。完全に機能が停止していた。
なにが起きたのか──目視できなかった。
シキミはその場に立ち尽くし、ただ全身を緊張させるしかない。たった今ドロワットとゴーシュを襲った、鎌鼬を思わせる、不可視の斬撃──それがこちらへ飛んできても、躱すことができるかどうか怪しいところだ。それでも迎え撃たなければならない。シキミは腰を落として、次のアプローチを待ち構える。
「……首を落とすつもりだったんだがな」
耳朶を打ったのは、怜悧な男の声。
背後から聞こえてきたそれに、シキミは振り返る。そいつが纏うボディにフィットした黒い装束には、鎧めいた鋲が飾られていた。中性的な顔つきと、線の細さ。嫌でも記憶に残る特徴的なフェイスペイント。右手には妖しく輝く日本刀。墨色の髪を項で結い上げ、吊り上がった炯眼でシキミを見据えている。
彼と会うのは──これが“三度目”になる。
「なかなか頑丈に造ってあるようだ」
「……音速のソニック……!」
シキミの額から一筋の冷汗が伝い落ちた。一体どうして──この忌まわしき暗殺者が、こんなところに?
「なぜ俺がここにいるのか、とでも訊きたそうな顔だな」
「…………!」
「仕事だ。グレーヴィチに雇われた。大仕事を邪魔しにやってくる侵入者を始末しろ──とな」
追いつめた獲物を甚振って弄ぶ肉食獣のように、ソニックは嗜虐的に口を歪める。どこまでも陰惨で、陰湿な笑みだった──初めて邂逅を果たしたときと、なにひとつ変わっていない。
「まさか貴様が来るとは思っていなかったがな」
「……誇り高き忍者が、端金で俗物の言いなりになって……情けないと思わないの?」
「貴様に詰られる筋合いはない。これは俺にしかできない任務だ。お前のような化け物を、他の誰が手に負えるというんだ? まさか忘れたわけじゃあるまい、あの惨劇を」
「……………………」
「それに──貴様だって同じだろう。いや、貴様の方が堕落しているのではないか? ヒーローなどという、くだらん正義ごっこに身を窶して優越感に浸っている。そうまでして世間に受け入れられたかったのか? 人畜無害を装っていれば、献身的な振りをしていれば、社会に溶け込めると思ったのか?」
「……………………」
「あまり失望させるなよ。──腐っても貴様は、あの里の血筋に生まれた、俺と同じ穴の貉なんだからな」
「……あんたなんかと一緒にしないで」
絞り出すように──シキミは喉を震わせて言う。
「あたしは守るために戦うって決めたの。──もう化け物なんかじゃない」
「ふん。腑抜けたな……もういい、興が冷めた」
つまらなさそうに吐き捨てて、ソニックは刀を逆手に構える。血を吸わせろと求めるかのように──白刃が獰猛に煌めいた。
「仕事を遂行させてもらおう」
最後の宣告。
最終の通告。
シキミは手中のヴェノムに意識を集中する。少しでも気を緩めたら、その瞬間に首を刎ねられるだろう。瞬きさえも許されない。
(──使うしかない……のかな)
腰のベルトに携えてある、予備の弾薬。
敵に撃ち込むための猛毒ではない、己の肉体の潜在能力を限界まで引き出すための劇物──赤黒い液体の込められた筒状の矢。使用すればこの窮地を掻い潜るくらいはできるだろうが、その反動は甚大である。サイタマとジェノスを探して合流するどころか、自分の足で思うように歩けるかどうかも危うい。期待できるリターンに対してリスクが高すぎる。
しかし──迷っている暇はない。
ソニックがどれだけ強敵なのかということを、シキミは身を以て知っている。
とても太刀打ちできやしないだろう。
“通常時”の自分ならば。
熟練された手首のスナップで、ヴェノムのシリンダーを開く。同時にワルサーのグリップの底で、ベルトに装着していた弾丸を下から叩き上げる。留め具が外れて、銀色の矢が宙に浮かぶ──そのまま鮮やかなステップでくるりと一回転すると、シリンダーの空いた部分、先頭から数えて三発目の空洞に弾丸が吸い込まれるように収まった。見る者がいれば、その華麗さに賞賛の拍手を送ったことだろう──しかしこの場に観客など存在しない。今ここにあるのはただ、それぞれの戦意のみ。
装填を完了し、シキミは低く屈む。頭上をソニックの一振りが掠めて、黒髪の先端が数本はらりと舞った。地面すれすれの位置で、シキミは引鉄を絞った。当てるつもりはない、威嚇のための射撃である──至近距離まで迫っていたソニックの気配が離れて、その間にシキミは体勢を立て直す。
微塵の油断もなく、欠片の慢心もなく、姿の見えないソニックを牽制するように左手のワルサーを光らせながら、シキミは決死の覚悟でヴェノムの銃口を腹部に押し当てて──
恥も外聞もない無粋な悲鳴が、それに待ったをかけた。
「──────っ!?」
思わず背後を振り返ってしまった。意味を成さない絶叫を喧しく騒ぎ立てながら飛び込んできたのは──
「なっ……え……ハイジさん!?」
何度か会ったことのある、ベルティーユの助手だという銀髪の青年だった。ひどく取り乱した様子で、前のめりに転びそうになりながら、こちらへ走ってくる──なにかに追われているような、逃げているような──そんな印象をシキミは持った。
「え、あっ、シキミ!? 君も来てたの!?」
「君も、って──どういう──」
踏鞴を踏みながら、ハイジは言い募ろうとする。しかし混乱しきっているようで、いまいち要領を得ない。ゆっくり話ができる状況ではないのだが、ハイジの剣幕はものすごかった。
「ジェノス氏がやられちゃったんだよ!」
「えっ──」
「だけど、俺だけ脱出させてくれて──敵の狙いが俺だからって──それで俺、今グレーヴィチ博士の娘から逃げてるところで──」
「博士の──娘?」
まったく事態が飲み込めない。
詳細な説明を要求したいところだが、ハイジにそれが可能だとは思えない。こんなことをしている間にソニックが再び襲いかかってくるかも知れないのに──と、焦るシキミの眼前に。
──“それ”は、ゆっくりと姿を現した。