eXtra Youthquake Zone | ナノ





焼却砲によって抉じ開けた大穴から、躊躇いなく空中へと跳躍し、ジェノスは地下へと降り立った。ベルティーユたちを閉じ込めたケージとグレーヴィチの間に着地して、ぐるりと周囲を見渡す。

かなり広い。バスケットボールの試合くらいなら余裕で行えるほどの面積がある。空間を明るく照らし出しているのは水銀灯だろうか──眩い白光が床に長い陰影を生んでいる。かつて“進化の家”で阿修羅カブトと名乗る怪人と交戦した、あの戦闘用ルームとやらと似ていた。以前ベルティーユが所属していたX市総合病院にも同じような部屋があって、そう、特異体質へ変貌したばかりの頃のヒズミとの特訓に使用していた──科学者という種族は日頃から煩雑な機器類に埋もれながら生きている反動で、こういう解放的なホールを好むものなのだろうか。

しかし。
奇妙な水槽が──その広大な室内の半分近くを占領して鎮座している。

圧巻というほかない。言葉を失うスケール感もさることながら、内側に浮かんでいるのがただひとりの少女という非現実的な光景が見る者を驚嘆させる。フェイス・マスクを顔に装着し、幾多のチューブに繋がれながら体を丸めて、ぴくりとも動かない。

生きているのか死んでいるのかもわからない。

「……お前は確か、S級の新人ヒーローだな」
「そういう貴様はグレーヴィチだな」
「いかにも。ふん、私のことを知っているのだな──お前のような機械人形でも」

差別と侮蔑がありありと滲み出た態度で、グレーヴィチは鼻を鳴らす。

「肉体を捨てて無機物と同化するなどという愚の骨頂を好き好んで犯すような者にも、それなりの知性はあるようだな。到底、理解はできんがね──生物が持つ無限の可能性を自ら捨て去り、進化を放棄し、そんな醜い姿へ堕落できる神経など」
「貴様の理解など、得られなくて結構だ。エンテレヒー信仰は俺にはない」

冷罵にも眉ひとつ動かさず、ジェノスは至って平静である。むしろ気分を害した様子なのはグレーヴィチの方だった──まるで汚いものでも見るような眼差しで、ジェノスを睥睨している。

「はっ、短絡思考の俗物めが」
「なんとでも言えばいい。そんなことより──“あれ”はなんだ?」

ジェノスが顎で指したのは、言わずもがなグレーヴィチの背後に超然と聳える、半球形の大水槽と──その内部で、安らかな面持ちで薄緑の液体に揺蕩う、可憐な少女。

「機械人形ごときが、私の娘を“あれ”呼ばわりか」
「娘だと?」
「ああ、そうだ。クローディア──私の自慢の、一人娘だ」
「……………………」
「なにか言いたそうな顔だな」
「……貴様に娘がいたのは知っているが」

怪訝そうに眉根を寄せながら、ジェノスは口を開く。

「十年以上も前に、死んだはずだ」

その通り──なのだった。

グレーヴィチの愛娘は先天的な難病を抱えて産まれ、齢が二十を超える前にその短い生涯の幕を下ろした。その訃報はニュース番組や週刊誌などでそこそこセンセーショナルに取り上げられたので、騒ぎを覚えていない者の方が少ないだろう。もっとも昔の話なので、シキミくらいの世代には浸透していない事実なのかもしれないが──少なくともジェノスは知っていたし、ベルティーユだってその多聞には漏れないだろう。

「体の弱い母親に似てしまったんだ。彼女も娘を産んだときに死んだ。悲しかった。人間という生き物はとても脆い。ただ生命を維持するだけのことさえ、こんなにも難しいのかと──私は悲嘆に暮れた」
「……………………」
「しかし娘が母親から受け継いだのは、病弱さだけではなかった。母親は……私の妻だった女は、かつて私が所属していた研究プログラムの中心的存在だった。賢明で聡明で思慮深く、品もあって、まるで神話に登場する知の女神、メティスのようだった──そんな彼女のありあまる知能と同じだけの才覚を、娘は持っていた。幼少の頃からその智慧は周りの者を驚かせた。あらゆる生体のメカニズムを解析してきたこの私をすらも愕然とさせるほどの、天才的頭脳に恵まれていたんだ。娘は──クローディアは、後世に名を残す、歴史的人物になれるはずだった」
「それで──貴様は、自分の娘に“なにをした”んだ?」
「……娘が息を引き取ってから、私は更に研究に没頭した。生物の限界を超え、生命の常識を脱し、絶対的な終焉である死さえも凌駕する、その手段を探し求めた。無から有を蘇らせる術を。先の見えない茨道は大変に苦しく、時には荒唐無稽な目標を掲げた私を嘲る者もあった。それでも私は諦めなかった。クローディアという人類にとって掛け替えのない財産を失ってはならないと、その信念だけで研究を続けてきた。そして──あるとき、暗闇に光が射した。七年前のことだ」

どこか懐かしむように天を仰いで、グレーヴィチは続ける。

「そう、七年前──この国で“それ”は産まれた。私は天地が引っ繰り返るほどの衝撃を受けた。なんとしても“それ”を手に入れねばならないと思った。しかし“それ”は厳重に隔離され、誰の影響も受けないところで管理されることになった。“それ”が有する価値を考えれば、当然のことだ──使い方によっては、世界の破滅だって実現できるだろうからな」
「……なんの話をしている?」

だんだんと語りが胡散臭い方向へ傾いてきた。軌道修正を試みたジェノスだったが、グレーヴィチは無視して己のスピーチを紡いでいる。

「“それ”は叡智の結晶。この世に存在する森羅万象の中で、もっとも真理に近い概念だ。クローディアならば“それ”を我が物とし、全知全能を手に入れることができる。クローディアは神になれるんだ。クローディアこそが──この世界を統率するのに相応しい」
「大した親馬鹿だな」
「貴様のような痴れ者には、わかるまい──大いなる力を持った超越者が、食物連鎖の頂点に立つ霊長である人類を支配するという重要性に。資源を食い潰され、荒らし尽くされ、衰退の一途を辿る我が惑星の寿命を永らえさせるためには、神が必要なのだ。すべてを掌握し、あるべき姿へ正しく導く絶対的な王が」
「くだらない。SF映画の見すぎじゃないのか」
「いよいよ救いようがないな、貴様は。素晴らしき進化を遂げ、現存する生命体の枠組から外れた圧倒的な能力を持ち、世界を統べるカイゼルとしての資質と資格を獲得したイレギュラーな人間と、少なからず面識があるというのに──なんとも思わなかったのか?」
「……なに?」
「あの“ホワイト・アウト・サイダー”と、懇意にしているのだろう?」

──その名前に。
ジェノスの眼の色が変わった。

「私が最初にヒーロー協会本部を訪れたのは、純粋に彼女の情報を掠め取るためだった。ベルティーユ教授に言ったことは、嘘ではなかったのだよ──あの大樹“ハルピュイア”を討伐するという偉業。賞賛に値する。私が三年前、クローディアの肉体を神に近づけるために開発した“怪人の心臓細胞核の移植による体組織の強化”など、足元にも及ばない強靭な躰。そしてそれを制御できるだけの精神力。その変異の全貌を解析して、再現することができれば、クローディアは更なる高みへ昇りつめることができる! そのためには“ホワイト・アウト・サイダー”を捕え、解剖して解体して、臓腑の奥まで抉り出して、骨の髄まで調べ尽くす必要がある! あれは貴重なサンプルだ。ヒーロー協会が総力を挙げて捜索しているそうだが、早く尻尾を掴んでほしいものだ──あれは偉大なるクローディアの完成に、なくてはならない実験材料な」

グレーヴィチの演説は、そこで途切れた。

彼の口を塞ぐように、ジェノスの硬質な掌が押しつけられていた──指先がぎりぎりと食い込んで、骨の軋む音を立てている。グレーヴィチの足は地に着いていない。丸々と太った不健康な肥満体が、ジェノスの腕一本で吊り上げられている。

「貴様のような芥屑がヒズミの名を発するな」

絶対零度の、空気さえ凍りつきそうな声音で。

「俺のヒズミを、そんな汚らわしい欲に塗れた目で見るな」

ジェノスは金の瞳を獣のように収斂させる。

「──殺すぞ」

金属の五指の隙間から、赤い液体が滴り落ちていく。一切の加減なく締め上げられ、口内を切ったのだろう──双眸を血走らせ、グレーヴィチはもがいている。しかしジェノスは手を緩めない。むしろ力を増していく。めきっ、ごきんっ、とグレーヴィチの下顎が悲鳴を上げて──

「こんなところで人殺しになる気か」

ベルティーユの言葉が、ジェノスの耳朶を打った。

「怒りに任せて、つまらない咎を背負うのか? 帰ってきたヒズミに合わせる顔がなくなってもいいのか?」
「…………………………」

諭すような台詞に、ジェノスは数秒間、黙り込んで──グレーヴィチから手を離した。どさっ、と風船のように膨らんだ彼が床に落ちて、口の周りを己の血で真っ赤に染めながら、痛みにもんどりうっている。

肩越しに、背後のベルティーユを振り返る。ケージの鉄柵にもたれかかり、悠然と腕を組んでいる──危機的状況にありながら、普段と少しも変わらない、優雅な佇まいだった。その表情に、静かな怒りの炎らしきものが灯っていること以外は。

「愛に生きる若人を邪魔する趣味はないが、些か見苦しかったのでね」
「……ご忠言、感謝しておきます」
「礼はいらないよ。私と君の仲だろう」

ジェノスとベルティーユが冗句めいた会話を交わす横で、グレーヴィチがふらふらと立ち上がった。肩で息をしながら、沸き上がる憎悪に震えながら──唾の混じった血の飛沫を飛ばして叫ぶ。

それは罵倒ではなく。
感情を剥き出しにした憤懣でもなかった。
そして嘲笑ではなく。
形振り構わぬみっともない命乞いでもなかった。

とうに物言わぬ亡骸へと変わり果てたはずの、
愛してやまない己の娘へと向けられた、

──“命令”だった。



「クローディア! ──“起きろ”!」



そして──少女は。
名を呼ばれたことに明確に反応した。

ゆっくりと。
顔を上げる。

色素の薄い睫毛に縁取られた、二度と開くはずのない眼が──

はっきりと焦点を合わせ、父親を見つめる。
生命力に満ち溢れる光を放ちながら。