eXtra Youthquake Zone | ナノ





黒い彗星のごとく向かってきた犬の口に、9mmマカロフ弾が突き刺さる。シキミが放ったそれはそのまま犬の頭蓋を貫通して、小さな風穴を生んだ。断末魔すらなく床に落ちた死骸には目もくれず、シキミは次々と襲いくる化け物へトリガーを引き続ける。

「すげーな、バイオハザードみてえ」
「危ないですから先生は下がっててください!」

空気の読めない感想を漏らしているサイタマに吠えて、シキミは空になったマガジンを捨てる。飛びかかってきた一頭を鋭いハイキックで叩き落とし、その間に次弾の装填を完了──蹴りを食らって悶絶している四足歩行の化け物にとどめの一発を撃ち込んだ。

ジェノスも応戦している。近くに仲間がいる狭い空間なので、ご自慢の焼却砲は使えないのだが──そんなことはなんの障害にもなっていなかった。流れるような体術で、表情ひとつ変えずに犬の頸を圧し折っていく。

「なんなの? こいつら」
「研究所の連中の罠でしょう──不都合な事実が露見するのを阻止ために、俺たちをここで消そうとしているのかと」
「やっぱりここのヤツらが教授を誘拐してったんだな」
「それは定かではありませんが、可能性は高まりましたね」

のんびりと会話を交わしているサイタマとジェノスの神経が、シキミには信じられない。こんな危機的状況において、塵ほども焦っていない。後ろから躍りかかってきた犬の頭を見もしないで裏拳一発のもとに潰してしまえるサイタマに、怯えろとか怖がれとかいう方が無理なのかも知れないけれど。

「あの、これ、ニーナさん──危ない、のでは、っ!?」
「あいつなら大丈夫だろう」
「そ、んな──悠長なことを──」
「大人しそうな顔して、なかなかやるぞ、あの女」

ジェノスは言う。まるで過去に一戦交えたことでもあるかのような口振りだった。

シキミがその真意を掘り下げようと口を開きかけて、

──がくん、

と──体が大きく傾いた。

「えっ、」

浮遊感に見舞われて、シキミは視線を下に遣る。足元の床が消滅していた──観音開きの要領で中央から縦に割れて、足場が失われていた。

回避が──間に合わない。
──落ちる。

(しまった──トラップだ!)

その範囲内には数匹の犬とジェノスもいて、ともに階下へ引き摺り込まれた。そこから運よく外れていたサイタマが、咄嗟に手を伸ばしたが、虚しく空を切った──シキミたちを飲み込んで、床は無情にも閉じられた。

「……おいおいマジかよ」

パーティを分断されてしまった。サイタマはにわかに浮き足立つ──孤立してしまったせいではない。シキミが目の届くところから離れて、危機に晒されているという状況にこそ、正常な判断力を奪われる。

床を力ずくでブチ抜いて追いかけようと拳を構えたサイタマめがけて、犬が尖った牙を突き立てようと飛来する。右ストレートを一閃してその胴体を吹き飛ばす。得体の知れない実験だか改造だかによって凶暴化した動物などサイタマの敵ではなかったが、数が数である──通路の脇のから止め処なく溢れてくる黒い泉のように、廊下が眼を爛々と輝かせる犬で埋め尽くされていく。

こいつらを全滅させないことには──シキミを助けに行けない。

「くっそ! なんなんだよ! マジでバイオハザードかよお前ら! 次から次へと──プロフェッショナルモードかよこの野郎!」

毒づきながら、サイタマは攻撃の手を緩めない──狂気に満ち満ちた獣の群れに、果敢に飛び込んでいく。

「上等だ──かかってきやがれ犬っころ!」



強制的に二階へと突き落されたジェノスとシキミを手厚く出迎えたのは、異形の軍団だった。恐竜みたいなサイズの蜥蜴だったり、節くれ立った脚を蠢かす巨大な百足だったり、人間ひとりくらいなら余裕で丸呑みできそうな嘴を持った鷲だったり、恐ろしいクリーチャーのオンパレードだった──どう見ても“お友達になりましょう”なんて、牧歌的な雰囲気ではない。

「……趣味が悪いな」
「まったくです」
「グレーヴィチの人格を疑う」
「天才と変態は紙一重、って言いますからね」
「ああ。どうやらド変態らしい」

背中合わせにジェノスと冗談を交わして、かちん、とシキミはヴェノムの安全装置を解除する──本気の臨戦態勢を整える。

そして怪獣たちの隙間から、向こう側に伸びる通路の地形を覗く。右に曲がれる角があって、その突き当たりの窓から、渡り廊下が隣の棟へ繋がっているのが見えた。シキミたちを取り囲んでいる一群に、連携を取れるほどの頭脳を持ち合わせている気配はない──伝わってくるのは本能的な排敵感情のみだ。身動きの取りづらい細い場所に誘き寄せれば、隙を突いて一網打尽にできるだろう。

「二手に別れよう。このまま正面突破して、敵を殲滅する。上には先生が残されたままだ──早く戻らなければならない」
「エレベーターはもう使えないでしょうから、階段を探さないとですね」
「ああ。片がついたら、三階で合流しよう。──やれるか?」
「できるだけ頑張ってみます」
「健闘を祈る。死ぬなよ」
「ジェノスさんも、お気をつけて」

そんな激励を──合図に。
二人は同時に地を蹴って飛び出した。



分厚い金属製のシャッターを、まるで羊羹でも切り分けるかのように分断して、ニーナは密閉された空間からの脱出を果たした。彼女が着ていた仕立てのいいスーツは血でべっとりと汚れてしまっている──協会からの支給品だが、クリーニング代は自腹である。頭の痛い話だった。

しかし他に痛む箇所はひとつもない。
ずたずたに裂かれ臓腑を晒す肉塊の海の上。
擦過傷さえ負わないまま、ニーナは危機を脱した。

彼女の装備──超鋼線グローブ“ウェルテルステン”は、もとより一対多の戦闘を想定して造られた武器である。広範囲に三次元的な攻撃を仕掛けることのできる、最先端技術の粋を結集して強化されたストリングス──知性も理性も失い、ただ沸き上がる攻撃衝動にのみ従う動物がいくら束になったところで、その網の目を掻い潜れる道理もない。

むしろ束になればなるほど絡め取られる。
十把一絡げに──斬り崩される。

粘着質な足音を引き連れて、ニーナは前進していく。それに反比例して、シャッターの裏側で狂犬の軍勢がヒーロー協会の連中を食い殺すのを待っていたスコーピオが後退る──計画が失敗に終わってしまったことで、彼の額には多量の汗が滲んでいた。

ジェノスや“毒殺天使”はともかくとして、ただの幹部であるニーナがここまでの戦闘能力を保持しているとは想定していなかった。だからこその“分断”だったのだ。ニーナを孤立させて、確実に仕留めるつもりだった。それが却って“オール・レンジの無作為攻撃を得意とする彼女が暴れやすいステージ”を作り上げてしまったようだ──完全に誤算だった。

「さて──弁明があるのであれば、お聞きしますが」
「……う、ううっ……」
「どうか抵抗なさらないでください。私は無益な殺生を好みませんので。それに」
「………………?」
「案内役がいなければ、この広い研究所を歩き回るのは骨が折れそうです」

ひうっ──と一振り、極細の鋼糸を唸らせて。
スコーピオの左頬に一筋の赤い線を走らせる。

「今度こそ、私をグレーヴィチ博士のところへ連れていってもらいましょう。──頭と胴が泣き別れてもいいというのなら、話は別ですけれど」

勝ち誇って笑うような下卑た真似もせず。
ニーナはただ淡々と──耽々と、目的を遂行する。