eXtra Youthquake Zone | ナノ





ドアが内側から爆発したと思ったら、自分の体も宙を舞っていた。

一体なにが起きたのか、わからなかった──壁に思いきり叩きつけられて、呼吸とともに思考も止まる。そして重力の法則に則って床に崩れ落ちながら、サーズデイは視界の隅に“それ”を捉えた。

フリルとレースに塗れた、瀟洒な洋服を纏った“双子”を。

先月あたりの深夜に放送していたホラー映画「シャイニング」を思い起こさせる、瓜二つの少年と少女。随分と育ちがよさそうに見えるが、その挙動は野生の獣そのものだった──千切れんばかりに四肢を振り回して、自分に飛びかかってきたのだ。折れてしまいそうな細腕の、どこにそんな筋肉があるのか信じられないほどの膂力で、薙ぎ払われた。

イサハヤは壁際で、両手を挙げて硬直している。なによりもわかりやすい降伏表明だったが、そんなものがこの化け物に通じるのか──というサーズデイの不安を余所に、双子はイサハヤに見向きもせず廊下を疾風のごとく駆け抜けていった。轟音を聞いて駆けつけてきた同僚たちが遠くの方でコントのように次々と吹っ飛ばされていくのを見ながら、サーズデイの意識は徐々に薄れていった。

そんな彼が最後に見たのは──
双子が奔っていったのと反対側の方向へ、悠然と去っていくイサハヤの後ろ姿だった。



「実験動物の暴走──ですか?」

ニーナの呈した疑問形に、担当者を名乗った男は頷いた。

「そうです。投与した薬物の作用で興奮状態になった実験動物が、暴れているようで──詳細はまだ通達されていませんが、警備員たちが総出で向かっているようなので、すぐに鎮圧できる見込みです。騒ぎが収まるまで、どうぞこちらでお寛ぎください」
「そういうことでしたら、我々も協力を──」
「結構です。大事な客人に怪我をさせたとあっては、グレーヴィチ所長に叱られてしまいます──恥ずかしながら、今回のような事例は初めてではありません。どうかご安心ください」

担当者──どうやら警備員たちを統べる立場の者であるらしい“スコーピオ”は、にこやかに笑ってみせる。恐らく“事態の収束が確認されるまで待機させる”という名目で行動を制限し、その間にニーナたちの目を欺く手筈を整える肚なのだろう──相手もそこまで馬鹿ではないらしい。

分厚い木製のテーブルを挟んで向かい合いながら、ニーナは心中で兜の緒を締めた。彼女の隣にはジェノスが座っている。ちなみにサイタマとシキミは部屋の外で、この会談が一段落つくのを待っている──“頭を使うことは、頭のいいヤツに任せておいた方がいい”という、サイタマの判断だった。妙なことを口走ってしまって不利になることを避けるための彼なりの最善策だとニーナは受け取っていたが、サイタマ本人はただ堅苦しい場所にいるのが面倒だっただけなのだった。シキミを道連れに、廊下のベンチで欠伸でも零しているのだろう。

通されたのは来客用の部屋らしく、壁際に置かれた棚にはグレーヴィチがこれまでに築き上げてきた功績を讃える勲章や楯が所狭しと飾られている。壁にも仰々しい賞状が両手の指では足りないほど掛けられていて、改めて彼の確立した地位の高さを思い知らされた。

「粗茶ですが」

スコーピオが持ってきたカップには、熱い液体が注がれていた。グレーヴィチの祖国では一般的な、ストロベリーのジャムを溶いて飲む、甘い紅茶である──テーブルの上に置かれたそれに、ジェノスが不自然でない程度にすかさず口をつけて、

「……いい茶葉ですね」

そう言った──毒物が混入されていないことを、遠回しにニーナへ伝えた。その機転を受けて、ニーナは頬を綻ばせる。

「それでは、私もいただきましょう」
「ええ。雨で冷えたでしょうから、温まってください」
「お心遣い、感謝します」

ふくよかな果実の香りで唇を湿らせて、ニーナが口火を切った。

「グレーヴィチ博士は、避難なさっているのですか?」
「いいえ。所長は今、離れた棟におられますので」
「お忙しくていらっしゃるようですね」
「そのようです。一介の警備員である私には、想像もつきませんね」

言外に“それ以上グレーヴィチに関する情報の提示は不可能である”と先んじられてしまった。ニーナは出鼻を挫かれた思いだったが、決して表情には出さない。

「是非ともお会いしたかったのですけれど」
「可能であれば、所長は時間を割いてくださると思いますよ。あなたがたに無礼を働いたのは、どうやらこちらであるようですし」
「とんでもない。こちらこそ、自分たちの都合で押しかけてきているのですから──仮に我々の所有する機材を、ベルティーユ教授の伝手で博士がお持ち帰りになったのだとしても、それが後世のためになる研究に使用されているのだとしたら、歓迎すべきことです」
「ご理解いただけて、幸いです」
「グレーヴィチ博士の素晴らしい手腕は、私のような木偶にも感銘を与えるのに充分な実績をお持ちですからね──もっとも、博士と繋がりを持つ当のベルティーユ教授がお出掛けなさっているようなので、博士が現在どういった研究をなさっているのか、詳しくは我々も把握できていないのですが」
「……然様でございますか」

その刹那──ぴりっ、と空気が刺々しさを増した。

「彼女は今どちらに?」
「それが委細不明でしてね。我々も困っているのです」
「ベルティーユ教授が自由奔放な女性だというのは噂に聞いていましたが、どうやら事実のようですね」

ちょうどそのとき、スコーピオが着ているスーツの胸ポケットにしまわれていたスマートフォンが振動した。失礼、と断って、スコーピオが画面を確認する──そして役目を終えた端末を定位置に戻しつつ、彼が口から発したのは、ニーナにもジェノスにも予想外の言葉だった。

「博士がお会いしてくださるそうです」
「! よろしいのですか?」
「長時間は難しいようですが、少しならお話できると」
「……………………」
「実験室のある、隣の棟へ来てほしいとのことです」

ニーナとジェノスは顔を一瞬だけ見合わせて、

「ありがとうございます」
「感謝します」

同時にそう述べた。

席を立って、部屋を出る。備えつけのベンチにくっついて腰かけ、あろうことか「あっち向いてホイ」に興じていたサイタマとシキミに経緯を説明して、移動を開始する。緊張感のない場面を晒してしまったことを反省している様子のシキミとは相反して、サイタマはどこまでもぽけーっとした顔のままである。

スコーピオの先導で、四人はグレーヴィチが待つという棟に入った。自動ドアを潜った先の、やや広めのエントランスらしきスペースを通り抜け、エレベーターで上がったのは三階だった。

「暗いですね」
「生け捕りにして薬物実験に使用している怪人を収容していますので、刺激しないよう照明を落としているのです」
「…………………………」
「おや──抵抗がおありですか? 場所を変えるよう打診してみますか?」
「……いえ。結構です」

ニーナは首を横に振って、一直線に伸びる通路をスコーピオに倣って進んでいく──ほとんど光のない闇の中、自分がどこまで来たのかもわからなくなって、すぐ前にいるはずのスコーピオの気配すらどんどん希薄になっていくような錯覚に囚われかけたところで。

異変は起こった。

いきなりモーター・エンジンが動き出すのに似た、耳障りな機械音が聞こえたと思ったら──数メートル先に、なにか大きなものがすさまじい勢いで落ちたのが僅かに視認できた。

「────ッ、」

反射的に飛び退いて、背中が壁にぶつかった。遮蔽物のない廊下を歩いてきたはずなのに、どうして──と、混乱する暇すら与えられなかった。

唐突に明かりが点いて、暗黒に包まれていた全貌が一気に開ける──先程なにかの落下を察した場所に、シャッターが下りていた。完全に遮断されていた──そして自分の背後にも同じ壁が新しく生まれていることを、ニーナは瞬時に悟る。あの機械音はシャッターの作動によるものだったのだ。

スコーピオの姿は、どこにもない。その代わりに、廊下の両脇に取りつけられていた鉄柵の扉が開いていた。きいきいと番を鳴らしながら揺れている──それを押し退けるようにして現れたのは、

「──犬?」

全身が黒い、大型犬のようだった。それも一匹ではない。わらわらと十数を超える犬が沸いて出てきて、つぶらな瞳をニーナへ向けてくる──唸り声を上げ、牙を剥き出しにして、一目で異様とわかる量の涎を床へ垂らしながら。

「……なるほど」

“薬物実験に使用している怪人を収容している”──

それらが暴れて、話を聞かず強引に解決に乗り出してきた、身の程を知らないヒーロー協会の人間は哀れにもみんな仲良く喰われてしまいました──そういう筋書きにしようという目論見か。

「ここまで乱暴な手を使ってくるとは……読み誤りましたね」

恐らく他の三人にも、同じような化け物を差し向けているのだろう。しかしジェノスとシキミならば、これくらいの窮地なんて、どうということもないはずだ──あまりやる気がなさそうだったB級の彼はどうなんだか知らないが、彼の実力の片鱗らしきものを目にしたことはある。かつての“上司”をワンパンでノックアウトしたあの所業をニーナは正直まぐれの一発だと思っているのだが、まあ、こんなところで死にはしないだろう。

なにはともあれ。
差し当たっては。
自分の身は、自分で守らなければ。

しかし大口を裂けんばかりに開けながら地を蹴って飛びついてきた犬に、ニーナはアクションを起こさなかった。その場に突っ立ったまま──“黒い革手袋を嵌めた指先”だけを、ついっ、と動かした。

そこから伸びる──超鋼線が。
音もなく、犬の胴体を縦半分に割った。

血腥い臭気が立ち込める。ニーナは大きく腕を広げた。ひゅんひゅんひゅん──と、風が細い鳴き声を上げて──ストリングスが蜘蛛の巣のように、空間全体に張り巡らされる。

かつて尊敬し、敬愛していた“正義の味方”が遺した忘れ形見を──歪んだ平和への祈りによって生み出された忌むべき兵器を、手足のごとく操って。

「どいつもこいつも」

誰にともなく、ニーナは独り言を吐き捨てる。

「ヒーロー協会、舐めんじゃないわよ」