eXtra Youthquake Zone | ナノ





門番の男に指示されたのは「正面に見える棟に担当者を呼ぶから、詳しく案内してもらってくれ」という、端的な内容のみだった。彼も他の守衛たちも、持ち場を離れるわけにはいかないとかで、ついてくるようなことはなかった──不用心だな、とジェノスは最初その対応を訝ったが、ゲートを潜ってすぐにその猜疑は霧消した。運搬車両のために整備されたアスファルトの路面の両脇に等間隔で立てられたポールの頂点には、すべてカメラが設置されている。わざわざ監視役などつけなくとも、こちらの行動はすべて筒抜けになっているらしい。

「うまく潜入できましたね」

指定された場所へとビニール傘を差して歩を進めながら、ニーナが並んで歩くジェノスに小声で話しかける。降り頻る雨の音もあるし、小さな肉声までは拾われないだろうと踏んで、ジェノスも応えた。

「そうだな」
「具体的な方針が決まっていませんが」
「最優先事項は教授の安否を突き止めることだ。グレーヴィチが持ち去った疑いのある機器の所在を聞き出す振りをしながら、教授が行方不明になっていることを話して、反応を見るのがいいだろう。相手の出方次第だがな──そもそもグレーヴィチ本人と面会できるかどうかすら、現段階ではわからないんだ。策の練りようがない」
「難儀なことです」
「ああ。……それにしても」
「? なにか他に気になることでも?」
「いや──お前を諜報部に異動させた人事の者は、見る目があるなと思っただけだ」

どうやら先程の口八丁を褒めているつもりのようだ。情報という、無限の価値を持つ切り札を扱う頭脳戦の場にこそニーナの手腕が相応しいという、ジェノスには珍しい素直な賞賛──ニーナは相好を崩した。

「買い被りですよ。私は──以前よりもほんの少しだけ、神経が図太くなっただけです」
「そうか」
「自分に正直に生きてください、と言われましたので。──彼女に」
「……それは」
「ご想像にお任せしますよ」

そんな二人の後ろを、サイタマとシキミもついていく。門番たちとの遣り取りでは完膚なきまでに蚊帳の外だったので、ともども揃ってなんとなく居心地が悪そうにしていた。

「なんか入るとき警備員にすげー目で睨まれてた気がすんだけど、あいつらなんか変なこと言ったんじゃねーだろうな」
「……個人の所有する研究所なんて、基本的に部外者はシャットアウトな場所ですから……よっぽどのことがないと入れてもらえないでしょうし、なんかあったのは確実だと思うんですけど」
「さっきのサイレンが関係してんのかな」
「どうでしょう……。なんか聞きづらいですね」
「まあ、頭を使うことは頭のいいヤツに任せておいた方がいいだろ。俺の出る幕があるまでは引っ込んでるわ」

ここにいるメンバーの中で最もサイタマが秀でていることがあるとしたら、直接的な戦闘スキルのみである──彼がその比類なき拳を振るわなければならないシチュエーションが展開されるとしたら、その時点で既に最悪の事態である。先生には申し訳ないけれど、すべてが片付くまで退屈していてほしいなあ──と、シキミは長い睫毛を伏せた。

ジェノスから緊急の連絡を受けて、実家から持ち出してホルスターに収めている予備の愛銃“ヴェノム”も、ベルトに差している小型拳銃“ワルサーPPK”も、このまま火を噴くことなく沈黙を守りつづけられれば、それが一番いい。

眼前に聳えるのは、飾り気のない石碑のような施設である。周囲には似たような建物がいくつも並んでいて、それぞれ用途が違うのだろう。樹海に埋もれるように灰色のモノリスが林立するさまは、まるで墓地めいた雰囲気だ──暗く湿った嫌な匂いが、そのマイナス・イメージに拍車を掛けている。

──はてさて。

濡れたパンドラの匣の藪を突いた、そのあとに。
鬼が出るか、蛇が出るか。



ニーナ一行が足を踏み入れようとしているのとは別の棟で対面していたグレーヴィチ、ベルティーユ、ハイジのもとにも狂ったようなサイレンは届いていた。微かにではあったけれど──想定外の異常事態の勃発を、しっかりとグレーヴィチに伝えていた。

「……なんだ? 今のは」

こんな警報は今までに聞いたことがない──施設の防犯装置が作動したことによるものではない。正体を掴めず眉を顰めるグレーヴィチに、檻の中のベルティーユが解を示した。

「私の子供が目を覚ましたようだ」
「なに?」
「騒々しくて、すまない──なにせ彼らは甘えん坊でね。起きたときに私がいないと、ああして泣いて、暴れ回りながら私を探しに来るのさ」

それは──つまり。

「……ここへ来るということか?」
「そういうことだ。邪魔する者は容赦なく蹴散らして、な」

薄笑いすら浮かべて言うベルティーユに、ふん、とグレーヴィチは鼻を鳴らした。

「彼らのいた部屋には、例の電磁波ジャミング装置をフル稼働させておいたのだがな──不備があったのだろうか? いやはや、私の専門は生物学だからね。どうにも機械には弱いのだよ」
「そういうわけではない、あれは恐ろしい威力を持つ兵器であるとフォローさせてもらおう。それ以上に私の子供が優秀だったというだけの話だ。なんらかの外的干渉によって、自律思考AIへの電気信号が一定時間を超えて断絶されたとき、強制的に“暴走”するよう“教育”をしてあるのさ──電磁波などによって容易く阻害されてしまう複雑な指令を必要としない、至って短絡的なプログラムに従うようにインプットしてある──そう、躾けてある」
「短絡的なプログラム──というと?」
「“限界まで探知センサーの感度を上げて私の生体波動のみをサーチし、他の反応があったら、その対象を全力で破壊せよ”」
「……………………」
「簡単に言い換えるなら──“母親以外の動くものにはとりあえず襲いかかれ”だな」

自ら改造を施したアンドロイドの保持する圧倒的パワーを、教授が把握していないわけはない──それでいて、そんな後先を考えない最終手段を搭載するなど。

「……狂っているとしか思えんな」
「今のあなたに、そう言われる筋合いはないな」

苦笑するグレーヴィチをいっそ冷徹なくらいの拒絶で切り捨てて、ベルティーユは眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。

「それで──どうするんだい? 我が子がここに到着した瞬間、あなたは二度とペンすら持てない身体にされてしまうと思うのだが」
「それは恐ろしいな。私の研究は──娘の進化は、まだまだ途中なんだ。こんなところで諦めるわけにはいかない」
「既に詰んでしまった勝負を、プライドを守るためだけに続けるのは見苦しいと思わないかい」
「そうだな。その通りだ。しかし教授──少しばかり、チェックメイト宣言が早すぎるのではないかな」
「……なに?」

絶望的な状況であるはずなのに余裕を崩さないグレーヴィチの態度に、ベルティーユは違和感を覚えざるを得ない。まるで、まだ奥の手を隠し持っているとでもいうかのような──

「私はあなたを侮ってはいない。むしろ自分などよりも数段クレバーな賢人だと評価しているのだよ──そんなあなたを捕えるために、それだけの策で挑むわけがないだろう?」
「……………………」
「大枚はたいて“用心棒”を買った甲斐があったというものだ」

──用心棒。

それを聞いても、ベルティーユはさして顔色を変えなかった。彼が施設の警備に据えているような、中途半端なガードマンたちの延長線上にいるレヴェルの人物なら、あの“双子”の敵ではないのは明白だった。

しかし、その希望的観測は、簡単に覆される。

「あなたにも紹介するとしよう。はて、彼は今どこにいるやら」
「──さっきからずっと、ここにいるんだがな」

割り込んできた、第三者の言葉。
ベルティーユは声のした方を振り返る──腕を組んで壁にもたれかかり、いい加減に待ちくたびれてうんざりしている、とでも言いたげに目を眇めて口を曲げている、若い男がいた。

黒髪を後ろで結い上げて、鎧めいた鋲の打たれた黒い装束に身を包んだ、そいつの顔を──ベルティーユは知っていた。

かつて彼女が追っていた“ジャスティス・レッド”と同じく、海人族襲来事件のどさくさに紛れて逃亡したという凶悪な暗殺者。経緯こそ違えども、類似カテゴリの脱獄犯として、その情報は協会から彼女に伝達されていた──その彼が、すぐ目と鼻の先に佇んでいる。

「おや、聞いていたのかい。それならば、改まった説明は不要かな? ソニック君」
「その女のガキ二人を仕留めてこればいいんだろう? 欠伸が出そうだ」
「頼もしいね。報酬分の仕事は、きっちりこなしてもらうよ」
「誰に向かって口を利いているんだ、貴様」

不満を露わにして、男は──

──音速のソニックは、じろり、とグレーヴィチを睨む。

「俺を誰だと思っている」
「冗談だよ、君には全幅の信頼を寄せているんだ──まさか子供の姿をしているから情が移って殺せない、なんて言わないだろうね?」

グレーヴィチの軽口に、ソニックは眠そうな怠そうな、あまり気合いの入っていない表情のまま──

「的が小さいから、頭を落とし損ねないように注意する。──それだけだ」

言って。
消えた。

自分が存在していた痕跡を欠片も残さず、まるで鮮やかな手品のように、ソニックの影はその場から忽然と消失した。

「と、いうわけだよ。ベルティーユ教授」

想定外の“用心棒”の登場に、眼鏡の奥に憤怒と焦燥を滲ませるベルティーユへくるりと向き直って、グレーヴィチはさも愉快そうに髭を震わせる。

「ここでゆっくり、あなたの子供たちの首を待ってくれ」