eXtra Youthquake Zone | ナノ





見上げるほどに高い壁に囲まれた研究所の内と外を繋ぐただひとつの境界であるゲートは、樹海に囲まれた山奥という想像を絶する僻地にありながら、意外と出入りが激しい。実験を行うのに必要な薬剤や器具類は勿論のこと、住み込みで働く所員の生活用品など、とにかく物資の搬入が多いのだ。こんな辺鄙な場所にまで定期的に通わされる運送会社の苦労は推察するに余りあるが、それだけの報酬をグレーヴィチは支払っている──ビジネスとして成立しているのだから、とやかく言う筋合いは誰にもない。

しかし現在、そのゲート脇に停車しているのは、専属契約を結んでいる大型トラックではなかった。それより二回り以上も小さいジープである。サイドにはヒーロー協会のロゴが入っていた──その後部座席には、相変わらずサイタマとシキミが小さくなって収まっている。運転席にいたニーナと、不可抗力で助手席を陣取っていたジェノスは、車内に残された二人の視線の先で、門番となにやら押し問答をしているようだった。

「……繰り返すようで申し訳ありませんが、アポイントメントのない方をお通しすることはできないのです。たとえそれがヒーロー協会からの遣いであっても、事前にお約束のないお客様を中にお入れすることはできません」
「所有権が我々にある研究用の機材を、グレーヴィチ博士が持ち帰られたという情報を得ているのです。貸借申請が通っていませんので、事実確認をせねばならないのですが」
「ですから、こちらで確認を取って、折り返し連絡しますので──」
「所在の知れなくなっている機材の中には、最新鋭のスーパー・コンピュータを搭載した素粒子観測機なども含まれています。大変に貴重で、都心の一等地にビルディングを建てられるくらいには高額なものなのですが──万が一トラブルが発生していた場合、賠償を請求させていただく形になることも考えられます。それでもよろしいのですか?」
「それは……」

ニーナの発言には多少の虚偽が含まれてはいるが、門番の男がそれを知る由もない。鋭い追及に彼は二の句を継ぎ澱んで、目を泳がせた。ここで彼らを追い返して、日を改めてからその重要な機材云々を協会のもとへ返却したとしても、適当な理由をでっち上げて後々いちゃもんをつけられる可能性があるのでは、と懸念しているのだろう。

システムにエラーが発生しているとか、外面に少し傷がついているとか──いかに脚光を浴びている博士といえど、ヒーロー協会という巨大な一群の権力には抗えない。圧力には逆らえない。組織としての器が違いすぎる。目をつけられたら、あの手この手を駆使して活動の妨害をされないとも言いきれない。そうなってしまったら、自分の責任問題になるかも知れない──どうして強引に突っ撥ねるような真似をしたのか、と。

クビを切られるだけでは済まないだろう。
なにせ──彼が雇われているのは、いろんな意味でブラックな企業なのだから。

「……………………」

門番は、ちらり、と横目に窺う──その先にいる数人の守衛は、厳めしい表情を取り繕ってはいるようだが、内心に張り詰めている緊張をごまかしきれていなかった。その態度を見て、門番は小さく舌打ちを零す。

ここで全員を始末して、彼らの来訪そのものを“なかったこと”にできてしまえば最善だったのだが、そういうわけにもいかなさそうだ──なにしろニーナの後ろに控えているのは、S級ヒーローの肩書きを持つ協会屈指の実力者、ジェノスである。束になって掛かったところで勝ち目などない。一瞬で消し炭にされるだろう。いくら鍛錬を積んだプロフェッショナルのガードマンといえど、恐慌するなという方が無理な話だ。

それに彼らが乗ってきたジープで待機している、十代半ばくらいの若い女──そいつの人相にも見覚えがある。最近めきめきと順位を上げているA級ヒーロー、毒殺天使。かわいい振りをして、特別製の大型拳銃で毒物を撃ち込むというえげつない戦い方を得意とする最強で最恐の女子高生だ。なるべくなら、敵に回したくはない。その隣にいる禿頭の男については知らないが、きっとヒーローなのだろう。あまり“できる”ような雰囲気ではないが、用心はしておいた方がいいだろう。

「通していただけないようですが」

そんな彼らの心裡を知ってか知らずか──ジェノスは言う。

「どうされますか? あなたの判断に従います」

彼らしくもない、慇懃で従順な敬語口調──それは明確に、ブラフとして働いた。ヒエラルキーのトップ・グループに属するジェノスが遜って接するニーナという人物を、上層幹部クラスの存在だと相手サイドに思い込ませるのに成功していた──無碍に門前払いするという選択肢を削るのに、これ以上ないほど覿面な効果を発揮していた。ニーナもその意図を察して、ジェノスに歩調を合わせる。

「そうですね。博士もお忙しいようですし、また改めて書面で──」
「……お待ちください」

門番が苦虫を噛み潰したような顔で、引き止める。

「今からグレーヴィチ所長に、あなたがたが来ていることを電話でお伝えしてみます──繋がるかどうかはわかりませんが」
「よろしいのですか?」
「……ええ」
「では、是非お願い致します」

守衛にアイコンタクトで“奴らを見張っていろ”と命じて、門番はゲートの側に建てられた小屋へ入った。狭いスペースに、各所に取りつけられた監視カメラの映像をリアルタイムで再生している複数のモニターや、部外者の入退記録を管理するコンピュータが密集している──それらの隙間を掻い潜って、門番はグレーヴィチが主に使用している棟へ直通する受話器を取った。

「こちら“ゲートキーパー”。トラブルが発生した」
「こちら“エスプレッソ”。どうした? なにがあった?」 
「ヒーロー協会から、面倒な遣いが来ている。所長は今どこだ?」
「所長なら客人と会っているが──例の“立入禁止区域”だ。連絡は取れないぞ」
「くそっ、よりによって、こんなときに……」

門番──“ゲートキーパー”は歯噛みして、どうすべきかと思索を巡らせる。下手を打つわけにはいかないが、悠長に考えている時間もない。焦燥に脂ぎった汗を滲ませながら、ゲートキーパーは痛む頭を抱えかけて、

──悩む必要はなくなった。

大音響のサイレンが一帯を劈いたことによって。

「……なァ……ッ、」
「な──なん……なにが起き」

ぶつっ、という不穏な音を最後に通信が切れた。異常事態に驚いた拍子に、向こうが通信機を落としたかなにかしたのだろう。どのみちこんな騒音の中ではまともに意思の疎通などできるわけもない。ゲートキーパーは諦めて、小屋を飛び出てゲートへ走って戻る。その間にサイレンは鳴りやんでいたが、ニーナ一向の監視を任されていた守衛たちは、突如として響き渡った謎の警報にいまだ狼狽しているようだった。ゲートキーパーに縋るような視線を向けてくる。

「今の音は、なんですか? 防犯装置ですか?」
「……わかりません。しかし、なんらかの問題が発生したのは確かです。危険かも知れないので、今日のところはお引き取り願えますか?」

原因不明の現象を理由に口実をこじつけて、ゲートキーパーはニーナたちの踵を返させようと試みる──だが、ニーナは引かなかった。それどころか──にこやかに、微笑を湛えてみせた。

「なるほど。危険ならば、我々も協力しましょうか」
「え?」
「ここにいるのは、協会が誇る優秀なヒーローたちです──特にこのサイボーグの彼は、日頃からベルティーユ氏の仕事に深く関われる程度の、かなり広い分野の知識も持っています。荒事を解決するのに、これ以上の人材はないと思いますが」
「し……しかし、ですね」
「いいえ、我々の助力が不要であるのならば、それでいいのです──“我々のような第三者に目撃されては困るような、秘匿しなければならない類のエマージェンシー”ならば──それでいいのですよ」

それは──暗に。

“この研究所がヒーローという世間的に認められた存在の介入すら許さない、一般市民に隠さなければならないアンタッチャブルなものを抱えている”という事実をこのまま協会に持って帰る──という、もはや、脅迫だった。

「………………………………」
「どうしましょうか?」

駄目押しとばかりに──ニーナは問いかける。

この壮絶な舌戦の勝敗は。
もう既に、誰の目にも明らかだった。