eXtra Youthquake Zone | ナノ





例えるならば、水族館という表現が最も近いだろうか。

特殊な強化アクリル・ガラスによって造られた、巨大な水槽。分厚い透明の板が半円状の弧を描いて、縁はそのまま壁に埋め込まれている。内側は薄い緑の液体で満たされていて、どことなく幻想的な雰囲気ですらある──ただその中に漂っている“モノ”は、とても大衆向けの娯楽施設で展示するのに相応しい代物ではなかった。

そこにいたのは。
少女だった。

体躯よりも長い豊かな金髪を翼のように揺らめかせ、一糸纏わぬ姿で、水中に浮いている。膝を抱えて背中を丸め、胎児のような姿勢で──両目を閉じている。眠っているように見えた。

水槽の底から伸びるケーブルは先端が吸盤のように広がっていて、少女の口元を覆っている。自発呼吸のできない病人に取りつける、酸素吸入器のフェイス・マスクに似ていた。他にも無数のチューブが少女の肉体の至るところに太い針で差し込まれていて、それでも痛々しい雰囲気がないのは、少女の表情が穏やかであるからだろう。

いつかサイエンス・フィクション映画で見た、クローン生物の培養装置をハイジは思い出していた。まるで現実離れした光景に圧倒され、無意識のうちに唾を呑む。

「感想をお聞かせ願いたいところなのだが」
「……悪趣味だ。理解できない」

侮蔑の篭もったベルティーユの返答に、グレーヴィチは気分を害するどころか、ますます笑みを濃くした──陰惨に口角を歪ませて、指先で髭を揉むように撫でる。

「そうかい。残念だよ──アンドロイドという紛い物の生命体の“母親”を自負するあなたならば、共感してくれるのではと期待していたのだが」
「これがあなたの“研究”の正体か?」
「そうだ。怪人を解剖し、生態を見極め、その常識を超越した強靭な生命力を我が物とする、その最終目標こそが──娘を唯一無二の生物として完成させることだ」

歯を剥き出して、グレーヴィチは嗤った。

「その悲願を達成するために、是が非でもあなたがたに協力を願いたい」
「断る──と、言ったら?」
「あなたの子供が二度と口を利けなくなるだけだ」
「……この下種めが」
「遠回しな褒め言葉として受け取っておこう。それにだな──教授はともかくとして、君には私に手を貸してもいい正当な理由があると思うのだよ、アーデルハイド君」

唖然としていたハイジが、急に矛先が自分に向いたことに怯えて、肩を跳ねさせる。

「お……俺? 俺かい? り、理由って、なんのこと──」
「君と我が娘は“同類”であるからだよ」
「ハイジ、耳を貸すな。気の狂った男の妄言だ」

ベルティーユの厳しい口調にも、ハイジは反応できない──呪いのように、グレーヴィチの悪魔めいた声が全身に降りかかる。

「君も人間の手によって生み出された、造り物のイキモノだろう?」
「……………………、」

ハイジの双眸が大きく見開かれ、濃緑の瞳が揺れる。
どうしてそれを彼が知っているのだろう、と。

「だから君と彼女は、お友達になれると思うんだ──きっとね」

大切に育ててきた種がようやく蕾を結び、その開花の瞬間を待ち詫びるかのように、グレーヴィチは言う。どこまでも純粋に──愉しそうに。



この研究所にガードマンとして雇われて数ヶ月が経つが、いまだに独特の空気感に慣れられずにいる。絶えず鼻腔をついてくる薬臭い匂いと、時折耳に入ってくる所員同士の難解な会話──正直に言ってしまえば、それらにはややうんざりしていた。

決して偏差値の高くない高校を出て、惰性のまま大学になんて行きたくなくて、なんとなく警備会社に就職した。そこが“金さえ払えばどんなに危険な仕事でも請け負う”タイプの、いわゆる裏社会に片足を突っ込んだ企業であるということを知ったのは勤めて半年が過ぎた頃のことで、辞めるに辞められなくなっていたのだけれど、不思議と危機感のようなものを覚えたことはない。

むしろこれまで生きてきた平凡な日常にはない刺激とスリルが心地よくすらあった。直接的な戦闘能力や特殊技能を会得しているわけではないので、これまでに与えられてきたのはせいぜい見張り役か、そうでなければほとんど囮に近い鉄砲玉くらいの立場だったが、それでも満足していた。本人は気づいていなかったが、それは“自分は特別で、普通とは違う”という、世間に対する一種の幼稚な優越だったのだけれど──家族とも疎遠で、特定のパートナーもいない彼の、そんな些細な認識のズレを咎める者は誰もいなかった。

果たして彼はそういう人物であるから、派遣されている現在の任務に辟易しているのだった。課せられているのは“研究所内外の監視”なのだが、いくつかの棟に別れているこの施設は頑丈な城壁で完全に囲まれていて、侵入には困難を極める。唯一存在するゲートだって、専属の警備員──同じ会社の、その道のプロフェッショナルである武闘派の上司たちが常に目を光らせているのだから、易々と入ってはこられない。不審な連中が訪れてきたという話は度々聞くが、自分に仕事が回ってきたことは一度もなかった。

言葉を選ばずに表してしまえば、退屈だった。
そして今日もその退屈は不変なのだろうと思っていた。

とある部屋のドアの前に立って欠伸を噛み殺していた彼のもとに、若い男がやってきた。白衣の袖を通さず肩に掛けて、人懐っこい笑みを張りつけながら、こちらへ歩いてくる──見知った顔だったので、彼は居住まいを正し、敬礼をした。

「お疲れ様です、イサハヤ様」
「うん、お疲れ。えーっと……」
「“サーズデイ”です」
「そうそう。サーズデイだ。君たちの会社のコードネームは洒落が利いてて面白いよね」
「どうでしょうか。由来が“入社日が木曜だったから”ですからね──あまり格好よくはないですよ」

暇を持て余していたので、つい世間話に乗ってしまう。

「調子はどうだい?」
「異常ありません」
「うんうん、それは重畳」

彼の返事に、イサハヤは満足そうに頷いた。糸のように細い目つきをしていて、長い前髪を額の真ん中で左右に分けており、どことなく暗そうで怪しげな風体ではあるものの──基本的に人当たりがよく、常に口角が上を向いているので自然と親しみが沸いてしまう。彼が憤慨したり落胆したり、マイナスの感情を露わにしているところをサーズデイは見たことがなかった。

全体的に線の細いシルエットで、紫外線に当たったことなどありませんとでもいうような肌の色をしている。正統派の、白皙の美青年、といった感じだ。街に出れば、さぞかし異性の注目を集めることだろう。

「グレーヴィチ博士にお客さんが来ていてね」
「然様でございますか」
「なんでも高名な“教授”を招聘したそうだ。ずっと進めてきた研究が大詰めだから、その成果を見てもらっているみたいだよ──実験を完了して、完遂して、完成させるための最後のピースをその“教授”が握っているらしい。僕もこれから会いに行くところでね。とても楽しみだ」
「はあ……」

専門的な難解きわまる話はサーズデイにはわからないので、適当に相槌を打つしかできない。そんな彼に構わず、イサハヤは遠足前日の小学生のように浮き足立っている。学界にその名を知らぬ者はないグレーヴィチの研究チームのメンバーに組まれているくらいなのだから、イサハヤもそれ相応の頭脳と実績の持ち主であるはずなのだが、今こうして会話を交わしている限り、とてもそんな天才とは思えない。人は見た目で判断できないということか。

──そのときだった。

前触れもなく。
前置きもなく。

前兆も予兆もなく。

突如として。
けたたましいサイレンが鳴り響いた。

「…………──ッ!?」

生物としての本能のまま、サーズデイは耳を塞いでその場に膝をついた。三半規管が正常な機能を失うほどの、大音量の警報──通路の窓に填め込まれている、防弾使用の強化ガラスさえもがびりびりと割れ砕けんばかりに震動している。頭がおかしくなりそうだった。

「な──なんっ──なにが──」

施設の防犯装置が作動したことによるものではない。明らかに外部からの干渉である──しかし周囲にそれらしき敵の姿はない。わけもわからないまま、サーズデイは不可視の攻撃に耐えるしかなかった。

永劫に続くかと思われた超音波によるテロルは、呆気なく終わった。ほんの数十秒のことだったが、サーズデイは汗だくで四つん這いの姿勢になったまま、荒い呼吸をしている。しかしイサハヤは平然とその場に、飄々とした面持ちのまま、己の脚で立っている。どういう神経をしているのか──やはり只者ではないのか、と混乱しているサーズデイに、イサハヤは畳みかけるように口を開く。

「今のは──なんなんだ? 一体……」
「きっと“子供たち”がお昼寝から起きたんじゃないかな」
「え? ──“子供”……?」
「あの狡猾なほどの周到さで有名な“教授”が、強力な電磁波ごときの仕掛けで制圧できるような機械人形をボディーガードに据えているわけがないだろう?」
「……な、なんの話ですか? それは?」

動揺しきっているサーズデイに、イサハヤは目を丸くする。

「おや、君は聞いていなかったのかい? “自分が警備を命じられた部屋に、なにが幽閉されているのか”──」
「ゆ、幽閉──」

言葉を失い、イサハヤの台詞を鸚鵡返しするしかできないサーズデイの耳に。

ごとり──と。

背後のドアの奥から、不穏な物音が届いた。

それは。
自我を持たず、節操も弁えず、状況を考えず、加減も知らない──

“双子”の大暴れが幕を開ける合図だった。