eXtra Youthquake Zone | ナノ





──“第一種危険指定特異生物生態解析研究”。

それがグレーヴィチを筆頭に展開されている一大プロジェクトの名称だった。ざっくりと有体に言ってしまえば、昨今その猛威を振るっている怪人を解剖するなどして、発生のメカニズムを解明しようという試みである──分子細胞学、発生生物学、遺伝子工学の観点から突然変異の原因と正体を探り出し、効果的な災害防衛策の提案は勿論のこと、強靭な肉体を持つモンスターの体構造を分析し、現代医学では取り除けない難病の治療が可能になるのではないかという点も期待されていて、各界から注目を集めている。

「実際に、彼は自身の研究において素晴らしい功績を打ち出しています──三年前、とある怪人の心臓から採取した細胞を人工的に培養することに成功し、その核が持つ抗体をラットに移植することで、劇的に病原菌に対する耐性を上げたと発表しています。骨格の強度や筋肉組織の向上、脳内物質の活発化も同時に確認されており、人体への応用もできるようになれば、長らく不治とされてきたパーキンソン病の画期的な治療法として確立されるのではないかということで、海外の医師会や支援団体から莫大な寄付金を受けたと聞いています」
「ああ──そういえば、そんなニュースを見た記憶もある」
「かなりセンセーショナルな衝撃を与えましたからね、当時は。この世紀の大発見によって、グレーヴィチ氏は自身の学者としての地位をより高いものとしました。まあ、もとより著名な人物ではありましたけれど──ベルティーユ教授とも、かねてより面識があったのでしょう」

そんな会話が繰り広げられているのは、ヒーロー協会の管理する特別製ジープの車内である。ニーナがハンドルを握り、助手席にはジェノスが座している。狭い後部座席には──道中で合流して拾ったサイタマとシキミがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

「いててて、シキミ、背中、挟んでる俺の指」
「はっ! すすすすみません先生っ!」

なにやら揉めている二人を、ジェノスは首だけ回して振り返る。

「先生、席を代わりましょうか」
「いや別に大丈夫……ていうかお前がこっち来たらもっと狭くなんだろ。シキミ潰れちまうよ」
「それはそうですが……」
「ていうかそもそも車が狭すぎるんだっつーの。もっと広いヤツなかったのかよ」
「誠に申し訳ありません。なにせ、グレーヴィチ博士が研究所を構えている、場所が場所なもので」

そう述べたニーナの言に、嘘はなかった。

そこは周囲を林立する木々に囲まれた山奥である。最低限の車幅は切り拓かれてはいるものの、舗装などは一切されていない。剥き出しの土に拳よりも大きい石がごろごろと転がっている。まさに悪路──いや、そう称することすら躊躇われる。獣道にも及ばない。おまけに天候が雨とくれば、四輪駆動のクロスカントリー・カーでなければ、とてもじゃないが走れないだろう。

「なんだってこんなとこに建てたんだよ……」
「いろいろと理由はあるでしょう。樹海ともなれば広い土地を確保しやすく、防犯の意味でも好都合ですし、近隣に住宅がないので騒音などに対する苦情もありません」
「はあん。それでも俺は、こんなとこに引き篭もって暮らすのなんて、ぜってー嫌だけどな」
「その意見には私も賛同いたします。サイタマ様」

注意深く前方を見つめながら口を斜めにして、ニーナは話を本題へ戻す。

「ともかく──行方不明のベルティーユ教授が最後に面会したと思われるグレーヴィチ氏の根城はこの先です。彼が現在そこにいるのかどうかはわかりませんが、教授と連絡が取れない以上、彼に話を聞くより他にありません。借り受けたという機材についても、協会に申請が通っていませんから、その点も確認する必要があります。教授が実験研究活動に使用している装置の中には、あくまで“貸与”扱いのものもいくつかありますから、それらに関しては看過できません」
「家宅捜索の大義名分はあるわけだな」

ジェノスの皮肉っぽい口調にも、ニーナは気分を害した素振りさえ見せない。それどころかあっさりと頷いて、平然と続ける。

「その通りです。それに、グレーヴィチ氏の一行が協会へ訪れていた時間帯──そのうちほんの数分間ではありますが、謎の電波障害が発生したという報告を受けています」
「電波障害? なにそれ?」
「災害情報を管理するスーパーコンピュータから事務員のタイムカードに至るまで、本部内のあらゆる精密機器がストップしたのです。すぐに問題なく復旧はしましたが、なんらかの遠隔操作──第三者による妨害工作を受けた痕跡が残っています」
「そいつらがやったのか?」
「わかりません。どういった手口なのか、どういった手法なのかも判明していませんから、追及のしようがないのです」
「なんか──行き当たりばったりって感じだな」
「ええ。出たとこ勝負ですよ。そもそも教授が本当にトラブルに巻き込まれているのかどうかも確実ではないのですから、ひょっとしたら我々の遠征が無駄足に終わる可能性もあります」
「……それが一番いいんですけどね」

ぼそりとシキミが零した呟きに、全員が口を噤んだ。なによりも雄弁に満場一致の賛成を示す沈黙が激しく揺れる車内に流れる。息がつまるほど重苦しい、どこか祈るような空気すら漂っていたのだけれど──

残念ながら、現実は無情だった。



異変を嗅ぎつけたサイタマたちが向かってきていることなど露知らず、果たしてベルティーユは今まさにグレーヴィチの研究所に囚われの身となっていた。彼女が閉じ込められているのは巨大なケージである──等間隔に並ぶ太い鉄柵に囲まれた、動物園の檻のような趣きの、閉鎖された正方形の箱の内側に軟禁されている。

しかしベルティーユの顔に焦燥の色はない。投げ出した長い足を組み、怜悧に冷えきった双眸で、まっすぐに前を見据えている。周囲には窓もなく、照明もすべて落とされているので──最初から灯りなど設えられていないのかも知れないが──とにかく暗い。完全な闇に閉ざされている。

「教授……ねえ、俺たちどうなっちゃうの……?」

すぐ隣に蹲っていたハイジが、消え入りそうな声音で呻いた。恐怖に耐え切れなくなったのだろう──かたかたと、小刻みに震えている。

「さあね。塩胡椒で味付けされて、三枚に下ろされて、煮られて焼かれてグレーヴィチ氏の晩餐にでもされるんじゃあないか」
「……笑えないよ」
「笑わそうとしたつもりはないからね。それくらいの危機だということだ」

嘯いた言葉に被って、ふと、迫ってくる足音が聞こえた。それと悟られないよう耳を澄ませて、歩行のリズム、体重移動の癖からベルティーユはそれがグレーヴィチのものであることを確信する。すっ──と背筋を伸ばして姿勢を正し、ささやかな迎撃態勢を取る。

「……やあ。ご機嫌はいかがかな」

それは柔らかく、棘のない発声ではあったけれど、聞く者をぞっとさせる酷薄な響きも併せ持っていた。不可視の生温い手が纏わりついてくるような、粘ついた不快感があった。

「床が硬くて敵わない。せめて絨毯を敷いておいてほしかったね」
「ははは──この状況でも、そんな口が利けるとは。さすがはベルティーユ教授だ。畏れ入ったよ」
「私は客人を丁重にもてなす主義だからね。このような扱いを受けるのには、やや不服なのさ──もっとも、あなたは我々を“客人”などとは思っていないのだろうが」
「そんなことはないとも。ベルティーユ教授も、アーデルハイド君も、大事な来賓だと心得ているよ──あなたがたがここへやってくる日をずっと夢に見てきた」

どこか陶然とした口振りで、グレーヴィチは謳う。

「ゴーシュとドロワットはどこにいる」
「別室で眠ってもらっているよ。かわいらしい寝顔だった──壊してしまうのは惜しい」
「私の子供に指一本でも触れてみろ。膾斬りにして魚の餌にしてやる」
「おお、怖い怖い──なに、安心したまえ。あなたが妙な真似をしなければ、ちゃんと無事に帰してやるつもりだよ」
「なにが望みだ」
「そう焦らないでほしい。この歓喜の時間を、もう少し堪能させてくれ」

刃のように突き刺さるベルティーユの問いに、グレーヴィチは愉快そうに息を洩らした。膨れ上がった太鼓腹が揺れているのが目に浮かぶようだ。

「あなたに会ってほしい子がいる」
「……………………」
「私の娘だ」
「……なんだと?」

ぴくり、とベルティーユの眉が動く。

「我が娘はまだ、外に出ることができない。だからこうして、あなたがたに来てもらった──無礼は承知だ。是非とも顔を見てやってほしい」
「あなたの──あなたの娘は、」
「ここにいる」

ベルティーユの台詞を遮るように、グレーヴィチは指を鳴らした。それを合図に、ぱっ、と周りが一気に明るくなる──体育館ほどの面積を持つ空間が人工的な白光に照らされて、浮かび上がる。急な眩しさに視界が塗り潰されて、なにも見えなくなって、徐々に目が慣れていって──そこに広がっていた光景に、ベルティーユは戦慄した。

「まだ不完全で、長時間の活動はできないのだがね」

──そこにいた“モノ”に。
釘付けにされて、言葉さえも失う。

そんな彼女と、同じく愕然としているハイジを交互に見比べて、グレーヴィチは自慢げに頬を綻ばせた。そして──己の集大成たる、愛する家族の全貌を、高らかに誇らしく披露してみせる。

「さあ──お客様に挨拶しなさい。クローディア」