eXtra Youthquake Zone | ナノ
西部劇の決闘シーンのように真っ向から対峙して、ベルティーユとグレーヴィチの一団が睨み合っている。きりきりと極限まで張り詰める空気のなか、先に口を開いたのはベルティーユの方だった。
「一体どういうつもりだ? 私の息子になにをした」
「ちょっとしたジャミング装置を使ったんだ。特殊な高周波の電磁波で、精密機器を狂わせる──なんのことはない、取るに足らない細工さ。君のボディーガードである“子供”の自律思考AIを撹乱させて大人しくしてもらうために、莫大な金と労力をかけて手に入れたんだ」
グレーヴィチが部下のひとりに目配せした。そいつが懐から取り出したのは、無線機のような、アンテナの付随した黒いプラスチックの塊だった。側面に取りつけられている小さなライトが、自身の正常な稼働を示して緑色に点滅している。
「……私の子供に、目を覆いたくなるような乱暴を働いたんだ──相当の理由がなければ、私はあなたを許せない」
「理由ならある。大いにあるとも。しかしそれを説明すべきタイミングは、今ここではない。どうか理解してほしい。あなたは聡明な女性なのだからね」
「確かに私は天才だが、天才である前に母親だ」
「そうだな。その通りだ。ああ、痛いほどにわかる、わかるとも。なにせ私も父親だからね」
「……なんだと?」
「おや、ご存じなかったか? 私にも娘が一人いるんだ」
「それは知っている。……だが、あなたの娘は」
「──ベルティーユ教授ううう!!」
割り込んできた叫び声は、ハイジのものだった。どたばたと騒がしい足音を立てながらこちらへ走ってくる彼が抱えているのは、グレーヴィチの足元に横たわるゴーシュと同じようにぐったりとして動かないドロワットだった。ゴーシュと同じように、ジャミング装置の影響を受けたのだろう。それを見て、ベルティーユの顔がぎしりと強張る──と同時に、グレーヴィチの後ろに控えていた作業員たちが一斉に動いた。
「──!? わっ、わ、うわああああっ!」
自身に飛びかかってきた複数の男たちに恐慌の悲鳴を上げるハイジだったが、両腕が塞がっている状況下でろくな抵抗ができる道理もない──踵を返す間もなく取り押さえられ、たちまちドロワットごと拘束されてしまう。
「えっ!? 痛い! 痛いよっ! ええっ!? こ、これなに!? どういうこと!? こいつら誰!? ていうかグレーヴィチ博士もいるし! えっ!? ど……どうなってんの!?」
「君が元気なのは喜ばしいことだが、うるさくされると困るんだ。悪いが、少しの間だけ黙ってもらおう」
ハイジに圧し掛かって関節を極めていた男のひとりが、ハイジの口元にハンカチのような薄い布を当てた。なおもなにか叫ぼうともごもご言っていたハイジだったが、やがてとろんと瞼を重そうに下げたかと思うと、ぱたりと落ちてしまった──染み込まされた薬品を嗅がされて、一瞬のうちに眠ってしまった。
「──さて、あなたにも来てもらおう」
「私がそんな要求に易々と応じるとでも?」
「抵抗するならば、それもよし。こちらには人質がいるのだからな」
勝ち誇ったふうに胸を張り、グレーヴィチは転がるゴーシュの頭に足の裏を乗せる。そのままふくよかな肉体の重みをゆっくりと掛ければ──みしり、と嫌な音が通路に反響した。
「────────、」
「ああ、とてもいい表情だ。あなたのそんな悲愴に満ちた顔を見たのは、きっと世界で私だけだろう。優越感さえ覚えてしまうよ」
「……やめてくれ。頼む。私の負けだ。あなたに従うことを約束する」
敗北宣言を呈して、ベルティーユはハンズ・イン・エアーのポーズを取った。グレーヴィチはますます三日月のように口の端を持ち上げながら──待機する部下たちに、酷薄な指令を飛ばす。
「捕えろ」
雨天の正午を過ぎて、今日もジェノスは協会本部へやってきた。いつものように多忙なベルティーユの手伝いに従事するため、広いエントランスを抜けてエレベーターに向かっていた彼を呼び止めたのは、たまたま通りがかったニーナだった。
「おはようございます、ジェノス様」
「ああ。しばらく振りだな」
「そうですね、……………………」
ジェノスの挨拶に相槌を打って、ニーナは彼が手に持っている傘に目を留めた。ビビッドなピンク地に白のドット模様が入った、どう見ても男性が使用することを想定したデザインではないそれをまじまじとしげしげと眺める。
「えー、その、……かわいらしい傘ですね?」
「ヒズミが使っていたものだ」
「……………………」
「こういう天気の日には思い出すんだ……彼女は雨が嫌いで……せめて気分が楽しくなるようにって好きな色の傘を買ってみたけどコレちょっと目立ちすぎて恥ずかしいな、と笑っていたのを……とても愛らしかった……毎日雨が降ればいいと思ったが、彼女は頭痛持ちだったから、低気圧で苦しんでいる姿は見たくなくて……しかしその葛藤も、今になって思えば……楽しかった……」
「……そうですか」
ぼそぼそと呟くジェノスに「コイツ相当こじらせてやがんな」と心中で恐怖に似た感情すら抱きつつ、ニーナは話題を変える。
「ベルティーユ教授に会いに行かれるんですよね」
「そうだ。ヒズミの捜索任務でな」
「経過はいかがでしょうか?」
「残念ながら、報告できるような進展はないな」
大して残念そうでもなく、むしろ嫌味っぽく首を横に振ったジェノスに、ニーナはなぜかふっと微笑んだ。
「……なにがおかしい?」
「いいえ。おかしいのではなく、少し安心しています」
「安心だと?」
「彼女のように勇敢で素晴らしい女性が、こんな低俗な協会なんかに捕まってほしくはないということです。私としても──あなたと同じように」
しれっと罰則モノの発言を飛ばしたニーナに、ジェノスは黒い目を瞠る。ニーナは驚きを隠せない様子の彼に、しいっ、と立てた人差し指を唇に当てて笑った。
「内緒ですよ」
「わかっている」
「というわけですから、私にも力になれることがあれば、遠慮なく仰ってください。諜報部に異動になったので、バレない程度に機密をお伝えするくらいのことはできます。散々これまでにも似たようなことはしてきましたから、リーク行為がどんどん上達しているんですよ」
「……どいつもこいつも、大人の女は怖い」
それはジェノスにしては珍しい、ウィットに富んだジョークだった。どいつもこいつも──という一括りに誰が入っているのかは、あえて口に出さずともニーナには伝わったようだった。ニーナは悪戯好きの少女みたいに笑みを深くして、愉快そうに肩を震わせている。
「ところで──俺に言えた義理ではないが、こんなところで油を売っていていいのか? 改築計画だったり道路建設だったりで、協会の人間は忙しいんだろう?」
「民間企業への業務委託だの自治体への説明だのは復興委員会の仕事ですし、重要事項を報道各社に公開するのは広報部の専門ですし、予算管理は経理部の領分ですし、政府への胡麻擂りと賄賂は重役幹部の責務です。諜報部は宙ぶらりんなんですよ、今は──敵対する団体との、水面下の情報戦くらいしかやることがないんです」
「そうか。難儀なことだ」
「まったくです」
スーツの襟を正しつつ、ニーナは思い出したように「そういえば」と声色を変えた。
「教授には別の客人がいらしていたようですが」
「客人だと?」
「ええ。詳しくは知りませんが、機材を借り受ける約束をしていたという方たちがやってきたと、警備の者が話していたのを小耳に挟みました。それでつい先程、大きなダンボール箱を数人がかりで抱えて出ていったとか」
「そんな話は聞いていないが……」
ジェノスは困惑に言い澱む。そんな約束があったのならば、あの抜かりない教授のことだ──毎日ここへ訪れている自分には前もって話してくれているはずだ。ちょうどいい、荷物が重いから搬出に協力してくれ、くらいのことを頼んできそうなものである。しかしそんな記憶はない。
「嫌な予感がするな」
「……私も行きましょうか」
「ああ」
二人は足早に、ベルティーユの所有するフロアへ向かう。他に乗る者のいない閑散としたエレベーターを降りて、通路に出る──不自然なほどに静まり返っていた。人の声どころか、機械の駆動音すらしない。数多の雑務に追われているベルティーユがすべての機材を停めて手を休めているところなど、ジェノスはこれまでに一度も見たことがない。
生体反応を探査するサーチャーの感度を最大まで上げてみても、なにも引っ掛からなかった。ここには誰もいない──ここを根城にしているベルティーユ、ゴーシュとドロワット、助手のハイジまで──忽然と消えていた。
「なにかあったのは間違いなさそうだな」
「たまたま急用で出払ったのでは……」
「あの用心深い教授が留守番のひとりも残さず、貴重な資料やコンピュータの記録を放置したまま研究室を空けるほどの急用に心当たりがあるのか?」
「……いいえ」
ゆるゆると頭を振って、ニーナはジェノスがとある一点を睨んでいるのに気づく。その視線を追ってみる──数メートル先、白いリノリウムの床に、なにか赤いものが点々と斑模様を描いていた。
つい最近まで戦闘チームの一員として第一線で活躍していたニーナには、馴染みの深い色だった。
「────血痕……!?」
その傍らに膝をついて、ジェノスが指先でそれに触れる。赤い液体が付着した。
「……まだ乾いていない。そう時間は経っていない──飛び散っている血液の量が少ないから、致命傷を負わされたわけではないと予想されるが、一悶着あったのは確実だろう」
ジェノスが毅然と立ち上がり、ニーナを振り返る。
「電話を貸してくれ」
「電話……? 教授に掛けられるのですか?」
「違う。こんな状況下で、繋がるとは思えない」
「? では、一体なぜ──」
混乱して狼狽しきっている様子の、すっかり浮き足立ってしまっているニーナに、ジェノスは別に得意げなふうでもなく、至って平淡な口調で、端的な答えを返した。
「先生に携帯を預けたままにしておいてよかった」